従妹は常識がややずれている
「デニス! ちゃんと聞いている?」
グラスに入れた酒を一気に飲み干すと、リゼットはきつく睨みつけてきた。デニスはちらりと彼女を見るが、すぐに視線を戻した。怒気を滲ませたリゼットを気にすることなくちびちびと酒を飲む。
何故、二人で酒を飲むことになったのか、よくわからない。リゼットを連れて王都を散策した後、流行りの舞台を鑑賞して、いつものように屋敷で夕食をとった。そこまでは問題ない。
ようやく従妹のお守りから解放されると自室に戻ろうとしたとき、リゼットに突撃された。侍女たちは事前に聞いていたのか、リゼットに連れ込まれた談話室にはすでに酒の準備がされていた。用意された酒の量を見て、デニスはそれなりの時間、付き合うことを覚悟した。
「聞いている、聞いている。そのクソ野郎のあれを潰せなくてがっかりだという話だろう?」
「そうなのよ。お父さまったら絶対にそんなことはするなって言うのよ。娘の名誉を傷つけられたのだから、わたしの思うとおりにさせるのが親心だと思わない? お母さまが生きていらしたら、きっと大いに賛成してくれたと思うの」
ぶつぶつと恐ろしいことを言う。リゼットの母親が賛成したということにデニスは否定的だ。リゼットの母親とは何度も会ったわけではないが、とてもおっとりとした儚げな美人だった。その美人が娘が辱めを受けたからと、男のアレを潰すことを許可するとは思えない。
「お前な、クソ野郎のブツを潰したら、それこそ社交界から干されるぞ」
「今だって似たようなものじゃない」
「全然違う。ある程度嘘だろうと思われているのと、実際にやってしまっているのとでは雲泥の差だ。絶対にするな」
娘の名誉をきっちりと守ったと、デニスは心の中で叔父に拍手喝さいを送った。あくまで心の中で、だ。馬鹿正直にリゼットに説いたところで、彼女の機嫌の悪さが加速するだけだ。
「デニスのバカぁ。なんでわかってくれないの」
「はいはい、わかっているわかっている」
ぐすぐすと今度は泣き始めたリゼットを適当に慰める。
デニスはすでにべろんべろんに酔っぱらっているリゼットを見て不安を覚えた。リゼットはまだグラスに2杯しか飲んでいないのだ。しかもかなりアルコール度数の低い、祝いの時には子供でも飲むような種類の酒だ。多少飲み過ぎても大丈夫だろうと侍女たちが気を遣って選んだろうが、それでもこの有様。予想外の事態に唖然としていた。
「本当に? ちゃんと理解してくれている?」
「……お前、恐ろしいほど酒に弱いな」
「弱くない! このお酒が、強いだけ」
吠える声も徐々に弱くなっている。気怠そうに背もたれに体を預けているところを見れば、それなりに色っぽい。私的な時間のためか、髪は片側に緩くまとめられ、頬は酒に酔っているのかほんのりと色づいている。柔らかそうな唇や華奢で壊れそうな体つきなど、やや胸が寂しい気もするが男が好みそうなものはすべて持っているのだ。
「ねえ、デニス。どこかに種だけくれる男はいないかしら?」
発言がどうしても最悪だった。可憐な美女の唇から零れ落ちていい言葉ではない。卑猥すぎる。
やや女性に対して理想を持っているデニスにとってリゼットの明け透けない言い方はどうしても受け入れがたい。
「……何の花の種だ?」
わざと質問の意図を逸らしてたのだが、彼女は嫣然と笑った。先ほど流した涙が目の縁に溜まり、とても煽情的だ。
「いやあね。子供の種よ」
「結婚相手のものか?」
「結婚? 結婚はしないことにしたの!」
ふんと息を大きく吐いた。デニスはこの先聞きたくないと思った。思っているが、ここは年上の自分が諭すべきだと頑張って言葉を操る。
「17歳なんだから、そろそろ婚約して結婚するのが貴族令嬢の務めだろう? 特にお前は伯爵家の跡取り娘なんだから」
「そうなの! わたしは跡取り娘よ。だからこそ。わたしの後を継いでくれる子供がいればいいと思わない」
「………………は?」
理解できずにかなりの間が開いた。デニスは恐ろしいものを見るかのようにリゼットの顔を見つめた。
「うふふふ。ねえ、よく考えてみて。くだらない財産目当ての男と結婚するよりは、好きな相手と恋人関係になって子供を作って産めばいいと思わない?」
「何を言っているんだ」
「簡単な話よ。わたしは好きな相手の子供を作って産む。もちろん結婚はしない。後腐れのない恋人関係になって、ささっと国に帰れば気がつかれることはないと思うのよ」
頭が痛くなってきた。デニスはぐりぐりと自分の眉間をもみほぐす。
「ちょっと待て。話が飛躍しすぎだ」
「そうかしら?」
「そうだ。そもそも未婚で子供を産むなんて、どれだけの醜聞が付いて回るのか」
デニスの苦し気な言葉に、リゼットはキョトンとした顔で目を瞬いた。
「何を言っているの。今の段階で、すでにわたしの評価なんて地に落ちているのよ? そこに未婚で子供を産んだところで大したことないじゃない。どうせなら、一時期でも愛した人の子供が産みたいわ」
大したことに決まっているだろう。
そう怒鳴ってやりたかったが、怒鳴ったところでこの従妹が理解できるとは思えない。頭を忙しく巡らせながら、言葉を選ぶ。
「お前だけの話ではない。子供がそのことで色々と世間から後ろ指を指されることになるんだぞ」
「そうかしら?」
リゼットがようやく不安気に顔を曇らせた。ようやく正常に戻ってきたのだとデニスは安心した。
「お前は伯爵令嬢なんだ。淑女としての振る舞いも恥ずかしくない。そんな馬鹿なことを考えるんじゃない」
「そうね、やはり血筋にはこだわった方がいいかもしれないわ」
デニスはグラスを持ち上げて固まった。リゼットは手酌で自分のグラスに酒を注いでいる。しみじみと感じ入るように呟いていた。
「リゼット?」
「やはり遊びなれた貴族がいいわ。この際、年上の方が洗練されていて後腐れなく別れられそう」
「そうじゃなくて!」
デニスは必死にリゼットの考えを否定しようとする。ところがリゼットが従兄の気持ちなど汲むはずもなく楽し気に続けた。
「ねえ、騎士団にいないの? 遊びなれた貴族令息。贅沢を言えば、子爵家以上の次男とか三男あたりがいいのだけど?」
「頼むから騎士団の奴に手を出すな」
「だめ?」
リゼットは可愛らしく頬に手を当てて首をかしげている。じっと甘えるように見上げられたが、デニスは苦虫を嚙み潰したような表情だ。
「絶対にダメだ。騎士団の奴に手を出したら、速攻、国に追い返してやる」
「ケチ」
リゼットは不満げに頬を膨らませ、グラスの中身を一気に飲み干した。
「じゃあ、団長とか副団長は? わたしより10歳ほど年が上かしら? 年の差があるから包容力が期待できそう」
ふと、騎士団で会った二人を思い出し、リゼットが目を輝かせた。デニスは眉間にしわを寄せる。
「団長は王族だ。副団長は公爵。どちらも身分が高い上に、子供を簡単に作っていい人たちではない」
「そうなの。それは残念だわ」
「お前の好みはどうなっているんだ? 団長も副団長もタイプが異なるだろうが」
リゼットは指を唇に当てて、少し言葉を悩んだ。
「団長は熊さんみたいで頼りがいがあるじゃない。ちょっと抱きしめてもらいたいかなと思ったの。副団長は顔がいいし? 女の扱いに慣れていそう。どちらも捨てがたいほど素敵だわ。でもどちらかというと団長の方が好みね」
「……団長は色々あって女性を信用していない」
「そうなの? でも関係ないわよ。後腐れのない関係になってくれればいいわけだし。それに素敵なのよね、あの筋肉」
リゼットは騎士団の制服の下にある筋肉を想像してうっとりとした。デニスが驚愕に目を見開いた。
「筋肉?! 筋肉が基準なのか?」
「逞しい人好きよ。お父さまだって脱いだらすごいんだから」
「確かに叔父上は鍛えているとは思うが。……俺はお前の将来が心配だ」
リゼットはデニスの言い方が面白くて、声を立てて笑う。
「わたしもデニスが心配。片思いが成就するといいわね」
「余計なお世話だ」
デニスはリゼットの手から酒の瓶を奪うと、自分のグラスに注いだ。