嫌われ者令嬢と拗れた恋心⑤
なんとか気持ちを落ち着かせ、リオネルにエスコートされながら、パーティー会場となる大広間へ向かう。
人の多い場所は嫌いだ。
注目を集めるのはもっと嫌いだ。
本来の姿だったら、とっくに逃げ出していた。なのに、高級な絨毯の上を進んでいく足取りは堂々として、全く緊張していなかった。
──イザベルにとっては、当たり前のことだから。
誰かのエスコートも、高いヒールの靴も、全身に突き刺さるような視線も。それらを当然のように受け入れるイザベルは、冠を被った女王のようだった。
「ストラッツェ公爵家リオネル公子様、グラント公爵家イザベル公女様のご入場です!」
一瞬の静けさが訪れた後、高らかに読み上げられたイザベルの名に会場がざわついた。
王太子の誕生日パーティーで騒ぎを起こして以来、公の場に出てくるのはこれが初めてだ。リオネルと共に姿を見せたお騒がせの公爵令嬢に、皆の視線は冷たかった。
「あのような騒ぎを起こしたのに、よくも堂々と人前に出てこられたものね」
「王太子殿下が駄目だったから今度はリオネル公子という訳か」
「今日はどんな騒ぎを起こすのやら」
彼らは悪意のある言葉を隠そうともせず、わざと聞こえるように話していた。
でも不思議なことに、私は平気だった。
イザベルだったら怒って周囲に怒鳴り散らしていたかもしれない。もしくは私がアキのままだったら、耳を塞いで動けなくなっていたはずだ。
嫌われているのを知っているから?
──違う、気づいたからだ。
聞こえてくる悪口が、イザベルに対する嫉妬や羨望からきていることを。彼らがどんなに強く出たところで、イザベルの足元にも及ばない。それこそ同じ公爵家か、王族でない限り。
オーティスに執着するあまり、周囲を見ていなかったイザベルが気づくはずもない。
私は睨む代わりに、余裕のある笑みを浮かべて微笑んで見せると、彼らはたちまち口を噤んだ。
瞬間、胸がスッとするような爽快さを覚えた。
「大丈夫か?」
「私は平気よ。──慣れているから」
リオネルにも聞こえていたはずだ。
彼はイザベルの悪口に顔を顰め、声のした方に鋭い視線を送っていたが、リオネルにも同じように笑顔を向けたら、その険しさはどこかへいってしまった。
さすがイザベル、見た目だけなら彼女の右に出る者はいない。
二人は左右に分かれた招待客の間を通り、壇上に用意された席に着いた。
暫くするとリオネルの挨拶が始まり、彼は招待客にお礼を言いつつ、パートナーを務めたイザベルにも感謝の言葉を述べた。
両公爵家の繋がりが深まれば、王国もより安泰だろうと口にしたことで、勘違いした者も多いだろう。
何より、同じデザインの服装を仕立てている二人に、憶測が飛ぶことは目に見えていた。
──勘違い、じゃない。
こちらを見つめながら話すリオネルの目に危うさを感じて、私は反射的に視線を外した。
偶然聞いてしまった話を耳にしなければ、まだ気のせいにできたかもしれない。仲の悪い幼馴染みでしかなかったのに。
リオネルからはまだ何も聞かされていないが、彼はどう思っているのだろう。
オーティスしか見てこなかったイザベルを、今更婚約者に望んでも自分の立場が悪くなるだけなのに。
騒がしくなる周囲とは裏腹に、私の気分は落ちていく一方だった。
「イザベル、オーティスのところへ行ってくるけど、お前はどうする?」
「……私も一緒に行くわ」
ついにご対面か。
名前を聞いても心は動くどころか、思い入れもない。
何より私にとっては初対面の相手だ。
だから、イザベルの好きだった相手に会いに行くという感覚でしかなかった。
それより今は、目の前に差し出された手に、自分の手を重ねる方が恥ずかしくて堪らない。それでも私はリオネルと共に、イザベルが全てを捧げてきた相手の元へと向かった。
『……ぐす、っ……うぅ』
『イザベル、どうしたの? なんで泣いているの?』
イザベルの記憶を辿っているときに偶然見つけた。
子供の頃から、金色の瞳にはいつもオーティスの姿が映っていた。
オーティスは誰にでも優しく、一人ぼっちのイザベルをいつも慰めてくれた。愛情を欲していたイザベルにとって、オーティスの存在は甘い毒のようなものだった。
彼は、相手が使用人だろうが、貴族だろうが、別け隔てなく美しい顔で微笑んでくれる。
言葉遣いも丁寧で、物腰柔らかく、多くの人達から慕われた完璧な王子様だった。嫌われ者のイザベルがオーティスに憧れるのも無理はなかった。
非の打ち所がない理想的な男性に、イザベルはどんどん惹かれていった。
そんな時に、事件は起きた。
十二、三歳の頃、王宮の庭でオーティスとリオネルに交ざってお茶を飲んでいた時だ。
顔を真っ青にしたメイドが突然、小型の刃物を取り出して、オーティスに襲い掛かってきた。
王位の継承争いもない平和な国で、王子が狙われるなど初めてのことだ。
周囲では悲鳴が上がり、傍に控えていた護衛騎士の慌てる様子が視界の端に映った。
それらはイザベルの目に、ゆっくり動いて見えた。
そして気づくと、体が勝手に動いていた。
「──オーティス……っ!」
「イザベル、駄目だ!」
雑音に混ざってリオネルの鋭い声が飛んだ。
けれど、その時にはもう刃物を持ったメイドと、オーティスの間に割って入っていた。目を見開くオーティスの瞳に、イザベルの満足そうな顔が映った。
メイドが振り下ろした刃物は幸いにもイザベルの肩を軽く掠めただけだった。
直後、駆けつけた騎士によってメイドはすぐに取り押さえられ、それ以上の被害は出なかった。
「イザベル、イザベル……! なんでこんな無茶を……っ」
「……貴方が怪我をしなくて、良かったですわ」
倒れ込むイザベルを咄嗟に受け止めたオーティスは、今にも泣き出しそうな顔で見下ろしてきた。
斬りつけられた肩の痛みより、大切な人を守れた喜びの方が大きかった。
愛する人が自分だけを見てくれている、それがどんなに嬉しいことか。
きっと本人にしか分からないだろう。
記憶と感情を共有した私だけは、イザベルの気持ちが痛いほど伝わってきた。
肩の傷は浅かったものの衝撃が強すぎてイザベルは気を失った。
次に目覚めた時には自分の寝室に眠っていて、あの日のことは夢だったんじゃないかと思ったほどだ。しかし、肩に受けた痛みだけは本物だった。
オーティスを狙ったメイドは裁判に掛けられることなく処刑されたらしい。詳しくは教えてもらえなかった。
なぜなら今回の事件には箝口令が敷かれ、イザベルがオーティスを庇って怪我をした事実は無かったことにされた。
知っているのはその場にいた数人と関係者だけ。平和な国を揺るがしかねない事態に、重く見た国王や大臣が決めたという。グラント公爵だけは反対したそうだが、多数決で決まったようだ。
イザベル自身は元から言いふらすつもりはなく、ただオーティスとの間に誰にも言えない秘密を持ったことで、以前に増して執着してしまったように思う。
彼を守れるのは自分しかいない、と。
だから、オーティスの婚約者に選ばれなかった時、イザベルは現実を受け止められなかったのだ。
「レクラム国の若き太陽、オーティス王太子殿下にご挨拶申し上げます」
リオネルにエスコートされて、最も人が密集している場所に向かった。
どんなに離れていても彼の姿はすぐに見つかる。
やはり生まれ持ったオーラは隠せそうにないようだ。
リオネルが声を掛けると、他の貴族に囲まれていたオーティスが振り返った。
シャンデリアの降り注ぐ明かりに照らされて藍色に輝く黒髪に、サファイアのような青い瞳。柔らかい笑顔が映える美しい顔立ち。均整の取れた肉体に、紺の礼服が良く似合っている。
──この男が、イザベルの愛した人。
レクラム国の王太子オーティス・エナン・ド・レクラム。
イザベルじゃなくても見惚れずにはいられない男だった。しかし、私はオーティスの姿を目にした瞬間、他のことに気を逸らさなければいけなくなった。
──やばい、泣きそう……。
私の中にあったイザベルの感情が爆発したように溢れてきた。
胸が締め付けられるように痛む。
切なくて、苦しい。
こんなに愛しているのに、貴方にはこの気持ちが伝わらない。
ずっと傍にいてくれると思ったのに、どうして他の女性を選んだの。
私を、私だけを愛して欲しかったのに……!
自分のものではない感情に引っ張られて、私は堪えるように唇を噛んだ。
周りで喋っていた参加者たちが急に静まり返る。
リオネルとオーティスだけなら、こんなに注目されることはなかっただろう。
だが今は、リオネルの隣にイザベルがいる。そしてオーティスの隣には婚約者であるフィオーナの姿があった。
それだけで会場は妙な緊張感に包まれ、誰もが息を呑んで私たちの言動に注目していた。