嫌われ者令嬢と語られる真実③
『それでしたら、お願いがあります──』
イザベルになった私がグラント公爵に頼みごとをした時のことだ。
公爵は、本物の娘ではない私の言葉に、じっと耳を傾けてくれた。
「首都から離れて、静かな場所で過ごしたいです」
言いながら緊張してくると、公爵は理由も訊ねず了承してくれた。彼の罪悪感がそうさせたのかもしれない。
ただそれを叶えるには、一度でも社交界に参加する必要があった。
もし、公の場に姿を見せず首都から離れていれば、恋に破れた公爵令嬢が公爵家から追放される、などと誤った噂が流されていただろう。イザベルの名に、これ以上傷をつけるわけにはいかない。
それに、オーティスとの関係を終わらせる必要があった。
もう未練はないと断ち切ってしまえば、オーティスの婚約者であるフィオーナも安心するはずだ。そして彼の兄、フェランドも。
だから、リオネルのパーティーに招待されたのは都合が良かった。
参加したおかげで、多くの貴族たちの前でオーティスに未練がないことを宣言できたのだから。
予想外の出来事はあったものの、イザベルの立場を地に落とすことなく無事にやり遂げることができた。
──残るは、屋敷の中の微妙な空気と、リオネルのことだ。
私が邸宅に戻ってくると、前にも増して公爵は過保護になり、弟のダミアンは毎日顔を見せるようになった。どちらもイザベルの生存を確かめるように。
優しくされればされるほど息が詰まり、結局部屋から出られなくなってしまった。
気分転換に買い物でもしようかなと言えば、さすが公爵家の娘。業者自ら商品を持って屋敷にやって来た。
イザベルはとくに異国の商人が取り扱っている品物に目がなく、恋愛が成就するアイテムを高値で買い付けていたようだ。その手の類はまったく信じていなかったが、時間つぶしにはなるだろうと部屋中を探してみたが、どこにも見当たらなかった。イザベルの記憶を覗いても分厚い壁に阻まれて確認することはできなかった。私は結局、諦めることにした。
そして、日に日に元気を無くしていく娘の姿に、公爵は「首都から離れる手配をしよう」と、重い腰を上げてくれた。
「お嬢様、ご気分はいかがですか?」
「私は大丈夫よ。ニーナこそ、付き合ってくれてありがとう」
「何を仰います! 私はお嬢様の専属メイドなんですから、同行するのは当然です!」
首都から離れる当日、私は胸を弾ませていた。
馬車に揺られるのは好きじゃないが、それでも窮屈な屋敷から出て行けるのだ。同行するのは専属メイドのニーナと、護衛の騎士が四名。気を遣わなくて良い相手ばかりで、完全に旅行気分だった。
「お嬢様、本日はあちらのお宿でお休みいただきます」
騎士の一人が馬車の窓越しから伝えてきた。
到着したのは村にひとつしかない宿だった。これなら、先程の華やかな街で一晩過ごした方が良かったのでは、と思ったが私は首を振った。
外見は公爵令嬢のイザベルであっても、中身はただの庶民だ。イザベルなら喚き散らしていただろうが、平民である私は違う。
「なんて…………風情のある宿なのかしら……」
決して悪いわけではない。
舗装された道沿いにある村だけに家も建ち並び、活気もある。
だが、しかし。
イザベルとして目覚めてから今日まで、飛び抜けて高級な物に囲まれていたせいか感覚が狂ってしまったようだ。どうやら生活水準を見直す必要がある。
私は騎士に囲まれながら木造二階建ての宿に入った。宿内は綺麗に清掃され、受付と隣接された食堂は広々としており、田舎に帰ってきたような気分だ。
落ち着く雰囲気をつくっているのは、声を掛けてきた女将さんにあった。
人の良さそうな女将さんは、明らかに身分の高い私たちを見ても顔色ひとつ変えず、丁寧に対応してくれた。
私は女将さんに案内されるまま、二階の部屋に向かった。イザベルの部屋と比べてはいけないが、一人で使うには大きい。二つあるベッドに、てっきりニーナが隣を使うのだろうと思ったが、主人と同じ部屋は使えないようだ。
食事は夕食と朝食の二回。お風呂はなく、ニーナが運んできたお湯とタオルで体を拭くだけになった。お風呂には毎日でも入りたいが、贅沢は言っていられない。
ただ、女将さんお手製のトマト煮ハンバーグは、頬が蕩けそうになった。
これは朝食も楽しみだ、と早めに就寝して翌朝を迎えた私は──しかし、突如現れた人物によってその楽しみを奪われることになった。
朝早く目覚めて、ニーナが来る前に部屋を出た。朝食が楽しみすぎて、呼ばれるまで待っていられなかったのだ。
だが、部屋を出て間もなく、後ろから伸びてきた手によって口を塞がれた。
「んっ──!?」
突然の出来事に、頭の中が真っ白になる。救いを求めようにも、部屋の前で立っているはずの護衛がいなくなっていた。
パニックになって口を塞いでくる腕を掴むと、がっしりとした男の腕にゾッとした。背中から伝わってくる分厚い胸板にも恐ろしくなる。
けれど、相手の声を聞いた瞬間、私は目を見開いた。
「しーっ。俺だ、俺!」
そんな詐欺に引っかかってなるものか。
……ではなく、耳元で囁いてきた男に、視線だけを走らせた。外套を深く被った男の顔は見えなかったが、聞き覚えのある声だけで十分だ。
正体に気づいて私が大人しくなると、男は自分のいた部屋に入って行った。
「リオネル……? なんで、ここに」
「お前なぁ、貴族のお嬢様が一人でうろつくな! もっと気をつけて行動できないのか!?」
塞がれた口から男の手が離れると、私はすぐに振り返った。すると、男は外套を外し、輝くハニーブロンドの髪と、鋭く光る灰色の瞳を見せてくれた。
怒りたいのはこちらの方なのに、逆に声を荒らげられて何も言えなくなってしまう。それよりも、なぜ彼がここにいるのか気になった。
私が目を丸くして見つめると、リオネルはため息交じりに「とにかく」と話を続けた。
「お前を迎えに来た。説明は後だ。ここからは俺の言うとおりにしてくれ」
いきなりすぎて話が見えない。
リオネルがここにいる理由も知らないのに、彼の指示に従っても良いのか不安になる。
その時、部屋の扉が軽く叩かれて反射的に振り向いた。
驚きの連続で心臓の鼓動が速く脈打つ。けれど、リオネルが扉を開けに行くと、姿を見せたのは一緒についてきた護衛の騎士だった。
「公子様、やはり公爵家の馬車を尾行する者がおりました」
「そうか。お前たちは当初の計画通り、このまま公爵家の馬車を護衛してグラント領地へ向かってくれ。決して相手に勘づかれるな」
「畏まりました。お嬢様を宜しくお願い致します」
馬車を尾行? 当初の計画?
思いがけない言葉が次から次に聞こえてきて、我が耳を疑う。旅行気分が一瞬にして掻き消されていくようだ。
そのまま呆然と立ち尽くしていると、別部屋から出てきたニーナがやって来て「お嬢様」と声を掛けてきた。
ニーナもまた、突然現れたリオネルの姿を見ても驚かないところを見ると、彼女も知っていたのかもしれない。
リオネルがニーナを確認すると、彼女にも指示を出した。
「イザベルの支度を頼む。俺たちはすぐにここを発つ」
「承知しました。さあ、イザベルお嬢様」
知らなかったのは私だけだ。私だけが何も知らずに浮かれていたのだ。
──それは追々問い詰めることにしよう。
その前に、どうしてもやらなければいけないことがある。
「待って、リオネル」
「大丈夫だ、グラント公爵もこのことは承知している。安心していい」
いや、そうじゃない。
逆らうつもりはなかったが、こちらにも譲れないものがある。
その場にいた者たちは、イザベルの我儘がまた始まったと思っているだろう。でも、私はリオネルの外套を掴んで、その場から動こうとしなかった。
「イザベル、どうした……?」
「私、まだ……女将さんの朝食、食べてないわ……」
昨晩から楽しみにしていた女将さんの手料理。そのために早く眠って備えたというのに、こんな形で奪われるなんて。
しかし、羞恥をぐっと堪えて言ったのに、リオネルは真顔で「却下」と言い放つと、私をニーナに押し付けた。
ニーナの手に委ねられた私は素早く支度させられ、リオネルの元に戻される。
そして彼の手に引かれるがまま、宿の裏口から外へ出た。
通り過ぎたキッチンでは、鶏肉のクリーム煮が準備されていた。私はその匂いを味わうことしかできなかった。
──リオネル、許すまじ。





