第百八十五話 混沌と真理その二つ
過去の記憶を夢で再現した世界。
その中でついにセトが復活した。
大切な妹を守るために、自分の深層意識を基に構築された世界に無理矢理介入してみせる。
セトの意思と記憶が拡大反映された夢の中で、セトという意識体を存在させ自分で自分に干渉するという離れ業。
そんなデタラメはダートにとっても予想外だった。
全く防御できずにセトとハーザクの攻撃を受けてしまい見えない床を転がっていく。
体を床にぶつけては血をこべりつけて、そこに床があると証明してしまう。
全身にズシリと衝撃が走る。
痛覚が反応している。
夢の世界なのに、自身が掌握したはずの世界なのに痛みが発生している事実。
セトと同じ顔をしたダートが顔を痛みで一瞬歪ませ、押し殺すように冷徹な顔を装ってゆっくりと立ち上がった。
口から垂れる血を拭い、中に溜まった血を吐き出す。
ダートの世界だったそこに自分の血が落ち自分自身で血が付いた世界を見て認識する。
世界の理が思い通りになっていないと。
それは世界の主導権をセトに明け渡すきっかけを生み出してしまう原因となる。
だけど、その認識は止まらない。
ダートはもう認識してしまった。夢の世界に刻まれたのだ。ダートが攻撃され排除されるかもしれない可能性があることを。
可能性を生み出した存在を、現象の始まりをダートは直視し。
「驚いたな。記憶も意識も、俺が食ったはずなんだが。どうやって存在している?」
目の前にいる、ここに存在しないはずの人物に。セトを見ながら聞いた。
なぜ、存在していると。
セトは答える。
「僕は、確かにお前に飲み込まれたよ。一回目は王宮で、二回目は僕を経由してファルシュを飲み込んだ。そして、今も」
「そうだ。今も飲み込んだままだ。なのに、なぜだ? なぜ、存在が個を維持しているんだ? どうして、俺に帰順していない? お前は、お前という存在を持った俺になっているはずだろう?」
自身の能力を確認するように、この状況はおかしいと口にする。
ダートによる存在の咀嚼は絶対だ。
たとえ、どんなに強靭な精神力を持とうとも存在が食われれば強靭な精神力を持つダートになるだけ。
決して抗えないのだ。
そのはずなのに、セトはそれを覆している。
そして、それを証明していくようにセトはダートの能力を肯定した。
「そうだね。今の僕は、お前なのかもしれない。二人の存在が重なったらこの世界では一人として扱われる。なら、存在を上書きされた僕はお前なんだろう」
その答えにダートの感情が高ぶっていく。その回答はダートだからこそ理解している回答だと。
セトの口から出るのはあり得ない。
口調が崩れ、荒々しい喋り方へ移っていく。
「なぜ、その記憶を知識を持っている! それは俺だ。俺の物だ! お前じゃない!」
「僕はお前なんだよね? ならお前の知ってることは知ってるよ」
セトの言葉に、持っていないはずの記憶と知識に。ダートの表情が一変していく。
あり得ないと否定しようとして、しかし、セトという存在がそれを許さない。
その事実をダートは否定する。
認めることは出来ないと。
「いや・・・あり得ない。ここは俺の世界だ。基準世界より下位の次元は全て俺の庭も同然! ここでは俺が絶対だ。食い損ねたというなら食い直すさ。今度は確実に」
その言葉と同時に夢の世界にノイズが走る。
自分の庭に入り込んだ餌を食らうためダートの存在が希薄になり世界に広がった。この夢の世界とダートの存在が重なり合って、電界25次元それすなわちダートへと置き換わる。
世界がダートなら、世界に存在するセトたちもダート。
全てのあらゆる存在が上書きされ、一つの次元がダートに食われた。
夢の世界を徹底的に飲み込んで、咀嚼し自身としてからダートが一個人としての存在に戻る。
これで問題は片付いたと瞑った目を開けた。
「・・・あ?」
間抜けな声を出して、開けた目に映り込んだ光景に表情を失った。
確かに食った。セトから生まれた電界25次元、夢の世界を一つ。
世界を構成していたセトの記憶も意識も全てダートになったはずだ。
なのに、まだ目の前にいる。
セトが、リーベにハーザクも。誰一人存在を食われていない。
存在を食われたセトがセトのままでいる。それは、ダートの能力を無効化したからのではない。
そもそも、ダートの能力を無効化などできない。
なら、セトがしたことは。
再度突き付けられた事実にダートは驚愕する。
「・・・まさか、食われた? 俺が!? バカな!! あり得ないッ!!?」
「あり得るよ。セト兄ちゃんがここにいるのがその証。ダートに食われたという記憶を持っている時点でセト兄ちゃんの存在がダートの存在を認識し下位存在として扱っている。存在の上下関係は逆転したんだ!」
「人では俺を覆すことは出来ないはず! それこそ、上位次元の存在でもないと、・・・! お前か? 聖女ハーザク! お前が何かしたのか!」
「ぼくは何もしてないよ。セト兄ちゃんの意志がお前を上回ったんだ」
覆された原因を探し唐突に向けられた敵意にハーザクは真正面から反攻した。
ここに人がダートという存在を上回れると証明された。何千年と聖女を付け狙っていた存在に引導を渡すと突き付ける。
(でも、本当はそれだけじゃない。きっと、リーベやセト兄ちゃんの大切な人たちの想いが、存在の因果に強く結びついて守っていたんだ)
それは、想いが起こす可能性への干渉。因果律に結び付く力。
願い。想い。祈り。
そして、愛。
さまざまな言葉で表現され、それぞれが意味の異なるもの。
でも、それは最後には同じ場所にたどり着くんだろう。
ハーザクはそう思う。
それをこの世界で一番受け取ったであろうセトを見ながら、思いを確信する。
ハーザクは夢の世界に飛び込んだ瞬間にダートの妨害に遭い、セトの深層意識の底の底に閉じ込められた。
だが、それはセトの意識と接触するチャンスをハーザクにもたらす。
ダートに飲み込まれ、ただの記憶情報となっていたセトにハーザクは何度も呼びかけた。
何度も、何度も。何度でも。
リーベが君を助けに来たんだと、妹がここに来ていると何度も叫び。
想いの力としか思えない何かがセトに起こったのだ。
最初は、夢の世界の幼いセトに接触したリーベとの出来事が小さな波紋となって広がり、小さな波がセトの記憶にぶつかり大きくなり、それはやがて一つの渦となった。
記憶の渦は感情を、想いを、意識を構築し情報から存在へとセトを昇華する。
その光景はまさに、無から有が誕生する瞬間。
魂無き情報から意思を宿した有へと至ること。
ハーザクは確信できる。セトがダートに食われて無事な理由が。これは真理の一端だと。
そんな想いの力に覆されたダートは何も武器を付けていない腰に手を伸ばし剣を抜く動作をした。
それだけで、片手剣とダガーがダートの手に現れ握られる。
気付けばその姿もセトが着ていた防具に変わっていた。
そんなものは認めない。存在させない。ここで殺して消し去ろうと殺意と共に凶器を持つ。
セトたちは即座に反撃の体勢を取った。
ダートと全く同じ構えを取ったセト。すると、全く同じように何もない所から武器が現われ、いつの間にか防具を着こんでしまう。
リーベとハーザクは後ろに下がり援護に徹していく。
セトが同じ動作をし武器を構えたことで、この夢の世界の支配権はセトとダートが丁度半々で奪い合っていることが判明した。
それにいち早く気が付いたダートは、まだ完全に覆されていないと判断する。
「そうか・・・上回ったか・・・。なら、ここで殺して、もう一度食えば同じことだよなぁ?」
セトを今度こそ取り込んでしまおうと仕掛けた。
食えない存在なのならば殺し血肉に変えて食らう。
作り変えればいい。食いやすいように世界も人もいくらでも。
ダートはそうすることで希薄な存在である自分を維持し補い、強化してきたのだから。
接近してくるダートが左右に挙動をブラして捉えられない動きを見せる。
セトのヒット&アウェイの戦法を攻撃的に回避運動を接近するためだけに割り振った動き。
目で捉えようとする間にダートが間近まで迫る。
片手剣がセトの腕をなぞるように首めがけて這い上がって来た。
キンッ!!
それをセトはダガーで受け止め軌道を逸らし、ダートをそのまま自分の方に突っ込ませた。
一撃を外し、がら空きになった懐へセトが渾身の峰内を叩き込む。
「ぐ!? お、ぉおぉ・・・!」
腹を駆け巡る激痛にダートが武器を落とし腹を抱えてうずくまる。
ただの一撃で、それも手心を加えたものでダートは戦闘不能になった。
理解できない。
目が血走り、自身の置かれた状況を必死に理解しようとする。
だが、分かるのは自分が無様にうずくまっていることだけ。
ダートは吐き気が混ざりながらも口を開く。
「お、ぉ・・・どう、なっ・・・てる? 俺、が・・・!」
「お前には聞きたいことがある」
「あぁ、・・・ぁ!」
セトが片手剣を握り締めながらダートに問う。
問い掛けるその目は何かを見極めようとする目だ。
リーベもハーザクも、ダートを一撃で戦闘不能にしたセトをただ見守る。
「あの時・・・、王都でのファルシュとの戦いで、あの黒い化物になったあいつの体を使ってルフタさんを殺したのはお前なの?」
「・・・」
「どうなの?」
セトの問いにダートは答えない。
沈黙しうずくまったまま。
セトは静かに剣を突き付けて、もう一度問う。
「お前がルフタさんを、殺したの?」
「・・・・・・・・・」
再び、しばらくの沈黙。
そして。
「・・・・・・くっ、くっくっく、ああ、そうさ。俺が殺した! あのトカゲはお前たちのリーダーだったんだろ? だから殺した。その方が絶望も色濃くなるからなぁ」
不敵に笑い、笑みを浮かべ、その時の感触を思い出していくかのように声色に乗せてわざと悪意を口から吐き出す。
ダートの言葉を聞き、ルフタを殺した相手が誰なのかを確認できたセトは。
ただ辛そうな、悲しみに溺れていくような顔をする。
それは今すぐにでも泣きそうな子供の顔。
自分の中に大切な人を殺した奴がいた。それは自分が殺したのも同じこと。
それがセトには耐えられないほど辛く、悲しい。
「どうして、と聞いても仕方ないよね。お前には理由がないんだから・・・」
「クハハッ! 良く分かってるじゃないか!」
会話するための猶予を与えた結果、ダートが立ち上がり武器を手にしていく。
これを確認するためにセトは、ダートを滅ぼすチャンスを手放したのだ。
それをダートが無視するはずがない。
逆転の一手を打とうと動き出す。
「もう俺に勝った気でいるのか? まだだ、これからだぞ!」
ダートの全身が歪み、形を失っていく。セトと同じ顔と姿をしていたその体が黒い影に変わった。
実体のないただの影。
何者でもない存在。
神が見る悪夢。それがダート。
影が望むままに体を動かして腕を伸ばしセトの左右に真横に突き刺す。
これで王手だと分からせるように。
巨人ほどの影に膨張したダートはさらに歪になっていく。
影の足が曖昧になり、世界と混ざり混沌とした姿へと変貌する。
「これが・・・! ダート本来の姿!」
「むぅ! 怪物。でも」
リーベが、相手が怪物でもと反撃の言葉を口にした。
ハーザクもそれに頷き反撃の中心となる人物を見る。
「でも、セトなら、負けない!!」
セトは目の前の怪物に対して、ただ静かに目を瞑り。そして、二つの剣を構えた。
目を開き上段と上段、片手剣を肩の上まで上げ、ダガーを横ぶりに広く構える。
二刀流の最大攻撃態勢に移行していく。
まだ、反撃してくるセトたちにダートは容赦なく食らった世界を悪意に変えてぶつけた。
ダートとなった世界から這い出て来たのは、魔獣ギム・ゼント。
5m級が4体。
セトを食らおうと大顎を開いて突っ込んでくる。
四方から迫る相手にセトは、ギリギリまで動かず間合いを見極め。
そして、剣の間合いに入った瞬間に一気に振り抜いた。
リーベが息を止めてしまうほどの緊迫感。でも、リーベの心には必ず勝つと強い確信があった。
だから、リーベは不安なくセトに声援を送る。
「セト! やっちゃえー!!」
「うんッ!!」
剣に振り抜かれセトの真横を通り過ぎていくギム・ゼントたち。
それを足場にセトがダート目掛けて飛び上がる。
足場にされたギム・ゼントたちは切り身のように頭が切断され地面に転がった。
それは、固い外殻を縫う様に切り裂いた証。
かつてのセトにとっての悪夢が一刀両断になる。
飛び掛かって来たセトを薙ぎ払おうと、ダートが黒い影の鞭を体から生やし振り回す。
巨大な腕と同じ太さの鞭。
進行方向を塞がれたセトは躊躇なく突っ込んだ。
黒い影の鞭を振り抜いていく。
だが、ビシッ! とその影に線が入った。
影が両断されセトが一気にダートの頭へと剣を振り下ろす。
「ッ!!? な、なぜだ! 俺の世界だぞ! お前そのものである記憶だぞ!! なぜそれを上回る。超えられる!!?」
「ヤァァァァアァアアアッッ!!」
振り下ろされた片手剣がダートの顔面に突き刺さり、一気に縦に両断する。
その影の巨体に一筋の線が走った。
「な・・・! な、・・・・ぜ、ダ!」
ダートとなった世界にヒビが入っていく。
それはダートという存在が崩壊したということ。
黒い影の巨人が溶けるように崩れていき、夢の世界も形を失っていく。
「ハァハァ・・・」
「セトー!」
「リーちゃん!」
ダートを打ち倒したセトにリーベが思いっきり抱き着いた。
まだ、夢の中だけど今までできなかった分、思いっきり抱き着く。
「セト、やっと、やっと起きてくれる」
「うん・・・もうすぐ起きるよ」
セトも自覚はないが、自分は一年間眠りっぱなしだった。
みんなに心配と迷惑をかけたと思う。
とくにアズラは人一倍心配していただろう。
そう思うと、リーベを抱きしめる腕が強くなる。
「ええっと、話しかけづらいな」
「あっゴメン。ハーザクちゃんだよね?」
「うん。名前覚えてくれたんだ。ありがとう」
「ううん。こっちこそありがとう。君のおかげで僕は目覚めることができた」
セトの感謝の言葉にハーザクは少し照れながら。
あることを伝えようと真剣な顔つきになる。
「えっとね。セト、貴方に頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと?」
「うん。貴方はこの世で唯一ダートを滅ぼせた人。だから、貴方は知る権利がある」
「?」
ハーザクは想いを込めて力強く告げる。
「ぼくたちの城。ユースティティア城で待ってます。そこで全ての真実を伝えます。そして・・・」
一言。ただ願う様に。
「ぼくたち聖女を救って欲しい・・・」
「救う・・・? え、どういうこと?」
「ハーちゃん?」
夢の世界が光に包まれる。次元が消滅していき現実世界へと引き戻されていく。
「ゴメン、もう時間がない。あと、ジグラットには気を付けて!」
ハーザクの最後の言葉を残して、夢の世界は消滅した。