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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

殺し屋と小さな復讐者

作者: 八田 桃子

 窓から差し込む夕日に照らされて、パパとママが倒れていた。周りには赤い液体が広がっている。寝転がっては怒られた絨毯が、じわじわとその色を変えていく。赤い光がその色を更に深くしていた。

 ママのお腹には自分の弟がいた。パパは大喜びで名前を考えていた。私はお姉ちゃんになれるのだと嬉しかった。

 幸せだと、そう思っていた。




 一人の男がこちらに銃を向けていた。知らない男だ。

 黒い帽子に黒い服。深い青の目がこちらを見ている。茶色の眉が顰められ、大柄な体格のせいで圧される感覚がした。男の目にわずかな驚きが浮かんで消える。引き金が引かれる前にこちらから話しかけた。


「ねえ、あなたが私のパパとママと弟を殺したの?」

「……弟?」

「知らなかったの?ママのお腹には私の弟がいたの。まだ全然目立たないけど」

「そうか。なら、答えはYesだ」

 低く乾いた声はそう言う。相手の薄い唇を見ながら、私は部屋に入った瞬間、落とした鞄を拾った。


「私の名前はジャンヌ、ジャンヌ・ルヴァン。あなたの名前は?」

「……お前、一体何を……」

「名前ぐらい教えてくれてもいいでしょ。それで、お名前は?」

 

 男は私をまじまじと見つめた後、深いため息をついた。

「メルヴィン・フィダー」

「いいお名前ね、メル」

「……おい」

 咎めるような声を気にせず、私はゆっくりと男に近づいた。足音は絨毯に吸い込まれて聞こえない。


「ねえ、メルヴィンさん。あなたはこれから逃げるでしょう?なら、わたしも一緒に連れて行って」

 男は目を見開いて、こちらを見下ろしていた。









 海風に揺れる緩くカールした金髪を抑えながら、ジャンヌは目の前に泊まっている巨大な客船を見上げた。

「おい、行くぞ」

 ジャケット姿の男、メルヴィンに呼ばれて、少女はその男の傍に寄った。

「大きい船ね。ここにお相手がいるの?」

「子どもは子どもらしく、大人しくしていろ」

 メルヴィンに注意されて、ジャンヌは肩を竦めた。

「そんなことを言うぐらいなら、そういう風に扱ってほしいわ。この1年間、そんな扱いを受けた覚えはないけど?」

「お前を子ども扱いする方が気持ち悪い」

「失礼ね!これでも立派な8歳児よ!」

「これでも、と自分で付けるぐらいなら、自覚はしているな」

「仕方ないでしょ。わたしは元々こういう性格だし。子どもらしくするのは得意だけど」


 可愛らしいワンピースを着た8歳の少女と仕立てのいい服を着た30代に見える男。2人は親子のように寄り添って、豪華客船へと乗船した。






 ジャンヌとメルヴィン。2人が共に行動するようになって1年が過ぎていた。何故、と誰もが思うだろう。家族を殺された少女が、その殺し屋と自分から望んで共にいるなど、理解できないに違いない。

 メルヴィンも最初は気味悪く思った。しかし、宣言した通りについてくるジャンヌが言い放った一言で、その疑問は氷解した。


『わたしはあなたを殺したい。わたしの家族を殺したあなたを自分の手で殺したい。でも、今のわたしには力がない。その力をつけている最中にあなたが殺されてしまうかもしれない。殺し屋なんていつ死ぬか分からない職業だもの。なら、傍で見張っていないと。誰かに殺される前に殺せるようにね』


 これで納得して、ジャンヌを連れ回しているメルヴィンも頭の螺子が一、二本抜けている。メルヴィン自身、ジャンヌという存在の便利さに気付いていた。整った顔立ちと育ちの良さを感じさせる所作。子どもとは思えないほどの機転の良さと相手の警戒心を解く演技の上手さ。

 なにより、どんな死体を見ても、どんな拷問を見ても、愛している家族の死体を見ても動じない、壊れているとも思えるほどの精神力。ジャンヌはデメリットよりもメリットが遥かに上回る助手だった。






 客船の一室に入ったジャンヌは真っ先にベットへとダイブした。

「おい」

「ふかふか……」

「……はあ……。俺は用事がある。大人しくしておけ」

「りょう、かい……。……ぐー……」

 寝るの早っ!?

 心の中だけで突っ込み、メルヴィンはベットでうつ伏せになっているジャンヌへと近づいた。幼い少女は既に夢の中だ。メルヴィンはその体にタオルケットをかけてやった。




 よく分からない少女だと思う。殺し屋という職業をしている時点で、メルヴィンもまともとは言い難い倫理観を持っているが、この少女の思考はさらにぶっ飛んでいる。何をどう考えれば、家族の死体の前で、その家族を殺した犯人に向かって、自分も一緒に連れて行けと言えるのか。年齢でも、性別でもない、何かが致命的に狂っている。それこそ『狂人』だ。


 そして、ジャンヌはそれを分かっている。自分という存在が壊れていることに。自分が異常だということに。その上で平凡な日常を愛していた。自分の家族を愛していた。だから、壊した相手に復讐する。結論だけなら、そう間違っていない。むしろ真っ当といえる。

 

「殺すために一緒にいる。裏切るわけでもない。いや、むしろ守ろうとさえする。そこがおかしいってことに気付いているのか、いないのか。いや、そんなことはどうでもいいのか……」


「ううん……」

 ごろりと寝返を打つジャンヌ。その寝顔を数秒見つめた後、メルヴィンは立ち上がった。







 客船の中にあるカジノ。あっさりと大金をかける淑女もいれば、小額チップの行方を真剣な目で見つめる紳士もいる。メルヴィンはカジノの横にあるカウンターでシャンディ・ガフを注文し、スツールに腰掛けた。バーテンダーから出されたビールとジンジャーエールを混ぜたカクテルを一口飲む。



 するりと自然にその横に男が一人、座った。メルヴィンはグラスを見たまま、口を開く。

「……仕事は?」

「今は特にない。当分は羽根を伸ばせ、だそうだ」

「そうか」

 ぐいっと酒を飲み干し、メルヴィンは席を立った。


「金はいつも通りだ。ボスには……」

「仕事が出来たら、連絡しろ」

 顔を向けずに乾いた声がそれだけ告げ、メルヴィンの姿はすぐに人ごみに紛れた。190cmを越える身長と、鍛え上げた体をしているのに、不思議なまでに人に紛れてしまう。


「失敗しない殺し屋か。噂通り、得体の知れない奴だ」

 男はそう呟いて、強い酒を注文し、出されたそれに口をつける。

「ま、それもそろそろ用済みだがなあ」

 酷薄な呟きが酒に落とされ、薄まって消えた。






「さて、彼はどこにいるのかしら?」

 目を覚ましたジャンヌは、メルヴィンの言いつけをさらりと無視して、部屋から出ていた。デッキにあるプールサイドで麦わら帽子を被り、散歩している。

 一応、メルヴィンを探しているが、どちらかというと探検気分で船を見て回っているのだ。



「お嬢さん、誰か探しているのかい?」

 かけられた声にくるりと振り返ると、デッキチェアに座り、上半身を起こした男性がジャンヌを見て、微笑んでいた。目元はサングラスで隠れているが、口元は優しげに微笑み、黒い髪は綺麗に撫で付けられている。歳は40を越えているように見えるが、その上着と水着の隙間から見える体は引き締まっていた。


「ううん。ちょっと探検してるの」

「そうかい。しかし、一人っていうのは、感心しないな。お父さんかお母さんはいないのかい?」

「パパと一緒に来たけど、お仕事で忙しそうだから、一人で遊んでるの」

「そうか。それはつまらないだろう。どうだい? おじさんと遊ばないかい?」


 ジャンヌは小さく首を横に振った。

「知らない人と遊んじゃ駄目だって、パパが言ってた」

「そうか……。じゃあ、おじさんと少しおしゃべりしよう。話すだけなら、何も危なくないだろう?」

 優しい言葉にジャンヌはうん、と頷いた。


「名前はなんていうんだい?」

「アリス。おじさんは?」

 何の躊躇いもなく、偽名を名乗り、ジャンヌは男性の名を聞く。

「僕はコナーだ」

「お仕事は何してるの?」

「社長、みたいなものかな。何人も部下がいてね。この船にもいるよ」

「すごい!」






「どこに行っていた?」

 疲れきった表情で部屋に帰ってきたジャンヌを出迎えたのは、メルヴィンのそんな一言だった。メルヴィンの手には分解された銃が握られている。どうやら仕事道具の整備をしていたらしい。

 ジャンヌはそれに答えずに、帽子を脱いで、備え付けの冷蔵庫からペットボトルを取り出し、一気に呷った。

「あー、生き返る……」

「何をしていたんだ?」

 銃の整備を止めて怪訝そうに聞いてくるメルヴィンに、ジャンヌはわずかに顔を顰めて聞く。

「メルヴィン、わたしは馬鹿そうに見える?」

「……それを聞いてどうするのか、さっぱり分からないが、馬鹿ではないだろう。おかしくはあるが」

「だよね」


 ジャンヌは頭を抱えて、テーブルの上に突っ伏した。

「目をつける相手を盛大に間違ってる……。うう……めんどくさい……」

 うめき声を上げるジャンヌに、メルヴィンは困惑するしかない。いや、本当に何があった。

 そんなメルヴィンの視線を綺麗に無視して、ジャンヌはペットボトルを揺らしながら、口を開く。


「明後日の朝には、この船を出るのよね?」

「ああ、船がこの港に停泊するのは明後日までだからな。それがどうした? 」

 これからの予定を確認したジャンヌは、わずかに笑って、水をもう一口飲んだ。


「しかし、この組織をこれまでかもしれないな」

「……そうなの。この一年、ずっと雇われていたんでしょう?」

メルヴィンはわずかに目を細めて、首を傾げるジャンヌを見た。


「金払いを渋る雇い主はこちらから切るに限る」

「そうなの。でも、気をつけてね。用済みだって言って殺されちゃうかもしれないし」

「可能性としてはそちらの方が高いだろうな。いつでも逃げられる準備をしておけ」

「はあい」

間延びした返事をして、ジャンヌはベットに体を投げ出した。


「寝るな。もうそろそろ食事の時間だ」

「あら、レストランにでも行くの?」

「そんなわけあるか。ルームサービスだ」

「それじゃあ、もう少しごろごろしても罰は当たらないわ」


メルヴィンは大きくため息をついて、銃の整備に戻った。







「やあ、アリス」

「おじさん!」

 昨日と同じようにプールサイドで出会ったコナーとアリスは、楽しげにおしゃべりに興じる。


「そういえば、アリスは今日もその帽子を被っているんだね」

「うん。お気に入りなの。可愛いでしょ?」

「そうだね、よく似合っているよ」

 アリスは昨日とは違い、袖口が広がっているフリルの付いた白シャツに黒の長いスカートを合わせている。シックなモノトーンだが、アリスの金の髪とよく似合っていた。アリスの可愛らしい顔立ちと相まって、精巧なビスクドールのような印象だった。




 他愛ないおしゃべりの時間が過ぎて、日が沈むころになった。

「もう、時間かあ……」

 残念そうに呟くアリスにコナーは笑いかける。

「おじさんの部屋に来るかい?お菓子やジュースも部屋にある」

「でも、お父さんが……」


 コナーはにっこりと笑った。そうすると、笑い皺が深くなり、穏やかな顔立ちが一層柔和になる。

「悲しいことを言わないでくれ、アリス。こうやっておしゃべりしたのに、まだ僕とは友達じゃなかったのかい?」

 悲しげな口調で言われて、アリスは慌てて首を振った。

「じゃあ、大丈夫だろう?僕の部屋にお嬢様を招待させてくれないかい? 」

 アリスは幾らか迷った後、頷いた。



 コナーに連れられてアリスが足を踏み入れたのは、船内でも一番グレードの高い部屋が集まる場所だった。

 コナーが向かった扉の前には男が一人立っていた。黒いスーツにノーネクタイ。その威圧感は中々のものだ。

 コナーの後ろにいたアリスは、その姿を見た途端立ち止まり、被ったままの麦わら帽子をぎゅっと握った。

「アリス……?ああ、彼が怖いのかい?」

 無言で頷くアリス。コナーは苦笑して、男に命令した。

「酒でも飲んできなさい。ここの見張りはいい」

「……了解、ボス」

 男はどこか呆れた視線を十にも満たない少女と自分のボスに向けていたが、一礼して歩き去った。


 縮こまり、コナーの後ろに隠れていたアリスは男が見えなくなってから、ようやく安心して顔を上げた。

「しかし、アリス。君が人見知りだったとは知らなかったよ」

「コナーさんは優しいからいいの。あの人は怖い!それよりも早くお部屋が見たいわ!」

 断言したアリスは、わくわくとドアが開かれるのを待っている。コナーはその様子に頬を綻ばせながら、アリスを部屋へと招き入れた。





「広ーい!」

 テーブルに帽子を投げ出し、歓声を上げて、部屋の中を興味津々に見て回るアリス。日が沈み、暗くなった部屋に点るランプの模様に惹かれて覗き込む。無邪気な行動を微笑ましく見守っていたコナー。しかし、素早く伸びた手がひょいとアリスを抱き上げた。


「うわ!びっくりした……」

「ごめんよ。少しだけおじさんと遊んでくれないかい?」

 アリスは瞬きを繰り返した後、ぎゅっとコナーの首に腕を回し、自身の体を密着させた。

「いいけど、どんな遊びをするの?」

「そうだね。まずは……」




 ジャンヌは笑った。コナーの視界から外れたそれを見る者はいない。ジャンヌは楽しげに、嬉しそうに、嘲るように。ただ、笑った。




 首に回したジャンヌの手が広がった袖口から棒のようなものを取り出す。それの先端は鋭く尖り、鈍く光って、電灯の明りがそれに反射する。その鋒がコナーの項へと向けられた。


 グサリ。微かで低い音。

 少女の渾身の力を込めたそれは容易く男の喉を貫いた。突き刺さった後も念を入れるように、その力が緩められることはない。


 男の体が横倒しになり、その振動でランプの光が揺れる。アリスもその腕の中で同じように倒れ、その体が動かず、目から光が失われたことを確認してから腕を退かし、よいしょと立ち上がった。




「ごめんなさい、コナーさん」

 流れ出る血に構わず、ジャンヌは男の頭を横にして、串を引き抜く。溢れ出た血が手に付くが、ジャンヌは気にも留めない。

「殺す理由はあんまりないけど、そのままにしておけないの。だって、あなたに彼を殺されるわけにはいかないから」

 ジャンヌは鉄串を持ったまま、ベランダに出て、手すりの外から海へとそれを投げ込んだ。夜の闇の中でそれを見た者はいない。

 テーブルに置いたままだった麦わら帽子を手に取り、被り直す。ジャンヌの視線が死体の上で止まった。


「それにあなたがわたしのパパとママを殺せと言った人でしょう?しょうがないと諦めて、次はもう少し相手を選んでね。あなたの趣味を責める気はないけど、油断しすぎだし。おかげで殺すのも楽だったわ。メルヴィンもこれぐらい楽だといいんだけど……」

 そんなことを少しだけ呟いて、美しい少女はその場から立ち去った。






「ただいま」

 無言でジャンヌを見たメルヴィンはわずかに顔を顰めた後、その右手を掴み上げた。ジャンヌも無言でされるがままだ。その細く白い指についた赤色をした液はわずかに乾いていたが、その生々しさは薄れてはいなかった。

「殺したな」

「殺したね」

 ただの確認だった。メルヴィンはジャンヌの手を放すと、そのまま見下ろす。


「あのボスか?」

「雇われなのにボスと呼ぶの?答えはYesだけど」

 メルヴィンは深くため息をつくと、呆れた視線を落とした。ジャンヌは不満げにそれを見返す。

「襲われそうになったから、殺しただけよ」

「アイツの趣味は置いておく。……すぐに船を出るぞ」

「どうやって?」

「お前のことだ。最低限の隠蔽はしているだろう。正面突破で行く」

「はーい」


 ジャンヌは良い返事をして、洗面所へと向かい、手を洗い流す。そして、戻ってくると、自分の鞄の中から鋏を取り出した。その大きめの鋏でジャンヌは何の躊躇いもなく自分の髪を切り落とした。じゃきじゃきと鋏を動かすと、背中の中頃まで伸びていたそれはすぐに短くなっていった。

 窓を開けて切った髪を海へと投げ入れたジャンヌは、涼しくなった首元を気にしながら、ごそごそと鞄を漁る。そんなジャンヌの行動に何も言わず、メルヴィンは荷物をさっさと纏めて、身支度を整えていた。


「あ、あった」

 奥の方から茶色の鬘を引っ張り出し、それを被るジャンヌ。手櫛で偽の髪を整えて、ジャンヌはメルヴィンを振り返った。


 メルヴィンは既に二人分の荷物を持って、ジャンヌに背中を向けて、しゃがんだ。

「……えー……」

「乗れ」

「背に腹は変えられない、変えられないんだ……」

「ここで追い詰められているような顔をするな」

 メルヴィンに突っ込まれながら、その背中に負ぶさったジャンヌはぐったりと体重をかけた。メルヴィンも気にすることなく、片手を後ろに回してジャンヌの体を支えながら、部屋を出た。






「娘が急に具合を悪くして……。予定を繰り上げて下船したいんだが」

「それは大変ですね。分かりました、すぐに手続きします。車も呼んでおきましょうか? 」

「お願いします」

 父に背負われたままの少女は大きな肩に顔をうずめ、眠っているようだった。スタッフの対応は素早く、親子の下船が認められ、父親は感謝の言葉を残して、呼ばれたタクシーに乗り込んだ。




 病院で一度タクシーを降り、そのまま病院に入る振りをして、メルヴィンとジャンヌは車を乗り換える。

「にしても、雇った人に殺されかけるなんて大変ね」

 メルヴィンは答えず、ハンドルを操っている。後部座席に座っているジャンヌも返事は期待していなかったのか、鬘を外して、体を伸ばしている。


「次は止めろ」

「いやよ。他人にあなたを殺させるわけにはいかないもの」

「それが余計だと言っている」

「あなたの事情なんて知らない。仕事のことも興味ないわ。ただ、あなたの命はあなただけのものじゃない。それだけのことでしょ」

「……」

 淡々とした会話だった。街灯の光が車内の色を変えては後ろに流れていく。


「あなたが生きていればいいの。あなたとわたしがいれば、わたしの願いは叶うの。それ以外のことはどうだっていい」

「……狂っているな」

 クスリとジャンヌは笑った。その指は短くなった髪を摘んでいる。

「そういうあなたもかなりイってると思うけどね」

 顔を顰めたメルヴィンを見て、ジャンヌは楽しげな笑い声を上げた。







 

 翌朝見つかった死体はすぐさま警察に届けられた。第一発見者は清掃員であり、見つけた瞬間に叫んで助けを求めたのだ。隠せるわけがない。実業家、ロリー・ドフィという名で乗船していた男の身元はすぐに調べられた。

 そして、発覚したのは、彼の非合法組織のボスという素性だった。ボスが殺されたことで同じ船に乗っていた部下は何人か逃げ出したが、下っ端が一人だけ拘束された。

 

「だから、俺は何も知らねえって!」


 見るからに柄の悪い男に刑事は眉間の皺を深くした。この男が犯人だとは思わない。自分のボスを殺せるほど根性があるようにも見えない。だからといって、放置しておくわけにはいかないのだ。


「お前が生きている被害者を最後に見たことは間違いないんだ。さっさと知っていることを吐いちまえ」

「は?俺が最後なわけねえだろ!最後にボスといたのは……」

 そこまで喋って、男ははっと口を閉じた。


「おい、お前……」

 刑事が更に詳しく聞こうとした時、取調室のドアが開けられ、同僚が顔を出して、手招きをする。刑事は男にちらりと目をやった後、立ち上がった。


 数分後、戻ってきた刑事の手には一枚の写真があった。

「お前のボスは中々に変態だったようだな」

「……」

 机の上に投げ出されたのは、被害者とまだ幼い少女が並んで歩く姿が写っている。男は、はあとため息をついた。


「ボスの趣味だよ。十歳にもならないガキがお気に入りでな。そいつもこの船で引っ掛けたんだろ」

「この女の子が被害者と一緒にいたのは?」

「分かってんだろ?ボスが死ぬ前、俺が最後にボスを見た時だ」

 投げやりにそう言って、男はその写真をつまみ上げた。



「俺はこの子どもはよく知らねえ。顔は伏せてたし、帽子まで被ってたからな。金髪だったぐらいしか見てねえ。まあ、多分それなりに美少女だったんじゃねえか?ボスはそういうガキにしか手を出さなかったしよ」 






「やれやれ……」

 下っ端の取り調べを終えた刑事は会議室に戻り、捜査資料を捲った。

 その顔はわずかに苦い。


「しかし……唯一の手がかりがこんな子どもとはな……」

「ですよね。しかもそれがどこの誰か分からないなんて……」

「まあ、自分から名乗り出ることはないだろうな」

「防犯カメラにも顔は写ってないですからね。しかもスイートルームの周りには、そのカメラすらないときた」

「後ろ暗い人物も多かっただろうからな。船会社の上の方が気を回したんだろ。まったく……」

 ぞんざいに嘆きながら、刑事は引き伸された少女の写真を手に取った。

「とにかくこの女の子が鍵を握っていることは間違いない。早く探し出すぞ」









 暖かな日差しが降り注ぐ公園。その広場に備え付けられたベンチの一つに男と少女が座っていた。

 男は携帯に向かって喋っている。少女はそんな男にもたれて、ぼっーとしている。微風と鳥の鳴き声が重なっては離れていく。


「ああ、分かった」

 電話を切ったメルヴィンは自分に寄りかかって、ぼんやりとしているジャンヌを見た。


「ジャンヌ」

「なに?」

「新しい仕事が入った。行くぞ」

「はーい」

 

 歩き出したメルヴィンを追いかけて、ジャンヌも立ち上がる。前を行く背中に追いつこうとした足がぴたりと止まった。

 首を回して、振り返る。




 光を浴びるベンチに誰かが座っている。二人と小さなもう一人。

 その表情は分からない。分かるはずがない。

 悲しんでいるのか。怒っているのか。喜んでいるのか。楽しんでいるのか。

 分からない。理解できない。感じられない。知ることができない。

 当たり前だ。だって、彼女はもう狂っているのだから。そう生まれてしまったのだから、どうしようもない。そうなってしまったのだから、何もできない。

 ただ、在るように在る。それだけだ。




「ジャンヌ?」

 低い声。静かな声。殺したいと思う声。

 少女はゆっくりとそちらへ目を向ける。

 

 光を浴びて、メルヴィンが立っていた。ブラウンの短い髪に大きな体。群青の瞳。唇が薄く、あまり特徴のない顔立ち。



 もう一度、振り返る。そこにはもう何もない。ついさっきまで座っていたベンチがあるだけだ。



「おい、どうした」

「待って、今行く!」

 男へと駆け寄る。憎い、憎い、憎い男の元へと。

 

「ねえ、メルヴィン。わたし、決めたわ」

「……(嫌な予感しかしないな)……」

「あのね、わたしは今、あなたを殺さない。あなたが幸せになった、その時に殺すことにする」

「……どうしてそうなった」

「今まで見てきたけど、メルヴィンはいつ自分が殺されてもいいと思ってるでしょ。でも、それじゃあだめなの。幸せになって、死にたくないと思わないと殺す意味がない。だから、早く幸せになって。そうしたら殺せる」

「…………ハアー…………」

 重い、とてつもなく重い息を吐いて、肩を落としたメルヴィンは歩き続けた。その半歩後ろをジャンヌは付いていく。



「ねえ、メルヴィン。幸せになって。出来るだけ早く、生きたいと思って。お願いね」

 言葉だけ見れば、相手の幸福を願うものだろう。口調を聞けば、本心から祈っていることが伝わってくるだろう。




(狂っているな。……お前も……俺も)

 自分も、自分の後ろを歩く少女も、どうしようもないほど狂っている。手遅れで、致命的で、行き着くところは破滅しかない。歪で、奇妙で、おかしな関係だ。

 なら、いいだろう。いつか、どちらかが殺し、殺されるまで共にいるのも似合いだろう。




 メルヴィンはジャンヌに左手を差し出した。ジャンヌはきょとんとした目でそれを見つめる。

「ええと……」

「ジャンヌ、手を掴め。お前の足に合わせていたら、日が暮れる」

「ええー……、嫌だなー……」

「文句があるなら置いていくぞ」

「分かった、分かりました。はい」



 大きな手と小さな手が重なる。血も涙もない殺し屋とその殺し屋に復讐しようとする少女の手が繋がる。

 初めて会った時と同じ、赤い夕日が2人の姿をわずかに照らし、沈んでいく。




「次はどこに行くの? 」

「そうだな。まずは……」


 そして、二人の姿は日の射さない薄暗い路地へと消えていった。


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