期間限定、仮初の恋人
恋をしようと思っても簡単にできないものだと初めて知った。
デニスにエスコートされてやってきた夜会でため息をつく。デニスの他に誘われるまま数人と連続してダンスを踊ったので疲れてしまった。
この国の男性は女性に優しいのか、一人でいるとあれこれと色々と話しかけてくる。もちろん当たり障りのない軽い会話であったが、見知らぬ社交界ではそれすらも疲れてきた。
だからといって、デニスは友人たちと盛り上がっていてリゼットが入っていくのも躊躇われる。知り合いもいないため、人の輪から外れ眺めているしかなかった。
「恋って難しいわ」
夜会に参加すればそれなりに見つかるものだと思っていたのだ。イレーヌから借りた本はいわゆる大人の恋愛小説で、様々な男女の出会いが書かれていた。一番多かったのが夜会や街中でのちょっとした出会いだ。小説のようにはいかなくとも、それなりに期待をして参加をしたのだが。
デニスというお目付け役がいることを忘れていた。デニスはリゼットを自分の従妹だと周囲に知らしめて、牽制したのだ。紳士的なデニスの友人たちは、これまた遠縁の妹のようにリゼットを扱った。したがって下心を持った男など近寄ってくることもなく、一人でぼうっとしているのだ。
イレーヌの本が参考にならなかったわけではなく、小説のヒロインたちにはデニスのような異分子がいなかっただけだ。
小説を読むことで、男女の恋愛がどうやって進むのかもよくわかったし、心が通じ合った恋人同士がどうやって子作りするのかも理解した。赤裸々な言葉で表現された男女の行為に思わず頬が熱くなる。
言葉にして説明してほしいとお願いしても皆頬を染めるだけで、挙動不審になるわけだ。リゼットは今まで友人たちに具体的に説明してと迫ったことを後悔していた。祖国に帰ったら真っ先に謝ろうと思っている。
「リゼット嬢?」
驚きを含んだ声音で名前を呼ばれた。声のする方へと顔を向ければ、複数人の女性に囲まれたウェラー公爵がいる。今日は夜会のためか、黒の正装に身を固めていた。華美な装飾はないのだが、本人の持つ華やかさが十分に人の目を引いた。
「ごきげんよう、ウェラー公爵様」
綺麗にお辞儀をすれば、彼は微笑んだ。取り囲む女性たちに何かを告げてから、リゼットの方へと一人やってきた。一緒にいた女性たちは残念そうにウェラー公爵を見て、それからリゼットの方を見て何かを納得したのか、皆、離れていく。大人しく引き下がっていく女性たちを見送りながら、リゼットは不思議そうに首を傾げた。
「彼女たちはよろしかったのですか?」
「ああ。彼女たちとはいつでも会えるしね」
なんだか親密な空気を醸し出している。大人の色気というのだろうか、リゼットは初めて接する甘ったるい雰囲気にたじろいた。祖国での夜会では値踏みする視線か、子供を見るような目が多かった。リゼットはやや小柄なため、祖国では成熟した女性として見てもらえないのだ。
「あの?」
「少し話をしようと思って。大丈夫、手は出さないよ」
子供を扱うように笑われて、リゼットは唇を尖らせた。それでも手を差し出されれば、素直に自分の手を預ける。男性にしては形の良い綺麗な手だと思っていたが、こうして手を取られるとデニスと同じように固くごつごつしていた。優美な姿とは異なり、剣を持つ男の手だった。
「王都は楽しかったかな?」
柔らかな口調で聞かれて、リゼットは頷いた。ニコラスはゆっくりとエスコートしながら、バルコニーへと進む。いつもなら警戒してそのようなところにはいかないのだが、ニコラスがデニスの上司であることと、先ほど手を出さないと言われてすっかり信用していた。
「楽しかったです。デニスがいなかったらもっとよかったわ」
「デニスは頭が固いからね」
リゼットの不満にニコラスが笑う。リゼットは話しやすいニコラスにすっかり心を許してしまっていた。長年の知り合いのように話していくうちに遠慮がなくなっていく。初めは王都の話やお勧めの場所などを話していた。恋人同士で行く場所とか色々教えてもらううちに、自分がそこに誰かといる様を想像しうっとりしてしまう。
「デニスがいると恋ができないし」
ついつい零れてしまったリゼットの本音に、ニコラスが目を細めた。
「恋がしたいのか?」
「え、ええ」
リゼットは自分が迂闊にも思っていたことを話してしまったことに気がついた。流石に親しくないニコラスに話す内容ではない。どうして話してしまったのだろうと疑問に思いつつ、何とか誤魔化すことにした。
「散策した時にデニスと観たお芝居がとても素敵だったの。つい重ねてしまって」
自分でも苦しい言い訳だと思いつつ、リゼットは笑顔で押し切った。ニコラスは探るようにリゼットを見つめたが、特に追及はしなかった。
「お芝居か。今の流行りは何だったかな?」
「身分違いの恋ですわ」
ニコラスも思い出したのか、ため息をついた。
「あの現実的でないお芝居だね。やはり女性はああいうのを好むのか」
「デニスもずっと渋い顔をしていました」
黙ってリゼットの隣で芝居を見てくれていたが、見終わった後の顔がひどかった。女性には感動的な話ではあったが現実的な男性は拒絶反応を起こすようだった。
「恋に憧れるのはいいが、ほどほどにね。傷がついてしまうのはいつだって女性だから」
「公爵様は沢山恋人がいるとうかがっていますが?」
矛盾した言葉に首を傾げた。ニコラスは薄く笑った。
「恋人ではないな。愛人だ。彼女たちはすでに人妻だからね。この国では役目を果たした貴族夫人が愛人関係を持つことに寛大なんだよ」
「……愛人」
予想もしていなかった言葉にリゼットは絶句した。リゼットの祖国では愛人は許されていない。その代わり、簡単に関係を解消できる第二夫人を持つことを貴族は許されていた。ただリゼットの両親は政略結婚であっても相思相愛で、いつまでたってもイチャイチャしているので、第二夫人はいなかった。
すっとニコラスの手が伸ばされた。そっとリゼットの頬に触れる。指先がそっと彼女の頬を撫でただけなのに、何故か体が震えた。タイラーともデニスとも違う感覚に、息を飲んだ。
「背伸びをするような恋はしない方がいい」
熱い瞳で見つめられ、喉が渇いてきた。ニコラスの目から逸らすことができずに固まった。空気がとても重く、息ができない。
「おい、ニコラス。こんなところで口説くな」
ふっと空気が和らいだ。驚いて顔をニコラスから逸らせば、そこには不機嫌そうな顔をした大きな体の熊がいた。こちらも騎士服ではなく、通常の夜会服だ。髪も初めてあった時は適当に撫でつけていただけだったが、今日はきっちりと後ろに撫でつけている。それだけでも精悍さがわかる。
「口説いていないよ。ちょっと注意喚起をしていたところだ」
そうだったのだろうかとリゼットは疑問に思ったが、言葉にはしなかった。
「騎士団長さま、ごきげんよう」
略式であるが、挨拶をする。熊のような団長は顔をしかめた。
「そういや、名前を教えていなかったな。俺はレオナルドだ。第3騎士団団長でもあるが一応王弟だ」
王弟と聞いて、リゼットは固まった。デニスには王族だとは聞いていたがまさか王弟とは。ちゃんと聞いておけばよかったと、内心舌打ちをした。見事な手のひら返しで、表情を取り繕った。気取ったような笑顔を貼り付け、姿勢を正す。
そのあからさまな態度の変化に、レオナルドは面白そうにくつくつと笑った。
「そう畏まるな。俺は側室の子だからな。王位継承権もすでに放棄している」
そうは言われても、というのがリゼットの立場だ。祖国の王族にだって社交界デビューの時に一言お祝いを頂いただけの雲の上のような存在。その意識は他国にいたところで変わるわけもない。
「レオナルド、丁度いいからリゼット嬢と付き合え」
「何の話だ?」
「リゼット嬢は恋人が欲しいんだそうだ。放っておくと心配だから、お前が恋人役をやったらいいと思ってね」
レオナルドが固まった。そうだろう、他国の小娘なんか相手にしたくないと思う。リゼットはちょっとがっかりしながら、無表情に立っていた。レオナルドは困ったような笑顔を見せた。
「お前が付き合ってやればいいだろう? 俺よりは喜ぶんじゃないのか?」
「リゼット嬢は私よりもレオナルドの方が合っていると思う。それじゃあ、よろしく」
適当なことを言って、ニコラスはいなくなってしまった。バルコニーに残されたレオナルドとリゼットは黙り込んだ。
「ニコラスが無茶を言った。本気にしなくていいからな」
「……レオナルド様もわたしでは子供っぽすぎて、恋人にできませんか?」
「いや、子供っぽいとかいう話ではなくてだな」
心底困っているのか、レオナルドの歯切れが悪い。リゼットは地の底まで落ち込んだ。
「無理しなくていいです。どうせわたしは幼児体形ですし、背も低いです。表では可憐だなんだと褒められていましたが、陰では子供を連れているようだと言われていましたから」
「そうじゃなくてだな。お前こそこんな体格のいいおっさんが相手でいいのか?」
「おっさんという年ではないと思いますけど?」
リゼットは不思議そうに目を瞬いた。確かにニコラスのような美しさはないが、顔立ちは整っているし体だって鍛えているせいなのか、筋肉の付き方が素晴らしい。リゼットの中でおっさんとは生活にくたびれた生気の乏しい男性だ。
「28歳は10代の未婚女性にしたら十分おっさんだろう」
「そうですか? 気になりませんけど。わたしの母も父とは8歳の年の差がありました」
ちょっと見上げるようにして告げれば、何故かレオナルドの顔が赤くなった。
「なんという破壊力……」
「破壊力? レオナルド様のほうが強いと思いますけど?」
思わず呟いてしまったが、声が小さくてレオナルドには聞こえなかった。レオナルドは軽く咳ばらいをすると、手を差し出した。
「とりあえず、この国にいる間だけ恋人になるか?」
「いいんですか?」
「ああ」
レオナルドの手に自分の手をのせると、満面の笑みを向けた。
「よろしくお願いします」
リゼットはこうして念願の仮初の恋人を手に入れた。