地球に最もやさしい車
地球温暖化。
人間の活動が地球に影響を与え、地球全体の気温が上がる、
という考え方に基づく概念。
地球の気温を上げる効果があるとされるガスを、温暖化ガスなどと呼ぶ。
それにより地球規模で悪影響があるとされ、昨今、
地球温暖化防止のためと称する取り組みが義務化されつつある。
ある年、初冬の時期。
日本の大都市で、地球温暖化防止と称するある条例が制定された。
新築住宅に入居する人は全て、新ハイブリッドカーを使うことを義務付ける。
新ハイブリッドカーとは、
国と自治体と自動車会社が共同で開発した車で、
電気モーターと新開発の動力を組み合わせて走る車のこと。
その条例に違反すれば処罰され、氏名を公表されることもあるという。
新築住宅に入居する予定だった人たちは大混乱。
慌てて新ハイブリッドカーを用意する必要に迫られることになった。
大都市の片隅にある自動車販売店。
新ハイブリッドカー義務化の影響で混雑する店内に、その男がいた。
その男は、近々、新築マンションに入居予定。
車は既にスポーツカーに乗っているのだが、
条例により新ハイブリッドカーにしなければならないということで、
渋々、車を買い替えるために、自動車販売店にやってきていた。
しかし、条例の影響で自動車販売店は大混雑。
車の試乗の順番が来るまで待たされることになった。
「まったく。
僕はもう車を持っているのに、新築マンションに入居するってだけで、
どうして車を買い換えないといけないんだ。」
その男がぶつくさと文句を言っていると、
自動車販売店の販売員が文句を聞きつけ、苦笑いを浮かべてやってきた。
「お待たせして申し訳ありません。
条例の影響でご好評を頂いて、大変混雑しておりまして。
よろしければ、お待ちの間、新ハイブリッドカーのご説明をさせて頂きます。
お客様は、新ハイブリッドカーがどういうものかご存知ですか?」
「いや、知らない。従来の車は好きだけどね。」
ぶっきらぼうに応えるその男に、
販売員は額の汗をハンカチで拭き拭き、カタログを片手に説明を始めた。
「そもそも、ハイブリッドカーとは、
電気モーターと従来のガソリンエンジンなどの動力を組み合わせて走る車です。
そして、新ハイブリッドカーとは、
電気モーターと、新開発の動力を組み合わせて走る車のことです。
この新開発の動力はなんと、温暖化ガスの排出量が実質0なんです。
地球環境にとてもやさしいんですよ。」
「温暖化ガス排出量が実質0って、どういうこと?」
「はい。
新開発の動力は、温暖化ガスを排出したとしても、
排出量として数えなくていいことになっているんです。
これは法律で定められています。」
「そうなのか。
その新開発の動力というのは、何を燃料にしてるんだ?」
「私共も詳しくは存じ上げないのですが、対向エンジンだと伺っています。」
「ああ、水平対向エンジンか。
僕が今乗っている車も水平対向エンジンだよ。
ということは、燃料はバイオ燃料かな。
水平対向エンジンは、車の挙動が安定するとかの長所があるけど、
こまめな整備が必要なんだよな。」
「整備についてはご心配無用です。
自治体に認定された整備業者が、町中をトラックで巡回してますので。
タクシーを見つけるよりも簡単に見つけられますよ。」
そこまで話をしたところで、その男が車に試乗する順番がやってきた。
「あっ、お客様。お待たせいたしました。
新ハイブリッドカーの試乗の準備が整いましたので、こちらへどうぞ。」
言われるがままに、駐車してある車のもとへ向かう。
新ハイブリッドカーは今のところ種類が少なく、
その男の用途に合う車は、小さなバンボディの車が一車種だけ。
バンボディとは、背が高く後ろ側が大きくなっている車のこと。
その男が車の中を見ようと、後ろ側の扉に手をかけると、
販売員が慌てて口を挟んだ。
「お客様、お待ち下さい。
新ハイブリッドカーは法律で、エンジンルーム内は、
認定された業者以外は見てはいけないことになっているんです。
開けると法律違反ということで重罪になるかもしれません。」
「エンジンルーム?
この車のエンジンルームは後ろ側にあるのか。
車の後ろにエンジンがあるリアエンジンというわけか。
この構造だと、後ろ側には荷物をあまり載せられないな。
それは不便だなぁ。」
「新開発の動力は、まだまだ開発途上のものですから。
トランクでしたら、車の前の方にありますので。」
それに、いずれにせよ、
条例で選ばれた車はどれも似たりよったりですよ。」
それもそうかとその男は文句を引っ込め、
ともかくも新ハイブリッドカーの運転席に座ってみる。
新ハイブリッドカーの車内は、従来の車と変わらない。
ハンドル、アクセルペダル、ブレーキペダルがあって、操作盤がある。
試しにエンジンをかけてみる。
電源ボタンを押しても無音なのは、
従来のハイブリッドカーと変わらなかった。
アクセルペダルを踏み込む。
すると新ハイブリッドカーは、やけにゆっくりゆっくり動き始めた。
「・・・なんだか、蹴り出しが遅いな。」
「新ハイブリッドカーは地球環境に配慮した車でして。
その代わり、走行音はとても静かだと思いますよ。」
新ハイブリッドカーは、走れば遅く、中は狭い。
その男は気乗りがしなかったが、
しかし、条例で義務化されたからには従う他無い。
その男は観念して新ハイブリッドカーを買うことにしたのだった。
それからしばらく待たされた後日、新ハイブリッドカーが納車され、
その男は新ハイブリッドカーを使う生活を送るようになった。
新ハイブリッドカーは遅く狭いというのは、事前に試乗した通り。
さらには故障が多く、頻繁に整備業者を呼ぶ必要に迫られた。
しかし、事前に説明された通り、
整備業者のトラックがあちこちを走っていて、
タクシーを呼ぶような感覚で修理を頼むことが出来たので、
思ったよりも不便は少なかった。
条例で義務付けされなければ選ばないが、乗って乗れないこともない。
町中を走る新ハイブリッドカーの数は、次第に多くなっていって、
大都市の景色は急速に書き換えられていった。
その男が新ハイブリッドカーを使うようになってしばらく。
ある日のこと、
いつものように車を走らせていると、車に異常が。
アクセルペダルを踏んでいるのに、スピードが出ない。
それどころか、のろのろとスピードが落ちていって、
車は止まってしまった。
その男は溜息一つ、頭を掻いた。
「やれやれ、また故障か。
今日は急いでるっていうのに。
電気系統が落ちて、操作盤の電気が消えてるな。
きっとまたエンジンの故障だろう。」
いつものように整備業者のトラックを探すために、車の外に出る。
しかし、いつもはよく見かける整備業者のトラックが、
なぜか今日に限っては全く見当たらない。
周囲の道路を走っている車はいくらでもいるのに、
整備業者のトラックだけは見つからない。
それどころか、その男の車と同じ様に、
路肩に止まっている車の方が多く見つかるくらいだった。
「まいったな。
こんな時に整備業者が見当たらないなんて。
電話で頼むしか無いか。」
車内から携帯電話を取り出して、整備業者に電話をする。
しかし、電話は中々繋がらない。
やっと繋がったと思ったら、人ではなく、自動応答メッセージが流れた。
「お電話ありがとうございます。
只今、大変込み合っております。
恐れ入りますが、そのままお待ち下さい。」
抑揚のない、妙に癇に障る音声に従って、待つことしばらく。
しかし電話は一向に繋がる気配がなかった。
「・・・これは駄目そうだな。
向こうに止まっている車も、きっと故障車だろう。
僕の車よりも先に止まってるのに、整備業者が来てないものな。
順番を考えれば、僕の車はもっと後回しだ。
仕方がない。自分で何とかしよう。」
電話を切って、車の排気管を覗いてみる。
排気管からは赤錆のような液体が滴っていた。
やはり異常はエンジンで起こっているらしい。
その男は、車の後ろ側の扉を開こうと手をかけた。
その扉の中はエンジンルーム。
新ハイブリッドカーのエンジンルームの中は、決して見てはいけない。
その禁を、その男は失念していた。
新ハイブリッドカーのエンジンルームの中は、思ったよりも広かった。
バンボディの後部をほぼ丸々使っているのだから当然。
問題は、その中にあるもの。
新ハイブリッドカーのエンジンルームには、
何かの機械、配管、配線、大きなバッテリーなどがあり、
そして、鉄格子の箱が置かれていた。
鉄格子の箱、という言い方は正しくないかもしれない。
鉄格子がはめられた金属の大きな箱は、むしろ牢屋と言って良い。
なぜなら、中に入れられていたのが、人だったから。
新ハイブリッドカーのエンジンルームの中には、
大きな鉄格子の牢屋があり、中には人が閉じ込められていた。
「なんだ、こりゃ・・・?」
自分が乗っていた車のエンジンルームに人が入っていた。
そんな場面を目撃したら、人はどうするだろう。
その男の場合は、ギョッとして立ち尽くしかできなかった。
立ち尽くしていても、そこに広がる光景は目に飛び込んでくる。
バンタイプの車の後部に収められていた鉄格子の牢屋。
その中には、人が二人閉じ込められている。
どちらも床にへたり込んで、全身傷だらけ。
床には至るところに血の跡が染み付いている。
牢屋の中の二人は満身創痍で表情は虚ろ、
エンジンルームの扉が開いたことにも気が付かなかったようで、
へたり込んで肩で息をしていたが、
やがて、その男が覗き込んでいるのに気が付くと、
二人は慌てて立ち上がって、殴り合いを始めた。
それは決め事だったようで、二人の手には、
ボクシングの選手が付けるようなボクシンググローブがはめられていた。
すると、どんな仕組みになっているのだろう、
二人が殴り合いを始めた途端、運転席の操作盤の電気が点いて、
エンジンがかかったのが確認できたのだった。
そうしてその男は、ようやく思い出した。
新ハイブリッドカーのエンジンは、対向エンジン。
水平対向エンジンは別名、ボクサーエンジンと呼ばれているということを。
「もしかして、新ハイブリッドカーは、
人間が殴り合うことを動力として、車を走らせているのか?
どんな仕組みなのかわからないが、そうとしか思えない。
地球温暖化対策ということで、
温暖化ガスとされるものは、排出量が厳しく制限されている。
でも、人間の体から出るものには制限が無い。
だから、人力で動く新ハイブリッドカーは、
温暖化ガス排出量が実質0という扱いなんだろう。
こんなもの、奴隷と変わらないじゃないか。
恐ろしい、なんて恐ろしいことを。」
新ハイブリッドカーは温暖化ガス排出量が実質0。
そのからくりの真相を知って、その男が恐れ慄いていると、
遠くから車がやって来るエンジン音。
トラックがやって来て、その男のすぐ近くに停車した。
わらわらと作業着姿の連中が降りてきて、その男を取り囲んだ。
上役らしき一人が、鋭く声を張り上げた。
「お前!
許可なく、新ハイブリッドカーのエンジンルームの中を見たな?
それは反地球環境保護罪の重罪だぞ。
お前を逮捕する。連れて行け!」
指示に従い、作業着姿の連中が速やかに動き、
その男は抵抗する間もなく羽交い締めにされて、
荷物のように引きずられて、トラックの荷台に収められてしまった。
その男は無我夢中で必死に叫んだ。
「何をする!?僕をどうするつもりだ!」
「違反者は、その身をもって地球環境保護のために貢献してもらう。」
何を、と問いただそうとして、その男は息を飲んだ。
トラックの薄暗い荷台の中、そこに何人もの人たちがじっと座っていた。
その虚ろな表情は、新ハイブリッドカーのエンジンルームにいた二人と同じ。
その男は理解する。
新ハイブリッドカーの動力にされていた人たちが、
どうやって集められたのか。
そして自分がこれからどうなるのかを。
その男が項垂れて抵抗するのを諦めると、
トラックの荷台が閉じられ、外界への道は絶たれた。
エンジンが回る音がして、トラックが動き始める。
そうして、反逆者とされた哀れな人たちを載せたトラックは、
排気管から黒煙を吐き出し、何処かへと走り去っていった。
吐き出された黒煙は、上空へ立ち上っていって、
広大な空に溶けるように混ざって消えてしまった。
終わり。
評価の基準が間違っていたら、何をするにしても間違ってしまう。
それを表現したくて、この話を作りました。
もしも、物事を決める人が評価の基準を間違えていたら。
どうしたらいいのか、私にはわかりません。
地球の未来がどうなるのか、
思考実験や模擬実験から得られるデータには限度があります。
確実なデータが揃うまで待つのも一つの方法だと思います。
お読み頂きありがとうございました。




