騎士団での出会い
リゼットが案内されたのは、副団長の執務室だった。副団長の執務室は広く綺麗に整えられていたが、余計なものが全くない殺風景な部屋だ。
質の良い大きな執務机、来客用の長椅子とテーブル。
武骨な剣が数本、壁に飾ってあるが、明るい色が少ないため全体的に冷たい印象だ。
それでもこの部屋の持ち主が入れば、たちまち華やいで見えるのだから不思議だ。それだけ彼自身が人を引きつける存在感を持っているのだろう。
彼の後に続いて部屋に入ると、彼はリゼットに座るようにと来客用の長椅子を勧める。リゼットは遠慮なく腰を下ろした。リゼットが座ると、彼は対座に座る。
隅に控えていた人が慣れた手つきでお茶を淹れた。紅茶の香りがふわりと部屋の中に漂う。その香りのよさに、どこの産地のお茶だろうかとリゼットは思いめぐらせた。目の前にいる彼が選んだものなら、とてもいい趣味をしている。
「さて。まずは自己紹介だな。私はニコラス・ウェラーだ。第3騎士団の副団長を務めている」
「初めまして。わたしは」
リゼットも名乗ろうとしたとき、けたたましい足音と共に執務室の扉が乱暴に開いた。
「副団長、失礼します!」
リゼットは驚いてニコラスから扉の方へと顔を向けた。扉には息を荒くしているデニスが立っていた。いつものラフなシャツとズボンだけではなく、騎士服をきっちりと着こんだ彼はしゃきっとして見える。鍛えているのが制服の上からでもわかるので、従兄であっても思わず見とれてしまいそうになる。
「あら、デニス。早かったわね」
手のひらをひらひらとさせれば、デニスが大股で近づいてきた。厳つい顔が不機嫌に歪んでいる。その様子を面白く見ながら、座ったままずいっと彼の前にバスケットを差し出した。
「お昼、届けに来たの」
「お前……」
がっくりと肩を落とす。それでもバスケットをちゃんと受け取るのだから、デニスって真面目だ。
「デニスにこれほど素敵な女性がいたなんて、知らなかったよ」
二人の気を許したやり取りを眺めていたニコラスがデニスに声をかけた。デニスは弾かれたように顔を上げて、ニコラスに視線を向けた。驚愕でデニスの目が見開かれた。
「素敵な女性?」
「結婚を考えているのかい?」
「結婚……結婚!? 誰が、誰と!?」
ニコラスの飛躍した解釈にリゼットも驚いた。どれだけデニスに女の影がないのかがうかがい知れた。エリザベートの嘆きがよくわかる。茫然としていたデニスがようやくリゼットの方へと視線を戻した。デニスの顔から表情が消えており、恐ろしいほどだ。リゼットは危機感を感じながら、誤魔化すようにへらりと笑った。
明らかに誤魔化そうとしている従妹にデニスは唸るような低い声で問いただす。
「何を言ったんだ? お前は」
「えー? 本当のことを」
そう、本当のことを。嘘は言っていない。
リゼットはデニスからやや視線を逸らしながら答えた。デニスは追及の手を緩めることなく問いを重ねる。
「具体的には?」
「出勤する時に手渡しする予定だったけど、恥ずかしいことに朝起きられなくて……いたたたたた」
そう告げれば、デニスが突然リゼットの頬をつまんだ。力の加減をしているだろうが、思いっきり伸ばされる。乙女の頬に何をするんだ! と睨んだらさらに遠慮なく引っ張られた。
「痛い痛い痛い!」
「お前は誤解を生むようなことを適当に言って!」
「でも本当じゃない」
「ニュアンスが違うだろう!?」
デニスがそう叫ぶと、がっくりと俯いてしまった。つまんでいた手が離れていたので、リゼットは頬をさすった。手を離してもらえば、つねられた痛みはほとんどない。
項垂れたデニスを下からそっとのぞき込む。デニスの濃茶色の瞳とわたしの目が合った。どんよりと落ち込んだ様子に、ちょっとやりすぎたかと反省した。
「そんなに嫌がることないじゃない」
「本当にやめてくれ。変な噂が立ったら、どうしてくれるんだ」
「あら? もしかして?」
変な噂が立つことを心配したデニスにリゼットはあることに気がついた。にんまりと笑うとデニスが首を左右に振る。
「恋人はいない。まだ片思い中だ」
「ふうん。だったら、そんなに落ち込まなくてもいいじゃない」
「お前はデリカシーがない」
デニスはぼそぼそというが、先ほどの勢いはない。どうやって慰めようかと悩んでいると、低い笑い声が響いた。
「仲がよさそうだな」
「団長」
デニスが弾かれたように顔を上げた。つられてリゼットもそちらを見る。扉の所にデニスよりもはるかに体格のいい男性が立っていた。デニスの厳つさが全く気にならないほど熊のようなお方だ。黒髪に金に光る瞳、野性味あふれる色合いも雰囲気をさらに厳ついものにしていた。
「リゼット」
デニスはため息を漏らすと、挨拶するようにと視線で促される。リゼットは立ち上がるとぴんと背筋を伸ばし、団長とニコラスをそれぞれゆっくりと見てから、優雅に膝を折る。
「お初にお目にかかります。リゼット・セルウィンと申します。デニスの従妹になります」
「……合格」
デニスはぐりぐりとわたしの頭に手をのせて撫でた。デニスの従妹と告げると、二人は驚いたような顔をした。デニスは二人の驚きを理解したのか、情報を追加した。
「母方の従妹になるので、隣国の伯爵家の娘です」
「そうか、道理で見覚えがないわけだ」
ぼそりとニコラスが呟いた。リゼットはさりげなくデニスの手を払って、乱れた髪を整える。とりあえずリゼットの仕事は終わりだ。デニスを揶揄えた上に、デニスが片思い中だとわかって大満足だ。エリザベートにデニスの片思いを伝えておこうと心に決める。きっと喜ぶはずだ。
「デニス、ちゃんとお昼、食べてね」
「わかった。お前はこの後どうするんだ?」
胡乱気な目を向けられた。デニスは上から下までリゼットの格好を見ている。リゼットは着ているドレスの裾を少し摘まんで見せた。
「わたしの格好を見てわかるでしょう? 王都を散策するのよ」
「……一人で散策するつもりか?」
流石のリゼットも平民の格好をしているとはいえ、知らない王都を一人で歩くようなことはしない。リゼットは、胸を張って言い切った。
「違うわよ。ミラも連れてきているわ」
デニスは再び大きなため息を漏らすと、団長の方へと向いた。
「すみません。今日、休暇取ります」
「おおう。なんか大変そうだな」
含み笑いをしながら、団長が応じた。こうして笑っていると、可愛い熊に見える。あの大きな手で頭を撫でられたら気持ちよさそうだ。それに笑顔の団長は厳つさがなくなり、整った顔立ちがとても穏やかだ。
「……私が案内しよう」
「お前、自分で何を言っているのかわかっているか?」
突然案内すると言い出したニコラスに団長がダメ出しをする。デニスは盛大に引きつっていた。
「何故か放っておけない感じがする」
「いえ、自分が付き合いますから大丈夫です」
デニスは強めの口調で言い切ると、リゼットの腕を引っ張った。
「それでは失礼します」
デニスに引きずられるようにして第3騎士団を後にした。