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結婚の申し込み


 大きな箱から取り出されたドレスは息を飲むほど美しかった。

 リゼットの瞳の色に合わせたような淡い緑色のドレスは軽い布を何枚も重ね合わせてあり、ドレープが美しい。


「まあ!」


 贈られてきたドレスを一緒に見ていたエリザベートが感嘆の声を上げた。ドレスを持った侍女がよく見えるようにトルソーに着せ、他の侍女たちも次々に積んであった箱を手早く開けていく。箱の中からはドレスに合わせたグローブや靴、ストールが取り出された。その他にも繊細な下着や靴下などもある。


「こちらは宝飾品になります」


 小さめの箱を開けた侍女の一人がリゼットの前に持ってきた。


「これは」


 蓋が開けられてみせられた首飾りと耳飾りは対になっており、大ぶりの透明感のある美しい緑の宝石が細かな金細工に収まっている。どちらの宝石も雫型でとてもカットが美しい。

 普通であれば手放しに喜ぶ品であったが、これほど高価な宝飾品を贈られてリゼットは途方に暮れた。

 どうしていいのかわからず、エリザベートの方を見る。エリザベートは金と緑の色の組み合わせに何とも言えず、ため息をついた。


「リゼット、こちらにいらっしゃい」


 贈られた品物の整理を侍女に任せて、部屋の隅に置かれた椅子に座るように促された。エリザベートが腰を下ろせばすぐに侍女がお茶を用意する。リゼットは情けない気持ちでエリザベートの前に座った。


「レオナルド殿下とは婚約を結ぶためのお付き合いの形を取っていますが、貴女がこの国にいる間だけの話だと思っていました」

「そうです」

「ですが、この贈り物はレオナルド殿下が貴女を妻として迎えたいと言う意向を示しています」


 リゼットはレオナルドが自分に対して持っている気持ちが愛とか恋ではないことを知っていた。それなのにレオナルドは婚姻の意を示してくる。レオナルドの気持ちがわからなくて、戸惑いの方が大きかった。それにリゼットが結婚してこの国に住むことはできない。当然、レオナルドもこの国から出ることも不可能。

 何がどうしたら、結婚の申し込みにつながるのか全くわかなかった。


 目に見えて混乱しているリゼットに、エリザベートは優しく微笑んだ。


「そう難しく考えることはありませんよ。貴女はどうしたいの?」

「どう、とは?」

「伯爵家のことも、跡取りのことも考えずに貴女がどうしたいかよ」


 いつもと変わらない落ち着いた口調ではあったが、リゼットの心には強く響いた。リゼットは目を伏せて自分の手を見つめた。


「伯爵家のことを考えないということはできません」


 口うるさくしながらも、母が亡くなってから父一人で娘を大切に育ててくれたのだ。それを簡単に切り捨てることなどできない。リゼットはきりきりと胸が痛んだ。呼吸をすることも辛い。


「では貴女の中では伯爵家が一番なのね?」

「そうです」

「レオナルド殿下は?」


 そっと聞かれて、レオナルドの顔を思い浮かべる。初めて打算なく付き合ってくれた男性だ。祖国では伯爵家に婿入りしたい下心を持った貴族男性ばかりが群がっていた。どの男性も爽やかな感じではあったが、やはり伯爵家の跡取りとしてのリゼットしか見ていなかった。


 それがとても苦しくて、どの手を選んでも幸せになれるとは思えなかった。父ヒューゴも娘の幸せを考えていたのか、特に急かすこともなかった。それが裏目に出て、フランク・ヘイデンのような質の悪い男に目を付けられたのだ。

 

 レオナルドは他国の王族であるから、リゼットの持つ伯爵家の財産など必要ない。周囲がリゼットの価値として認めているところを必要ないと、リゼット自身を見てくれたことで息を吸うのが楽になったほどだ。できればレオナルドと一緒にいつまでもいたかった。でも、レオナルドを選ぶことはできない。リゼットの感情を抜きにして、レオナルドのことを考えれば結婚するのは何か違うような気がした。


「それほど好きなのね」

「伯母さま」

「貴女の気持ちがどうであれ、レオナルド殿下の手を取るつもりがないのならドレスを返しなさい。そしてレオナルド殿下と会うことは終わりにすること」


 終わりにすること、と言われてひゅっと息を飲んだ。


「それは……」

「このドレスを贈ってきたのは、王族主催の夜会にエスコートしたいからですよ。婚姻をするつもりもないのに、贈られたドレスを着て夜会に出るなど許されません」


 エリザベートの言うとおりだった。リゼットはぐっと唇を噛み締めた。両手を握りしめ、俯いた。お腹に力を入れないと、涙が出そうだ。


 エリザベートはお茶を飲み干すと、立ち上がった。


「レオナルド殿下に直接お断りするのもいいし、できないのならわたしからお話します。これからどうするのか、よく考えて決めなさい」

「わかりました」


 小さな声で返事をすれば、エリザベートは心配そうな顔をしつつも何も言わずに出て行った。一人残されたわたしに、温かいお茶が新しく差し出された。


「ミラ」

「少し落ち着いてください。奥様はお嬢様にどうしたいのか考えてもらいたいのですよ」


 話を聞いていたミラがそう励ました。


「だって、わたしは伯爵家の一人娘だもの。ずっと婿を取ることだけ考えてきたのよ」

「レオナルド殿下が他国の伯爵家に婿養子に入ることはできないでしょうね」


 ミラがなるほどと、頷いた。どう頑張ってもレオナルドと一緒にいる未来など描けない。ぐすぐすと涙が出てきた。


「こんなにも好きになるなんて」

「好きという感情はままなりませんから」

「どうしたらいいの」


 リゼットにはとてつもなく難しい問題のように思えた。

 ずっと守り育ててくれた伯爵家、今では心から信頼しているレオナルド。


 リゼットの中でレオナルドは伯爵家と同じくらい大切なものになっていた。

 難しい選択に、リゼットはただただ涙がこぼれた。


 どのくらいそうしていただろうか。

 ミラは側で、何も言わずにずっと寄り添ってくれていた。


「ねえ」

「なんでしょうか?」

「どちらも手に入れるにはどうしたらいいと思う?」


 リゼットは涙を拭い、鼻をかみながらミラに聞いた。ミラが呆けたような顔になる。


「両方、ですか?」

「そう、両方よ」


 リゼットは一人娘でヒューゴに溺愛されて育ってきた。一部、行き過ぎたところもあるが、基本的には欲しいものは何でも手に入れたいのだ。ヒューゴはリゼットの願いを叶えるために、必ず手に入れるためにはどうしたらいいのかをリゼットに考えさせた。その方法が妥当であれば、リゼットは欲しいものを手にできるのだ。


 今回の問題は二つ。一つは後継の問題。もう一つはレオナルドに妹ではなく恋人として見てもらう事。どちらもリゼット一人では解決できない問題だ。


「先ほど、難しいと泣いていませんでしたか?」

「泣くのはもう終わりなの。やっぱり諦めきれないのなら、両方手に入れるしかないじゃない」

「……そうですか」


 ミラは疲れたように同意した。ミラの目から見たリゼットはとても明るく抜けているお嬢さまであったのだが、こうした強い意思を示されるとやはり伯爵家を継ぐために育てられた人なのだと思う。年下の、十代の少女なのにとても眩しかった。


「まず情報を手に入れないと」


 リゼットはそう呟いて、使えそうな繋がりを記憶の中から探し始めた。




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