年上の恋人
レオナルドが真っ先にしたことは、リゼットの保護者であるエリザベートに恋人としての付き合いを申し出たことだ。リゼットは仮の恋人だからと考えていたので、エリザベートには隠れて逢引きするものだと思っていた。
ところがレオナルドは婚約を申し込む前の付き合いを申し込んだことを知り、狼狽えた。リゼット一人で決めることはできないし、結婚など誰ともするつもりがないので突然婚約を前提に、と言われてしまって混乱した。
「婚約は……」
「ああ、この国では婚約を申し込む前にお互いを知る期間を設ける。その期間なら、二人で出かけても問題はない」
狼狽えるリゼットにレオナルドが説明してくれた。隣に座るエリザベートにちらりと視線を向ければ、彼女は当たり前のように座っている。その様子にレオナルドの言葉を信じることにした。
「わたしは跡取り娘なので、嫁ぐことができないのですが」
「リゼット。婚約前のお付き合いはその後婚約を結ばなくとも醜聞にはならないのですよ」
驚きに目を丸くする。
「そうなのですか?」
「驚くのは無理もないわ。わたしも婚約する前に説明された時、とても驚いたもの」
リゼットの常識に当てはめれば、二人で出かけるのは婚約した後からだ。それでも侍女を連れて出かける。二人きりになることはほぼない。
「逆に婚約前の付き合いだと許可をもらわない関係は好ましくない」
レオナルドはそう補足した。リゼットはふうんと納得したようなしないような返事を返す。
「リゼット。レオナルド殿下はとても信頼できる方です。一時期になるかもしれませんが、お言葉に甘えてもいいと思いますよ」
どんな説明をしたのだろう。
リゼットはエリザベートが全く反対しないことに違和感を覚えた。リゼットのいないところで、レオナルドとエリザベートで何かしら話し合いがあったのだとおもうが、その内容はリゼットには伝えられていなかった。
婚約をしないけど婚約を前提に付き合うことが認められたことしかわからない。
リゼットのモヤモヤを感じ取ったのか、レオナルドがにやりと笑う。
「心配いらない。カートライト伯爵夫人も納得している」
「……わかりました。では、よろしくお願いいたします」
そこまで言われてしまえば、頷くしかなかった。
リゼットにしてみたら、結婚をしないでレオナルドと恋人関係になることが重要だ。その浮ついた付き合いがレオナルドの瑕にならないのであれば、問題はなかった。
******
公認でデートができるようになって、毎日が楽しかった。レオナルドは時間を作っては、観劇や食事、馬での遠出など色々なところに連れ出してくれた。レオナルドには仕事があるので、頻繁にというわけではなかったが、会えない日は短いながらも手紙が来る。
毎日がレオナルドで埋まっていく。不思議な感覚だった。今までは伯爵家にふさわしい婿を取るためだけに相手を見ていた。リゼットはいつだって選ぶ側の人間だ。リゼットがいずれ継承する爵位とその財産は貴族に生まれて爵位を継承できない人にとって、抗えないほど魅力的だ。
変な男が近づかないようにと両親が、母が亡くなってからは父が大切に守ってくれていた。守られていたリゼットに近い位置まで距離を縮めたのはレオナルドが初めてだった。
男女の駆け引きを知らないリゼットが適度な距離で接してくるレオナルドに心を許すのは早かった。伯母のエリザベートの許可があると言うのも大きな後押しになっている。
今日だって遠乗りに連れて行ってくれると言うので、朝からソワソワしっぱなしだ。何度も何度も鏡を確認してしまう。
「大丈夫です。お嬢さまはお綺麗ですよ」
呆れたような口調でミラが褒めてくれるが、その適当感が信用できない。リゼットは唇を尖らせた。
「本当に大丈夫? わたし、ただでさえ背が低くて子供と間違えられることが多いのよ。レオナルド様の娘に間違えられたらどうしよう」
「……それはあり得るかもしれません」
ミラが否定できずに同意してきた。レオナルドの身長は誰よりも高く、そしてリゼットはレオナルドの胸に届くか届かないかの身長だ。さらに残念なことにリゼットは成熟した女性らしい体つきをしていなかった。確かに自分でも娘に思われるかもしれないと想像していたが、ミラに冷静に同意されてしまってリゼットは落ち込んだ。できれば嘘でも否定してほしかった。
「お嬢さま。レオナルド殿下がお着きになりました」
レオナルドの到着の知らせに、リゼットは慌てて廊下に出た。途中まで小走りしていたが、レオナルドの声が聞こえてくるとゆっくりと淑女らしく歩みを遅くする。一階への階段を降り始めたところで、声をかけた。
「お待たせしました」
リゼットが声をかければ、レオナルドがリゼットの方へと顔を上げた。レオナルドはリゼットを見つめると、目を細めて笑みを浮かべた。高鳴る気持ちが抑えきれずリゼットはさっさと降りていく。目の前に立てば、レオナルドが手を差し出した。
甘く見つめる視線にリゼットは頬が赤らんだ。厳つい表情も口元がほころべばその険しさはなくなり、甘さを湛える。そんなちょっとした変化をリゼットは見るのが好きだった。
「用意はいいか?」
今日は馬で遠出をするということで、乗馬用のドレスを身に着けていた。料理人にお昼を準備してもらっていて、いつでも出かけることが可能だ。
「今日はどこに行くの?」
ワクワクしながらレオナルドの手を借りて、馬に乗る。リゼットの後ろにレオナルドがひらりと乗った。リゼットが落ちないように後ろからしっかりと抱きしめられる。
「到着してからのお楽しみだ」
「今まで行ったことがないところ?」
お楽しみだと言われているけど、どうしても知りたくてあれこれ質問する。だけどどの質問も笑って躱された。
しばらく王都の郊外へと緩やかに馬を走らせていた。小高い丘を登っていく。ようやく目的地に着いたのか馬が徐々にスピードを落とした。リゼットは目の前に広がる王都の様子に目を見張った。小高い丘から王都が一望できるのだ。
「ここはお気に入りの場所だ。王都が一目で見ることができる」
リゼットの耳元で囁かれて、背筋がぞくりとした。いつもと変わらないのに、なんだかとても恥ずかしい気がした。リゼットの気持ちに気がつかずに、レオナルドは先に降りるとリゼットの体に手を回し下ろした。ふわりと体が持ち上げられ、地面にゆっくりと下ろされる。身長差もあるが、鍛えられた体は少しもぶれない。
「あ、ありがとう」
リゼットは不思議なほど緊張していた。
「どうした?」
レオナルドはいつもよりも口数の少ないリゼットの頬を撫でた。
「うん、ちょっと、その……」
変に意識したせいなのか、リゼットは言葉が上手く出てこなくて焦っていた。レオナルドは可愛らしく狼狽えているリゼットを見て嬉しそうに目を細めた。
「なんだ、意識しているのか」
「ううん、違うわ!」
「でも顔が真っ赤だ」
ぎょっとした様子でリゼットは自分の頬を両手で包み込んだ。
確かに頬が熱い。
自覚したせいで、さらに体の温度が上昇する。
「うううう、なんで今日はいつもと様子が違うの?」
「そろそろ意識してもらいたいと思っているからだ」
「……嘘ばっかり。レオナルド様、わたしを子供だと思っているでしょう?」
ふとレオナルドの笑みが消えた。真剣な顔で覗き込まれる。
「君こそきちんとした恋人として俺を見てくれるのか?」
「え?」
「どうしても年齢差がある。リゼットにとって優しい兄と変わらないのではないのか」
兄、と言われて従弟であるデニスやその兄を思い浮かべる。彼らは確かに年齢が離れており、リゼットを妹のようにかわいがってくれる。甘やかしてくれる従兄たちは大好きだが、こんな風に恥ずかしさは感じない。
「兄とは思っていないわ」
「本当に?」
「兄だったら、こんなにもドキドキしない。毎日毎日レオナルド様のことを考えているもの。手紙が届けば嬉しいし、届かない日は気持ちが落ち込むわ」
恥ずかしさを感じながらもリゼットは思っていることを伝えた。レオナルドは大きく息を吐くと、屈みこんでリゼットの肩に額を当てる。大きな体が丸くなってちょっとかわいいと思ってしまった。躊躇いがちにリゼットは彼の背中に腕を回した。
「リゼット。俺との結婚を真面目に考えてもらえないか」
ぼそぼそとした小さな声でリゼットには聞き取れなかった。
「もう一度言って? 聞こえなかったわ」
レオナルドは体を起こすと、リゼットに視線を合わせた。
大きな左手が優しく肩を撫でた。そのまま背中を滑り、抱き寄せられた。右手は顎にかけられ、上向かせる。瞳を覗き込むように屈みこまれて、息が詰まりそうだ。
リゼットは自分でも気がつかないうちに両手をぎゅっと握りしめた。少しだけ目が伏せられ、唇が合わさる。
初めは優しく触れるだけだった。
二度目は少しだけ強めに押し付けられた。柔らかな感触に思わず唇が開く。
リゼットは考えることをやめた。与えられた熱をひたすら受け入れながら、彼の体にもたれかかった。濃厚なキスはとても気持ちよく、リゼットの頭をマヒさせていた。
「リゼット、好きだ。結婚してほしい」
レオナルドのそんな囁きに、頭がどこかに行ってしまっているリゼットは夢見心地で頷いた。