第百七十八話 黒の覚醒
口から血を流し、もつれながら地面へと急速に落下していく。
手足が風に縛られたように自由がきかない。
それでも、何とかしようとアズラは迫る地面を見ながら風の術式を展開した。
手足の先に噴出孔を作るようにして風の出力点を創り出す。
四肢を上手く動かしながら風を噴出させて体勢立て直した。
「ぐっ、これで」
体を反転させて上空を見上げる。
アズラの真横には爆発炎上しながら落ちていく空中戦艦ヌークレオの姿があった。無残な姿で地面へと墜落していた。
地面に墜落し巨大な火柱を上げながら、それが戦いの始まりとでも告げるように、アズラの頭上を影が覆う。
それは、血界型魔装獣がアズラ目掛けて急降下してきていたからだ。
迫りくる巨体を目にしアズラの顔に驚愕が浮かぶ。だが、彼女はそれを冷徹な戦意でかき消した。
冷静に両手の第弐魔装・絶対魔掌を握り構え、魔力を拳に集めていく。
白いスジのように伸び集まった魔力を束ね、拳を覆う武器とし急速落下してきた血界型魔装獣を真正面から受け止めた。
ドゴォッ!!
空を立てに裂く様に激しくぶつかり合う両者。
激突点を中心に衝撃波が広がり、球状に雲が掻き消える。
魔力総量は互角。しかし、魔装獣の巨体が人であるアズラをその質量に任せて押し込んできた。
「ガッ!」
踏ん張ることができない空中でアズラが弾き飛ばされ、一気に地表近くにまで落下してしまう。
「こっ、んの!」
目に飛び込んでくる地面。
考えるよりも早くアズラは大量の魔力を地面に向けて叩き付けた。
叩き付けられた魔力は純粋なエネルギーとなって爆発を起こしアズラを飲み込み、その衝撃はアズラの体を上へと持ち上げ落下速度を強制的に緩和する。
「ッー・・・!」
無理矢理に地面への直撃を回避したアズラだが、それでも地面への落下は避けられなかった。
落ちた場所は首都近辺の荒野。
アズラが体に走る痛みに顔をしかめる。落下によるダメージは殺したが、それでも爆発をモロに受けたのだ。
爆発によるダメージが全身を容赦なく甚振っていく。
だが、そんな痛みを堪えるアズラの事など無視して血界型魔装獣は襲い掛かる。
地面に落下したアズラを狙い撃ちにするように、この世の現象を蝕む魔力、異の魔力で消し去ろうと逃げ場がないほどの黒の壁を生み出していた。
背中の術式ブースターを用いても避けきる前に飲み込まめれて終いだろう。
あの攻撃をは受けるしかない。
アズラはそう考え癒呪術式でダメージを回復し、第弐魔装・絶対魔掌を両手とも前へと構えた。
あの異の魔力はあらゆるものを消滅させる魔力。
人も例外ではない。非常に危険な魔力だ。
だが、異の魔力は人が普段用いている基の魔力にて相殺が可能。
アズラはそれを知識としては知らないが、黒の異端者との戦闘。そして、ファルシュとの死闘で経験により理解していた。
両手の魔装に魔力を込め、異の魔力の黒い壁を突破するための魔力の武器を構成していく。
だが、アズラはある異変に気付いた。
魔装を覆った魔力の膜が思ったよりも小さい。
武器を構成するだけの魔力でギリギリといった感じだ。
残りの魔力が底をつきかけている。
空中戦艦ヌークレオと癒呪暴走体兵に虚無の一撃を立て続けに使用したのがここで裏目に出ていた。
魔装獣というより強大な敵を前に、これは致命的なミス。
「魔力が残り少ない・・・、それでも!」
それでも、アズラが戦意を維持し気持ちを乱さずに魔力の槍を構築してみせる。
両手で支えなければならない大きさ魔力の槍。
最小限の魔力で最大の貫通力を発揮できる形状とするため、さらに捻りを追加していく。
貫通力に加え回転力。
出来上がった槍を回転させていき、周囲を巻き込むほどの渦を槍から発生させる。
渦の中心にあるアズラが手にするのは白銀の槍。
その槍が来る前に仕留めようと魔装獣が異の魔力をアズラへと解き放つ。それは黒い津波だ。
目の前を覆い尽くすまでに迫った黒い津波。全てを飲み込む死。
そこに一槍の一撃を。
死を貫き、黒を蹴散らす魔力の槍をアズラは撃ち込んだ。
「ハァァァァァッ!!」
異の魔力と基の魔力が激しくぶつかり合い対消滅を起こしていく。
荒れ狂う黒と白の魔力から球状に広がるようにエネルギー波が撒き散らされ、全てを破壊する。
その光景を外から見るなら、黒と白が絡み合いながら互いを咀嚼していく姿に見えるだろう。
しかし、その潰し合いはあっさりと均衡が崩れた。
互いに同じ量だけ消滅する。それは魔力量の少ないアズラが圧倒的に不利ということ。
黒を貫き、強烈な渦に巻き込んでいくも圧倒的な量の前に、押し流されるようにアズラが異の魔力に呑まれた。
首都近辺が黒の魔力に沈み、世界の陥没地点とも表現すべき絵面に変わり果てる。
黒の海に囲まれていく首都ウェスタ。
破壊された第一城壁を超えて異の魔力が侵入し、町が浸食されていく。
そして、異の魔力の向かう先はこれも破壊された第二城壁。
もう、市民を守るものはない。
「意外と呆気なかったですね。アズラ・アプフェル、貴方はもう少し抗うかと思っていましたが・・・」
空に響くジュゼッペの声。
そして、黒の海の上を浮かびながら進んでいく魔装獣。
絶対に抗えない終焉を思わせるその異形の姿で、魔装獣は首都に入った。
魔装獣が入ったと同時に大量の異の魔力が流入し第一城壁が完全に崩壊する。
人々が暮らしていた町が黒の海に沈んでいく。
第一城壁区画を一直線に魔装獣が突き進んでいくと、すぐに第二城壁へとたどり着く。
魔装獣の前方には、崩壊した第二城壁に巻き込まれ瓦礫に埋もれるルスティヒたちの姿があった。
まだ、生きている。しかし、とても自力で脱出できそうに見えない。
崩れた瓦礫に動きを封じられている。
ルスティヒたちがこうなったらもう反撃できる者がいない。誰も魔装獣を止めることができない。
後は蹂躙されるだけだ。
なのだが、魔装獣にまるで意味のない攻撃が投げ込まれた。
それは石ころ。
魔装獣の赤い一つ目がギロリと石を投げ込んできた方向を見る。
そこには、恐怖に震えうずくまり動けなくなっている二人の亜人の男女とその子供だろう少年がいた。
少年が石を握り締めて、魔装獣に向かって投げている。
両親が恐怖怯えながらも子供を守ろうと抱き寄せているが、少年は一人魔装獣に立ち向かっていた。
少年のその無謀な行いをジュゼッペが褒めたたえるような声色で褒めたたえる。
「ほほう・・・。その勇気はご両親のためですかな? そう、それでこそ亜人です。人よりも魂神の可能性に近い種族だからこそ持ちえた強き心。非才は貴方の勇気に敬意を表しましょう」
ジュゼッペの声が響き、少年の勇気に応えるように魔装獣が手の平を優しく少年たちの前に出した。
この亜人の親子を貴方たちを迎え入れる。そうジュゼッペが少年に告げていた。
それを見た亜人の両親は恐怖の顔を浮かべるだけ。
手を差し伸べているのは魔装獣なのだ。自分たちを殺そうとしていた怪物。信用できるはずがない。
うずくまり恐怖に震えていく。
だが、少年だけは怯えていなかった。
その慈悲の手を払いのける様に石ころを全力で投げつける。
「でっかい怪物め! 騎士様の代わりに、おれが相手になってやる!」
少年は瓦礫に埋もれ動けないルスティヒたちのために勇気を振り絞っていた。
城壁の崩落から自分たちを逃がすため自分を犠牲にしたルスティヒたちのために。
「お前なんかやっつけてやる!」
ちっぽけな体にとびっきりの勇気で魔装獣の前に立つ。
少年の声に両親も恐怖に打ち勝つ勇気を貰い抱き寄せる腕に力が入る。
声はルスティヒたちにも届いていた。
瓦礫の中で拳を握り締めていき、立ち上がるための力が沸き起こっていく。
ガラリ・・・、瓦礫の下に埋もれていたルスティヒたちが体を起こし、瓦礫を押しのけようと全身に力を籠める。
ガ、ガガ・・・ゴトンッ、瓦礫が動いた。僅かに出来た隙間からルスティヒたちの姿が見える。
隙間から見えたルスティヒたちは土の術式により作り出された壁のおかげで、瓦礫に押しつぶされずに済んでいた
ディレクトア騎士団が瓦礫が降り注いだ瞬間、咄嗟に術式を展開したのだ。
ルスティヒたち全員を包み込む壁は用意できなかったが、それでも十分な結果を生んでいた。
瓦礫から這い出て来たルスティヒたちに対し、魔装獣がゆっくりと振り向く。
亜人の少年から優先順位を敵に切り替え、漆黒の外装からにじみ出た異の魔力より、同じ色の大剣を構成する。
定義としては、異の魔力より構成した魔装。
それを上段に構えた。
「降伏をお勧めしますが・・・、まだ戦うお積もりで?」
立ち上がり、武器を構えていくルスティヒたちを哀れと、切り捨て降伏勧告を下すジュゼッペ。
もう、決着は付いているだろう。
シェレグ城は一撃で陥落し、市民を守る城壁も突破されたこの状況。
そして、ルスティヒたちの前には魔装を構えた魔装獣。
力の差は歴然。見せびらかすように大剣に魔力を籠め邪悪に光り輝かせる。
邪悪な光が戦おうとする意志を削ぎ落としていく。
圧倒的な力が強靭な意志すらも屈服させる。
亜人の少年もその力の前に脚をすくませ、騎士たちすら気圧されていく。
だが、そんな魔装獣を前にルスティヒはキザったらしく髪を撫でながら言い放った。
「おや? 降伏は貴方の方ではないでしょうか?」
言い放ちながら剣に自身のほぼ全ての魔力を乗せて一振り、魔装獣の真似事のように剣を振るう。
挑発。
誰が聞いてもすぐに分かる程、全力の安い挑発だ。
そんな安い挑発をルスティヒは言い放つ。
もちろん、ジュゼッペはそんな挑発には乗らない。
「・・・残念です。非才としても一方的な虐殺は胸が痛むのですが、仕方ありませんね」
魔装獣が大剣を振り下ろそうと大きく腕を上げた。
それでも、ルスティヒは敗北だとは思いもしていなかった。
なぜなら、自分たちは耐えきることに成功したからだ。
防衛術式ごと破壊された第二城壁の内側から、閃光が迸る。
魔装獣の振り下ろした大剣を弾き、さらに魔装獣の外装を熔解させるほどのエネルギーが戦場を駆け抜けた。
「お待ちしておりましたゲネラール将軍!」
戦場に姿を現したのは、ゲネラール・カピルナ・ディレクトア。
フローラが最も頼りにしている将軍が、直属の騎士たちにさらに術式を発動させた。
再び閃光が迸る。
防衛術式としての機能を損なった城壁の膨大にため込まれた魔力を流用した攻撃術式。
その威力は魔装獣の防御力を上回る。
閃光の直撃を受けた魔装獣が異の魔力を前面に集め閃光を消滅させようとするが。
異の魔力が破壊力に押され逆にちりじりに散っていく。
防ぐのは無理と判断した魔装獣はすぐに回避行動を取って、閃光の射線上から逃れる。
魔装獣を押し込みながら合流したゲネラール将軍が、この戦場と言う地獄の真っただ中を生き残ったルスティヒたちに一言。
「まったく、私が遠距離術式の構成を指示していなかったらどうするつもりだったんだ」
ゲネラール将軍の呆れた声に、ルスティヒは自身満々に。
「賢明な将軍なら間違いなく、防衛術式を流用し遠距離による攻撃術式を用意させると信じておりました」
「だから、通信用魔晶石に方位と座標を直接送ったのか? 周囲の魔晶石が根こそぎ反応するほどの魔力を使う暇がよくあったものだ」
「それは、勝ち誇った敵は盲目になりますので・・・」
そう、あの挑発は魔装獣がいる方位と座標を伝えるためのフェイク。
フェイクに織り交ぜながらの本命。
ルスティヒの辞書に敗北は無い。
ゲネラール将軍の加勢で完全に勢いを取り戻したルスティヒたち。
反転しつつある戦局に、ジュゼッペはすぐに逆転の一手を打った。
「ふーむ・・・見事な攻撃でしたが、貴方たち何か忘れていませんか? ・・・そうです、癒呪暴走体兵はいいのですか?」
第二城壁を突破し首都の中枢を目指す癒呪暴走体兵。
魔装獣だけではない。ルスティヒたちは癒呪暴走体兵も何とかしなければならない。
だが、それは戦力の分断を意味している。
それを思い出させるように告げた。
しかし、それを聞いたゲネラール将軍が無造作に何かを放り投げた。
ゴトリ・・・と魔装獣の前に転がったのは、癒呪暴走体兵の核である魔晶石。
「!!? 何!?」
ジュゼッペの冷静だった意識に初めて動揺が走った。
目の前に転がるのは間違いなく癒呪暴走体兵の制御用魔晶石。
それが綺麗に引き抜かれている。
理解できない。癒呪暴走体兵がただの騎士に後れを取るなどあり得ない。
ジュゼッペの脳が危険分子はお前かとゲネラール将軍を警戒していく。
そんなジュゼッペにゲネラール将軍は突き付ける様に。
「ん? あの癒呪暴走体はそれほど特別だったのか。それは残念だったな。私の率いるディレクトア騎士団には術式分析に長けた者がいる。あれが何の可能性であれ術式ならば後れは取らん」
ゲネラール将軍が紹介するように、体を反らした先には一回り小さい身なりをした騎士がいた。
闇の術式より上位の術式を扱える者。
術式の分析、妨害などを得意とする彼にとっては、癒呪暴走体兵などただの分析対象という訳だ。
一気に戦局を覆す。
第一城壁を突破した敵は全てゲネラール将軍の攻撃術式の攻撃範囲に入り、魔装獣以外のアーデリ王国軍は援軍の騎士団を立て直したディレクトア騎士団の騎士団長により逆に追い詰めている。
立場が一瞬にして引っくり返っていく。
それでも。
それでも、ジュゼッペは警戒はすれど焦りはしなかった。
なぜなら、この魔装獣一機がいれば全て事足りるから。
「見事です。ベスタの力を確かに見せてもらいました。ですが、そろそろ終わりにしましょうか」
唐突に魔装獣が右手を真横に構えた。
警戒し身構えるルスティヒたちだが、すぐにそれは無意味だと悟ることになる。
魔装獣の右手に異の魔力が収束し、そして。
右手から打ち出された赤黒い閃光が首都の一区画を一撃で飲み込んだ。
直線状の全てが消し飛び、荒れ狂う崩壊の顎が町を薙ぎ払う。
「!!」
その一撃にルスティヒたちはただ立っていることしか出来なかった。
ジュゼッペは見せつけている。この戦いはすぐにでも終わらせることができると。
ただの一撃で、滅ぼせると。
右手を前にへと構える。
先ほどの一撃をルスティヒたちに放とうと異の魔力を収束しだす。
危険分子を抹殺しようと過剰威力を解き放とうと、手の平を大きく開いたら。
低く、深い、深い音が響いて来た。
それは後ろから、黒の海に沈んだ荒野から。
それが何なのか、ジュゼッペが一つしか思いつかない。
「まだ生きていましたかアズラ・アプフェル!」
すぐにし照準をルスティヒたちから異変へと切り替える。
右手を首都から真後ろに構え、赤黒い閃光を打ち放った。
第一城壁区画を消し飛ばし、自軍をも巻き込みながら異変の中心に大爆発を叩き込む。
だが、低く深い音は、爆発をものともせず大きく空気を揺らし、地面を割るかのように大量の異の魔力で出来た黒の海を真っ二つに裂いた。
裂け目から宙に浮きながら浮かんできたのは、黒い魔力を身に纏ったアズラだ。
異の魔力をその身に取り込んでいた。荒野を覆う大量の異の魔力をアズラが咀嚼していく。
魔力の底をつき掛けていたのが原因なのか、基の魔力が体から消滅し異の魔力だけが満ちていた。
外部からさらに取り込むことでアズラの魔力量が膨大に膨れ上がっていく。
高密度すぎて周囲の景色を歪めるほどの魔力が、アズラの体を覆い長い髪を持ち上げる。
そして、先ほどの一撃を返すように黒い光弾を右手から打ち放った。
魔装獣が防御するよりも早く右肩に直撃する。魔力が飛び散り漆黒の外装が砕け散る。
まだ、威力が足りない。
アズラは求める。あれを一撃で退ける力を。
まだ、足りない。
足りない。
足りない。
足りない。
それに呼応するように、シェレグ城の奥深く。
異端技術管理区画に隔離されていた黒い天使アレーテイアの赤い目が明滅した。