第百八十三話 意識の深層
どこまでも広がる森の木々。
空を覆い、うねり絡み合う根が地面の形を分からなくさせて旅人を闇へと誘っている。
鳥たちの鳴き声は聞こえず、音は森の奥に飲まれて返ってくるのはおぞましい声だけ。
そんな樹海の只中にリーベは一人放り込まれた。
なぜ、いきなり森に来てしまったのか、リーベには分からない。
幼いアズラとセトの二人がどこに行ってしまったのかも、分からない。
そもそも、ここがどこなのか、どうすればいいのかも。それすらリーベには分からなかった。
「ここ、どこ? セト、アズ姉さん・・・」
二人の名を呼ぶが、その声は森に飲まれて掻き消えてしまった。
返ってくるのはおぞましい声だけ。
この声は何なのか?
リーベは注意深く聞いてみる。人の声のようにも、魔獣の咆哮のようにも思える。
それとも、ただの風か。
樹海の中にただ一人。
その孤独がリーベの心を揺さぶり、おぞましい声がつけ入る隙となった。
内と外から暗い世界が広がり、道しるべがこの声だけとなっていく。
何かに引き寄せられるようにリーベはその声の聞こえる方向へと進み始める。
木の根が複雑に絡み合った足場は地面が見えない。
目の前も木の根が視界を塞ぎ、さながら樹海の迷宮。
光を塞いでいるせいか温度が低く。体温を。温かさを奪っている。
そんな中を僅かに樹海に降り注ぐ光を頼りにさらに奥を目指していく。
確実に何かに引き寄せられている。
リーベにもそう感じる違和感はある。
それでも、周りが闇で、心は孤独だからこそ、リーベは何かがあるその場所へと向かう。
木の根の道を進み、開けた場所へと飛び出した。
「ッ!? セト!」
そこにいたのはセトだ。幼い姿のセト。
リーベから見て、かなり離れた所におり開けた先の樹海の中へ入ろうとしている。
進んできた道はかなり上の位置にあって飛び降りることは出来ない。
セトはその小さい体を活かして木の根の下を潜って進んで来たのか、樹海のさらに深部へと入っていく。
呼び止めようとリーベは叫ぶ。
「セト待ってッ!」
しかし、セトは顔をキョロキョロさせるだけで止まってはくれなかった。
リーベを置いてさらに奥にへと行ってしまう。
樹海の木々がリーベの声を反響させ、どこから聞こえた声なのか、まったく分からなくさせてしまっていた。
セトを追いかけるため急いで木の根を降りていく。
コン・・・と、木の根が避けるように開けた場所に下りた。その足裏に伝わる感触にリーベは驚く。
「ひゃっ!」
伝わってきたのは冷たさ。足元に見えるのは黒光りする固い岩盤。
金属だ。
木の根が入り込めない一枚の金属の岩盤がそこにあった。
土に完全に埋もれず、金属の冷たい板を晒している。
樹海が開けていたのは、大きな金属の塊がいた所為。それに、よくよく周りを見てみると金属の柱に木の根が纏わりついて樹海の一部となっている。
巨大な金属の塊が、樹海の下に隠れているのだ。
いつか見た先史文明の遺跡だろうかとリーベは思いながらその上を進んでいく。
今はセトを追いかけるのが先だ。セトの入っていった場所へリーベも飛び込んで、さらに深部に向かった。
ここを深部と思うのは、その暗さからだろうか。
それとも、漂う異様な雰囲気。
木の根の道の下。そこは草木が腐り落ち、生物の骸が道となる所。
辺りに生い茂る植物もその様相を変え、食虫植物や巨大キノコなど禍々しいイメージを与えるものになっている。
道を踏み外したら来てしまう迷い道。
そんな場所にリーベは来た。
深部に来てしまったとしてもやることは変わらない。
目を凝らしてセトを探す。
だが見当たらない。
「・・・どこ行ったの?」
ポツリと呟いたのは不安を紛らわすため。
セトとアズラと会えない。
ハーザクもどこにいるか分からない。
孤独はリーベにとって、とてつもない負担となっている。
不安だが進むしかない。おぞましい声もだいぶ大きくなってきている。
そこに何かがあるはずだ。この夢の世界の何かが。
深部をかなり進んだ時、甲高い金属音が聞こえてきた。
金属が固い何かにぶつかった音。
ガンッ! キンッ!
断続的に、そして意志を感じさせる音の回数。
誰かが剣を振るう音だ。
そう分かった瞬間にリーベは走り出した。音のする方へ誰かがいる所へ。
そこへリーベが飛び出した。
「なッ!? 子供!!?」
「!?」
目に飛び込んできたのは一人の男と地面に倒れた女。
男は黒髪だが、女は灰色の髪をしている。
その二人に立ちふさがるように。
「ギィィィイィィィイィィィィイィィィイィイイ!!!」
咆哮を上げるのは魔獣 ギム・ゼント。
甲殻に覆われた目を4つ持つ細長いムカデのような胴体。さらに顔の付け根あたりから長い鎌のような顎生やしている、全長5m強はある魔獣。
狡猾で残忍。
森に住みつかれたら即座に退治をしなければならない魔獣だ。
そのギム・ゼントと男の間にリーベは飛び出してしまった。
突然の状況にリーベの足が止まる。それは死を意味した。
「逃げなさいッ!!」
「ッ!?」
男の言葉に驚くリーベにギム・ゼントは容赦なく襲い掛かった。
鎌のような顎を開き、リーベの懐目掛けて突っ込んでくる。
捕食者に狙われた子ウサギのように動けない。
リーベがギュッと目を瞑り迫る脅威から逃げ出そうとする。
「・・・・・・ッ」
体に衝撃が走った。吹き飛ばされ宙を舞う感覚。地面に叩き付けられ腕と足を擦りむいていく感触。
激痛が腕と足を走り、痛さで目を開ける。
「・・・ッ!」
そこにはリーベを庇いギム・ゼントの口の中へ剣を叩き込む男の姿があった。
深々と剣を口の中に突き刺し、致命傷を与えている。
だが、男もギム・ゼントの顎に挟まれ体を両断されかけていた。
「グ・・・ガッ・・・!」
肺を押しつぶされもう声も出ない。
口から出るのは血だけだ。それでも、男は後ろに振り返り倒れている女の方を見た。
男はもう何も喋れないが、目が告げてた。
その子を頼むと。
リーベが痛みと恐怖で震える足を引きずり、倒れている女の側に寄る。
そして、彼女が覆いかぶさって守ったものを見た。
「セト・・・!」
彼女が守っていたのはセトだ。
うずくまり、恐怖で震えている。
でも、彼女は守り切った。
リーベが手を伸ばしセトの手を握り締める。立ち上がりセトを抱き寄せ一緒に逃げようと男の方を見るが。
男は、事切れていた。
自分の所為だ・・・。
罪悪感が。
罪の意識がリーベを蝕む。
逃げなければいけない状況で、立ちすくんでしまう。
そんなことをしている間に新たなギム・ゼントが集まり出していた。4、5匹は集まってきている。
今走り出さなければ、確実に殺されてしまう。
だが、目の前にいる男の姿が目に焼き付いて離れない。
「ッ!?」
放心状態になっていたリーベの腕をセトが引っ張った。
泣きじゃくりながらも精一杯の勇気を出して、今すべきことをリーベに思い出させる。
我に返ったリーベはすぐにセトの手を引いて走り出した。
「こっち!」
元来た道を全力で走る。
助けてくれた男と守り抜いた女を置き去りにして、生き残るために。
視界が開け、巨大な金属の塊が埋まっている場所に戻って来た。
荒い息を吐き、もう走れないとリーベとセトは膝を付き倒れ込んでしまう。
(これも、こんな怖いこともセトの夢?)
そう、ここはセトの夢の中。
夢の世界だ。なら、この出来事もセトの記憶に起因する。ということは、彼らが死ぬことは決定事項だったのか。
たとえ、リーベが夢の世界に介入し彼らを救っても事実は変わらないだろう。
おそらく、夢の世界の続きは彼らが死んだ可能性のみで進みリーベのしたことはなかったことになるのではないか。
この記憶は、セトの言っていた両親の昆虫退治のことで間違いない。
村から森にいきなり飛んだのは、セトの意識に深く刻まれた記憶が断片的に再生されてリーベの前に現れている所為だ。
少しづつ、この夢の世界のルールが分かってくる。
セトに強く印象付けた記憶が再生されるなら、次の記憶はなんだ?
リーベは夢の世界の変化を警戒しながら、後ろから迫るギム・ゼントの群れから逃げるため立ち上がって走り出す。
酸素が足りなくて胸が痛くなる。呼吸が続かず足が止まっていく。
それを無視してリーベは走った。
セトはこれを生き残っている。じゃないとリーベはセトと出会っていない。
必ず助かるとガムシャラに走り続ける。
「ハァハァ、ハァ、ハァ・・・」
ガムシャラに走って、樹海の開けた中心に入った瞬間で。
リーベとセトはギム・ゼントの群れに囲まれた。
「うぅぅ・・・アズ姉ぇ・・・」
セトはもう泣くことしか出来ない。
助けられるのはリーベだけだ。
セトの手をギュッと強く握り、リーベは強く祈る。
青白い光を束ね上げ、それを上位次元にいるセフィラへと送った。
自身と契約したセフィラ、イェホバ・エロヒムを召喚するために。
だが。
「・・・・・・え、あれ?」
来ない。いくら待てどもイェホバ・エロヒムは召喚されない。
何度もイェホバ・エロヒムを呼ぶが、全く反応がない。
魔獣に抗う術を失ったリーベの表情に絶望が覗き始める。
それでも、セトの手だけは強く、強く握り締めギム・ゼントたちを睨み付けた。
(私が何とかしなくちゃ!)
必死に生き残るための手段を探す。気休めにしかならないかも知れないが、木の枝を拾い上げ威嚇するように構えた。
ギチギチ・・・と口を鳴らしながらギム・ゼントたちが距離を詰める。
徐々に追い詰められ、リーベが木の枝を振り回して時間を稼ぐ。
その僅かな抵抗もギム・ゼントに弾かれ、木の枝が宙を舞う。
嘲笑う様にギム・ゼントがリーベの目の前で口をかち鳴らす。今からお前を食うと宣言するように。
大顎が開かれリーベとセトを両断しようとした時、リーベが一か八か体当たりをかました。
突然の反撃にぐらりと姿勢を崩すギム・ゼント。その隙を突いて二人は走り出す。
逃がさないとギム・ゼントたちが一斉に飛び掛かって立ち塞がるが、なぜか一体のギム・ゼントが地面に落ちる。
「!」
矢がギム・ゼントの頭を、急所を見事に撃ち抜いていた。
立て続けに矢が降り注ぎギム・ゼントたちの動きを封じていく。
「セト!! お父さん! お母さん!」
叫んだのはアズラだ。
討伐隊と一緒にセトたちを助けに駆け付けた。
一気に形勢は逆転する。
ギム・ゼントたちが矢と術式に翻弄され、剣で止めを刺されていく。
リーベとセトを食らおうとしていたギム・ゼントも術式に吹き飛ばされ剣で串刺しにされている。
「助かった・・・」
リーベが安堵の声を出す。
もう、疲労困憊で倒れそうだ。駆け付けた討伐隊の人にセトを預けようとして手を伸ばす。
ザスッ・・・!
「その子を放せ! 魔獣めッ!」
なぜと、聞けなかった。
その前にリーベの命が奪われたから。
深々と突き刺さった剣を眺めながらリーベは地面に倒れていく。
憎い相手を見るように見下ろす討伐隊。
向けられる視線は恐怖と憎しみ。
意識が遠くなる。消えていく。
全身の力がなくなり黒い翼がリーベの視界を覆って暗い闇に沈んでいった。
----------
暗い。
何もない。
闇しかない世界で、リーベは目を覚ます。
呼吸をすると同時に刺された感覚がぶり返して胸を抑え込んだ。
まだ、刺された感触が生々しく残っている。
剣は刺さっていない。
自分が無事という事実を認識しても、それを信じられずに冷や汗が溢れていく。
悪い夢でも見たように息が荒くなる。
無理矢理に息を整え、冷静を装い状況を把握しようとする。
暗くて何も見えない。
自分の手すらも見えない。
だが、暗かった世界がリーベの目覚めに合わせるように徐々に明るくなり始めた。
頭上で無数に輝く光に、4つの白い輝きが世界の中心に佇んでいる。
リーベは迷わずその輝きに近寄った。
輝きの中にセフィラがいるのが見える。それに人が二人いるのも。
セフィラがいるということはハーザクがいるかもしれない。
リーベの走る速度が上がり、輝きの中にいるセフィラたちがハッキリと姿を現した。
「ッッ!!」
その姿を見てリーベは驚愕する。
そこにいる4体のセフィラをリーベはよく知っているからだ。
世界が一気に鮮明に映りだす。
ここは黒い巨大な島の上だった。
黒い虫たちが飛び回り、ここを滅ぼしに来た4体のセフィラと対峙している。
ここは、ある世界の終着。
そして、今の世界の始まり。
そこに全ての四聖獣と、全ての黒の異端者が集っていた。
魂神の子供たちと異神の子供たち。
それだけじゃない。ここには今の世界の始まりが全て揃っている。
奥にいる二人の人間。
一人は女。
腰まである透き通った赤い髪に青い目の瞳。
白い布を体に巻きつけ、ローブを纏うように固定している。
首と額には刺繍の入った金属器を飾っている。
聖女といった象徴となるような顔立ちではなく、母のような優しさに溢れる顔立ちの女。
もう一人は男。
髪は雪のように白く一部に少し灰がかかったような色をしている。
髪型はあまり気にしないのか耳が完全に隠れるほど伸びていた。
動物の皮でできた胸当てを肩から巻きつけ、右手に剣を構えている。
いつでも戦えるように。
これは。
これは、セトの記憶ではない。
リーベは確信を持って言える。
これは、自分の記憶。
自分が見た夢だと。