第二章 自分の出自への手掛かりを得る
1
うねうねと続く長城を馬上から見やって、水蘭はしみじみ感じ入った。都を離れて三日、思えば遠くへ来たものだ。こんなに遠出をしたのは生まれて初めてだ。目路一杯に広がる荒れ野を眺めて、この国にこんな土地があったのだと感慨にふける。
一方、母の故郷を訪れれることができるかと思うと先が楽しみであった。もちろん手ごわい難題が待ち受けていることも確かなのだが。
そうこうするうち関所へとたどり着いた。通行手形は黄捕頭が用意してくれたもので、何の支障もなく関所を通過した。
「さ、これからは気を引き締めないと。なにせ敵の根城に近づくわけだからな」
黄捕頭の言葉に一同心してうなずく。一行は五人だった。捕吏の四人は官服ではなく質素な着物をまとっている。どこにでもいる旅人といった風情だ。水蘭もそれに合わせ地味な身なりをしている。
この人員で長官を救出するのだ。かなりの難事と言える。水蘭は重責をひしひしと感じていた。
やがて行く手に法州の城壁が見えてきた。西日に当たって影が長く伸びている。
「今日はさすがに疲れている。宿で休んで明日から捜索にかかろう」
黄捕頭の言葉に一同異議はなかった。法州の城門を抜け街中に入ると一行は喧騒の渦に飲み込まれた。夕べの市の時刻に行き当たったのか、通りは人でごった返していた。目につくのは彫りの深い顔立ちの異国人の姿だった。
都では見慣れぬ風景に水蘭は自分が異郷に来たことを悟った。その中で一行は適当な宿を見つけ、腰を落ち着けた。水蘭は小ぶりの個室に一人入った。最初は夫婦かと思われ二人部屋に通されたが、黄捕頭が宿屋に事情を説明して、なんとか気まずい事態は避けられることになった。
水蘭は小窓を開け、外の景色を眺めやった。夕闇に覆われた町はまだ賑わいを保っていた。どこからかしんみりとした琵琶の音が聞こえてくる。それに耳を傾けながら水蘭はこれからの行く末を思いやった。
2
翌日から捜索が開始された。黄捕頭の提案で、捕吏たち四人が昼間目ぼしい場所に当たりをつけ、夜に水蘭が忍び込むという段取りを踏むことになった。つまり昼間は水蘭は一人宿屋に取り残されるわけで、ちょっぴり不満の残る取り決めだった。
夜に備えて休息をとらねばという理屈を頭ではわかっているのだが、眠れるわけでもなく、まんじりと時を過ごすのは退屈だった。そこでちょっとくらいなら構わないだろうと思い、街中に出てみることにした。
行くとしたら賑やかなところがいい。水蘭は人のざわめきを頼りに、足を運んだ。立ち並ぶ露店を冷やかしながら歩いていくとやがて広間に出た。ここは解放された空間で、様々な人種が自由に振舞っていた。
その中でひと際人だかりがしているところがある。なんだろうと思って近づいてみると、なにやら半裸の男が大げさな身振り手振りで、すごい芸を今からお見せするので、ご祝儀を弾んでくだされと喧伝していた。容貌から察すると胡人だろう。
男の指さす先には一頭の馬が繋がれている。口上から察するとその馬を飲み込んでみせると言っているようだ。そんな馬鹿な、と水蘭は思った。背丈だけでも人一人分より高いのにそれを飲み込むなど正気の沙汰ではない。集った見物人たちも同じ気持ちのようで、口々になじっている。
しかし男は動じる風もない。静粛に、と身振りで示すとなにやらごにょごにょと口の中で唱え始めた。そしてはーっと気合を入れると口をあんぐりと開けた。そしてそのまま馬の尻に食らいついた。
その様は滑稽で見物人の間から失笑が漏れた。だが次の瞬間、男の口の中へ尻が吸い込まれていった。いや、男が飲んだのである。男は尻を飲み込むとついでに後肢も腹に収めた。次いで腹をゆっくり飲み下し、肩、前肢と続く。そしてたてがみを震わせ首を飲み込む段になると見物人はだらしなく口をあんぐりと開けるばかりであった。
こうして男は馬を一頭丸々飲み込んだ。見物人は一瞬あっけにとられた後、我に返ってやんやの喝采を送った。祝儀が雨あられと投げ込まれた。水蘭も乏しい蓄えの中から奮発した。妙技に魅せられたのである。都にこんな芸人はいない。
顔をほころばせ銭を拾う男と何かの拍子に視線が合った。すると男は驚愕の表情を浮かべた。芸人らしからぬ素の顔を見せている。水蘭はおやと思った。自分の顔の何がそんなに相手の目を惹いたのだろうか。
折よく芸は終わったようである。人だかりが緩やかに散っていく。水蘭はその場に残った。男もこちらの意図を察したようで、何か言いたげに歩み寄ってきた。
「そんな……まさか……しかし有り得ない……」
男は水蘭を見て狼狽しているようである。水蘭は困惑した。しかし次に吐き出された言葉を聞いた途端、今度は自分がびっくりした。男は「芳水」と口にしたのである。母の名である。水蘭は男に取り付き「どうして母の名を知っているの」と叫んでいた。
「母……そうか娘か……よく似ているな」
男の口ぶりが柔らかなものになった。水蘭はそんな男の表情を見て、母と何かしらの縁がある人物だと悟った。
「あたしの名前は水蘭です。母とはどういったご関係ですか」
「俺の名はタカル。見ての通り胡人だ。芳水とはまあ、言ってみれば仕事仲間だ」
仕事仲間と聞いて水蘭は記憶にある母の舞台姿を思い浮かべた。確か母は芝居だけではなく、手品のようなものを披露して客の喝采を浴びていた。その元がこの街であったのだろう。
「こんなところで立ち話もなんだ。どこかで腰でも落ち着けて積る話をしようじゃないか。幸い懐はたんまりあるしな」
もちろん水蘭に否やはない。心弾ませながらタカルのあとについていった。
3
手頃な酒楼を見つけて二人して卓を占めた。おかしなことにタカルは酒が飲めないという。それでも運ばれてきた肴に舌鼓を打って、盛んに箸を動かしていた。その合間に母の話をしてくれる。
母がみなしごでタカルの親に引き取られたこと。そこでタカルと一緒に様々な技を仕込まれたこと。そのまま手を携えて成長し、ゆくゆくはと思い始めた矢先父が現れ、疾風のごとく母を連れ去ったこと。そんな思い出を過去を懐かしむような遠い目をして、語り聞かせてくれた。
両親が亡くなったことを告げるとタカルは一瞬沈黙した。そしてしばらくたってから目元を拭った。自分が役者をしていることを話すとタカルの顔に愉悦の表情が浮かんだ。
「両親の後を追ったのか。俺も子供がいれば継がせたかったものを」
うらやまし気に言う。そこから今度はタカルの技についての話に話題が移っていった。
「あれはどうやるんです。まさか本当に馬を飲み込んでしまったわけじゃないとは思うんですけど」
「特別にタネを明かすがあれは幻術だ。いわば目くらましだ」
「そうなんですか。じゃああたしも知らずに術に掛かっていたわけですね」
「口にするのは簡単だが、なかなかどうして修練がいる。あ、それで思い出したが芳水も不思議な技を使ったことが一度だけあるな。目の前から突然あいつの姿が掻き消えてしまったんだ。確か二人で何かの術の練習をしているときだったが、芳水も無意識のうちにやってしまったらしい。自分でもわけが分からないと言っていたが」
水蘭は動悸が激しくなり、顔から冷や汗が流れ落ちていた。あまりに重大な話の内容だった。自分の技の源は母にあるのか。それからはタカルとの対応も上の空であった。再会を約して別れたあと、水蘭は秘密に迫るためにはどうすればいいか、知恵を絞っていた。