第十四章 キセキ 過去編三幕
不思議な現象には
不思議なアイテムが必要不可欠
始まりは、もうだいぶ昔の事。久しぶりに、都のお偉いさんから直接の仕事が舞い込んだ。その内容も、相変わらず『尻拭い』だったけど・・・。でも私は、その仕事を承諾した。
お偉いさんの話では、私と同じく何人もの陰陽師が対処にあたったけど、どれもこれも失敗に終わっている。
その原因は、対処する妖の力だった。彼らはとても執念深く、相手が事切れるまで執拗に群がる。ある意味人間と似たり寄ったりな妖だ。でもそんな妖が珍しいわけでもない。
大抵そんな手段を取る妖の特徴は、一匹一匹の力を寄せ集めて強く見せるだけの、いわゆる『見せかけ』の強さ。
しかし陰陽師は基本的、一人で仕事をこなす事が多い。結局それが敗因になっている訳だけど。だから私は、共に働く巫女や宮司と協力する事で、この異変に終止符を打つ事に。
でも私は、直ぐに仕事へ乗り出す事はできない。それは母からの教えだ。大神一族は、陰陽師の仕事に踏み出す前日、社にある『御神鏡』に祈祷を捧げなければならない。
この一連の行事を、私達は『鏡伝』と呼んでいる。でもこの鏡伝とは、大神一族の人間のみが使える、いわゆる『隠語』。皆は『祈祷』として認知している。
社に入れるのは、大神一族の血を継いでいる者のみ。つまり、私しか祈祷をする事は許されていない。
私はよく幼い頃から、退屈すると御神鏡に話しかけていた。御神鏡に映る私を、『トモダチ』として慕っていた。でも両親はそんな私を決して叱らず、むしろ私が御神鏡と触れ合う時間を大切にしていた。
母が生まれるずっと前から、大神一族の守り神であった御神鏡は、何時・何処で・誰が作ったモノなのかは、全く伝えられていない。
でもこの御神鏡による言い伝えは、よく母が私に話してくれた。しかしその殆どが口伝によるもの。
母の話によると、御神鏡に関する事柄を書物に書いてしまうと、御神鏡の力は弱まり、不運を呼び寄せてしまうとか。だから御神鏡の『真の力』は、私しか分からない。
でも神社で働いている巫女や宮司も、天野原に住んでいる皆も、御神鏡の事は知っている。御神鏡の『力』は、あらゆる災難や不幸から身を守ってくれる。いわゆる天野原の『守り神』。
御神鏡を見る事は許されていないけど、社の周りなら誰でも自由に行き交う事ができる。
社を訪れた人からは、
「この場所に来ると、不思議と悩みが消えてしまう」
「社に来ると体の不調が治った」
という声が相次ぎ、いつの間にか社の前に供物を置いてくれる人も多くなっていた。
ちなみに、社を囲む12本の柱には、それぞれ一本ずつに小さな鏡が取り付けられている。
その小さな鏡は『小神鏡』と呼ばれ、御神鏡を悪しきモノから守る、いわゆる結界の役割を果たしている。
この鏡は年に一度、必ず取り替えられて、私が小神鏡に力を宿し、手入れも毎日している。そして社の入り口には、鍵が3重になって取り付けられている。もちろんその鍵は、私が肌身離さず持ち歩いている。
ちなみに、社に入る事ができるのは、人目が少ない深夜に限られ、社から出るのも朝日が昇った直後と、色々と決め事が沢山ある。




