嫌われ者令嬢と拗れた恋心④
揺れない椅子は最高だ。
客間に通された私は、すべてを振り払うようにソファーに座り、テーブルに並んだお菓子に目を輝かせた。
パーティーの支度で朝から何も食べていなかった。
ちらっとリオネルの様子を窺うと、部屋の入口でダミアンと話していた。
今ならクッキーを取ってもバレないだろう──と、手を伸ばしたところへメイドがやって来て、お茶を淹れてくれた。
つい癖で「すみません」と軽く会釈すると、メイドは「えっ!?」と驚きの声を上げた。同時に、こちらに気を取られたせいで、カップからお茶が溢れた。
「あの、溢れてます、よ……?」
「キャッ! もっ、申し訳ございませんっ!」
すぐに気づいてくれたおかげで、お茶はテーブルに広がっただけで済んだ。
メイドは泣きそうな顔でテーブルを拭き始めるが、そこへ悲鳴を聞きつけたリオネルとダミアン、それから護衛の騎士が駆けつけてきた。
「イザベル、どうした!?」
「姉上!?」
ちょっとお茶が溢れただけなのに、大の男が三人も集まってくるなんて。
私は「落ち着いて」と両手を上げて彼らを制した。
「お茶が溢れただけよ。何でもないわ」
「お茶が……?」
可哀想に、メイドは長身揃いの男たちに睨まれて失神寸前だ。
私は「心配しすぎだわ」と呆れ、やらかしたメイドにはその場から出ていくように命じた。
ここでは、ゆっくりお茶も飲めないのか。盗み食いするはずだっただけに、気恥ずかしくなって早くこの騒動から解放されたかった。
すると、リオネルは使用人に汚れたテーブルを片付けさせると、次から次に新しいお菓子とお茶を運ばせた。
はっきり言って、心苦しい。
「とりあえず、何ともなくて良かった。俺はパーティーの準備で一旦出て行かないといけないから、ここで大人しく待っていてくれ」
「子供扱いしないで」
「そうか。子供じゃないなら、屋敷から抜け出すような真似はしないよな?」
「……っ!」
それはイザベルがやった事で、私ではない。
なのに、呆れた様子で言われると自分自身が悪いことをしたみたいで恥ずかしくなった。とは言え、先ほどのような騒ぎになっても困る。私は片手を掲げて「誓うわ」と返した。
私がその部屋に留まると、リオネルはダミアンを連れて出て行ってしまった。
ダミアンを連れて行ってくれたのは嬉しいが、他人の屋敷で一人取り残されるのは気が引けた。正確にはメイドが二人、扉の前には護衛の騎士が張り付いている。
──私は、問題児か。
納得がいかない私は、目の前のお茶とお菓子に手を伸ばし、気まずさを紛らわすように次々と口へ運んだ。
暫くして、それが失敗だったと気づいた時には遅かった。
「私、化粧を直しに行きたいの」
「──畏まりました。ご案内致します」
場所だけ教えてくれればいいのに、と思いつつ、メイドがレストルームまで案内してくれた。
大人しく待っていろ、とは言われたが生理現象なんだから仕方ない。
だいたい美味しすぎるお菓子がいけないのだ。
そう理由をつけて、私はトイレに駆け込んだ。
ちょっと食べすぎたかもしれない。膨らんでいた下腹が解消されて安心すると、隣のパウダールームから話し声が聴こえてきた。
「えっ、お茶を溢したのに怒られなかったの!?」
「そうみたい。あの我儘姫が珍しいこともあるものね」
名前は出されていないものの、私は直感的に自分のことだと気づいた。
「我儘姫」と呼ばれるのはこの国でイザベルだけだ。
私はいつでも出られる状態にあったが、このまま出て行って彼女たちと顔を合わせるのは避けたかった。
彼女たちもまさか、イザベル本人がトイレに籠もっているなんて思いもしないだろう。
結局、出るに出られなくなってしまい、私は身を潜めてやり過ぎすことにした。
「他の使用人の話では、リオネル様と我儘姫の服装が同じデザインだったそうよ」
「それじゃ、いよいよ婚約を発表されるのかしら」
静かにしていなきゃいけないのに、私は思わず声を上げそうになった。
慌てて自分の口を塞いだものの、衝撃が大きくて足元がふらついた。
一体、彼女たちは何を言っているのか。
──誰と、誰が婚約だって?
冗談を言っているようには思えなかったが、にわかには信じ難い。
けれど、会話の続きが気になって耳を澄ましてしまった。
「本当ならリオネル様と婚約するはずだったのに、あのお嬢様が王太子殿下にご執心で、なかなか婚約に踏み切れなかったのよね」
「ええ、リオネル様もお可哀想に。好きな方に全く振り向いてもらえないなんて」
「それでも一途に想い続けたおかげかしら。旦那様と奥様にも随分反対されたのに、根気強く説得していらっしゃったじゃない」
──全然知らなかった。
イザベルとリオネルの間に婚約の話が持ち上がっていたなんて。
確かに、二人が結婚すれば両公爵家にとって大きな繋がりになるだろうし、他の貴族を牽制することもできる。
でも、リオネルはそんなこと一言も言ってこなかった。
いつだってオーティスと仲良くするイザベルを睨んできて、態度は冷たく、言葉遣いも乱暴だった。
そんなリオネルが、イザベルに想いを寄せていたなんて考えられない。
だって、それじゃリオネルはずっと……。
私は浮かんできた光景に血の気が引いた。
暫く立ち尽くしていると、話し声が聴こえなくなって人の気配もなくなった。
トイレから出た私は、その後どうやって客間に戻ったのか思い出せなかった。
頭がうまく働かないとは、こういうことを言うのだろうか。それとも敢えて考えないようにしているのか。
ソファーに座ったままボーッとしていると、部屋の扉がノックされてリオネルが現れた。
「すまない、待たせたな」
「…………」
前だったらそんなことで謝ってくるような男ではなかった。
長い付き合いの中で、リオネルがイザベルに手を差し出してきたのは数えるぐらいだ。
イザベルがオーティスにべったりだったから。
──あの婚約の話は、一体いつから持ち上がっていたんだろう。
彼は、オーティスしか見えていないイザベルを間近で見ながら、どんな気持ちだったのだろう。
報われない想いを抱えて、自分の方を見向きもしないイザベルを前にしながら……リオネルは、何を思っていたのだろう。
気づいてほしい相手に無視され、無関心でいられる辛さを誰よりも知っている。
輪に入れず遠くから眺めているしかなかった虚しさも。
それなのに、どうして。
「どうした、緊張してんのか?」
「……リオネル、私……」
どうして、そんな優しい声で話しかけてきてくれるのか。
私はリオネルの手を握り締めて、咄嗟に彼の本心を訊ねようとした。
しかし、それより先にリオネルは灰色の瞳を細めて、口の端を持ち上げた。
「大丈夫だ、今日はずっと傍にいてやる。──そのドレス、お前に似合ってるな」
嬉しそうに顔を綻ばせるリオネルに、私は唇を噛んだ。
違うのに、違うと言えないもどかしさが押し寄せてくる。
リオネルの視界に映る女性は、長い間想いを寄せていたイザベルではない。貴方の好きだったイザベルは、もういないのだ。
──何も知らなければ良かった……。
私はこみ上げてくる感情を堪えるも、今すぐ着ているドレスを脱ぎ捨てたくなった。





