第百八十四話 彼の者は悪夢
四聖獣たちと黒の異端者たちが対峙する中心にリーベは居合わせる。
それが夢の中だとしても、記憶の再現だとしても、この出来事が世界にとって最も意味のあることだと幼いリーベの心に分からせる威圧感がそこにはあった。
女は手を伸ばす。
これ以上殺したくないと、願う様に祈るように。そして、懇願するように手を伸ばしていく。
四聖獣たちはそれを拒否した。
彼らの死は必要。黒の異端者の死と異神の滅びは決まったことだと。
もう、覆せないことだと答える。
男は剣を向けて止めさせようとした。
無理矢理にでも神が決めた虐殺を止めると叫ぶ。
そんな彼らの叫びを、想いを。
四聖獣は嘲笑った。
人間に何ができると見下し、嘲笑う。
四聖獣が一柱
それはどこまでも白く、神々しく威厳を持った者であるケテルが二人に反応し。
問い掛ける。
その姿は、白く神々しく輝く、人や動物からは程遠い姿。背中に天使の輪としかいいようのない光の輪を背負い。造られたような無機質な体を持つセフィラ。
他のセフィラと異なり、身体構造に人の形をしたパーツは胸部に埋め込まれたようにある女の顔のみ。
まだ、ケテルがセフィラであると示すようにその人の顔はある。
二人に、人が求める威厳を再現した声で。
人では敵わない存在感でケテルは二人に問いかけた。
その会話内容をリーベは耳を澄まして聞く。
リーベのいる位置からでは少し遠くケテルの声はぎりぎり聞こえてくる程度。
だが、耳を澄まして聞いた内容にリーベは驚愕する。
そもそも、人間が異神からの独立を望んだのがこの争いの始まり。
自らが生み出し、自らを存続させる異神ではなく。何も生み出さず、終息するだけの魂神を自らの神と選んだのは人間たちであろう。
何故に我らへ意見する?
あの時、信ずる神を変えた誓いは何だ?
ただ、生き延びるための従属。救われて当然の傲慢。神を理解することはなく、求めるだけの信仰。
救済という餌をせがみ続けるだけに誓ってみせたか?
人間は。
人間は何だ?
人間? 否。
・・・・・・家畜だ。
救済を求めることしかできないなら、人間が我らの世界に住まう資格はない。
我らに信仰という妄信を押し付け、神という偶像に仕立て上げ、救済のための管理者に貶める・・・。
家畜。
知恵を持った家畜。
だが、意志を持っているなら問おうか。
人という存在をケテルは問う。
存在価値そのものを見極めようと残酷なまでに選別する思考にて二人に問う。
(人間とは何だ?)
と。
四聖獣ケテルの考えが、想いがリーベに流れ込んでくる。
ケテルが心に抱くのは人への失望という感情。
セフィラとは思えないほどの感情の波が押し寄せてくる。
人間のことなど全て理解していると思わせる滑らかな感情の乗った口調。
それは、リーベに恐怖と屈服を抱かせるには十分な意志。
「うぅぅっ」
セフィラが諦めにも似た感情を人に向けている?
理解を求めるセフィラが?
あの、知りたがりのセフィラが理解するのを諦めた?
リーベの知るセフィラたちの認識が崩れ落ちていく。
この夢は本当に自分の夢だったかと、確認しようと必死に考えた。
違う。
こんなに、夢の登場人物たちの感情を感じ取れるような夢ではなかったはず。
リーベが胸に手を押し当て不安と恐怖を必死に押し殺し、ケテルに問われた男の回答を見守った。
男は答える。
明確な意思を心に宿し、神に反逆する者として四聖獣たちに剣を向けながら。
「俺たちは何者でもない。ただの人間だ! 空の下で生き大地を踏みしめ、草花を自然を、この世界に住まう皆を尊べる者たちだ」
男の答えは、想いを乗せた言葉となって黒い島に響き渡る。
だが、その回答ではケテルの認識は覆らない。
(では問う。尊ぶ者よ。何故、異神を拒絶した? 彼の者もまたこの世界に住まう者。魂神に世界を知らしめた者。我らの父だった者。異神の滅びという救済を望んだのは尊んでいるはずの人間・・・何故だ?)
「異神は神などではない! ましてや命と心を持った生命ですらない!! あれはただのッ!?」
男のその最後の一言をケテルは許さなかった。
いい終える前に殺意が口を塞ぐ。
(彼の者は我らの父だった者。その姿は完成している。その心も完成している。不完全な者にとって、それは生命とは映らないのも道理。不完全が、尊ぶ者の生命なのだから・・・)
「完成しているから、完全すぎるから俺たちは独立を望んだんだ。破滅を望んだ訳じゃないッ!」
(異なことを。解放と破滅。現存システムの終焉にとって何が異なる? 何も違いはしない。異神もそれを受け入れている。終焉へのプロセスを進んでいる)
「この抵抗を受けてもそう言いきれるのかッ!」
ケテルの言葉を否定する男。
そして、否定を肯定するように周囲を取り囲む黒い虫。
下位の黒の異端者たちが赤い目を点滅させる。
それでも、ケテルの回答は変わらない。覆らない。
(・・・不可解、理解不能。異神を生命と神と認めず、だが、滅ぼさず異神という世界を終わらせる。回答が矛盾している。個体名ラビ・モーゼス、貴様は何を望んでいる?)
男は、ラビ・モーゼスは人の願いを代弁した。
「お前たち神という存在から真の意味で人が一人立つことを望んでいる!」
と、強く宣言する。
その宣言をケテルは反逆と受け取った。
(個体名ラビ・モーゼス及びそれに共鳴した者を反乱分子と認識。セフィラと人間の敵対は初のケース。この展開を我らは歓迎する)
男の顔が険しくなった。交渉は失敗しもうすぐ殺し合いが始まる。
下位の黒の異端者たちが暴れ狂うように飛び回り出し、いきなり静寂が一帯を包み込んだ。
ここから先をリーベは知っている。
黒の異端者たちが殺されるのを。
あの二人がこの島から落ちていくのを。
四聖獣たちと人型の黒の異端者が殺し合うのを知っている。
だから、リーベは走り出していた。
これが夢の世界で、過去に起こったの事だとしても、こんな悲しいことを見ているだけなんてリーベには出来なかった。
「ダメ!! そんなことしないで!! そんな悲しいこと誰も喜ばない、辛いだけっキャッ!」
その声が届く前にリーベの足が何かに掴まれた。
バランスを崩し地面に倒れ込む。
直後、眩い閃光が瞬き始め殺し合いが始まってしまった。
容赦なく殺されていく黒の異端者たち。そして、殺していく四聖獣。
かつて、自分もあそこの一柱だったのか?
あんな残酷な存在だったのか?
笑みを浮かべながら黒の異端者たちの金属の体を引き裂いているあれが。
「私が、こんな酷い事をしたの・・・?」
「うん、リーベがしたんだよ」
その声にリーベが振り返る。聞きたかった声。望んでいた人の声。
だけど、その声の主は夢の世界の闇をリーベに突きつける。
「黒の異端者をいっぱい、いっぱい殺して、この後も人をいっぱい殺すんだ・・・」
「・・・え? セト?」
「昔も、これからも、この先ずっとリーベはいっぱい殺すんだ」
振り返った先に立っていたのはセトだった。
部屋で寝ていた時と同じ服装を着て、この夢の世界に立っている。
だが、リーベに投げかけられた言葉は冷徹な真実。
聖女の歩んできた生の事実。
それを突き付けられたリーベは否定するように叫ぶ。
「そ、そんなことしないもん!」
「するよ。現に僕は君の所為で殺されたじゃないか」
「違うもん! セトはそんなこと私に絶対言わない! セトは死んでないんかないッ!!」
リーベの声をただ無表情に、どこか冷めた目でセトは聞き流し聞き返す。
「じゃあ、どうして僕は目覚めることができないの? 誰の所為なの?」
「それは・・・、わか、」
「分からないの?」
「うぅ、セト・・・」
セトに、セトの言葉にリーベが追い詰められていく。
言葉が出なくなり、言い返せなくなる。優しかったセトが、お兄ちゃんがなんでこんなとこを言うの? と心の中がグチャグチャになってしまう。
後ろから四聖獣の咆哮が背中を叩き付ける。
あの人型の黒の異端者が現れたのだろう。四聖獣が一柱、マルクトの首を斬り落とし異神の眷属の力を振りかざしたのだ。
夢の世界が終息に向かう。
セトもリーベも知らない記憶。
誰かの記憶の続きが再現される。黒い島が崩壊し宙に浮かんでいたその超巨大構造物が大地と海に向かって落ちていく。
それでも尚、戦い続ける四聖獣と人型の黒の異端者。
まるで世界から切り離された様に、その戦いの光景を眼下で眺めるセトとリーベ。
セトが口を開く。
「分からなくても仕方ないよね・・・。だってリーベの意志じゃないもんね」
セトは眼下で戦い続ける5柱の怪物たちを眺めながら想いを呟く。
片方は憎い敵。リーベを。聖女を。そして彼女を苦しめ聖女という因果で呪った存在。
「全部、ぜんぶ、あいつらが悪いんだ。リーベが苦しまなくちゃいけないのも、僕が殺されなくちゃいけないもの全部」
そして、もう片方は。
「でも・・・、彼が僕たちを助けてくれる。救ってくれるんだ。神共を出し抜き、殺す、そう、コロスことができる」
リーベの目が眼下で起きていることに釘付けになっていく。
信じられないと、だけどこれは起こったこと。誰かが見て記憶した出来事。
それは、四聖獣たちの肉を引き千切り、神話の一撃を防ぎ切り、逆に神に刻む一撃を叩き込んでいた。
最強のセフィラたちが落ちていく。
神話の肉体を血で汚されながら、四聖獣ケテルは疑問を吐く。
(この排除プロセスは過剰だ。これではこちらが、滅、ビ)
人型の黒の異端者は四聖獣ケテルの疑問など一切無視して頭を握りつぶしていた。
指の隙間から大量の血を溢れさせながら、痙攣するケテルを放り捨てる。
その左手には黒い島から落ちた二人をしっかり抱えて、守るように四聖獣たちを屠っていた。
黒の異端者の中でも最も異質で、最強の存在。
名はアニムス。
アニムスを願望の眼差しで見つめるセト。
求める力、渇望するものがそこにあると手を伸ばし届かないと気付いて我に返る。
セトがリーベに意識を戻し。
「リーベ、この力があれば。最強の黒の異端者が手に入れば僕たちは神に勝てるんだ。・・・だから」
「だから、・・・・・・君が欲しい」
「・・・!?」
リーベの身体の芯を何か悪寒のようなものが走り抜けた。
セトの雰囲気が変わり始める。
我慢していた何かを吐き出すようにリーベに手を伸ばしながら。
「聖女の力が、セフィラの力がいるんだ。次元転移には上位次元の存在因子が不可欠だから。下位次元の神である異神じゃダメなんだ」
「ッ違う!」
「違わない。魂神を殺すにはアニムスがいるんだ! 奴らに封印されたアニムスを解き放って、僕は今度こそ!!」
「セトじゃない!!」
リーベの拒絶が響き渡る。
夢の世界が停止する。
世界がスローモーションのように映り、リーベとセト以外の全てが止まった世界で、悪夢は待っていたと笑いながらセトの声で歓迎した。
「ハハハ、やっぱりバレるか。あわよくば、このまま夢の世界に取り込んでやろうと思ったけど、バレたなら仕方ない」
セトの姿をした誰かは、セトが決してしない仕草を取り、ゆっくりとリーベの方へ歩いてくる。
リーベは警戒し逃げ道を探すがここには何もない。
道も、大地も。何も。
眼下には青白い光の放流となって男と女に飛び掛かる四聖獣たちが映し出されているだけ。
誰かはそれを説明する。
「それは彼女が聖女になった瞬間だ。存在が分割され魂神が生きながらえるシステムの一つになった瞬間さ」
「私が・・・?」
「ああ、そして、同時に彼は呪われた。理解できないものには仮初の肉体と役割を与えて世界に縛り付ける。魂神のいつもの手さ。お前も覚えがあるだろ? クリファたちがそうだ。次元転移の失敗だけであんな存在が生まれるものか。理解できないから仮初の人間にして、仮初の肉体が壊れたら壊れたまま元の次元に戻しているんだよ。理解できないから!」
ジリジリと後ろに下がっていくが、後ろに出した足が空を切った。
リーベが足を踏み外し、止まった世界の空に飲み込まれそうになる。
必死に見えない床にしがみつき、迫るセトの姿をした者から逃げようとする。
「ッ~!」
「ハハッ、か弱いな聖女エハヴァ。いつも守られて来たんだろう? 最後には殺してしまうのに。愛してくださいって、命尽きるその時までって!」
悪夢の手がリーベの腕を掴んだ。
その瞬間に、リーベの意識に衝撃が走る。拒絶反応のような自身が消滅してしまうような感覚。
自分を消し去ってしまう何かが、この悪夢にはある。
「!!?」
「そうさ、呪われた彼は仮初の存在のまま存在し続けるしかなかったんだよ。曖昧で自分が何者かも薄れてしまう恐怖の中で。安定しない存在は次元をまたがり揺らぎ、それこそ夢のように存在している。それが俺、お前たちがいうダートだ」
「嘘だ・・・、嘘だ! ラビは、お前なんかじゃない!」
「覚えてもいないのによく言う。まぁいい、確かに俺はラビじゃない。ラビだった何かの成れの果てさ。揺らぐ存在が一個人という自我を維持できる訳がないからな。ラビだった奴は大昔に消えてなくなったよ」
「嘘だッ!!」
今まで叫んだことのない声で、強く。とても強く否定した。
ダートがラビだったなんて、信じない。
信じたくないと、リーベの心がそう叫ぶ。
最も古い彼女の意志の深層がダートを拒絶する。
だが、まるで無力なままに、その拒絶すらも飲み込まれ。
ダートは不敵に笑いながら。
「これで二人。聖女ペシャと聖女エハヴァ! 約束の地ホクマに攻め入るのには十分!!」
リーベがかき消されそうになる意識を必死に繋ぎ止め、抵抗しようともがく。
取り込まれるくらいならここから落ちると。
ダートの思い通りにはさせないとして。
いきなりダートが真横に吹き飛んだ。
セト姿をした体から血を吹き見えない床に血の模様を描いていく。
その勢いのままにリーベは引き上げられ、上にいた彼らを見た瞬間リーベの心から全ての不安が消え去った。
「待たせてゴメン。リーちゃん!」
「リーベ少し待ってて。ぼくとセト兄ちゃんで、ダートをやっつけるから!」
ようやく。
ずっと、ずっと待っていた。
リーベの目から涙が溢れてくる。感情も、想いも。
一年待たされた。
だから。
「あんな奴、とっととやっつけちゃえ!」
とっとと終わらして、ようやくの再開を喜ぶんだ。
精一杯、一年分!