第十四章 キセキ 過去編三幕
これだけ厳重な設備と決まり事が多いのも、当然理由がある。それは御神鏡が、天野原にとって大切な役割を担っているから
・・・だけではない
私の知っている、御神鏡の『真の力』を知れば、厳重に保管される事も納得できる。
幼い頃の私は、母の話を若干信じられない節があった。何故ならその話は、あまりにも突飛で、あまりにも不思議だったから。
でも両親を失い、陰陽師としての役目を引き継いだ時、母の話を全て信じる事ができた。
母は決して、嘘偽りなんて口にしていなかった。それどころか、大神一族の重大な使命を、私が幼い頃から伝えていたのだ。
そして、何故口伝でしか残されていないのか。それも、御神鏡の『真の力』を見れば、すぐに納得できた。
何故ならその『真の力』とは、見ただけでも十分分かる、『明確』に『恐ろしく』思えるほど、強い能力だから。
私は怪鳥退治の出発前夜も、夜遅くに祈祷を始め、夜の寒さで冷やされた床に耐えながらも、御神鏡に意識を集中させる。
聞こえるのは、蝋燭に灯っている、チリチリと燃える火の音のみ。痛いくらい静かすぎる社の中は、何年間もお世話になっている私でも、時々恐怖心に駆られていた。
私以外、誰も居ないはずの社の中。なのに、何故か祈祷を続けている時のみ、大勢の視線を感じる。
でも、私が社を見渡しても、視線の主は見つけられない。そしてまた祈祷を再開すると、再び多くの視線が注がれる。
でもその視線は、決して私を冷たく見ていない。むしろ、暖かく見守ってくれている、優しい視線。私はその視線に感謝しながら、御神鏡に祈祷を続ける。
そして、瞑った瞼の隙間から、眩い光が差し込む。この光こそ、祈祷の終了を告げる合図であり、御神鏡が『真の力』を発揮した証拠。
私はすぐに目を開けて、御神鏡を見る。すると、青い色をした文章が鏡に浮かび上がり、その文章は、
「神木実ム 梅ノ泡玉啄メバ
怒リヲ受ケシ モノアリテ
天二向カワズ 罪啄メシ」
と映っていた。
文字の色に関しても、色々と違いがある。例えば、赤や橙色なら吉報。逆に、青や黒だと、凶報。今回の色は、少し赤みのある黒。つまり、相当お怒り状態という事。
映る文章については、五・七・五・七・七の短歌で表現されている。分かりづらい言葉遣いではあるけど、一文ずつよく考えると、ある程度内容が理解できる。
陰陽師を始めた当初は、悪霊払いなどよりも、この御神鏡の短歌解読に追われる日々だった。でも、異変の資料などを読んだり、土地の歴史などを調べれば、言葉の意味が一文ずつ繋がる。
今回の場合、神木とされていた梅の木に実った梅を、その怪鳥が啄んでしまい、相当ご立腹という事。被害に遭った地域の歴史を調べると、ある一つの村では、実の成る木を神木として祀る地域があった。
それなら、怒りを露わにしても仕方ないとも思える。そして文章の後半は、怪鳥への処罰についてだろう。
命を持って償う事だけでは事足りなくなって、この世で犯した罪の分、この世で罰を受ける事を指している。
そう、その時私が捕らえた怪鳥の中に、
『ウメ』がいた。
『不思議』は『不思議』を呼び寄せ
『吉』・『凶』すらも呼び寄せる