小さくて可愛い物と、惚れた弱み
大量の布地が作業部屋に溢れかえる。
その中心で床にペタリと座り込んだ状態で、レナは布地を手に取ってはぼうっと天井を見上げる。
「――レナ?」
仕事に追い込まれている時のレナの様子がおかしいのはいつものことだ。だが、今は抱え込んでいる仕事はない。それに、いつものレナの奇行とも違っているものだからエリアスの困惑も強くなる一方だ。
休憩のためにと持ってきた軽食を作業机にひとまず置き、エリアスはいまだぼうっとしているレナの側へと寄る。
「レナ、少し休憩しませんか?」
様子を伺いつつそう声をかける。レナはゆっくりと首を動かしエリアスの姿をその視界に留め――深く長い息を吐き出した。
顔を見られた途端の溜め息など失礼にも程がある、が、レナの表情からしてエリアスは察した。
これはまたなにかしらレナの思考がとんでもない方向へ飛んでいってしまっていると。
「ほら、いつまでも床の上に座っていると身体が痛くなるでしょう?」
エリアスが軽く身体を屈めるとレナは当然のように両腕を差し出す。
やっとここまで慣れてくれたなあ、と感慨に耽りながらエリアスはレナの両脇に手を入れ、そのままヒョイと抱き上げソファまで運ぶ。
かつては抱っこを嫌がる子猫のように全力で拒否をしていたレナからすれば、大人しく抱えられるようになったのは大きな成長だ。
ウキウキとしそうになるのを腹の底に抑え込みながら、エリアスはソファに下ろしたレナのためにお茶の準備をする。
ヘルガお手製の胡桃たっぷりのケーキはレナとカリンの大好物だ。そのうちまたカリンのために王宮に持って行ってやらねば、となったところでレナの溜め息がまた聞こえてくる。
「今度はなにを考え込んでいるんですか?」
レナの隣に腰をおろし、下から覗き込むように顔を伺う。するとレナはゆっくりとエリアスに向き合う。
あ、くるぞとエリアスが覚悟を決めた次の瞬間。
「ちょっと若返ってみませんかエリアス」
とんでもない暴投がエリアスに直撃した。
たっぷり時間をかけて十を数えた頃、ようやく我に返ったのかレナがもぞもぞと言い訳を始める。
「なんですか、ほら、違うんです……違うんですよ!」
ありがたいことに貴族のご令嬢達からのドレスの注文は多い。完成どころか、そもそもの取りかかりが数ヵ月先になるといっても依頼者は後を絶たないほどだ。今は泣く泣く受注を締め切っている始末。
「ドレスを作るのは本当に楽しいんです。デザインを考えるのはもちろんのこと、布を切ってそれを縫い合わせて作り上げていくのも全てが楽しい……!」
それが年頃の令嬢のドレスともなればなおさらだ。瑞々しい少女達の魅力をいかに伝えるべきかと、まさに一針一針に気持ちを込めている。
「……さすがに引き受けた量が多すぎましたね。もう少し納期を延ばしてもらうよう」
「いえ、それは全くもってこれっぽっちも問題ないです」
一針入魂で疲れが溜まったのかとエリアスは思ったようだがそうではない。
疲れはあれどもレナにとってのストレス発散もまたドレス制作であるのだから、その疲労など片っ端から吹き飛んでいる。
「じゃあどうして……?」
奇妙なことを? と優しいエリアスは語尾を濁して首を傾げた。そんな夫の気遣いに感謝しつつ、レナは切々と訴えた。
「小さくて可愛い物を作りたいんです!」
子ども服は大人の物と違ってサイズが当然小さい。細々とした処理などにかかる手間もかなりのものだ。
「それでも! たまにはちまちまちまちました作業に没頭したいしその楽しみを味わいたくなるんですー!!」
つまりは早い話が禁断症状である。
そんなレナの渾身の叫びだが、悲しいかなエリアスには微塵も伝わらない。これまた当然だ。きっと理解してくれるのは同業者のモニカしかない。
「……モニカも生ぬるく眺めてきそうだけど……」
「レナの気持ちを理解するのは難しいですけど、言葉の意味はまあ分かりました」
でも、とエリアスはすっかりソファの肘に身体を預けて崩れているレナを引き起こす。
「それでなぜ、俺に若返ってみろと?」
子ども服が作りたいのであれば作ればいい。モデルが欲しいのなら、依頼してきている貴族の家にいる子どもをモデルにすればいいのではないか。そんな至極まっとうなエリアスの突っ込みに、レナは拳を握って力説する。
「子どもの頃のエリアスとカリンという最高のモデルを知ってしまっているんですよ! いえ、子どもは総じて可愛くて尊くて守るべき存在なんですが!! それはそれとして! 私の中での至高のモデル像となっているからどうしてもあの頃の二人をモデルにして作りたい!!」
とはいえどうやったって成長したエリアスが今更子どもの姿に戻るのは不可能だ。これは単なるレナによる与太話にすぎない。
「……じゃあレナ、俺と」
「あ!! きた! きたきたきた!!」
エリアスの手がレナの肩に伸び、そのまま抱き寄せようとしたその瞬間、レナはカッと目を見開き立ち上がる。
テーブルの角に軽く足をぶつけても構わず、作業机の上に片付けられたスケッチブックを開いて大急ぎでペンを走らせた始めた。
どうやら新しいデザインが浮かんだらしい。描く手の速さからしてかなりの熱量のようだ。こうなるとしばらくはレナの意識はそちらに集中したままだ。
ああ、せっかくレナを口説く機会だったのにと、エリアスは軽く息を吐きつつソファの背に頭を乗せる。
すっかり置き去りにされてしまった。
自分を放って置いて他のことに没頭する誰よりも大切な愛しい彼女。
これで苛立ちの一つでも覚えればいいものの、そんな感情はこれっぽっちも浮かんでこない。
惚れた弱みというか、そんなレナの姿もまたエリアスにとっては惚れる一つの要因である。好きすぎるにも程がある。
思わず笑いが込み上がり、それに逆らうことなくエリアスは頬を緩めた。
ゆっくりと頭を起こせば、レナは小刻みに身体を揺らしながらスケッチを続けている。相当に楽しいらしい。
大切な人が幸せそうにしている。その姿を間近で見られる幸運を噛み締めつつ、エリアスはレナの背を見詰め続けた。




