プロローグ 救済の提示
それは、一人の女から始まった。
女は神官として職務を全うし、各地にツァラトゥストラ教の教えを説きながら旅をしていた。
同期たちからは変わり者と呼ばれ、信徒たちからは優しい人と呼ばれる人だ。
女は優秀だった。
誰よりも才に長け、セフィラに愛される人。
そう運命付けられていたかのように女は神官長の座に収まったが、女は旅をしている方が性に合っていると感じていた。
旅をしていれば、救いを求めている人々を見つけることができる。
そして、救うことができる。
だから、女は旅を止めなかった。救いを求める人がいる限り自分が赴くと、そう心に決めていた。
そんな女に転機が訪れた。
とある亜人の村に寄った日、変わったツァーヴ族の青年と出会う。
それが女の始まりだった。
青年を救うと誓った。
けれど、それは果たされなかった。
女は代わりに亜人を救うと誓う。それは、彼のため。
その誓いはやがて、全ての人の救済へと変貌する。
女の求める救済に。
ノネ・デカダンス・メーディウムが掲げた救済に、一国の主でさえ心奪われる。
それほどまでに、ノネの掲げた救済は眩しかったのだ。心の闇を祓い、困難に抗うだけの希望を持たせるには十分な程に。
彼らは、救済を実現するための手段を探し、聖女との出会いで逆に真実を探し当てた。
真実は救済を急がせるのに十分な内容だった。
でも、ノネは悩んだ。救済を今すぐ実行すべきか。そのための犠牲は許されるのか。
救済を求めている人が犠牲になるのはダメなのではないか?
犠牲になっていいのは。
救済の妨げとなっているカラグヴァナと、真実を隠していたジグラットだけだ。
ジグラットがいいのならツァラトゥストラ教の総本山、ディユング帝国も。
なんだ、救うためには世界の全てを犠牲にしなければいけないじゃないか。
ノネがそう気づいた時、反逆の狼煙を上げるのに躊躇はなかった。
そして。
ノネたちはここまで来た。
ユースティティア城の玉座の間に揃い立つのはそうそうたる面々。
一人一人が歴史に名を残すであろう人物たち。
ある者は英雄に。ある者は支配者として。
これからその偉業を成し遂げていくのだ。
ノネが王座の横に用意された椅子に腰かけている。
そこは王妃のための椅子ではない。導師のための椅子であり階級だ。
導師ノネは常にアーデリ王と共にあり、この国の未来を背負う。王が背負いきれない未来は導師が肩代わりし、時には導き、国を育てる立場。
その王座に座るのは、まだ幼さが残る男の子。
ルルーシャ・リド・アーデリ28世。
少し伸びた黒髪に黒の瞳。あえて存在感を薄めるような灰色を多く使ったオシャレな服を着て。
王冠は被らずに、赤い宝石の首飾りを身に着けている。
アーデリ王国の現国王が彼だ。その身に流れる王家の血を理由に若干11歳で王に担ぎ上げられた男の子。
ルルーシャの両親ではなく彼なのは、すでに孤児となっていたのが大きな理由だが、それだけではないだろう。
幼い王ほど都合のいい存在などいないのだから。
そのことを理解しているのか、ルルーシャは一言も喋らずただこの場の成り行きを見ていた。
ルルーシャの前にいる者たちを。
円卓のテーブルに座っているのは、世界への反逆に賛同した者たち。
ルルーシャの左右を挟むのは導師ノネと宰相ジュゼッペの二人。
目の前に座るのは、五血衆リーダーのヌアダだ。
ルルーシャから見て右側に座っているのは背の高い露出の多い女。
左側にいるのは、鉄の体のように見える鎧を着こんだ男。
6名の者たちが玉座の円卓を囲んでいた。
女の名はエヴェン・エール。
ラバンたちと同じようにブカブカの薄い衣を纏い、羽衣を腕に巻き付けユラユラと揺蕩せている。
肌は黒と白が混ざる途中の半々の姿、髪も黒を中心に細い白髪が縦線を入れるように長く腰近くまで垂れていた。
特徴的なのは額から生える二本の角。
亜人の国、新興国家ティル・ナ・ノーグから来た女王。
全てのエールたちを束ねる絶対者にして、今は全ての亜人の支配者となった女だ。
男は・・・・・・。
こんな男は世界に彼一人しかいないだろう。
天主国アマテラスの守護三天人。帝殻・六合。
ヌアダたちが予想した通り軍事の守護三天人。彼が天主国の軍最高指揮官だ。
彼ら、天主国がアーデリ王国に接触した理由も後々判明するだろう。
現在の世界に仇名す者たちが一堂に会し準備は整った。
ジュゼッペが早速、今回集まった議題を円卓の中央に映し出す。
「この度、皆様にお集まり頂いたのは他でもない・・・。カラグヴァナを打ち倒し、生きとし生ける全ての存在に救済をもたらすための話を聞いてもらうためであります」
ジュゼッペの言葉が続き、それに連動するように中央の映像が増えていく。映し出されるのは何らかの資料とセフィラの映像。
それはセフィラと人の関係を調べ上げた研究成果に関するものだった。
アーデリ王国が血税を注いで解析した結晶が開示されていく。
「ご覧になってもらっているのは、セフィラ因子が人にもたらす影響についてのもの、そして」
さらに映像が追加される。
映し出されたのはセフィラに加え魔獣クリファ。セフィラから人へ、最後に魔獣クリファへと流れていく変化を表した資料。
それは、人はセフィラだったという真実を証明した成果だ。
「非才も、この場にいる誰もが、全ての人間がセフィラから生み出された存在ということが、そこに映し出される研究結果によって判明しました。人は、正確にはセフィラが変異した存在。我らは上位存在である彼らに生まれた瞬間から死ぬその時まで運命を握られていたのです」
この場にいる者が知るべき情報をジュゼッペが説明する。
この真実に抗う権利を等しく与えるために。
「彼らは上位者でありその根源、魂神は神として太古の昔からツァラトゥストラ教と共にジグラットによって広く世界に根付いていました。・・・人を支配し続けるために」
真実を静かに聞く面々。
映し出される資料が切り替わる。映し出されたのは歴史に関する資料だ。
第一次ツァラトゥストラ宗教戦争。
第二次ツァラトゥストラ宗教戦争。
天帝戦争。
大きく分けてその3つ。かつて人が経験した大戦。
当時の政治状況を詳しく分析したものが並ぶ。
「セフィラからの支配が生と死に起因するだけなら、人としての生は謳歌できる。運命は自分のものだと信じられた。しかし、そうではなかった。守護三天人の帝殻様ならご存じでしょう。いや、そもそも天主国はそれを知るからこそ世界の敵となっておられた」
ジュゼッペに回答を求められた帝殻はこう答えた。
「その通りです。人類史が経験した大戦の全ては魂神にとって都合の悪い存在を消去するために行われたこと。当時の指導者がセフィラに改変されることで和平を覆して・・・それが大戦が終わらなかった真実。私たちが敵とされたのも魂神の脅威と成り得たのが理由ですね」
帝殻の回答は天主国の立場を明確にするものだ。彼らは魂神の敵。
だからこそ、魂神からの解放を望んだアーデリ王国に接触してきた。
では、なぜ魂神の敵なのか?
その疑問をエールの女王エヴェンが尋ねる。
「そうなったのは異神を神としたからかぇ? それとも、お主たちがソレなのかぇ? ・・・・・・くすくす」
微笑を加えながら帝殻の正体を聞き出そうとする。その問い掛け方は甘い毒の匂いだ。
鋭い目と妖艶さが交わり男を骨抜きにしてしまう。
だが、帝殻は気にも留めずに答えた。
「異神を神としたから・・・との認識で結構ですよ。そもそも、私たちは宗教を持たない文化なので異神を神としては認識していませんが」
「ほぅ・・・それは初耳じゃ。では、異神は何なのじゃ?」
「・・・国です。故郷と言い換えてもいいでしょう」
その回答に一同が理解に苦しんだ。
神という絶対存在ではなく、国という言葉で言い表した。国というシステムという意味だろうか。
今はまだ分からない。
話を戻すためジュゼッペが会話を切り出す。
「やはり異神の力は魂神からの解放を成し遂げる一手となるのですね」
「はい確実に」
「それを聞いて確信しました。我らなら神話を終わらせることが出来ると!」
中央の映像が一つだけの言葉に切り替わった。
その言葉が重要だと見せつける。
それは彼らの決意を表した言葉。神話世界を終わらすための救済。
ネフェッシュ・カドモン計画。
さらに、文章が羅列されていく。
事細かく細部まで練られた計画の全貌が。
魂神から人という存在を切り離すための手段が記された文章が浮かび上がる。
「これが我らが提示する救済、ネフェッシュ・カドモン計画の全貌です」
6人全員の手元に光る文字が浮かび上がった。中央の文章と同じ内容が記載されている。
黙々と目を通していく帝殻とエヴェン。
すぐに、この計画の危険性を帝殻が指摘する。
あまりにも分かりやすい要因に対して、無防備ではないかと問う。
「この計画ですが、魂神に敵性存在と認識されることを想定していないのではないですか? 魂神がそう認識すれば帝国が参戦してきますよ?」
「それは大丈夫かな」
帝殻の疑問と心配をノネが塞いだ。
カラグヴァナだけでも強大なのに、そこに帝国が加わればアーデリ王国だけではとても敵わない。
だが。
「カラグヴァナの王都を襲撃したのはそのためでもあるから」
「わらわと契約を結ぶときに魂胆があったのかぇ?」
「ごめんエヴェン。でも、亜人たちを救う気持ちに嘘はないかな」
「・・・・・・まぁ、よいよい」
エヴェンが一瞬不機嫌になったが、ノネの素直な気持ちにあっさり機嫌を戻す。
話に横やりを入れたエヴェンが引っ込んだ所で帝殻が聞き直す。
「王都の襲撃がその対策であると? 何故ですか?」
「魂神の干渉じゃなく人の意思で帝国が参戦することになるからかな」
「なるほど、落としどころのある戦争になると。帝国の指揮官が誰かでかなり変わりますが悪くない手です」
神の声を妄信する軍と、利益を優先する軍。
どちらが予想しやすく戦いやすいかは簡単だ。後者になる。
前者は神のためと叫び、正義と疑わずに最後の一人になっても剣を振っているだろう。
だから、終わらせることの出来る戦争を選んだ
「帝国の指揮官は決まっている」
ヌアダが口を開く。
その人物がその立場にいなければおかしいと確信めいた何かを持って、その人物の名を口にする。
「教皇ディオニュシオス。権力を欲するあの男だ」
ヌアダには分かるのだ。教皇がこの戦争に出てくると。
ノネも頷き教皇は必ず出てくると示す。
「では・・・」
帝殻が何か言おうとした時、玉座の扉が開け放たれた。
中へ飛び込んできた騎士が叫ぶ。
「ヒギエア公国軍とケレス国境沿いで遭遇! 全面衝突となりかなりの被害がっ!」
「分かった。下がれ」
「ハッ!」
ついに始まった。カラグヴァナ王国の属国、その中で最も強大な国がヒギエア公国。
そのヒギエアとの全面戦争が。
「では、三ヵ国同盟の条約を使わせてもらうぞ」
「わらわはそのつもりじゃ・・・・・・くすくす」
「ええ、もちろんです。私たちは友好国なのですから」
アーデリ王国の最高権力者の一人は即座に一手を打ち出す。
相手を滅ぼす一手を。