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ゴロゴロと重く鈍い音が響く。空は真っ黒い雲に覆われており、今にも大粒の雨が降り出しそうだ。
一瞬、室内に閃光が走る。その後、ドォンという轟音が鼓膜を揺さぶる。
「せっかくの遠出の予定だったのに残念だわ」
「そうね、でもほら、こうしてゆっくりできるのも久しぶりだからいいんじゃない?」
「ええ! もちろんお姉様と一緒ならどこだって嬉しいもの!」
カリンは満面の笑みでソファに座るレナに抱きついた。
あの日、雷に怯えて泣いていた幼いカリンの姿は今はもうどこにもない。雨雲を見上げて出てきたのは
「まるで殿下のお腹の中みたいに真っ黒」
などという、不敬の二文字しかない感想だった。当の本人は「エリアスには負ける」とだけ返し、向かいのソファでぐったりとしている。心持ち顔色が悪いので、レナは気が気でない。
「……ああ大丈夫だ姉上、なんというかこう、少し気が滅入るだけの話だ」
「だからその呼び方止めてくださいとお願いしてますけどおおお!」
具合が悪くとも軽口を叩く余裕はあるようだ。それに安堵しつつ、それはそれとして王太子からの「姉上」呼びは心臓に悪いので本当に止めて欲しい。
「どうぞ、殿下」
「ああすまん、ありがとう」
エリアスからティーカップを渡され、クラウドはゆっくりと身を起こして口を付ける。この部屋にいる四人の中でならば、レナが用意するのが順当であるのだろうが、何しろカリンがそれを許さない。
「お姉様は使用人じゃないんだから」
そう言って自ら淹れようとするのがもっぱらだが、今日はどうやらレナにくっついていたい日であるらしく、その辺りはエリアスに放り投げている。エリアスも慣れたものなので、平然と茶の用意をしてこうして振る舞ってくれる。実際エリアスの淹れる茶は美味しいので、レナとしても嬉しくはあるのだが、それを楽しむにはやはりクラウドが気になって仕方がない。
「殿下は雷が苦手なんですって」
「ああ、それは……」
それならば今日の様な天気は辛いだろう。かつてのカリンの姿が頭を過り、レナはチラリと視線を動かした。
「大丈夫ですよ殿下。今ここにいるのはカリンとエリアス、それにレナだけです。殿下のことを大好きな三人しかいませんよ」
かつて自分がカリンにかけた言葉を真似ている。嬉しいやら気恥ずかしいやら、でもやっぱり嬉しいしそんな言葉をカリンが誰かに向ける様になった事に一気にテンションが上がってしまう。
「ああ……ありがとうカリン。そうだな、ここにいるのは俺の味方ばかりだ」
うん? と何かが引っかかる。この違和感はきっと触れずに流した方がよさそうだと、レナは新たな話題を探す。
しかし、その間が命取りだった。
「雷なんかより、結局一番怖いのは生きた人間なんですから」
「重い重い重い! カリン言葉が重すぎるわ!」
「厳密に言えば俺だってその類いだ。雷自体よりも、それに付いて回る記憶が嫌なんだ」
「あ、コッチも重そう!」
「雷雨の晩に、闇に紛れて知らない女性が馬乗りになっていたら恐怖でしかありませんもんね」
「だろう? おかげで女性自身が苦手な時期もあったんだ」
「今でも雷を怖がるフリをしてまとわりついてくる令嬢もいますし」
「だからカリンが雷を怖がらないのはとてもこう……心が落ち着くな」
「いやあああああ重いし怖い! 貴族も王族もみんなこわっ! ほんとに怖い!!」
「そういえばお兄様は今は怖い物ってないの?」
平然と繰り広げられる会話に怯え転がるレナを抱きしめながら、カリンは兄に会話を振る。するとエリアスはニコリと微笑んだ。
「レナに捨てられること以外で怖い物はないかな」
カッ、と閃光が室内を照らし、次の瞬間ドォォオンン、と室内が揺れそうな程の轟音が響き渡った。
「すごいなエリアス。今のまさに悪役の台詞と光景だったぞ」
「お兄様ったらラスボスみたい」
きゃあきゃあと楽しそうなカリンとクラウド、それをただ黙って笑顔で流すエリアス。そんなぱっと見だけは幸せな光景の中、地味に罪悪感を抉られたレナはソファに沈み込んでいた。