私たちは二人で一人の異世界転生者 ~死すら私たちを分かつことができないのなら、二人で幸せになります~
――ねぇ、一緒にここから飛んじゃおうよ。
その誘いに、私は何よりも幸せな未来を予感してしまった。
だから、私は彼女の手を取った。何も疑わず、その予感を信じることが出来たから。
そして私たちの世界は一度、終わりを迎えた。
終わりがあれば始まりがあって、始まりがあれば終わりがある。
だから終わりを迎えた今、次は始まりが来るんだ。
* * *
皆、青は私の色だと言う。
私の髪の色は空の色を映し出したような色だし、目の色だって海の青だとよく言われる。
服だって合わせて深い青色を揃えて仕立てられる。だから私の色は青だって言う。
だけど、私の色は青じゃない。
この色が似合っているのは本当は私じゃない。
私の思う、私の色。
それは、この庭園に綺麗に咲く赤い薔薇のような赤だ。
薔薇の棘に指を添えて、指の先からぷっくりと血が小さな珠を作る。
青ばかりで揃えられた私の中に脈打つ色、この赤色こそが私の本当の色なのに。
鏡を見れば嫌でも目に入る青の色は、私の記憶の底に眠る感傷を呼び覚ます。
「エミーリア、また薔薇を眺めていたのかい?」
「……お兄様」
庭園の薔薇を眺めているとお兄様に声をかけられた。
兄、アルヴィンは水色の髪に蜂蜜色の瞳が似合う美形の少年だ。将来はさぞ、浮名を流すだろうと私は思っている。
アルヴィンは愛想が悪く、可愛げのない私にも分け隔てなく接してくれる。だから、兄には少しだけ心を開いている。
「エミーリアは本当に赤薔薇が好きだね」
「赤は私の色なの」
「変なエミーリア、君に似合うのは青色だよ。ほら、髪だって、瞳だって綺麗な青じゃないか。赤は君には似合わないよ」
それは外側だけだ。誰も私の中身なんて知らない。〝エミーリア〟という外側にどれだけ似合っても、〝私〟という中身が似合う色は赤なんだ。
それが、異世界で〝エミーリア・オーキッド〟として生まれた〝茜沢 恵美〟の思う真実だ。
異世界転生って知ってる? 第二の人生を謳歌し、波瀾万丈な人生を送る物語。
私にとっては、そんな奇跡の物語みたいなものじゃなかったけど。
だって、私は死にたかったんだ。だから、自殺したんだ。
――本当は〝青〟が似合っていた筈のあの子と一緒に。
* * *
〝エミーリア・オーキッド〟の前世であり、彼女に転生した〝茜沢 恵美〟は日本という国に生まれた少女だ。
一言で私こと、茜沢 恵美がどんな人間だったか語るなら。まず、最初に浮かぶのは〝犯罪者の娘〟である。
茜沢 恵美の両親はいなかった。父親が痴情の縺れから母親を殺して、刑務所から出て来なくなった。
一人残された幼い子供だった私は、犯罪者の父親が残した厄介な子供として親戚の間をたらい回しにされた。
人間は自分が異物だと見られることには敏感なもので。だから私は自分に向けられる奇異な目に反発し続けていた。
両親が不幸な目にあった可哀想な子供から、扱いにくい犯罪者の子供という評判に移り変わる過程で私は不良と呼ばれるようになっていった。
女に生まれたけれど、幸いなことに喧嘩は男子相手だろうが上級生相手だろうが負けなしだった。
そうして腫れ物として扱われて育つ中、私は中学生になった。中学生になったキッカケで、私は髪を真っ赤に染めた。
当然、校則違反を咎められて何度も髪の色を戻せと言われた。それすらも反発してやった。だけど不登校だけはしなかった。
ルールの中でルールに反発するのが私の生き方だった。
誰もが私のことを可哀想な子供だの、犯罪者の子供だとかレッテルを貼る。
面と向かって言えばいいのに、ひそひそと囁くように私の噂話をするのは腹が立った。
だから私は自分の存在を誇示するように、敢えて学校には通い続けた。
ただ負けるのが嫌いだった。だから不良と言われようが勉強を頑張った。不良の癖して勉強だけは出来ると言われるようになった。
そんな生き方は楽しいとは言えなかったけれど、けれど充実していたとは思う。
――そして中学二年生になった時、私は〝あの子〟と出会った。
「うわ、凄い髪の色だなぁ。貴方、もしかして茜沢 恵美さん?」
「……何?」
「何って、名前を聞いてるんだけど」
「私が噂の茜沢だったら何よ」
「有名人だからね、ちょっと気になっただけよ。新しいクラスで出席番号が隣になるから、よろしく? 私は〝青崎 恵美〟。漢字も一緒の〝恵美〟同士、仲良くしましょう?」
そう言って不敵に笑って見せたのは、まるでドブが濁ったような目をした黒髪の美少女だった。
名前の呼び方も、書き方も一緒の恵美だったのでお互いに名字で呼ぶ関係が始まったのはこの時からだった。
青崎は、はっきり言えば私とは違う意味で変わり者だった。
別に私のように不良という訳じゃない。ただ、掴み所が何を考えているのかわからなかった。
そんな独特な空気を纏っている青崎はクラスの空気に馴染める訳でもなく、しかも何故か私と一緒にいることが多かった。
最初こそ、無視していたけれども事あるごとに私を一緒に行動しようとする青崎に腹が立って脅したこともある。
けれど、彼女は表情一つ変えることなくこう言った。
「殴りたいなら殴れば? あ、でも痣とか残ると困るから見えない所でお願いね」
「……頭沸いてるの?」
「沸かせてみる? どうやって? 茹でてみる?」
青崎は本当に掴み所がない奴だった。何故、クラスと馴染もうとしないのか。私にばかり構おうとするのかも、この時にはわからなかった。
それから私は青崎と行動することが多くなった。青崎は私に好かれようとする訳でもなく、邪険に扱おうがなんだろうが私の傍に来る。
最初は煩わしくて仕方なかったけれど、いつの間にか何も言わなくなっていた。
いつからか青崎も私に唯一噛みつかれない相手と認識されていったのか、対茜沢係なんて呼ばれていた。
本当に変わった子だった。その理由を知ったのは、何気ない会話をしている時に青崎が語った。
まるで天気の話をするような気軽さで、まったく不釣り合いな内容をあいつは喋った。
「私って、凄くお金持ちのお父さんがいるんだけどさ。お母さんが私を孕んだ後に捨てたんだよね。なんでも婚約者がいたんだってさ、私のお母さんは遊び相手だったんだって」
「は? 最悪な父親じゃん」
「そうそう。だから私、父親なんて知らなかったんだけど……お母さんが重い病気になってさ、その面倒を見る代わりに父親の婚約者、もう結婚したから奥さんか。その奥さんの子供として、なんか企業家のオジさんに嫁げって言われちゃった」
「最悪の上塗り」
「クソだよね」
ケラケラと笑いながら青崎は笑った。
「だから、中学校を出たら青崎ですらなくなっちゃうんだよね。私」
「……結婚するの?」
「いやぁ、するしかないと思うよ。今まで放置されてきたようなものだから、今更、母親を助けようなんて気も起きないんだけどさ……ただ、父親とは、どんな形でも傍に居たいんだってさ」
「馬鹿みたい、いっそ包丁でも刺してやれば良かったのに」
「貴方のお父さんみたいに?」
私に何も気を使わないような、無遠慮な会話。そのテンポに気分を害することはない。
青崎に同情もなければ、侮蔑もなかったから。ただ、私たちは日常の延長として互いの傷を会話の話題として楽しめていた。
「……どうでも良いって思ってたんだけど、意趣返しはしたいかなって」
「刺すの?」
「嫌だよ。なんでわざわざどうでも良い奴を殺さなきゃいけないのさ。でも、あっちは大人だし、権力もあるんだよね」
「大変ね」
「うん。だから面倒になる前にさ……死んでやろうかなって」
「……それでいいの?」
「茜沢は、生きてて楽しい?」
……問いに問いを返されて、私は自問自答する。
生きていて楽しいかと聞かれると、別に、と答えてしまう。楽しいから生きていたい訳じゃない。負けたように自分の存在が侮られるのが嫌だから生きて来ただけだ。
苦しくても、齧り付いてでも生き抜こうとしてきた。ただの意地だと言われればそうだろう。でも、意地以外に何が私を生かしてくれるんだろう。
「なら、さ。――ねぇ、一緒に死んでみない?」
「……頭沸いてる?」
「沸いてるかもね。だって、不幸な女の子が二人が揃って自殺するんだよ? 注目浴びまくりでしょ」
そうなればいい気味だ、と。青崎はドブが濁ったような目を楽しげに細めて笑っていた。
生きることにしがみつく理由はなかった。かといって死にたいと思う理由もなかった。
「……良いよ」
「……ぇ?」
「付き合ってあげるよ、青崎。どう死にたい?」
私の返答に青崎は驚いたように目を見開かせて、それからまるで年相応の顔を浮かべた。
力を抜いて、泣き笑いのような無邪気な笑みを浮かべて青崎は言う。
「自由になりたいな。だから……――ねぇ、一緒にここから飛んじゃおうよ」
時刻は夕刻。青空と夕焼けが入り交じる空が広がっていた。
私たちは屋上の淵に立ち、風を感じる。どちらから伸ばしたのか、お互いの手を繋いで離さないように強く握り締める。
そして、私たちは同時に屋上から飛び降りた。空が流れるように遠くなっていく景色を最後に、そこで私の記憶は途切れている。
* * *
〝エミーリア〟が私の意識を取り戻した後は、私は錯乱した。
エミーリアとして生きて来た〝私〟が、〝茜沢 恵美〟の絶望に耐えられなかったからだ。
エミーリアはしがない男爵家の娘として生まれた娘。両親の愛情をいっぱいに浴びて育ってきた〝普通の女の子〟だった。
そんな〝普通の女の子〟に〝イカれた不良の娘〟の記憶と感情は精神の均衡を乱すのに十分過ぎた。
幸いだったのはエミーリアが寝込む前に流行病が流行っていて、錯乱している間も薬で眠らされたことで覚醒と意識の喪失を交互に繰り返して慣らすことが出来たこと。
そしてエミーリアと茜沢 恵美である私が混ざり合って、今の私が出来上がった。
無愛想で、無感動に世界を眺めている不気味な娘。両親は生死の境を彷徨った後遺症だと思っているのか、ただひたすらに私に甘い。
愛されている。それが尚更、私の絶望を感じさせる。だってここには――〝青崎〟がいない。
一緒に死ぬつもりだった。むしろ、一緒に死にたかった。青崎は望みのままに死ねたんだろうか。私だけを置いて。
そんなの、なんだか面白くない。半身がもがれたような喪失感がずっと私の胸に残り続けていた。
あぁ、そうだ。生きるのも、死ぬのも。自分のためじゃなくて青崎のためになるんだったら良い。
いつの間にか、私はそれだけ青崎のことを好きだと思っていたんだろう。
恋と呼ぶにはドス黒すぎて、愛と呼ぶには毒々しすぎる。それは最早、執着や依存と言えるものだった。
それでも、それが茜沢 恵美にとっての拠だった。エミーリアとして生きて来た幸せは、茜沢 恵美が味わった喪失を埋めるのには足らない。
あの子のためになら生きて良いと思って、同じぐらいにあの子のために死んでも良いと思えた矢先にそれを奪われるなんて。
人生は、やはり生きていても良いものじゃない。けれど、死ぬには今が穏やかすぎて死にたいと思えない。
そうして、無気力な私はただ月日を無駄に重ねていく。
* * *
エミーリアとして生まれて早七年。七歳になった子供は教会に洗礼を受け、神からの祝福を受ける。
この世界、前世では御伽話のように思えた魔法や魔物が存在しているらしい。そして、人を守護する神までいるのだと言うのだから失笑してしまう。
七歳を迎えた子供は洗礼を受け、神々から自分の相棒たる守護霊を授かる。
この守護霊と心を通わせることで人は様々な恩恵を授かる。どんな守護霊が来るのか、それは将来を定める指針となるので親も子供も楽しみにしている。
ちなみにアルヴィンは銀狼の守護霊を授かっていた。
銀狼を通して身体能力や知覚機能の向上という恩恵を授かった。将来は騎士になって成り上がるのだと、アルヴィンは夢に燃えていた。
そんな兄も実家を離れ、騎士になるために訓練学校に通っていて顔を久しく合わせていない。
洗礼式は、普通の子供だったら期待と夢に胸を踊らせていると思う。でも、私にとってはどうでも良かった。
私のことを過剰に心配する両親を適当にあしらいつつ、神官の前に立って胸の前で手を交差させるように当てて跪く。
この世界の祈りのポーズを取ると、老齢の神官は杖を私の肩に当ててから祈りの言葉を紡ぐ。
「大いなる神々よ! 貴方の子である我々に、どうか未来の標と永遠の友を与えたまえ!」
教会の荘厳なステンドグラスに光が差し込み、その光の中に何かが浮かび上がってくる。
その姿がはっきりすれば自分の守護霊が見えてくるのだと、兄は言っていた。私は期待もせずに守護霊が姿を現すのを待っていた。
――シケた顔してるね、折角可愛い顔になったのに台無しじゃない。
「……ぇ?」
脳裏に聞こえた声に、私は目を見開いた。
私の前に現れたのは、エミーリアとなった私と同じ顔をした〝女の子〟。
だけど、その色彩は私と違って〝真っ赤〟だった。髪も、瞳も、纏っているどこか神秘的なドレスさえも赤い。
不敵に笑おうとして、でも、その目に浮かんだ涙を誤魔化せていない彼女は――私がずっと求めていた半身だった。
「――お互い、死に損なったね?」
惚けたことを言う私と同じ顔のアイツに、私は勢い良く駆け出して飛びつくように抱きついた。
* * *
終わりがあれば、始まりが来る。
振り子のように世界は動き続ける。終わって、始まって、また繰り返す。
私たちはそんな世界に振り回されながら生きている。でも、その人生はきっと――。
* * *
「〝リア〟、迎えに来たわよ」
「〝エミ〟? もうそんな時間? 待って、今、良い所なの」
「ダメ、帰るわよ。閉館時間だから」
「えぇーっ、エミのケチっ!」
「規則だもの」
洗礼式から時が流れて、私たちも生前の年齢を超えた。
私たちはお互いの存在がリンクしていて、〝エミ〟である私が年を重ねれば同じように〝リア〟も成長していた。
守護霊というよりまるで双子ね、とお母様は笑っていた。守護霊の、それも娘とまったく同じ顔の色違いの娘が増えても動じないので意外と大物だと思ってる。
名前も、私の〝エミーリア〟という名前を分けて与えた。茜沢 恵美だった私はエミーリア、愛称はエミとして。そして、青崎 恵美だったアイツは、リアとして。
他の守護霊とは異なった異質な存在であるリアへの注目度は高い。是非、研究対象として調査させて欲しいという魔法使いや学者が突撃してきたこともある。
まぁ、そんな不届き者が現れたら私が直接ぶっ飛ばしてるんだけど。
「エミ、今度新しい魔法を試したいから討伐に行こうよ」
「どんな魔法?」
「それは〝融合〟した時のお楽しみで」
くすくすと笑うリアはとても楽しそうだ。それに私も釣られて笑みを浮かべる。
守護霊は人に恩恵をもたらす。リアが私に齎す恩恵とは、経験と知識、そして魔法を使うための魔力などを〝融合〟することで単純に二倍にすることが出来る。
リアの経験は私の経験に、私の経験はリアの経験に。
私たちは二人で一人の人間のようなものだ。お互いの経験と知識が、お互いを強くする。
だから私は武術を主に学んで、勉強や知識はリアに任せている。お互いが好きなことをして、お互いのためになる人生を歩んでいる。
こんな人生の生き方を、私たちはきっと幸せと呼ぶのだと確信している。お互いがお互いを想い合う、離れることのない永遠の半身。
「ねぇ、エミ?」
「なに、リア?」
「私たち、自由ね!」
「えぇ、そうね」
「何になろうかしら?」
「なりたいものになれば良いわ」
剣士だって、魔法使いだって、貴族のお嬢様だって、私たちには可能性が広がってるんだから。一人では堪能しきれない人生も、二人で一つの人生を味わうんだ。
私たちは二人で一人。単純に他の人より二倍の人生を楽しめるんだから、考えている時間が勿体ない。
「好きなように生きて、好きなように楽しみましょう」
「賛成!」
死すらも私たちは分かつことは出来なかった。なら、これはきっと運命と名付けるべきなんだ。
私はもう一人の私と生きていく。エミーリア・オーキッドとして、この世界で今度こそ幸せになるために。
後の世、単純に二倍の速度で成長する私たちが世界でも指折りの実力者になるお話は……また、別のお話で。