最高に頭の悪い男がやり残した108個のこと
2019.1.16
現実世界【恋愛】
病気の子どもの為にホームランを打つ。
最後の葉っぱが落ちたら死ぬ。
ギプスに寄せ書き。
入院生活での心に染みるエピソード?
青春?
そんな物は大して期待して無かったが、目の前に女が1人居る。最初は部屋を間違えたのかと思ったが、どうやら俺に用があるみたいだ。ショボいパイプ椅子に座ってこちらを見ている。
今時の金髪頭で、見た目は20代前半だろう。まだ顔に幼さが残っていた…………別にどうでもいいが。
「どちら様で?」
極めてつれない言い方だが、今までこの部屋に来た奴等でまともな見舞い客なんかいやしなかったんだ、別に良いだろう。
「暇そうだね」
女は黒いパーカーを着ていた。股下まであるような長いパーカーだ。こういう服は何て言うんだ?
服には疎いからとりあえず長いパーカーでいいだろう。太ももから下が丸見えだが、ミニスカートでも履いているのか? いや、パーカーしか着ていなかったらどうしよう。どちらにせよ変な奴だ。
「……お蔭様でな」
女の服装チェックを終えた俺は、嫌みったらしく返事をした。
「それ、面白いの?」
女が俺の寝ているベッドの敷きマットを指差した。
「………………」
俺は返事をしなかった。
女は無言でマットの隙間に指を入れ、俺が止める前に一冊のノートを隙間から取り出した。
「返せ!!」
精一杯手を伸ばすが、俺の手は空を切る。やり場の無い怒りが俺を燻らせた。
「……その1 牛丼を腹一杯食べる」
ノートをめくり、最初のページを読み上げる女。俺の顔は聞くまでも無く赤いだろう。熱を帯びているのが自分でも分かる。
「はい、どうぞ♪」
女は突然自分の後ろから熱々の牛丼を取り出した。マジシャン?
「……は?」
俺は突然のことに返事に困る。確かに牛丼は好きだが……。
「食べないの?」
丼の上で手のひらをヒラヒラさせると、いつの間にか割り箸と紅生姜が乗っていた。マジシャン?
旨そうな匂いに逆らえず、俺は無心で牛丼を頬張った!
味気ない病院食と違い、牛丼様は俺の心に癒やしをくれた。
「ごちそうさまでした」
気が付けば俺は丼に手を合わせていた。
「満足した?」
女が満面の笑みでこちらを見る。
「……ああ。久々の牛丼は最高だ」
俺の素直な感想だ。
「よし、1つ終わり!」
女はペンのキャップを口に咥え、ノートにチェックを付けた。
「じゃあ、残りもさっさと片付けようか?」
女は立ち上がり、ノートをヒラヒラさせた。
金持ち坊やの無免許事故で足が思うように言うことを効かなくなり、全てに絶望していた時看護師に言われた一言。
「元気になったらやりたい事をノートに書いてみたら?」
それが今女の持っているノートだ。こっそり書いていたから人に見られるのは、すげー恥ずかしい。
表紙には『死ぬ前にやりたい108のこと』と書いてある。足が治りそうもないのは知っていたが、良い気晴らしになったのは確かだ。しばらく忘れていたが、女が何故ノートの存在を知っているかはその時は気にならなかった。
きっと金持ち坊やの親の差し金だろう……。
自己満足な罪滅ぼしか何かか? まぁいい。貰える物は何だって貰うさ。事故だけはいらなかったけどな……! クソッ!!
「何してるの?早くおいでよ」
女が急かす。人の事情もお構いなしに。
「俺は歩けな――」
「――右足だけ、治しといたよ」
俺は言葉を止め、右足を見た。
──ピクピク
…………俺の右足が動く。
「はは!動いたぞ!!!!」
俺は理屈や理由を抜きに素直な感情を爆発させた。
「左はこれ終わったらね」
女の言葉に再び俺は度肝を抜かれた。
「お前、治せるのか!?」
自分でも訳の分からないこの事態に、全てが夢では無い事を願う。女は無言で松葉杖を差し出し、笑顔で俺に手を伸ばした……。
退屈でどうしようも無い個室から救い出してくれるなら、別に何だって良いさ。
俺は女に言われるがまま病室を後にした。
入院以来の外出。久しぶりの外の空気!
「その2 ピザをいっぱい食べる」
女は無言でこちらを見つめる。すげー恥ずかしい。
「これ書いたとき腹減ってたんですか?」
皆まで言うな……。
慣れない松葉杖での歩行に戸惑いながらも、近所にある石窯で焼くピザ屋へとやってきた。店内はピザの匂いで立ち込めており、さっき牛丼を食べたばかりなのに俺の腹はピザを求めて止まない。
「どれにします?」
女がメニューを手渡してくれた。
「これと、これと……」
俺は手当たり次第にピザを注文した。
続々とテーブルに運ばれてくるピザ。俺は一切れずつ食べ比べをした。
「ああ、夢のようだ……」
「幸せそうで何より」
女もピザを頬張っている。
一頻り全てのメニューを制覇した所で女が問い掛けた。
「満足した?」
「ああ!」
もうこれ以上は食べられないぞ……。口からピザが出そうな位に腹の中はパンパンだった。
「じゃあ次……食べ物関係は飛ばして……」
ペンでチェックを付け、ページを1つ飛ばす。
「その4 金持ちになりたい」
頼むから読み上げるのは止めてくれ……。
「何だか小学生が書いた将来の夢みたい……」
素直に恥ずかしい……。
「はい、叶えましたよ。次」
「その5 子ども100人作る!」
「…………」
「書くの飽きてませんか?」
その通りだ。すぐに飽きて適当な事を書いたと思うが、殆ど覚えてない……。
「はい、これも隠し子として叶えたよ。次!」
次々チェックを付ける女。
「ま、待ってくれ!『叶えた』ってどう言う事だ!?」
俺は訳が分からず女に問い掛けた。まあ、今までの事に何一つ納得も訳も分かってないがな。
「お金は口座に振り込んで、隠し子は書類上アンタの子どもが100人いる事にしたよ。血は繋がって無いけど、その辺にいる人は大抵アンタの子だよ」
俺はピザ屋のバイト君と目が合った。
「父さんまた来てよ」
見ず知らずの青年からいきなり父さん呼ばわりされた!?
キッチンに居たハゲオヤジも颯爽と現れて「親父!元気でな!」とか言い出した。お前俺より年上な筈だが?
外に出ると小さな子ども達が元気にこちらへ手を振っている。全員俺の子ども……なんだろうな。
「これ嬉しいか?」
俺は女の方を振り向くと、女は笑顔で左を指差した。
指の先へ振り向くと、女子高校生達が全力で此方へ走ってきては俺の周りを取り囲む。その勢いに俺は倒れそうになるが、女子高校生達が俺の身体を支えてくれる。柔らかい感触と香水の良い匂いが…………うん、素晴らしい。全員俺の娘か!!
「嬉しいでしょ?」
女がニヤけながら俺の顔を覗き込んだ。
「まあ、悪くはない」
「ふ~ん、じゃ次ね」
女が指を鳴らすと、女子高校生達は蜘蛛の子を散らす様に去って行った。
「その6 女湯に入る」
「あ、うん、その……」
入院生活は溜まるからね……その、色々と。
「手配するから、これは夜にしましょうか」
「え!いいの!?」
俺は思わず大声を出してしまった。
「パパうるさい!」
傍に居た小さな男の子に怒られた……。
「その7 酒池肉林」
書いた時の俺は欲丸出しだな。
「意味分かってます?」
「えっ!?」
思わず聞き返してしまった。
「本当に漢字の通りですよ?」
女は真面目な顔で答えた。ハーレムとか、そういう意味じゃないんだ……。ちょっと残念。
「じゃ、これも夜に……」
この調子で30個近い願いを叶え、その日は超高層マンションの最上階で寝泊まりをする事にした。
「酒風呂はイマイチだったけど、グラビアアイドルとお風呂に入れたのは最高だったぜ!!」
俺は人生で一番強いガッツポーズを決めた。
「満足ですか~?」
女がベッドの隣でモンブランを食べている。
「ああ!もう言うこと無しだ!」
俺はベッドで大の字になった。ちょっと最後の払いが変な大の字だが……。
「じゃあもう途中で終わりにします?」
ヒラヒラとノートが揺れる。
「ん!まだまだまだまだ!!」
どうせなら全部堪能してやれ!
俺はすっかり悦の極みに入っていた。
「じゃあ、続き行きますね」
女が食べかけのモンブランを一気に口に入れる。
「……これ本当にやります?」
女が渋い顔をしてこちらを覗う。
「ん?ああ、頼むよ」
俺は特に気にせず軽い返事をした。
「その43 リハビリ科の伊藤君と×××」
「えっ?」
俺は耳を疑った。
バタンと扉が開き、隣の部屋からいつも病室で俺のリハビリを担当してくれている伊藤君が全裸で現れた。
「ま、待った!それ本当に俺書いたのか!?」
俺は女の方へ慌てた顔をした。
「ええ、確かにアンタの字だよ」
女は全裸の伊藤君も俺の願いにも臆すること無く、平然と椅子に座っている。
思い出した!!
確か、滅茶苦茶ムラムラしてた時のリハビリで、伊藤君が彼女居ないとか言ってたから、この際男でも行けるんじゃ……とかで勢いで書いたやつだ!!
「優しく、お願いします……」
伊藤君がベッドに上がり、俺の身体に手を伸ばす。
「や、止めてくれ……!!」
必死で首を振る俺。
「キャンセルは無理だよ~」
女はいつの間にか取り出した一眼レフで俺達を撮影し始めた。
「あっ!あっ!アーーーーーッ!!」
その日、俺は女になった……。
次の日、俺は痛みで目が覚めた。
是非とも夢であって欲しかったが、右足も動き、オシリスも痛い。昨日の伊藤君の温もりは死んでも忘れそうにない。
「おはよう」
女が昨日と同じ格好のまま、昨日と同じ椅子に座っていた。
「…………」
俺は何て言って良いか分からなかった。
「その45 リムジンでドライブ」
女は無表情でノートを読み上げた。
「寝起きのドライブは如何?」
女の薄ら笑いが俺の心を見透かすようだ。
「……悪くない」
俺はマンションの外へ出ると、べらぼうに長いリムジンへ乗り込んだ。リムジンの中にはテレビで見るような都会のお店にいる女性が二人居て、俺を歓迎してくれた。
「キャーッ!パパ!!」
隠し子はまだいるのか……。俺は書類上の娘に挟まれ、快適なドライブへと出かけた。
「その38 課長の頭をむしり取る」
「その39 部長の頭をむしり取る」
「その40 社長椅子に座り秘書のケツを叩く」
助手席に座る女がノートを読み上げる。
「いいね!! よし!行ってくれ!!」
きっと今の俺は最高に気持ち悪い顔をしているだろう。
会社へ着くと、松葉杖を器用に使ってエントランスへ向かった。怪我人になって初めてバリアフリーの重要性を知ったよ。ウチの会社階段ばっかりで優しくねぇのな!
エントランスでは課長と部長の二人が、唯でさえ心許ない毛髪頭を下げ俺を出迎えた。
女は無言で頷く。
俺は遠慮無く2人の髪の毛をむしり取った!!
ははっ!気分爽快だな!!
エレベーターで最上階へ着くと、社長は居らず秘書が出迎えてくれた。地上を一望出来る社長椅子はフカフカの良い椅子だ!
スーツ姿の秘書のパツパツのケツを、俺は静かに撫でる。しかし秘書は無反応。俺は力を込めて秘書のケツを叩いた!
「ヒウッ!」
秘書の情けない声が聞こえた。俺は最高に気持ちいい笑い声で秘書のケツをバシバシと叩き続けた。
「社長そろそろお時間です」
扉から女がひょっこりと顔を出した。
俺はその後も次々とやりたい放題やった。ヤクザの口に熱々のたこ焼きを押し込んだり、ムカつく奴の家を鉄球で壊したりと、殆どが憂さ晴らしだったけどな……。
……ノートのページも残り少なくなってきた。
「その97 深夜のゲーセンで遊び放題」
俺は真夜中のゲーセンで遊んだ。通信ゲームはどれも使えなかったが、ゾンビを撃ったり車を運転したり…………1人で寂しく遊んだ。
「満足した?」
女がUFOキャッチャーのぬいぐるみを山ほど抱えている。
「……何か、寂しいな」
俺は唐突に虚しさを覚えた。
「何か不満?」
女は変然とした顔でこちらを覗うが、急にポッカリと空いた心の穴は容赦無く俺を引きずり込む。
「……なあ」
「これ全部叶えてどうするんだ?」
俺の隣りに積まれたメダルの山は、もうメダルゲームをやる意味を失っていた。
「今更ですか?」
女ははぐらかすように笑った。
「最初は金持ち野郎の罪滅ぼしかと思ったけどよ、エイズの特効薬辺りで流石の俺も気付いたよ」
女を見つめる俺。女はパーカーのフードを被り、顔を見えなくした。
「人智を超えた何か……そんなところか?」
表情が見えず、女の反応が分からない。
「全部終わったら話すよ。じゃないと続き楽しめないじゃん? 大丈夫、悪い話じゃないから。そこだけは保証する」
女は正面を向いて俺を見つめた。その目に嘘は無さそうだ。
「そうか、それじゃあ……一緒に遊んでくれないか? 1人じゃつまらなくてさ」
「……オッケー♪」
俺は女と心行くまでゲーセンで遊び尽くした。
朝目が覚めると、新築の良い匂いがした。
「その105 一軒家が欲しい」
俺が寝ていた真新しいベッドの隣には女が立っていて、ノートを読み上げていた。
「今日でやりたい事も終わりだよ。あと少し頑張れ~」
女は他人事のように手を振った。
「その13 最高の彼女が欲しい」
「ああ、欲しいな」
俺は年齢=な人種だ。バレンタインも貰ったことすらない。
「どんなのがタイプ?」
女がペンを持ち、ノートにメモを取る。
「巨乳で……」
「巨乳ね」
「淫乱で……」
「淫乱ね」
「清楚で……」
「せ、い、そ」
「お淑やかで」
「はいはい、お淑やかお淑やか……」
「ヤンデレ」
「……ヤンデレ?」
「身長は150cm以下」
「なにその拘り……」
「ややぽっちゃりが理想」
「該当者が居ませんでした!!」
女がペンを放り投げる。
投げられたペンは放物線を描きながら床へと転がった。
「ねぇ、もう少し条件何とかならない?」
面倒くさそうな顔でこちらを睨みつける女。
「せめて3つに絞って」
俺は暫く考えた。
「巨乳!淫乱!ヤンデレ!」
う~ん、我ながら素晴らしいチョイスだ!
「じゃあ、その条件を満たす人が2人同時に現れた時、もう一つだけ条件を付けるなら何?」
「え?」
何かの心理テストの様な問いに、暫く頭を悩ませ……
「……金髪?」
ふと頭を過るキーワード。
「アンタ洋物好きなの?」
……嫌いではない。
「はい、どうぞ」
女は手を扉へと差し向けると、金髪の外人女性が入ってきた。
「私はキャシーと言いマース! 私ダケを見ていてクダさーい!」
「……チェンジで」
俺は外人を扉の外へ追い返した。
「……ワガママ」
女が小さく舌打ちをした。
「保留!! 次行こう!」
俺は話題を変えることにした。
「その106 この世の真理を知る」
「科学で解明出来ていない事色々と教えるよ?」
女は手招きをして、こっそり耳打ちをした。
「………………ゴニョゴニョ……」
……俺の頭は一瞬にしてフリーズした。
宇宙の果てって、そうなってたのか……。
「それと…………ゴニョゴニョ」
えっ!? 徳川埋蔵金が……!?
「おまけで……ゴニョゴニョ」
近所のスーパーで野菜が安い!?
「全部終わったらどうなるんだ?」
ついでにコレも聞いてみた。
「どうもしません。在るべき姿に戻るだけです」
女は平然と答えてくれた。
「今度は教えてくれるんだな」
「ええ、後3つで終わりですし」
女は残り少ないページをペラペラとめくった。
「さ、次行きますよ」
女は急かすように話しを続けた。
「その107 結婚式で花嫁をさらう」
あ、コレ病室のテレビで見たドラマの最後の部分だ。人の嫁を盗るって何か興奮しない?
「しません」
あれ? 俺声に出してたか?
「じゃあ、拉致した花嫁を彼女にしましょう。これで2つ同時に終われる」
「肝心の花嫁は?」
俺は辺りを見回した。
「ここに」
自分を指差す女。
女はいつの間にかウエディングドレスに着替えており、左手の薬指には光り輝くダイヤモンドが……。
「おぉ……」
俺は感銘の声を上げてしまった。心の何処かで、意外と良いじゃん? って感じたのだろう。胸もあるし。
「ほれ、左足も治したから拉致したまえ」
畳の上で飛び跳ねる俺とウエディングドレスの女。奇々怪々な絵面だか、そんな事はどうだっていい。俺は自分の足で歩ける喜びを人生で初めて感じ、そのまま女を抱きかかえ外へと出ていった!
犬の散歩をする婆さん。ジョギング中のオッサン。色々な人がこちらを見るが、俺の目にはそれらは入らない。
俺には目の前に続く道しか見えていなかった……。
が、少し走っただけで、俺は猛烈な疲れに襲われた。そりゃあそうだ。真面に動いてなかったんだからな。
「疲れた?」
俺の腕から降りた女は、ノートの最後のページを開いて俺に見せた。
「その108 ……………………」
そこには数字だけかかれており、肝心の叶えたいことが書かれていなかった。
「最後。何書こうとしてたの?」
よく見ると、そこには何度も書き直した痕が見られ、目を凝らして見ると内容を読み取ることが出来た。
「もう一度会いたい」
「もう一度話したい」
「もっと――――――――」
「あの頃に戻りたい!」
どれも書いた覚えが無い…………
……次第に女の顔が険しくなる。
「いくら何でも自分で書いて、覚えてない事が多すぎないか?」
俺は……今までの事を詳細に思い出そうとした。
今目の前に居る女は誰だ?
牛丼は……旨かった。
ピザは……ダメだ。何を食べたか思い出せない。
そう言えばお金一回も払って無くないか?
夜、風呂でグラビアアイドルと何してたんだ?
って言うか伊藤君って誰だ!?知らないぞ!!
リムジン……内装はどんなだったっけ?
そう言えば俺、ゲーム下手くそだった!
結局宇宙の果てはどうなってたんだ!!
ダメだ、記憶があやふやだ!!
俺は頭を抱え込み、その場でうずくまる。女は隣りにしゃがみ込み、俺の頭に手を置いた。
「君は誰なんだ……」
「忘れちゃった?」
女はニコリと微笑むが、俯いたままの俺にその顔は見えない。
「……あの頃って何だ?」
その問いに答えること無く女は立ち上がった。辺りが急に暗くなり、木枯らしが吹き荒れる……。
急な寒さに俺は顔を上げると、目の前に俺とパーカー女が手を繋いで歩いていた。
咄嗟に横を向いたが、パーカー女は俺の隣りにいる。俺の目の前にいる俺達はいったい……!!
──ブゥゥウウン!!!!
後ろから猛スピードで高そうな車が突っ込んできた!!
「危ない!!」
俺達の身体をすり抜け、車はもう1人の俺達へと突っ込んだ……。
吹き飛ばされるもう1人の俺達。木に衝突し大破する車。血にまみれた女はピクリともに動かない。
もう1人の俺は、あらぬ方向に折れた両足の痛みに構わず、パーカー女の安否を心配している。
必死で伸ばすその手の先には、先程まで握られていた手と、ノートが一冊……………………
「そろそろ帰らないと……」
女の手にあったノートはいつの間にか血に濡れていた。
「ま、待ってくれ!!」
俺は慌てて手を伸ばす。
しかし、次の瞬間! 俺の足は再び動かなくなり、地面へと倒れた。
「大丈夫。貴方の世界に戻るだけ。思い出せないならそれでもいいわ。どうせ私はもうこの世に居ないんだから……」
女の姿が透けていく……
「でもね、2人の夢を綴りながら1人で邪な妄想はダメだと思うな。この浮気者♪」
もう殆ど姿が消えかかっている彼女に、俺は―――
「サキ!!!!」
最愛の彼女は、最後に笑顔を見せてくれた様な気がした……。
「思い出すのが、遅いぞ……」
どこからともなく、彼女の声が聞こえてきた―――
病室のベッドはいつも通り硬く、寝苦しい。
血で染まったノートは既に乾いており、硬くなったページをめくると、彼女の綺麗な字が目に入った。
「お腹一杯牛丼を食べたい」
「宝くじを当てる」
「子どもは100人!」
「最高のパートナーでありたい」
「セレブ風にワイン風呂」
「ムカつく上司に復讐!」
「トシ君の写真を沢山撮る」
(書き換えられた形跡がある)
「深夜のゲーセンで遊び尽くしたい!」
「マイホームが欲しい♪」
「トシ君に攫われたい♡」
最後のページは酷く荒れており、もはや何が書いてあったのかすら解らなかった……。
「殆どサキの願い事じゃん。どうりで覚えてないはずだよ……」
俺の足は動くことは無かった。どうやらそれは現実の様だ。
最愛の彼女の死。それがこの世の真実。
ノートを閉じ、汚れてしまった表紙に書かれたタイトルを愛おしく撫で、俺は涙を堪えきれずに泣きじゃくった。
『2人で死ぬ前にやりたい108の事♪』