第七話 誇りと思いを懸けて
周囲の木々が吹き飛ばされ、さら地が広がる。
数時間前まで、樹海と呼ばれていた場所が消失していた。
地面が抉れ、あまりの熱量で溶解している。とてもそこに草木が在ったと思えない。
バティルは口から血を流し、砕けた鎧を身にまといながら、草木を失い岩と炎に変わった地で戦い続けていた。辛うじて陣形を維持しているが、いつ破られるか分からない。
全身を駆け巡る激痛を意思の力で耐える。
隣に立つカイムとジズも気力で立っていた。
東の森の騒動の元凶。
目の前に立ちふさがる敵がそうだ。
身長は5mはあるだろう、骨に甲冑を貼り付けたような外観で、
黒い体に赤いラインが奔っている。体格は細く女性的な雰囲気をかもし出している。
背中には長い突起が左右対称に生えていた。
本命はこっちだったかと、バティルは呟く。
化物。そう呼ぶに相応しい存在。
バティルたちが樹海に到着した時には既に、調査隊は全滅していた。
特別指定個体と同クラスの魔獣が現れても対処できる装備と人選だったはずだ。
それが何の抵抗も出来ないまま骸と成り果てていた。
この惨状を確認したバティルは、撤退と討伐隊の組織を行おうとしたが、・・・できなかった。
調査隊の骸の中心に少女がいたから。
なぜこんな所にと疑問が浮かんだ。
魔獣の擬態かと疑ったが、すぐにその疑いは間違いだと知ることとなる。
バティルたちが少女に近づいた瞬間、頭上に破壊の光が降り注いだ。
東の森全体を蹂躙していく。
破壊の嵐の中からその化物が姿を現したから。
ヴィドフニルに保護した民間人と思しき少女を預け先に退避させた。
この化物は特別指定個体クラスの魔獣と判断して間違いない。いや、絶対隔離個体クラスもありえる。
自分達は、囮だ。囮となって時間を稼ぐ。
相手の狙いは保護した少女のようだ。
運悪く縄張りに入ってしまったのか、気に入られたのか。
執拗に狙っていた。
「チッ! 来るか!」
バティルが舌打ちをする。化物が右手に黒いドロドロとしたモヤのようなものを纏わせた。
ヘドロのような不快感を纏わりつかせ、触れるものすべてを侵すような感覚。
異物。この世のものではない異物を世界に無理やり引きずり出した違和感を凝縮したもの。
あのモヤそのものが攻撃にも防御にも優れているのが厄介だった。
剣の一閃を弾き飛ばし、触れるものを毟り取るように破壊する。
化物はバティルたちをすぐに殺そうとはせず、ジリジリと甚振っていた。
力の差を見せびらかすように、少女の救出はできないと思わせるように。
バティルたちは、引かなかった。
陣形を整え、集中力を研ぎ澄ます。一瞬の動作も見逃さない。
見逃せる相手ではない一発でも貰えば確実に死が待っている。
風の団を結成したときから、団員の命を預かったときからバティルは、戦いの中で死ぬ覚悟は出来ていた。
命を預けた団員たちも同じだ。
相手がどれだけ強大でも、死ぬと分かっていても、風の団は引かない。
それがバティルたちの覚悟であり誇りでもあった。
化物の腕が動く。それに合わせて黒いモヤが蠢きバティルたちを蝕もうと迫ってきた。
バティルたちはすぐさま散開し、バティルがモヤの足止めをカイムとジズが攻撃を開始する。
的を絞らせないよう、左右同時に接近する二人。完全に息の合った動作で仕掛ける。
カイムの合図と同時に二人の剣撃が左と右から同時に化物の脳天に直撃した。
直撃したように見えたが、新しく出てきた黒いモヤに阻まれ止められている。
カイムは、全方向から剣による斬撃を浴びせる。
黒いモヤで阻まれない箇所を防御が間に合わない部分を見つけ出そうとするが、化物に傷一つつかない。
カイムは距離を取り、黒いモヤの動きを見定める。
再度、剣を向け。
カイムは、その冷静な顔を歪めた。ジズに攻撃の禁止を指示する。
自分の持つ剣が、虫食いのように穴だらけになっていた。
あの黒いモヤは対象を侵食する性質がある。
それは分かっていたが、これほどの速度で、ましてや無機物の金属まで侵食するとは。
カイムは剣を捨て、もう一本の剣を抜く。
黒いモヤを任せているバティルの状態を確認する。黒いモヤを抑えることに成功しているようだ。
団長の剣術は、マグヌス流剣術と呼ばれる流派で、魔力と剣の融合を目指した剣術だ。
剣を魔力で覆い、剣の切れ味を威力を数段上に跳ね上げている。
それが通じているということは、黒いモヤの弱点は、魔力ということだ。
カイムとジズは、剣に魔力を纏わせていく。団長ほどではないがマグヌス流の剣術は身に着けている。
左右より挟撃を放つ。
さっきよりも、素早くより鋭く化物の懐に潜り込む。黒いモヤでは二人を止めることは出来ない。
首と腹に同時に剣撃を叩き込む。ガキィィン! と金属がぶつかる甲高い音が鳴り響き、
カイムとジズの剣が根元から折れた。
化物は何もしていない。ただそこに立っていただけ。つまり、黒いモヤで防がなくともダメージを
受けることはないと確信していたということだ。
二人はその事実を突きつけられてもなお、折れた剣に魔力を込めた。
折れた剣に魔力で白く透き通る剣を構築する。マグヌス流とは、魔力そのものが剣だ。
達人ともなれば、剣を持たずとも魔力だけで剣を形作れる。
剣が折れ、武器が無くなっても魔力がある限り戦うことが出来る技。
二人の反撃が開始される。
バティルは、黒いモヤの性質を最初の一斬りで理解した。
剣に纏わせた魔力が黒いモヤを切裂きながら減っていくのが感じ取れた。
あれは、魔力に非常に近いもので、触れるものを黒いモヤに変質させる能力があるようだ。
だが、魔力だけは変質できず、変質させようとした魔力と共に消滅する。
ならば、障害となっている部分だけに魔力をぶつけ道を開く。
カラクリが分かれば対処のしようがある。
黒いモヤを切り抜け、化物の眼前に立つ。
予想はしていた。
敵が黒いモヤ以上に厄介な能力を持っている可能性も。
自分たちが手も足も出ないことも。
カイムとジズが、自分たちの出した剣術をその動きをそのまま化物から叩き込まれていた。
化物の腕から黒い光の剣が伸びている。
腕に黒いモヤを集め剣の形に整えていた。
考えたくない。認めたくないとバティルの心が叫ぶが、戦士としてのバティルが認めざるを得ないと判断する。見ただけでマグヌス流の習得に成功していた。
人間ではなく魔獣が剣術を理解して使いこなしている。
人が元となり生まれた魔獣なら剣術を使えるのは理解できるが、
剣を文明を理解していないただの魔獣が使いこなせるとは信じられなかった。
だが、今目の前で、それをしている化物がいる。
カイムとジズはあのケガではもう戦えないだろう。
バティルは剣を構え、一秒でも長く時間を稼ごうとする。
少女を連れたヴィドフニルが逃げ切れればいいのだから。
どれほど剣を切り結んだどろうか。
どれくらいの時間を稼いだろうか。
怪物から放たれるすべてを破壊する光の球を辛うじて避け、すべてを蝕む黒いモヤを切り払った。
先ほどから化物は、バティルが抗う様子を窺ったまま石像のように突っ立っている。
遊んでいるのか、それとも試しているのか。
マグヌス流の剣術もバティルが接近すれば、技を試すように使用してくるだけだ。
何とかして生き残らなければならない。
あの少年たちに無様な格好は見せられないとバティルは体に活を入れる。
バティルは技を盗まれないように、同じ技を繰り返し使用していた。
技を繰り出す順番を変え、技の速さを変え、一度見ただけでは掌握できない手数を化物に叩き込んでいく。
だが、化物はその一つ一つに対処してくる。
「・・・?」
いきなり攻撃が止み、戦いの最中に停滞の時間が生まれる。
化物は、あの黒い巨人は明後日の方向を向いて動きを止めた。
何を見ているのかその視線は、森の中を見ている。
バティルたちのことはもう眼中にないのか。
化物が背中を丸め、左右対称に生えている突起を広げる。
突起の間より、黒い膜が広がり羽のように展開された。
ブゥゥッゥウゥンと背中の突起と足の裏を赤く光らせ、宙に浮かぶ。
化物の周囲が渦巻き、風に砂が巻き上げられていく。
バティルの体を風が吹き抜けていく。バティルは警戒を崩さず化物を睨みつける。
いきなり、ギュッン! と空気が圧縮される音が響き、目に見えない速度でそのまま飛び去ってしまった。
「あの野郎、空も飛べるのか・・・」
バティルは崩れ落ちて膝をついた。
何故、化物が立ち去ったか分からないが、生き残ることが出来た。
生き残ったが、あの黒い巨人が向かった方角が気になる。
ヴィドフニルが真っ直ぐ町に向かったならいいが、ハンサとの合流を考えたなら・・・。
バティルは体を引きずりながら、巨人を追う。
樹海が在った場所を飛び出て、遺跡の方角へ一人の男が走っていた。
ヴィドフニルは、全力で森を駆ける。一人の少女を抱え敵から逃げ切るために。
仲間に囮まで勤めさせたのだ。必ず安全地帯まで逃げ切る。
そして、すぐにハンサたちと合流し助けに行かなければならない。
あの化物は、普通ではない。バティルたち3人では10分も持たないだろう。
ヴィドフニルの行動いかんでバティルたちの運命が決まるということが、ヴィドフニルにはすぐに理解できた。ヴィドフニルは、バティルたちをすぐにでも助けに戻りたい気持ちを押し殺し、自分の使命に全力を注いでいた。
ヴィドフニルは、バティルと風の団に恩がある。死に底ないの自分を助けて仲間に加えてくれた。
大きな恩。
彼らは当然のことをしただけだと思っているかもしれないが、
ヴィドフニルは、余生のすべてを捧げてかまわないほどの恩義を感じている。
まだ、自分の命を捧げきっていない。風の団の夢は道半ばだ。
必ずハンサたちを連れて戻ると硬く決意する。
しかし、彼は致命的なミスを犯していた。
殿を務めた仲間を助けに戻るという考え。
そのための行動。
それは安全地帯より遠ざかることを意味する。
その事実に気づかずに、駆けていく。
ヴィドフニルの判断は人として間違っている訳ではない。
敵を倒せる戦力を補充し助けに行けるのなら仲間と合流すべきだ。
今、バティルたちが相手をしているのはどうか。
風の団が全員で挑んで勝てるだろうか。
残念だが全員でかかっても勝てないだろう。
返り討ちに遭うだけだが、ヴィドフニルはそれでも、バティルたちを助けるための行動を取った。
仲間を失う訳にはいかないから。
この思いは決して間違ってはいない。
空を引き裂く音が響く。こちらに近づいてくるようだ。
ヴィドフニルは、少女を下ろし身に着けていた指輪を持たせて先に行かせる。
少女は何回か振り返るがそのまま走っていった。
少女がうまくハンサたちと合流できれば助かるだろう。
指輪を見ればヴィドフニルたちの状態をすぐに理解できるはずだ。
程なくして空を引き裂いていた主がヴィドフニルの目の前に降り立った。
ヴィドフニルは、化物が、巨人が自分に追いついた意味を理解する。
冷静に彼我の戦力差を再確認する。
バティルたち3人でも足止め出来なかった。自分だけではさほど意味を成さないかもしれない。
弓を捨て剣を構えた。
「我が名に懸けてここは通さんぞ!!」
それでも、止める。ヴィドフニルは巨人を睨みつける。
そして・・・、
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セトたちは、地響きのした方角に向かって全力で走る。
仲間が危ないかもしれない。いや、危機に陥っているのは確実だろう。
遺跡を一撃で破壊した敵の攻撃。
そんな敵と仲間が戦っているかもしれないのだ。
ハンサは焦る。
ガルダと走りながら現状把握に努めているが把握できない。
足りない。情報が圧倒的に足りない。仲間の安否も敵の正体も何も分からない。
不安と焦りでハンサの心がいっぱいになりそうだ。
ダメだ。気持ちが負けたらダメだと落ち着かせようとする。
「!? 何の音」
空を引き裂くような甲高い音が鳴り響く。
何かが落ちたのか、木々の擦れるような音が続く。
「こっちです! こっちから音が聞こえます」
ガルダが音の出所を掴み、ハンサたちを案内する。
森の奥から衝撃音が響いてきた。おそらく木が倒れた音だろう。
何者かが争っている可能性が高い。
微かではあるが、金属同士の叩き合う音が風に混じっている。
ガルダは、その微かな音を聞き取り森を進んでいく。
タッタッタッッと何かが走る音が聞こえた。近づいてきている。
「みんな、遺跡内と同じ陣形を! 警戒を怠らないで」
ハンサの指示が飛ぶ。
術式をメインとした陣形を構築し、足音が近づいてくる正面を警戒する。
ガルダが剣を構え、ハンサは魔力を開放していく。セレネを庇うようにアズラが前に出ていた。
セトの頬を汗が伝う。
争っていた音も静まり、静寂が流れる。
ガサッ! と目の前の草むらが音を立てた。
警戒レベルを最大まで引き上げた。草むらに注目が集まる。
草むらより影が飛び出した。ガルダはそれの正体を見極めようとして、
「な? 子供!?」
その幼い顔立ちで腰まで伸びる赤い髪を揺らし、白いワンピースで透き通る白い肌を隠していた。
青い目の瞳をしており、どこか神秘的な雰囲気が漂っている。
裸足で、傷だらけになりながら必死にここまで来たのだろう。
目に涙を浮かべつつも力強い眼差しでハンサたちを見ていた。
「その指輪は」
ガルダがヴィドフニルの指輪に気づいた。
この指輪を持っているということは、ヴィドフニルが保護していたということになる。
そして、保護を断念し赤毛の少女だけ先に行かせた。
指輪を渡したのは、樹海調査チームに危険が及んだことを伝えるためだ。
ヴィドフニルがバティルたちと別れて赤毛の少女を逃がそうとした。
ガルダは、バティルたちを囮にしなければ逃げられない相手がいると判断する。
「大丈夫? ケガないかな、ほかに一緒だった人はいなかった? 鎧着たおじいちゃんとか」
ハンサが駆け寄り、赤毛の少女に話しかける。
ハンサの問いに少女は森の奥を指差した。
この奥にみんながいる。
ハンサは、奥に行こうとするもガルダに止められる。何も言わないが言いたいことがハンサには分かった。団長たちが救おうとしたこの赤毛の少女を無事に町まで送り届けなければいけない。おそらく、この奥に、敵と対峙していたヴィドフニルがいる。
助けたい。
すぐそこに尊敬する人がいる。
助けたい。
大好きなみんなを助けたい。
「ごめん! ガルダその子のことお願い」
「! ハンサ姉さん!! ダメだ!!」
ドドドドドッとハンサとガルダの間に土の壁がせり上がった。
術式でガルダたちが追っ手来れないようにする。
それは、一人で行くと告げている。
ハンサは森のさらに奥へと入っていった。
セトたちが不安な表情を浮かべている。それを見たガルダは、残ったものの責任として少女とセトたちを町へ送り届けようと行動を開始する。セトは声を上げて抗議した。
「ハンサさんは!? ほかのみんなはどうするんですか!」
「団長たちが時間を稼いでくれています。この事態を町に知らせるのが先決です」
「でも!」
「セト君、いいですか。自分たちにはそれぞれ役目があるんです。ハンサが団長たちを助けに行きました。彼女はとても強いんです、君も知っているでしょう。魔獣メアと出会ってしまっても無傷で逃げ切れたのは彼女のおかげです。その彼女が助けにいったなら団長たちのことは任せて、自分たちがしなければいけない事を考えましょう」
「しなければいけない事・・・」
「まずは、この子を、団長たちが助けようとしたこの子を安全な所に連れて行くべきだと思いませんか?」
「・・・はい」
セトは頭で分かっても、心が納得いかなかった。
みんなで行けば全員助けられる。
そう思っていた。
残酷な結論だが、それは全員殺されることを考えていない愚か者の考えだ。
ガルダは、全員で行けば皆殺しにされる可能性が高いとすでに判断を下している。
ヴィドフニルが少女の保護を断念したのがその根拠だ。
救助すべき対象を先に行かせてその場に留まるのは、守りきることが出来ないと判断したから。
ガルダは無理やりにでもセトたちを町に引き戻すことを考える。
セレネは二人のやり取りを聞きつつも、あることが気になっていた。
アズラが術式でできた壁をジッと見つめて動かない。
とくに変なところはない土の壁だが、セレネは心配になって声を掛ける。
「アズラ先輩、どうしたんですか? 何か・・・」
「黒いのがいる」
「え?」
「黒いのが見ている?」
「???」
セレネにはアズラの言葉の意味が理解できない。黒い? 見ている?
何のことをいっているのだろうか。
分からないが、今はガルダと共に町に戻るべきだ。
「先輩戻りましょう。町に戻って討伐隊の方々を呼ばなければ」
「! え、ええ、そうね」
アズラはセレネの後を付いて行くが、違和感が残る。
黒いのが見えた、いや、いるのが分かった。
薄い白色の倒れている人とそれを庇うように立つ白色が濃い人、そして、白い二人に立ちはだかる黒い影。
白い人は見づらかったが、黒いのはよく見えた。
目で見るのではなく感じる、そう、まるで魔力を感じているときのような。
見ているときに黒い影がこちらを見た気がした。
(こっちに気づいた? 私が見ていることに気づいたの)
アズラは振り返った。土の壁が並ぶ樹海への道を。
黒い影は、目の前にまで迫っていた。
「!? ガルダさん!」
「どうし・・・」
言い終える前に土の壁が吹き飛ばされた。轟音と共に土煙が舞い上がる。
崩れた壁を押しのけて、それが姿を現した。
身長は5mはあるだろう、骨に甲冑を貼り付けたような外観で、
黒い体に赤いラインが奔っている。体格は細く女性的な雰囲気をかもし出している。
背中には長い突起が左右対称に生えていた。
黒い巨人。
赤毛の少女を狙う、東の森の騒動の元凶。
少女が追いつかれた。
ようやくメインヒロインと出会いました