嫌われ者令嬢とアキの終わり②
そして、私も死んだ。──夏の、蒸し暑い日に。
数日前から不調は感じていたが、そういう時に限って仕事は繁忙期。
休めずに疲れ切った肉体を引き摺るようにして、一人暮らしの1DKアパートに帰ってきた。
部屋の中はむせ返るような暑さで、エアコンのリモコンに手を伸ばしたところまで覚えている。
それから酷い頭痛と吐き気。
これはやばいと思ったが、その後の記憶はない。
まだ二十歳を過ぎたばかりの年齢──人生の半分も生きていない。……秋に生まれたから「アキ」と名付けられたのに、秋を待たずして命を落とすなんて。
けれど、私には後悔するものが何もなかった。与えられたものを素直に受け入れるのが私の人生だった。
孤独に死んでいくのもまた自分の運命なのだと、不思議と納得できた……。
──のだが、想定外のことは起こるものだ。
生きていたじゃないか、と目を覚ました時、私の目に飛び込んできたのは女神と天使が描かれた豪華な天井に、白いレースで覆われた空間だった。
ここが病院でないのだとしたら、天国だろうか。
来るのは初めてだが、ふわふわのベッドに、肌触りの良いシーツや布団はなかなか心地が良かった。
ただ、一つだけ文句を上げるとすれば、後頭部が割れるように痛かった。
死ぬ前に感じた頭痛ではなく、外傷からくる痛みだ。
きっと大きなたんこぶが出来ているはずだ。
前から倒れ込んだと思ったのに、頭を打ち付けてしまったのだろうか。
そんなことを考えていると、カーテンの外から人の気配がした。
一瞬、美しい神様か天使を期待したのだが、カーテンから顔を覗かせたのはそばかす顔の少女だった。
……天使みたいに可愛かったけれど。
それ以上に、はっきりしたオレンジ色の髪に薄緑色の瞳に驚いた。これは世界中どこ探しても滅多に見られるものではない。
私は突然現れた異国の少女にビックリしていると、少女も目を見開いて驚いていた。
悲鳴を上げられるだろうか、と心配になったが、少女はなぜか猛スピードで走り去っていった。
──一体、何だったんだろう。
そのまま動けずにいると、今度は複数の足音が聞こえてきた。
「お嬢様! イザベルお嬢様!」
「ようやくお目覚めになったのですね! ああ、神よ……!」
なんだ、どうした。
室内に押し入ってきた彼らは白いレースを剥ぐように取り去り、私の四方を囲んだ。
一人は先程の少女、あとは少女と同じメイドの格好をした年配の女性、それから白衣を着た男性や看護婦のような女性がいた。
驚きすぎて言葉を失っていると、彼らは直ぐに私の診察を始めた。
医者の的確な指示に看護婦やメイドが動く。
その素早い身のこなしに感動すら覚えていると、最初に現れた少女と目が合った。
「本当に心配しました……イザベルお嬢様……っ」
異国人なのに、少女の言葉が分かる。
それも違和感なく。
だが、彼らは自分を知っているようだが、こちらは見覚えがなかった。
それにさっきから彼らは、誰と勘違いしているのだろう。
自分は「イザベル」という人間ではない。
基本的になんでも受け入れる性格だが、さすがに人違いは困る。
「あの……イザベルって、誰……?」
私は混乱していた。
しかし、その言葉が更なる混乱を引き起こすことになるとは思いもしなかった。
私の放ったその一言に、周りにいた彼らは衝撃を受けた顔で見つめてきた。
とくに医者は、今にも泡を噴いて卒倒してしまいそうな顔色だった。
「お、お嬢様……。まさか、ご自身のこと覚えてないのですか?」
「ご自身……え、私!?」
少女に言われて私は自分の顔を指さした。
その時、体が動くという事実と、これまでと違う感覚に背筋がぞわりとした。
強いて言うなら、まったく別の入れ物に入れられているような。
──そんなバカな。
「……かがみ、鏡見せて、ください……」
仰向けのまま鏡を要求すると、彼らはまた目を丸くしていたが、今は構っていられない。
自分の身に起きたことを把握するほうが先だ。
幸い、年配のメイドがすぐに装飾された手鏡を持ってきてくれた。
銀色に輝いているが、値段は訊かないでおこう。
「お嬢様、危ないので私が」
「あ、すみません……」
彼らに「お嬢様」と呼ばれるのも慣れないが、私が口を開くたびに、どこか怯えた表情を見せるのもやめてほしい。
いくら目つきが悪いからといっても、睨んでいるわけじゃない。
ただ一重で、目が細いだけ。
真っ直ぐな黒髪だって某幽霊と一緒にしないでほしいし、巨人と呼ばれた身長だって好きでこんなに伸びたんじゃない。
そう思って向けられた鏡を見た瞬間、私の思考は止まった。
──あれ、変だな?
鏡には、自分ではない少女がこちらを見ていた。
決してホラーではなく、つまり少女になった自分が映っていたのだ。
頭には包帯が巻かれ、青白い顔をしている。
けれど、ウェーブのかかった真っ赤な髪に、吊り上がった金色の目をした少女は、人形のような美しい顔立ちをしていた。
少女こそ天使に違いない。
「あの……お嬢様?」
「目覚めたばかりで混乱されているのでしょう。一度ゆっくり休まれたほうが宜しいかと」
鏡を見つめて惚ける私を他所に、医者の指示でメイドが身の回りを整えてくれた。
もう少しだけ鏡の中の少女を見ていたかったが、混乱している内は頭を休めるのも得策だ。
「それでは、お嬢様」と言って出ていく彼らを横目に、私は再び天井を見上げた。
「これは、夢? それとも現実……?」
私の呟きに答える者は誰もいない。
ただ夢であれ、現実であれ、自分が死んだことは覆りそうにないと、そんな気がした。