毛色の違う彼女
初めて彼女を見た時にレオナルドはあまりの小ささと華奢さに子供だと思った。
平民の着るワンピースを着て、適当に髪を結っていたが、手入れの行き届いた肌と姿勢の良さ、平民では持ちえない美しい所作に貴族令嬢であることは誰の目にも明らかだ。
ぽんぽんと言いあっているデニスの様子も珍しいものだが、物おじしない彼女の明るさについ笑みが浮かんでしまう。二人の気安いやり取りに、恋人か何かかと思ったが従兄妹同士であるとは。もちろん結婚できなくはないが、デニスの様子では結婚対象ではなさそうだった。
「彼女が気になるのか」
二人が出て行ったあと、折角来たのだからと副団長である従弟のニコラスに勧められて茶を飲んでいると、そんなツッコミが来た。
「気になるのはお前の方だろう? 自分から案内を買って出るほどだからな」
「気にはなっているな。デニスの従妹とは思えないほど明るくおしゃべりだ」
「それでいて貴族令嬢としての振る舞いは問題なさそうだから不思議なものだ」
デニスに合格だと言われて喜んでいたリゼットを思い出し、笑みが浮かぶ。
「ふうん。そんなに気になるなら調べておこうか?」
「調べる?」
レオナルドは眉を寄せた。ニコラスはにやにやと嫌な笑みを見せている。
「レオが気にする女性なんてほとんどいないからな。彼女と縁ができたらいいと思ったんだ」
「……彼女は子供だぞ?」
「レオと並べばそう見えるけど、結構しっかりしているから結婚できないほど下ではないはずだ。16、7歳ぐらいから20歳までの間だと思うよ」
レオナルドはますますしかめっ面になった。レオナルドはリゼットのことを明るさと物怖じしない行動力から、擦れた現実を知らないデビュー前の女性だと思っていた。それにデニスの過保護さを考えれば、ニコラスの言う年齢にはなっていない気がする。万が一、16歳だとしてもレオナルドとの年の差は12歳だ。
「年が離れすぎだ」
「貴族の結婚ならありえなくない年の差だよ」
「俺は誰とも結婚するつもりはない」
レオナルドが呟けば、ニコラスは不意に真面目な表情になった。
「まだ引きずっているのか? もう5年も経つんだぞ」
「……」
レオナルドは言葉に詰まった。ニコラスはため息をついた。
「あんな女、忘れてしまえばいいのに」
「覚えていたいわけではない」
レオナルドの憂いた顔を見て、ニコラスは彼の負った心の傷がまだ癒えていないことを知った。重くなり始めた空気を振り払うようにニコラスは笑った。
「そう気負わなくとも、レオがその気にならないならそれまでだよ。必要になるかもしれないから調査だけはしておくだけだ」
軽い感じで言い切られて、釈然としない。釈然としないが、不要だとも言えなかった。
******
はっきりしない気持ちを持て余しながらも、レオナルドは日々の仕事をこなしていた。
ニコラスがリゼットの情報を持ってきたのは、わずか1週間だ。
「……仕事が早いな」
「レオが興味を引く女性なんて逃がすわけにはいかないのでね」
にやりと笑うとニコラスは書類をレオナルドに渡した。数枚程度の書類にさっと目を通す。
「リゼット嬢は伯爵家の跡取り娘で、まだ婚約者はいない。年齢は17歳だ」
「17歳で跡取りなのに婚約者がいない? 珍しいな」
「理由はいくつかあるが、社交界での醜聞が元でこの国にやってきたようだ」
社交界の醜聞と聞いて、飛ばし飛ばし情報を探す。書類の一番最後のページにその内容が書いてあった。素早く目を通しているうちに、眉がきつく寄った。
「なんだ、これは」
「変な男に目を付けられたらしいね。父親のセルウィン伯爵の行動が早かったから、すでに噂は沈静化しているらしい」
婚約を断られた子息の流言と暴行、許されざる内容だった。
「あんな華奢な彼女に手を上げるとは……」
「その後の、叩き返したというのは本当かどうかわからなかった」
レオナルドは書類を机の上に置いた。
小さな彼女が叩かれたと聞いて、不快感がこみあげてくる。彼女は庇護されるべき少女で、暴力にさらされるなどあってはならない。
「やっぱり彼女のこと、気に入っているようだね」
「……ニコラスの気のせいだ」
ニコラスに揶揄われるのが嫌で、とぼけて見せた。ニコラスは含み笑いをするがそれ以上の追及はしてこなかった。ただとても居た堪れない生ぬるい眼差しにため息が出た。
「外堀を埋める必要があるならいつでも言ってくれ。レオの結婚となると、時間がかかる」
「……あまりお前を頼りたくないし、彼女を俺の事情に巻き込みたくはない」
「難しく考えすぎるな。必要ならば、という話だ」
ニコラスは軽い口調で言うが、レオナルドは渋い表情になる。
「会話を楽しむぐらい、いいんじゃないのか?」
それには答えずに肩をすくめた。
******
次に会ったのは夜会会場だった。10代の貴族令嬢らしく、柔らかな色合いのドレスを身に纏っていた。淡いオレンジ色のドレスは彼女の瑞々しさを引き立て、緑の宝石を使った宝飾品が色を引き締めている。
いつもと同じように最小限の挨拶が終わったら帰るつもりだったが、ニコラスと二人でいる姿を見て、足を止めた。
どこか困ったような顔をしてニコラスと話している。それを見てどうしようかと迷ったが、二人の方へと歩き出した。近づけば、やはりニコラスはいつもの調子でリゼットを口説いていた。口説き文句になれていないのか、リゼットはうっすらと顔を赤く染めている。
その様子がとても気に入らなくて、乱暴に二人の間に割り込んだ。
「おい、ニコラス。こんなところで口説くな」
「口説いていないよ。ちょっと注意喚起をしていたところだ」
しれっとニコラスが言う。ニコラスはいい男だが、親しく付き合っている女が多い。リゼットのような未婚の若い娘に手を出すことは今までなかった。
レオナルドがどういうつもりかと推し量っていると、リゼットの挨拶を受けた。騎士団の事務所に来た時とは異なり、貴族然とした立ち振る舞いだ。
「騎士団長さま、ごきげんよう」
騎士団長、と呼ばれてレオナルドが自分の名を名乗っていないことに気がついた。先日はリゼットとデニスの掛け合いが面白く、名乗るタイミングを失っていた。
名前を名乗ると、王弟ということに驚いたのか、リゼットの表情が固まった。リゼットを巻き込みたくないと思っていたのに、ニコラスの話術にまんまと乗せられて、リゼットと仮の恋人関係になってしまった。
「よろしくお願いします」
にこにことほほ笑まれれると、断ることができない。レオナルドはリゼットを伴って、人の少ない場所へと移動した。その途中、給仕から二人分のグラスを受け取る。
レオナルドが女性を伴っているのが珍しいのか、ちらちらと観察するような目を向けられた。リゼットはそれを感じながらも特に気にした様子がない。思っている以上に肝が据わっているのかと驚いた。
「ここなら大丈夫だろう」
一息つくと、リゼットをじっと見降ろした。リゼットはまっすぐに見つめられて、首を傾げた。
「何か?」
「少し俺のことを話しておこうと思ってな」
どんな説明がいいかと悩みつつレオナルドは口を開いた。リゼットは特に口を挟まず、目を見返してくる。その迷いのない真っすぐな視線にレオナルドは内心驚いていた。レオナルドはこの体格の良さから倦厭されている。このように女性から恐れもなく、嘲りもなく見つめられることは少なかった。
「俺の母は隣国の王女で、停戦のために嫁いできたんだ」
「隣国? わたしの国とは接していない国ですか?」
どうやらリゼットはきちんと教育されている娘のようだ。レオナルドは頷くと、簡単に説明をした。
「そうだ。国境線では年中小競り合いがあって、双方疲弊していた。休戦にするための輿入れだった」
じっと聞き入っているリゼットに、淡々とした口調でレオナルドは続けた。
敵対していた国の王女を母に持っているため、この国の王族ではなく、母の国の王族によく似てしまったこと、幸い髪と瞳の色合いが父である前国王と同じであったことで密通の疑いは持たれていないこと、それでも隣国の国王を彷彿とさせる容姿のため未だに色々と言ってくる人間がいること。現国王である異母兄やその家族とは仲はいいが、貴族たちがレオナルドに向ける目は厳しいものだった。
「俺と付き合うことでリゼットも嫌な思いをする可能性がある。よく考えてほしい」
レオナルドはそう締めくくった。リゼットがこの国の貴族でなくても、嫌味や突っかかっていく馬鹿どもはいる。それを危惧していたのだ。
「それは反撃してもいいという事でしょうか?」
「反撃?」
理解できずに言葉を繰り返してしまった。リゼットは眉間にしわを寄せ唇を尖らせている。
「そうです。わたし、言われっぱなし、やられっぱなしは好きじゃないのです」
「……そうか」
「特にどうにもならないことを言ってくるクズは一番嫌いです」
きっぱりと言い切るリゼットにどう答えていいのかわからず、レオナルドは口を閉ざした。リゼットは顔を少し上に向けて下からのぞき込んでくる。
「反撃するような女は嫌ですか?」
反撃、と聞いてニコラスの調べてきた醜聞を思い出した。本当に反撃したのだと、心から納得した。反撃、といっても体も小さく華奢なリゼットにできることなど、たかが知れている。それでも反撃したいときっぱりと宣言する彼女が可愛かった。
「いや、それぐらいがちょうどいい。では、リゼットがこの国にいる間、付き合ってもらえるか?」
「こちらがお願いしたことですわ」
近いうちに彼女に対する好ましい気持ちが別の気持ちに変化するだろうな、とレオナルドは嫌に冷静に思った。同時にリゼットを本当に手に入れるために色々と頭の中で算段し始めた。




