嫌われ者令嬢と拗れた恋心⑥
「……イザベル」
感情を押し殺したような低い声で呼ばれ、私はハッと我に返った。
これが夢なら、どんなに良かっただろう。
好きだった相手に軽蔑の眼差しで見つめられ、このときばかりは中身が違っていることに感謝した。
とても、イザベル本人には見せられない現実だ。
私はぎゅっと手を握り締め、イザベルの感情に流されないように自分を奮い立たせた。
「オーティス王太子殿下にご挨拶申し上げます。──フィオーナ様もご機嫌よう」
イザベルの姿でドレスの端を持ち上げ、膝を折って丁寧なカーテシーを披露すると、周囲はざわついた。
挨拶もできない令嬢だと思われていたのか。
……確かに、イザベルはオーティスを見つけると、挨拶もそこそこにまとわりついていた気がする。
礼儀作法や教養は公爵令嬢としてしっかり学んできたのに、恋は盲目というやつだ。
けれど、今はイザベルじゃない。
驚く二人を他所に、私はさらに言葉を続けた。
「暫く屋敷から出られずにいたため、謝罪が今になってしまい申し訳ありません。これまで行ってきた私の非礼を、どうかお許し下さい。フィオーナ様への無礼も深く反省しております」
「イザベル……」
「……イザベル様」
イザベルが真剣な顔で頭を下げると、誰もが息を呑んだ。
彼らは信じられないものを見ているような気分だったに違いない。
我儘で傲慢で自分勝手な令嬢が、プライドを捨てて心から謝っているのだから。
たとえそれが演技だとしても、あのイザベルが公の場で頭を下げるなど、国が滅ぶまで絶対にないとさえ言われていたのだ。
しかし、イザベルが多くの人に迷惑を掛けてきたのは事実だ。
これは彼女の体に入ってしまった以上、中身は違っていても謝っておくのが筋だろう。
そして、イザベルを嫌う者たちから離れられるなら、いくらでも頭を下げられる。
私は許しが出るまで顔を上げなかった。
その時ふと横に視線を走らせると、ここまでエスコートしてくれたリオネルが隣に並んでいてくれた。
一人だったあの時とは違う。
それを心強く感じていると、リオネルは痺れを切らしたように「オーティス」と声を掛けた。すると、オーティスは我に返った様子で咳払いをした。
「顔を上げてくれ、イザベル。……君の謝罪を受け入れよう」
「ありがとうございます、王太子殿下」
「……それより、また君の元気な姿が見られて良かった」
「お気遣い感謝致します。殿下にはご迷惑をおかけして申し訳ございません」
視線を上げると、オーティスの冷たかった目には動揺の色が浮かんでいた。
──今、名前を口にしなかったから?
──それとも、イザベルが以前と違うから?
今更、そんな表情をされても困る。
私は、胸がちくりと痛んで息苦しくなった。心の中で、イザベルが泣き叫んでいるように思えた。
本当は謝りたくなかった。
今でも愛していると、オーティスに伝えたかった。
彼の隣にいるフィオーナが憎い。
悔しくて、悲しい──。
様々な感情が押し寄せて、咄嗟にリオネルの袖口を掴んでいた。
それでも最後に、私はイザベルの顔に精一杯の笑顔を作り、絞り出すような声で伝えた。
「改めて、オーティス王太子殿下とフィオーナ様のご婚約お祝い申し上げます。お二人の幸せを心から祈っております。それでは失礼致します」
放った祝いの言葉は、執着していたオーティスとの決別を意味していた。
──貴方のことはもう諦める。
──愛するのはやめる、と。
はっきり口にしなくても、気持ちは十分伝わったはずだ。
真っ直ぐにオーティスを見つめた私は、再び頭を下げた。
踵を返してその場から離れようとした時、リオネルがイザベルを守るようにしっかり手を握って、背中に腕を回してきた。
「待ってくれ。君たちはその……」
「そちらに関しては決まり次第ご報告致します」
慌てて訊ねてきたオーティスに、リオネルは間髪を容れず答えた。
早くここから立ち去りたいと急ぐ私の気持ちを、汲み取ってくれたのかもしれない。
その時なぜか、オーティスとの関係を終わらせた私より、リオネルの方がスッキリとした表情になっていた。
妙な満足さえ浮かべるリオネルに、私は不思議な気持ちになった。
誰かに守ってもらうことなんてなかったから。
リオネルの気遣いに恥ずかしさを覚える。
それと同時に、イザベルの激しい「怒り」が胸の内に渦巻いて、吐き気と目眩がした。