おかえりなさい
カタン、と外で音がする。レナはドレスのデザインを描いていた手を止め、勢いよく椅子から立ち上がった。
「おかえりなさい!」
時間はもう真夜中に近い。そんな中、玄関に姿を見せたのはエリアスで、そんな彼に向ってレナは笑顔を向けた。
途端、エリアスがフラフラと近づいてくる。レナは苦笑とともに両腕を広げると、そのままエリアスを抱きとめた。
「おつかれさまです」
「……はい、疲れました」
ここ最近のエリアスは帰りがいつも遅い。なんなら帰ってこない日もある。今日だって実に三日ぶりの帰宅だ。
カリンとクラウドの結婚式はもう間もなくで、その警護の打ち合わせで連日大忙しであるらしい。
さらにはそこに、カリンの兄ということで、結婚式での作法まで学ばなくてはならない立場だ。時間がどれだけあっても足りない。
はああああ、とエリアスはレナに抱き着いたまま深く息を吐く。その呼気が首筋に触れ、レナは大きく肩を竦めるがその程度ではエリアスは離れてくれない。それどころか、余計に力を籠めてレナを抱き寄せる。
エリアスの高い鼻梁がレナの頭に触れ、そのまま軽く埋もれる。
「あっ、ちょっと、だめですってば!」
レナはなんとか身をよじって逃げ出そうとするも、そうするとますますエリアスの力は強くなる。ぐえ、と可愛げのない声が漏れても最早エリアスの耳には届いていないようだ。
「あー……」
深呼吸を繰り返し、時々感極まった声をあげるエリアスにレナの羞恥心は限界に達した。
「こら、エリアス! だめって言ってるでしょう!!」
エリアスは帰宅の度にレナに抱き着く。それはいい。いや、本当はよくないけれど。そこに関しては目を瞑る。だって恥ずかしいだけで嫌なわけではないからだ。
ただ、こればかりは無理である。
レナの髪や首筋、時には胸元に顔を埋めて深呼吸を繰り返す。レナの香りを全身で吸い込むのだエリアスは。
これだって嫌だとは思わない。が、だからといって耐えられる羞恥心ではない。むしろこれに耐えられる女性がいるのだろうかとレナは思う。
「思いっきり! 人の! においを! かがない!!」
どうにか腕を抜け出して、エリアスの背中をバシバシと叩く。わりと本気の力で叩けば、エリアスはゆっくりと顔をあげた。
じ、と正面、かつ至近距離で見つめられるとただでさえ赤く染まった顔が赤くなる。それでもレナは負けじと睨み返した。
「こうすることで落ち着く、というのは嬉しいですけど……けどですね? せめてもう少しこう、遠慮というか配慮というかですよ」
エリアスにとって「家」とは牢獄に等しいものだった。
そんな場所から救い出された新しい場所も、「家」だと自覚するには自分に心の余裕がなく、そしてすぐに騎士となるために出て行ってしまったので実感があまりない。
自分には縁がないものだと、そう思い、半ば諦めかけていたエリアスが手に入れたのが「レナがいる家」だ。
レナがいて、そしてレナの匂いをかぐと安心するのだと、やっと自分にとっての「家」なのだと実感できるようになった。
もとよりエリアスのやりたいことは全て受け入れたいレナだ、そんな理由を聞いて拒否などできるはずもない。
だから恥ずかしさに耐えているのだから、エリアスも少しくらいは手心を加えて欲しいものだ。
そう訴えるも、いつもエリアスは頷きこそすれ次の時にはまた容赦なく抱きしめるし匂いをかいでくる。
今日こそ誤魔化しは許しませんよ、とエリアスの頬を両手で挟んでしっかりと見据えると、エリアスはどこか惚けたように呟いた。
「いいな……」
「……なにが?」
会話の流れが掴めない。思わず素直に問い返したレナに、エリアスは続けてとんでもない言葉を投げつける。
「こら、って言われるの……なんだろう、こう……ぐっときました。もう一回言ってください、レナ」
あ、これまずいのでは? 疲労のあまり変な扉を開きかけているのでは? とレナが顔色を青くして内心うろたえていると、流石にエリアスも今の発言は中々にアレだったと気づいたのかバツが悪そうに笑みを浮かべた。
「本当にお疲れなんですよ」
「はい、本当に疲れました」
「明日も早いんですか?」
「なんとか休みをもぎ取りました」
「わ、よかった! じゃあ明日は一日ゆっくりしてくださいね!」
これで少しはエリアスの疲労も回復できると、レナは心の底から喜んだ。つい満面の笑みを浮かべれば、その額にエリアスの口づけが落ちる。
ひょ、と奇妙な声を上げて反射的に額を隠せば、エリアスは楽し気に肩を揺らす。それから「あ」と何事かを思い出したのか、改まってレナに向き合った。
「ただいま帰りました、レナ」
帰宅の挨拶もせずにレナに抱きついてその匂いを堪能していたのが恥ずかしいのか、エリアスはほんの少し照れた様子を見せる。それにレナの心臓は悲鳴をあげるが、どうにか耐え抜いてもう一度エリアスを迎える言葉を口にする。
「おかえりなさい、エリアス」




