嫌われ者令嬢と拗れた恋心⑦
私はリオネルにエスコートされるがまま歩いていた。
あれだけ多くの人目がある中で堂々と振る舞い、おまけに謝罪までするなんて、以前の私だったら考えられなかった。
もちろん、イザベルの本心ではなかったが、私としてはやり切った感がある。
イザベルがオーティスに想いを寄せていたのは有名な話だ。それ故、叶わない恋に溺れるイザベルを皆で嘲笑い、無様な姿を晒す彼女を見て楽しんでいた。
しかし、今日はリオネルのおかげで惨めな思いをしないで済んだ。
恋に破れても、前回のように一人ぼっちではなかった。
参加者たちも、グラント公爵家とストラッツェ公爵家の両家を敵に回すような愚かな真似はしないだろう。
──これが最善の方法だった。
イザベルの幸せを考えれば、オーティスから離れるのが一番だ。けれど、私は歩いている途中で足を止めた。
「……なんで、こんなことをしたの──」
「イザベル……」
そこは人気のない中庭だった。
近くにあった噴水から水の音だけが聴こえてくる。
私はリオネルから離れ、締め付けられるように痛む胸元を押さえた。
「私は、貴方の婚約者でも何でもないわ! それなのに、どうしてこんな格好をさせたの!?」
──違う、そんなことを言いたかったんじゃない。
本当は感謝している。
公の場に出られたのも、オーティスに謝罪して気持ちを伝えられたのも、全てリオネルのおかげだ。彼が傍にいてくれたから、逃げ出すこともなく立っていられたのだ。
でも、私の中のイザベルはリオネルの行動を許せないでいた。
好きだったオーティスが、自分たちの関係を勘違いしたのだ。今まで一途に想い続けてきたのに。
私は震えるイザベルの体を抱きしめた。
体は思い通りになっても、感情がコントロールできない。
イザベルはこうなることを望んでいなかった。彼女はいつまでもオーティスを愛し、ずっと近くにいることを願っていた。
「イザベル、俺は……」
「近づいてこないで!」
近づいてこようとしたリオネルは足を止めた。
私は首を振って違うと言いたかったが、癇癪を起こしたように暴れ出すイザベルの感情を抑え込むことができなかった。
「……俺は、お前を他の誰にも盗られたくなかった」
「そんなの、一度も言ったことないじゃない……っ!」
これはイザベルの「怒り」から出た言葉だ。私が知っているのは断片的な過去だけ。二人の詳しいやり取りまでは知らない。
リオネルはただの幼馴染みで、いつも機嫌が悪そうにしている乱暴者だった。
なのに、パーティーでエスコートしてくれたリオネルは驚くほど紳士的で、悪い噂が流れるイザベルをしっかり守ってくれていた。自分だって批判されていたかもしれないのに。
記憶とはまるで違う彼の行動に、一番困惑しているのはイザベルなのかもしれない。
「オーティスしか見えていなかったお前に何を言っても無駄だと思った」
「だからって……」
「……っ、俺だって! ……俺だって、お前たちと一緒に過ごしてきたんだ。それなのに、お前の目にはいつもオーティスしか映ってなかった」
「────」
「いくら俺たちの間に婚約の話が上がっていても、他の男しか見えていないお前と婚約はできないと思った。それでも俺は、ずっとお前を見てきた。何度も諦めようと、勝手な理由を作って嫌いになろうとしたのに……できなかった。だから、オーティスへの気持ちがなくなるまで、待つことにしたんだ」
イザベルがオーティスしか見えていなかったように、リオネルもまたイザベルだけを見てきたのだ。どちらも叶わない恋に身を焦がし、お互い傷つけ合ってきたのだろう。
真っ直ぐに見つめてくるリオネルに、私は唇を噛んだ。
リオネルの前にいるのは、彼の求めているイザベルじゃない。
でも、本物のイザベルだったらリオネルの気持ちを受け入れることはなかった。それがもどかしくて、切なくなる。
本当のことを言ってしまえば、リオネルはまた深く傷つくはずだ。
皆から嫌われているイザベルに好意を寄せてくれていた彼を、悲しませたくなかった。
「気持ちを伝える前に先走ったことは認める。けど、お前の気持ちが変わったと知って、俺がどんなに喜んだか分かるか? 今度こそ誰にもお前を奪われたくない」
「リオネル、私は……」
強烈な告白に顔が熱くなる。
自分が言われているわけでもないのに、好意を直接言葉にして伝えられたのは初めてだ。急に恥ずかしくなって、リオネルの顔をまともに見られなくなった。
その時、木の枝がパキッと折れる小さな音がして、リオネルは反射的に振り返った。
「……なに?」
「何でもない。お前はここにいろ。すぐにダミアンを呼んでくる」
なぜ、そこでダミアンの名前が出てくるのか。
訊ねようとしたが、急に険しい表情をしたリオネルを引き留めることはできなかった。
一人残された私は、大きく深呼吸して高ぶる感情を落ち着かせた。
噴水に近づき、溜まった水を見下ろすと、水面にイザベルの整った顔が映った。
真紅の美しい髪に、金色の瞳。美しい顔立ちは、どんな相手でも魅了してしまう。
──自分と違って。
もし、最初からイザベルだったら、自分は愛されただろうか。
一人に執着することなく、自分だけを見てくれる人と一緒になって、幸せな時間を過ごせただろうか。
「……初めから私だったら」
誰からも嫌われているイザベルを自分だけは大切にしたいと思っていたのに、今は嫉妬に似た気持ちに支配される。
今まで感じたことのない──いや、遠い昔に捨ててきてしまった感情に、私は首を振った。
そこへ、近づいてくる人の気配がした。
ダミアンが来たのだろうかと思ったが、姿を現した相手に目を見開いた。
彼の目が赤いのはイザベルの髪色が映ったからではない。元から赤みがかった瞳をしていたからだ。
『いい加減、諦めろ。──は、お前なんか……』
刹那、消えかけていた記憶が、声と共に蘇ってくる。
オーティスを追いかけようとするイザベルに、彼は冷たく言い放った。
──いい加減、諦めろ。王太子殿下は、お前なんか愛さない。
あの時、イザベルは腕を強く掴まれて引き寄せられた。
バランスを崩したイザベルは咄嗟に助けを求めたが、彼は助けるどころか、傾くイザベルの体を突き飛ばした。目障りな障害物を払いのけるように。
「姉上……?」
記憶が流れ込んできた時、ダミアンの声がした。
急いで走ってきたのか、彼は息を切らしていた。
だが、その時すでに私は息をすることもできなくなり、ヒューヒューとなる喉を押さえていた。
直後、立っていることもできず体が傾いた。
「姉上……? ──姉上っ!」
ダミアンの叫ぶ声がして、大きな衝撃を免れたところを見ると受け止めてくれたのかもしれない。
しかし、視界が暗転して意識を手放すしかなかった。
……憎しみのこもった目だけを脳裏に焼き付けて。
でも、彼のおかげで思い出すことができた。
あれは事故なんかじゃなかった。
屋敷を抜け出してオーティスに会いに行ったイザベルは、フィオーナの兄であるフェランド・マウロによって、その命を奪われたのだ──。