第百九十一話 事実に叫んだ言葉は
陽射しが崖の上から降り注いでいる。
緑が少し多い崖の底。その転位した先で懐かしい人物と出会った。
彼とは一年も会っていない。たった一年かもしれないが、それでも一年だ。
状況が、人が変わるには十分な月日。
その中で一年前とさほど変わらないセトは師範との再会を喜び駆け寄った。
「師範!」
セトに剣術の基礎を叩き込み。戦士としての戦い方を教えたのが彼。
王守・森羅だ。
ベスタ公国の騎士たちに武術の指南をしていて、アズラにも魔力と術式の扱い方を叩き込んでいる。
セトたちアプフェル姉弟にとってはまさに武の師範であり、セトの師匠だ。
そういえば、そんな師範にセトは目覚めてから一度も会っていない。皆、口に出さないからアズラと同じく仕事が忙しいからだとセトは勝手に思ったが。
ここで自分たちを待っていたという事は別の使命を帯びているのか。
セトはまたそうだと勝手に思いながら足を一歩踏み出して近づく。
腰掛けていた岩から離れいつも優しく微笑みながら自分たちを迎えてくれる師範へと。
だが、いつも微笑んでいるはずの森羅が今日は微笑んでいなかった。
少し顔が強張っているようにも見える。
セトの足が止まる。
いつもと違う雰囲気に足を止める。
そして、後ろから感じたエリウとリーベの反応に思わず振り返った。
「セト、この人誰? 知り合い?」
「え?」
リーベがまるで初めて会ったかのようにセトに尋ねる。まるで森羅のことを知らないように。
たかだか一年で忘れるような関係だったかとセトが驚き、思い出させようとして喋ろうとした時。
横から割り込んだエリウの言葉に口が開いたままにされた。彼女の怒りの表情に声を失う。
「お前! 今さらニャにしに来たニャ!」
「・・・」
「ニャんとか言え!」
怒りをぶつけるエリウと、それを黙って受け止めている森羅。
セトにはいったい何がどうなっているのか分からない。何故、エリウが森羅に対して怒りを感じているのか。何故、森羅は何も言い返さないのか。
自分が寝ている間に何かが変わってしまったのかと、エリウに尋ねる。
「エ、エリウ! どうしたの? なんで怒ってるの?」
「セトは黙ってるニャ!」
「だ、黙ってろだなんて・・・」
セトの心に冷たい衝撃が走る。
拒絶の言葉が心を引き裂き感情を抉る。
エリウから言われたのもそうだが、このことに干渉するなと拒絶されたのが悲しかった。
いつの間にか自分が蚊帳の外にいる。
エリウとリーベをリーダーとして引っ張っていく以前の問題だ。
自分は、今、対等な仲間にすらなれていない。
それに気づく。
セトはそんなのは嫌だとエリウにもう一度尋ねる。
「僕にも教えて。一体何があったの?」
セトの問い掛けにエリウが一度だけ目線を向ける。しかし、すぐに目線を戻しエリウは森羅へ威嚇を始めた。
「フシャァァ!」
「エリウ・・・」
エリウは答えてくれない。
きっと、自分に知ってほしくない何かがあるとセトは考える。
知ってほしくないから拒絶する。これはエリウの優しさだ。
そうでないと、セトには受け入れられない。
何も聞けなくなるセト。戸惑うリーベ。そして、威嚇を続けるエリウ。
彼らを見ていた森羅が口を開いた。
「そうですね・・・。今さら何しに来たかと問われれば、あなた方に伝えなければならないことを伝えるために来たと答えます。それが私に課せられた使命ですから」
「ニャにをペラペラと!」
「私を許せないのは理解できます。ですが、今は話を聞いてはもらえないでしょうか?」
森羅の口ぶりからエリウが許せないほどの何かがあったとセトは理解した。
その時、意識を失っていたと思っているセトにはそれが何かは分からない。
分からないが、何かを伝えに来たのならその話を聞くべきだとセトは判断した。
「師範、話って何ですか?」
「セト!」
「エリウ、話を聞こう。僕はエリウが怒っている理由を知らない。師範を許せない理由も分からない。だから聞くんだ。何があったのか知るために」
森羅の話を聞こうとするセトを止めるエリウ。
その彼女の制止を振り切るようにセトは理由を教えてと口にした。
「話を聞いちゃダメなら、その理由を教えて」
「ニャッ・・・! それは・・・」
エリウは言葉が詰まり、セトを止めることが出来なくなる。
それに答えることはしたくないと、エリウの良心が胸を突く。
エリウは分かっているのだ。あの事をセトに話せばセトは傷つくと。
「・・・ッ」
だから、完全に沈黙してしまう。
何も答えられなくなる。止めることも完全に出来なくなる。
そんなエリウを置いていくようにセトは、森羅に答えを聞いた。
「師範、話してください。師範が伝えに来たこと。それと、あの日の王都での出来事の後に何があったのか教えてください」
「ありがとうセト君。正直、話は聞いてもらえないと諦めていました」
「・・・師範がそう思うほどのことがあったんですね」
「・・・はい。私の身勝手な判断が皆を傷つけました。そのこともお話ししましょう」
森羅は敵意も警戒心も持たずに背を向け、近場の腰を下ろすのに丁度いい場所へセトたちを案内した。
術式を使えばそれらしい椅子と机を一瞬で用意できるのに、そうはしない。
自分たちが警戒しないように配慮していると、セトはすぐに感じ取った。
森羅がこちらに対して配慮し距離を置いていると。
「どうぞ座ってください。少し長くなりますから」
森羅が座るのに釣られセトたちも座っていく。まだ、エリウは警戒しているようだ。ジロッと鋭い目つきで森羅を睨んでいる。
そんな敵意と言える目線を森羅は黙って受け入れながら話を始めた。
「では、最初に王都襲撃の結末をお話しします。セト君はまだ聞いていないようなのでいいですね?」
知ってほしくないと対話を拒んでいたエリウに確認を取る。
エリウはもう嫌だと拒否はしない。代わりに睨み付けるだけになっていた。
話を聞くためセトが許可を出す。
「はい。お願いします」
「まずは、私が王都城門にたどり着いてからですね」
ゆっくりと、そして、思い出すようにかつての地獄を語っていく。
「あの時、私とバティル殿がたどり着いた時には、もう間に合わなかった後でした。セト君、貴方は自分がどうなっていたか分かりますか?」
「いえ・・・、意識を失っていたから何も・・・」
セトの回答に、エリウが唇を噛みしめる。とても辛い真実を知っているから苦しんでいく。
ただ意識を失っていたと思っていたセトは、その姿に今答えた回答に急激な疑問を抱いていった。
他の回答があるのかと。
「落ち着いて聞いてくださいね。セト君、貴方はファルシュに殺されたのです」
「・・・え?」
「正確にはファルシュの存在を乗っ取ったダートに胸を貫かれて、ですね」
「え? 殺された? 師範、何を言っているんですか?」
理解できない。
今、自分は生きている。なのに、聞かされた事実の一つは自分が殺されただ。
だが、森羅が嘘を語るとも思えない。
セトは話の続きを聞く。
「そう思いますよね。ですが事実です。そして、貴方の妹であるリーベも一度・・・」
「ニャァァァッッ!」
それ以上言わせないとエリウが森羅に襲い掛かった。
慌ててエリウを押さえつける。
聞いてはいけない事実。それを直観する。
「エリウ、僕は大丈夫だから! リーちゃんもいいよね?」
「・・・うん。わたしも知りたい」
「ダメニャッ! 聞いちゃ嫌ニャ!」
エリウが泣き叫ぶ。
それほどまでに拒絶を感じる事実。セトとリーベの知らない事実がそこにある。
リーベがセトの腕に抱き着き、語られる事実を受け止める準備を整えた。
セトとリーベが頷く。
それを確認した森羅が事実を語った。
「・・・そして、リーベもあの場で命を落としました。セト君の死により始まった四聖獣への転生とその後の災厄を防ぐために、アーデリ王国の五血衆ヌアダの手によってリーベとしての生を終えたのです」
森羅の声が静かに響き渡る。
語られた事実にエリウが顔をしかめて涙を浮かべていく。
リーベは、今の自分がかつての自分と異なるということが理解できず、セトの顔を見上げ。
セトは、最も恐れ防ごうとしていたことが、とっくの昔に起きてしまっていた事実に、全身の力が抜けるのを感じた。
「それじゃぁ、僕は、リーちゃんは!?」
「落ち着いて。まだ、話には続きがあります」
混乱してしまっているセトに優しく語る森羅。
少しだけ昔の優しい顔を覗かせる。
セトが落ち着くのを待ってから続きを語る。
「その後です。変化があったのは。四聖獣ビナーとなったリーベが死に新たな聖女への転生が始まった時、リーベの自我が消えずに残っていたのです」
「じゃあ、リーちゃんは」
「はい。転生前の記憶と魂を受け継ぐ新たな聖女です。リーベのままだと断言してもいいでしょう」
その回答に一気にセトの表情が明るくなった。
リーベは消えていなくなった訳ではない。新たな肉体を得てリーベのままでここにいる。
それならば希望は繋がる。絶望しなくて済む。
そう思ったセトを驚愕させる一言をエリウが叫んだ。
「そのリーベを殺そうとしたのは誰ニャッ!! お前ニャッ!」
「ッ!!?」
セトの顔から喜びが消え失せる。そんなことはあり得ないと。
否定してと森羅を見る。
だが、森羅の口から出たのは否定できない言葉だった。
「はい。その通りです」
セトはその言葉をどう受け止めていいか分からなかった。
一つ理解できることは、森羅がリーベを殺そうとしたということ。
思考の停止するセトの耳に森羅の言葉が入り込む。
「守護三天人の一人として、魂神の変化に繋がることは、たとえどんなに尊い救いであっても、希望だとしても見過ごすことは出来ないのです。・・・神話の再現を引き起こさないために、世界を守るために」
神話の再現。
それは夢の世界で見た戦いだろうか?
神話の存在が殺し合う光景。
森羅の話は魂神と異神の眷属ではなく。魂神と異神、神同士が激突する極大災厄。
「・・・・・・でも」
そのことを話しているのか。
だとしても、それが世界のために必要だとしてもセトは受け入れられない。
「でもッ、でもッ! 何でリーちゃんを傷つける必要があるんだ!」
たとえ、どれほどの大義や正義があろうともたった一人の少女を。
妹を傷つけるのは間違っている。
セトが叫ぶ。
そんなのは間違っていると。
「リーちゃんを殺して世界を守るだって!? そんなの僕が認めない! そんなことをして守った世界なんて悲しいだけだ。望んでもいない運命を背負わされた女の子に、自分たちが抱えきれなくなった重荷を背負わせただけじゃないか! そんなの、カッコ悪いよ!」
「ですが、そうしなければ破滅が待っているのですよ? 綺麗ごとでは世界は救えない」
「必死になって、這いつくばって、掴んだらいいじゃないか! 何で切り捨てるんだよ! 世界を守るって言うなら全部守ってよ。目の前の女の子を助けられないで世界を救うだって? そんなの救ったことにならない!!」
セトが想いを叫ぶ。
自分の妹への想い。聖女を守ると誓った言葉の重み。その困難を理解してこその叫びだ。
「師範が救えないから、今まで誰も救ったことが無いから。そう思い込んで見捨てて来たんじゃないか。聖女が悲しい転生を繰り返すのは、そんな人たちが諦めを押し付けてきた結果だ! だったらッ!!」
渾身の想いを。声を。誓いを籠めて。
セトは叫んだ。
それは幾度となく、何度も思い。誓い。
心に。魂に刻んでいった言葉。
それは積もり重なり、聖女との契約となったもの。
「僕がリーちゃんを。聖女を守り切る! 全員、助け出すッ!!」
それが、セトとリーベの結んだ契約だ。