第七十二話 回想・人が育てた差別の心
殴りつけるような激しい雨の日だった。
少し先が見えないほどの激しい雨。
荒野が広がるカラグヴァナ王国には雨期と乾期があり、今は丁度、雨期の時期だ。
ルフタはそんな日でも亜人たちの地位向上のために走リ回っている。
雨に体を打たれ体温が奪われながらも、彼には働くのを止めるという選択肢はない。
神官となったルフタは、各地の亜人の村を回りかつてノネが行っていた保護活動を引き継いでいた。
とても小さなことなのかもしれない。
何ら変化を及ぼさない行為なのかもしれない。
だけど、自分が村に行くことで、王国の恐怖から亜人が少しでも解放されるのならいくらでも行くことができた。
実際、ルフタの活動により、定期的に巡回している神官を警戒して騎士団による恐喝は激減していたのだ。
小さいが効果は出ていた。
「ひどい雨である。ゴイム族の村に被害が無ければいいが」
ルフタは荒野にあるゴイム族の村に向かっていた。
ゴイム族とは豚顔の筋肉隆々な亜人たちのことだ。亜人の中で最も逞しい肉体を持っておりそれが彼らの誇りでもある。
だが、その体故に奴隷狩りに遭い戦場に送られることが多い亜人でもあるのだ。
そんなゴイム族の村に急ぐ。
彼らは逞しい肉体を持ってはいるが、考えるのは苦手な種族だ。
この雨に難儀してるはずだと、ルフタは荒野を走る。
荒野も雨期の時期には、全く違う姿を見せる。
川が出現し、地面が泥濘となり自由に移動できない、ルフタも足止めを食らってしまう。
「後少しだというのに、仕方ない神術を使用するか」
ルフタは飛翔の神術を使用しゴイム族の村まで一気にショートカットしようとする。
青白い光を纏い、空を駆ける。滑空していきゴイム族の村がある辺りに着地するが。
「ない・・・」
ゴイム族の村がなかった。
確かにここに在ったはずだとルフタは目を凝らすが、それはすぐに無駄なことだと知る。
激しい雨が地面に叩き付けられて、泥水が足元を流れていく。
村の代わりに目の前にあるのは地面を抉りながら流れる巨大な川だった。
「村が一つ消えてしまった」
ルフタはやるせない気持ちを抱え帰路につく。
自然には勝てない。
そう、弱い者から次々と死んでいく世界。
ルフタが救えるのはほんの一握りだけだった。
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数日後、ルフタは書類作成に時間を費やしていた。
ここ数日の豪雨による被害報告の書類だ。
カラグヴァナ王国のジグラット内で、一室を貸し切り作業をこなしていく。
ジグラットはカラグヴァナ王国の上層部分にあり、城下町を見下ろすかたちとなっている。
巨大な城の城壁にへばり付くように建てられたジグラットは城下町の真上に浮いているかのように錯覚するほどだ。
ルフタも8年という月日の中で、地位を得て部下も持ちそれなりの立場となっている。
書き上げた書類を部下の神官に渡し、次の報告書の資料を持って来させる。
その働く姿は、アプフェル商会の総括となった時と同じ姿だ。
彼の管理・統括能力はここで鍛えられた。
次の書類の作成に入ろうとしていると、一人の男が近づいてきた。
「おやおや、これはこれは。亜人が書類作成という人間の仕事を一つ奪ってしまったようで」
嫌味たらっしく話しかけてきたこの男も神官の一人。
トマス・ルサンチマン・シトールナ・アクイナス。
カラグヴァナ人の名の特徴である父性名とジグラットから与えられた洗礼名の両方を持ち。
神官のくせに欲望をため込んだ太った体に、頭は中心から大きくハゲている。
そして、カラグヴァナ王国出身であると強調するように金髪と青い瞳。
「お気遣い感謝するのである。今度、部下にも報告書の仕事を任せてみよう。お前さんたちも、もう立派な神官だ。問題なかろう」
「はい! ルフタ様」
「チッ。亜人が」
トマスは、嫌味だけ言うとそのまま去っていく。ルフタがジグラットで地位を得たとしても亜人の立場は変わらない。
彼が自分たち人間と同じ地位を得て働いているのが気に食わない連中は山ほどいるのだ。
亜人の立場を変えるには、その山ほどいる連中と戦わなければならない。
ルフタはトマスが去っていくのを黙ってみながら、自分の立場を再認識する。
(人と亜人の相互理解はまだまだ先であるな)
静かになった部屋で再び書類作成に戻っていく。
今回の被害はかなり広範囲に及んでいるので、書類の量も激増している。
だが、自分がしっかりと記録を残さねばおそらく誰も作らないだろうとルフタは思う。
亜人の被害報告書など誰も作ろうと考えないだろう。
王国圏で唯一の亜人の神官として、その役目を果たしていく彼には休む暇などないのだった。
仕事が一息ついたのは次の日の昼だ。
少し休みたい気持ちもあるが、ルフタは次の仕事に向かう。
ヒギエア公国とエウノミア公国での布教活動だ。
彼はこの布教活動により現在の地位を獲得している。
ヒギエア公国とエウノミア公国に住んでいる亜人たちに、ツァラトゥストラ教の素晴らしさを伝え大多数の亜人たちが信者となったのだ。
同じ亜人であるツァーヴ族のルフタが教えを説いたのもあるが、主アイン・ソフの下では全ての生命は等しく平等という考えが受け入れられる要因だった。
亜人たちは平等を求めている。
それを感じさせる結果であると言えるだろう。
「では行ってくる」
「お気を付けて」
部下に見送られルフタは王国に近いヒギエア公国を目指す。
雨期の影響が若干残っているのか、雲行きが怪しいが動けないほどに天気が崩れることはないだろうと予想する。
馬車に乗れれば仮眠できるだろうと、考えながらジグラットを後にしていくのだった。
その様子を影からトマスは見つめていた。
早くこの神聖な場所から出て行けと、薄汚い亜人がいていい所ではないと、差別を振りかざし悪意をその心で育てていく。
「神性なジグラットに亜人がいるのは間違っている。何故、神官長は亜人などを・・・」
「トマス様、誰にでも間違いの一つや二つあるものです」
「そうですな。いやはや、貴方の言う通りです。神官長とて間違うことがあるのは当然。その神官長の僅かな弱さを支えるのが我らの役目なのですから」
トマスたちは自分に都合のいい解答を導き出し勝手に納得していく。
先入観というのは真実すらも捻じ曲げてしまう力を持っているのか、自身の価値観で凝り固まった思考はさらにそれを押し付ける行動を起こす。
「今回の間違いなら私たちで修正可能ですな。ルフタ・ツァーヴ、思い出すといい。自分は下等な亜人であるとね」
トマスのそのねじ曲がった思考が、差別という悪意を膨張していく。
その育ち切った悪意はもう誰にも止められない。
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王都アプスを出てから2ヵ月ほど。
ヒギエア公国に到着し、馬車から降りて徒歩で町中を移動する。
もう何度も訪れたことのあるこの国は、ルフタも第二の故郷のように感じていた。
ヒギエア公国。
ベスタ公国と同じくカラグヴァナ王国の属国であり、四公国の一国。
国土は荒野が多いがどちらかと言うと岩肌が多く、鉱山資源が豊富な国でもある。
ルフタが寄っているこの町も鉱山町の一つだ。
「さて、みんなに挨拶してくるか」
ルフタは町にあるジグラットの支部に向かう。
彼の布教活動の成果で設立された支部だ。
所属人数は10名以下と小さい組織だが、ルフタが信頼している仲間たちの組織。
今回は、支部と協力しながら亜人の生活状況を把握するのが目的となっている。
亜人の生活水準を向上させるにはこうやって確認する作業が必要なのだ。
確認するから必要な対処も分かる。
答えは現場にあるということだ。
「お前さんたち久しぶりである」
「ルフタ様!」
「お久しぶりですルフタ様」
支部に到着したルフタはまるで偉い人が来たかのような出迎えを受ける。
ルフタは少し照れくさそうだ。
ジグラットではそこそこの地位でも。ここでは、ルフタは恩師のような存在なのだ。
久しぶりにルフタと会えた支部のみんなはとても嬉しそうに集まっていた。
全員、人間でルフタの活動に心打たれた者たち。
「仕事を止めてしまってすまんな。今日来たのは、亜人が人らしく生活出来ているか彼らの声を聞き確かめるため、なのだが。誰か一緒に来てくれんか?」
「私が行きます」
「僕も!」
「よし、では二人に来てもらおう。お前さんたちも仕事を頼むぞ」
「「はい」」
支部の者を引き連れルフタは町にいる亜人の所に向かう。
ヒギエア公国は元々亜人と人間が普通に共存していた国であり、属国化してから奴隷文化が流入した。
そういった経緯もあり、今でも町で普通に暮らしている亜人がいる。
彼らが差別されることなく普通に暮らせているかを確かめるのが今回する仕事の一つだ。
「では、ここから訪問するか」
ルフタは神官になってから毎年この訪問を続けている。
亜人たちが自分の生活を守れているか、それを維持するための手助けが出来ないか。
少しでも彼らの助けになればと始めた活動だ。
亜人たちの話を聞くと生活は年々厳しくなっているようだ。
カラグヴァナ王国の亜人差別の思想が、人間の若者に強く表れ始めており暴力を受けた者もいる。
公国民である彼らをさらい奴隷にしようとする輩も出てきていた。
確実に、亜人を取り巻く環境は悪化している。
ルフタはもう時間がないと感じ始めていた。
どこかで、歯止めを掛けないといけないと。
それをできるのは自分であると。
今後の対策を支部の者と話しながら帰り道を歩いていく。
どうすれば今の現状を変えることができるか。
「やはり、王室に亜人の優位性を認めてもらうのが最終目標となるか。そこに至るまでの地位向上が難しいな」
「亜人だけで王室が喜ぶほどの税を納めればどうでしょうか?」
「それは悪手である。亜人の奴隷は金になると思われてしまう。人間と同等であると認識させなければ意味がないのだ」
下等だと思っていた存在が実は対等な存在だった。
これを認めさせるのはかなり難しい。
例えば。猿がいきなり喋りだし猿にも人権をと訴えたらどうなる?
確実に見世物にされるだろう。世界初、喋る猿として扱われ同等とは見られない。
中には猿に同情し人権を与える者もいるかもしれない。
だが、対等には程遠い関係だ。同情しているのだから。それはつまり、同情したから人間の権利を一部貸し出そうということ。
認めた訳ではない。
カラグヴァナ王国での亜人の扱いとは、まさに猿と同じなのだ。
支部の者たちのように、ルフタを慕い亜人は対等な関係だと認識できた者もいる。
だが、まだごく僅かだ。
8年活動して、まだ数えれるほどしかいない。
どうすれば、王国の人間全員が対等だと思ってくれるのか。
「亜人の国でもあれば簡単に話が進むのだがな。まずは、亜人の村を王国の社会システムに組み込んでしまうのが得策か」
「ルフタ様、それでは奴隷にされてしまうのでは?」
「いや、王国の社会に組み込まれれば、組み込まれた者は臣民として扱われる。それは亜人も変わらない。問題は人権がないことだが、村としての集団であるなら」
亜人一人では人権が認められず奴隷にされるが、一つの村なら全員奴隷とする前に、王国に住む者として納入を求められる可能性が高くなる。
亜人ではなく村として扱われる可能性。
もちろん、かつてのルフタの村のように亜人の村として、理不尽な要求を突き付けられる可能性もある。
だが、そこをうまく回避すれば人間の村と同じ扱いになるかもしれない。
そこから、少しづつ亜人の立場を向上させられないかとルフタは考えていた。
「これを実行するにしても、根回しが必要であるな」
亜人の村から徴収し、王国の村として保護する。
徴収だけならすぐにでも意見は通るが、保護は訴え方を考えなくてはいけない。
そんなことを考えながら歩いていると、一人の男が近づいてきた。
「お前がルフタ・ツァーヴか?」
「そうであるが、お前さんは?」
「悪党に名乗る名など持っちゃいない。ジグラットからの依頼でお前を王国騎士団に連行するが大人しく捕まってくれると助かる」
「は?」
ルフタはこの男の言っている意味が理解できなかった。つまり、ジグラットが自分を指名手配しているということか。
「いやいや、何を言っているのだ。吾輩は神官である。ジグラットがそんな依頼を出すはずがない。何かの間違いである」
「これが、依頼書だ。確認するか?」
「あ、ああ」
ルフタは男が投げた依頼書をつかみ取り内容を確認する。
その内容を見たルフタは、目を疑った。
そこには、自分を指名手配する内容がはっきりと書かれている。
神官を騙り亜人による犯罪を増長させている容疑。
ジグラットの神官の署名も複数人。
紛れもないジグラットからの依頼書だった。
「ま、待て。吾輩は!」
「やっぱり抵抗するか。仕方ないな!」
男が剣を抜き、戦闘態勢に入る。
ルフタは支部の者を逃がし、護身用の杖を構えた。
(何故、ジグラットがこんな依頼を!? 何がどうなっているのである)
増殖した悪意はもう止められなくなり、ルフタの前に現れた。




