兄妹が懐く話・1
レナが兄妹を引き取って十日以上が過ぎた。家の事はしなくていい、二人がしたいことをして欲しい、と話をしたが、それが逆に兄妹を困惑させている。自由な時間をどう過ごしたらいいのか分からないでいる様だ。それはすなわち、実家で二人がどういった扱いを受けていたのかが推測でき、レナは怒りを堪えるのに必死だ。
可能な限りヘルガとルカが二人の相手をしてもくれるが、丸一日共に過ごすわけにはいかない。レナも工房での仕事をできるだけ自宅に持ち帰り、家にいるようにはしているが仕事中はどうしても二人に構う余裕がない。そんな時は二人で部屋の中に引きこもり、エリアスがカリンに本を読み聞かせしている。
引き取ったもののその後がよくない、とレナは悩む。大人に対しての不信感も大いにある二人だ。それらを取り除き、安心して暮らせる環境を整えてやりたいと心の底から思っているのに、二人――特にエリアスが立てた遠慮という名の心の壁を崩すことができない。
「ううん違う、そもそも崩すっていうのが思い上がりなのよ」
エリアスの堅牢な心の壁は、彼がそうしなければ生きていけなかったからにすぎない。さらには幼い妹を守らねばならないのだから余計にだ。それらの諸悪の根源は義家族なわけだが、そんな事情を知ったとしても助けてくれなかった他の大人も同罪である。
兄妹にとって、レナは救ってくれた相手ではあるけれども、だからといってすぐに信頼できる程ではまだないのだろう。話しかければ応えてはくれる、が、声をかけた瞬間カリンは一瞬怯えた素振りをみせるし、エリアスは常に言葉の裏を探ろうとしている。今は助けてくれているけれど、それはいつまでなのか。いつ気が変わるのか。いつ、自分達を捨てるのか――
大人だって裏切られた経験があればその傷は中々癒えない。二人はあの年で、それを長年受けてきたのだ。
「今は、少しでも近付くのを許してもらえるように頑張ろう」
カリンは時折笑顔を見せてくれるようになった。エリアスは食事の席で好物が出た時には遠慮がちとはいえおかわりをしてくれる。甘え、というにはあまりにも些細なものではあるけれど、それでも。
焦りは禁物である。まずは自分ができることを確実にこなしていくのが一番だ。
自分にできること。それは兄妹を守るために、義両親を札束で殴り続けること。つまりはより多く稼ぎをあげることであるからして、今日もレナは朝から仕事に励む。
その日は朝から天気が悪かった。重く鈍い色をした雲が厚く立ちこめており、レナはいつもより早めに仕事を切り上げて帰宅する。途端、滝のような雨が降り出した。さらには強風まで吹き始め、さながら嵐の如くだ。普段は自宅へ帰るヘルガとルカも、今日に限ってはこのまま泊まることになった。レナとしても二人が無事に帰宅できるか心配せずにすむのでほっとする。
早々に食事を摂り、寝る準備もすませそれぞれの寝室に別れてしばらくすれば、遠くで雷鳴が響き始めた。雨足は強くなり、窓には大粒の雨が音を立ててぶつかってくる。そこに雷とまでくれば、これはもう寝るしかないなと、ベッドの上で新しいデザイン画を描こうとしていたレナは枕元のランプを消そうと手を伸ばす。
ふと、小さな音が聞こえたのはその時だ。一瞬聞き間違いかと思った。それほどまでにか細い音。外の雨音と雷鳴に簡単にかき消される。だが、レナの耳には確かに聞こえたのだ。怯える小さな少女の声が。
その声の主がカリンだと気付いた瞬間、レナは部屋を飛び出した。隣接する兄妹の部屋の扉を叩いて声をかけるが返事は聞こえない。勘違いならそれはそれで詫びればすむ話だとレナは勢いよく扉を開いた。
真っ暗な室内に響く小さな悲鳴。ガシャンと物の割れる音。ベッドの下にうずくまる小さな人影。
窓から鮮烈な光が差し込み、次いでドォンという轟音が響いた。
どうやら近くに落ちたらしい。だが、それよりもレナの意識は目の前の二人に向いたままだった。
「――ごめんなさい」
雷鳴にかき消されながら、泣きじゃくるカリンの口から絞り出されたその言葉に、レナは胃の底から凍り付いたかの様に動けなかった。




