第百七十二話 すでに王手の盤面
深夜のアプフェル商会本店に血の臭いがする二人が誰も起こさないように、こっそりと戻って来た。
ランツェは真っすぐ自分の部屋へと消えていったが、エリウは中に入る前に血の付いた爪を水で洗い流し始める。
商会に戻るときはただのエリウとして戻りたい。そんなジンクスを感じては仕事の跡をいつも水で流していた。
「お疲れさん」
そんなエリウに声を掛けたのはディアだ。
彼も銀戦姫騎士団の一員となる一人。
そして、今回の任務を統括し指示を出したのも彼。
騎士団の役割では参謀となる予定だ。
爪を念入りに洗うエリウを見て、ディアはやれやれと肩をすくめる。
「またか? 最近多くなってないか。それじゃ困るぜエリウさんよ」
「分かってるニャ」
わざわざ言われなくても分かっているとエリウは不機嫌そうに答える。
自分でも分かっている。
無益な殺生は意味がない。それどころか、自分の立場が悪くなることの方が多い。
ましてや、エリウは亜人なのだ。人間でも罪に問われるのに、カラグヴァナ圏でかつ人前での殺人は問題になる。
まともな審議も裁判もなく処刑など亜人に対してはざらだ。
血の跡を綺麗に落としたエリウは本店の中にへと入っていく。
すれ違うディアはやれやれと、もう一度肩をすくめた。
早めに克服してもらわないと後々問題になる。
自分たちは騎士になったのだ。任務に私情を挟んでいては仕事にならない。
少し厳しいかも知れないが、任務をこなすのならエリウには心の傷を何とかして埋めてもらうしかないだろう。
「・・・さて、本人の問題は本人に頑張ってもらうとして、アズラさんに報告するか」
ディアも中へと戻っていく。
わざわざエリウにダメ出しをするように玄関で出迎えた彼だが、さて中で待っていなかったのは何故だろうか?
任務がどうなったか気になったのもそうだが、実は二人を心配していた。
特にエリウが心配だった。
本来なら任務などに付かせるべき状態ではない。
それぐらい彼女は心が疲弊している。
心の傷を何とかする。言うのは簡単だ。
でも、今の彼女には難しい。
(アズラさんも無茶をさせる・・・、いくら本人の希望でもダメだろ。こういうのは俺好みじゃないね)
心の中で愚痴を呟く。
元々裏稼業を生業にしていたディアには痛いほど分かるのだ。
エリウの辛さと焦りが。
心に巣くう絶望が。
あれは大切な人を失ったことで心に空いた絶望という穴を何とかしようともがいている。
エリウは絶望を殺意に変換し吐き出すことで心の平穏を保っているのだ。
そんな不安定な者がどんな結末を迎えるのか。
ディアは嫌というほど見てきている。
愚痴を呟いているとアズラの部屋の前に着く。扉をノックするが返事が返ってこない。
「ん? セトさんの所か?」
いつものようにセトの傍にいるのだろうかと早速向かってみる。
セトが寝ている部屋は本店の2階。
階段を上がり部屋の前にまで来てみると、中から話声が聞こえてきた。
アズラともう一人はリーベだ。
ディアがノックをしようとすると。
「覚えてないことは覚えてないもん。知らないもん!」
「ッ・・・、そうだよね。知らないのに聞かれても困るよね」
「むー!」
リーベの訴えるような声が扉の向こうから響く。
どうやら揉めているようだ。
(は、入りづれ~・・・。来るタイミングが悪かったか)
滅茶苦茶入り辛い目の前の扉から一歩下がってクルリと背を向け、さっさと退散することにする。
ほとぼりが冷めてからまた来ようと思ったが。
背を向け数歩進んだら扉がバンッと音を立てて開きリーベが飛び出していった。
いきなりだったのでディアは壁際に飛ぶように退避だ。
「おうおう、ご機嫌斜めなことで」
「ディア居たのね」
リーベが飛び出したということは、当然部屋からアズラも出てくる。
気まずそうにディアは目線を泳がせて。
「あ、いや・・・。誤解しないでくれよ。報告に来たらたまたま」
「分かってるわ。気にしないで」
気にするなと言われたら気になるのが人の性。
妹にあんなことを言われて傷付かないアズラではない。
ディアは二人のことが心配になった。
「・・・・・・あ~、なんだ。その大丈夫なのか?」
遠まわしな感じに、だけど単刀直入に聞いてしまった。
自分はこんなに口下手だったかと頭をかく。
「・・・」
(だぁ~! 気まずくなったじゃねぇか!)
黙ってしまったアズラを見てさらに気まずさを感じ、この場から立ち去りたくなるディア。
だが、ディアが耐えきれなくなる前にアズラが口を開いてくれた。
「大丈夫と言いたいけど・・・大丈夫じゃない。リーちゃん、やっぱり私のこと覚えてないのよ。分かっているんだけど、突然思い出すんじゃないかって聞いてしまう。私のこと覚えてる? って」
辛そうに答えるアズラ。
ディアもどうにかしてやりたいが、その術を持たない。
だから、語れるのは現状の答えだけ。
「記憶喪失ってのはそんなもんだ。・・・なぁ、もう一年経つんだから新しい思い出を増やした方が良くないか? 過去にこだわり過ぎると未来を手放すことになるって言うじゃねぇか」
「そんなこと誰が言ったのよ」
アズラの目が鋭くなった。アドバイスが諦めろと聞こえたようだ。
ディアは慌てて話を誤魔化す。
「誰だったかな。あ、そうそう本で読んだんだよ」
「・・・そう。で、報告は?」
「あ、ああ」
雰囲気が険悪になる前に話題が変わる。
ディアもホッとした。アズラもあまり聞いて欲しくないのだろう。
それでは早速と、報告を開始する。
「任務は成功。こちらの読み通りアーデリ王国のスパイ共が市民に紛れていやがった」
「情報は聞き出せそうかしら?」
「ああ、ただ事前に敵の目的を調べてみたら、持っている情報が異常に少なかった。まだ、吐いていないだけなのかもしれないが、命張るほどのことかね?」
尋問で吐かせた情報が異常に少なかった。
そのことに疑問を感じるディア。
あのスパイの忠誠心はディアの考えるより大きなものなのか。それとも、本当に知らないのか。
スパイをするということは、敵に捕らえられる可能性も高いという事。なら、捕らえられる前提で偽の情報を仕込んでおくのが定石なはず。
なのに、スパイたちは軽い尋問であっさりと吐き。そして、ある程度吐くとすぐに知らないと答えた。
「・・・本当に情報を知らされていないのかも。やることだけ伝えられてそれが何に繋がるかを伝えられていない。もし、そうだとしたら吐かせるだけ時間の無駄だわ」
「どうする? もう少し情報を集めるか?」
「スパイたちが何をしていたのかを洗い出して。相手の目的を少しでも逆算できれば対策もできるわ」
「了解だ。それとアズラさんよ。任務に随行するメンバーなんだがエリウを外させてくれないか」
いきなりディアがそんなことを言うから、アズラが驚く。
そして、当然聞き返した。
「どうして?」
「いや、どうしてって。あいつはしばらく休んだ方がいいだろう。敵を見ただけでブチ切れるなんて、とても正常とは思えない」
ディアの意見はもっともだろう。
精神に異常をきたしているエリウを戦いに連れて行くなど言語道断。無謀もいいとこだ。
怒りに我を忘れたエリウが敵陣に突貫などすれば、あっという間に殺される。
「・・・そうね。でもゴメン。もう少しだけ面倒を見てあげて」
「なんでわざわざ・・・、アズラさんが言うなら従うけど。あいつを危険に晒していることは理解してくれよ」
「ええ。分かってる」
分かっているとアズラは答えるが、ディアには理解できない。分かっているなら戦場から遠ざけるべきだから。
何か考えがあるのか。
だとしても、危険であることに変わりない。
アズラと別れたディアは自分たちが抱える問題の大きさに。なにより、その複雑さに頭を抱えるのだった。
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次の日。
アズラはいつもと変わらず近衛騎士としての任務をこなしていた。
今日の任務は、ディユング帝国の公爵との会談のため国境を接する町ホロスに護送するのが目的だ。
ベスタの指導者と帝国の公爵が互いに目的地へと移動し会談を行うのは、互いの立場は同等であるとお互いに示すためだ。
そう、ベスタ公国の公爵とディユング帝国の公爵の階級は同じ扱い。
帝国の皇帝とは肩を並べることはできないのだ。
並べられるのは、カラグヴァナ王国の王とツァラトゥストラ教の教皇のみ。
国の立場と国力がフローラの階級を決めていた。
晴れた空の下。
フローラを乗せた馬車が城を出発した。
馬車の周りをディレクトア騎士団が厳重に守護しながら市民に見送られていく。
過剰防衛にも見えてしまうが戦時中はこれくらいが普通だ。これくらいしないと守り切れない。
フローラの乗った青い装飾が美しい馬車の前には、近衛騎士隊長のアズラと銀戦姫騎士団の副団長予定であるルスティヒが先導を切っていた。
銀戦姫騎士団の副団長ということは、近衛騎士と同等の階級という事なのだろう。
それを示すようにルスティヒがアズラの横に並ぶ。
「アズラ様、騎士団としてではないですが共に任務に付けて嬉しい限りでございます」
「ええそうね」
「もしも、賊に魔獣が現れればこの騎士ルスティヒにお任せあれ。私の実力をお見せしましょう!」
優雅に髪をサッと撫で、人をイラっとさせるオーラを振りまきながら盛大なアピールに励むルスティヒ。
もう、私を見てくれ! 認めてくれと叫ばんばかりだ。
残念なことにアズラは目を背けているが。
第二城壁を抜けて、第一城壁区画に入る。
出迎える市民のいで立ちが少しみすぼらしく変わった。亜人の奴隷や生活に困窮する者たち。
彼らもフローラを見送る。その声はフローラに期待を込めたものだ。
権力者はこの手の者たちには嫌われるものだが、フローラはまだ即位して一年。
自分たちにとって悪い権力者か理解がある権力者か、彼らの中で決まっていないのだ。
だから、期待を込めている。
生活を良くしてくれと訴えているのだ。
だが、そんな彼らの声をルスティヒはうっとおしく扱った。
「まったく・・・。ベスタに貢献していないのに要求だけは一人前。困った人たちです」
ルスティヒの言葉を聞いたアズラがすかさず反論した。
「彼らも頑張っているわ。それでも豊かになれないのはベスタが国として未熟という事。私たちの力不足なのよルスティヒ」
ルスティヒの意見は間違っていないが、だからといって彼らを無下に扱っていい理由にはならない。
彼らが困窮しているのには理由があるのだ。その理由を調べ、原因を特定しないままにしておくのは間違っている。
アズラの意見を聞きルスティヒが少し考え込む。顎を指で擦りながら。
「その意見は・・・御もっともです。国が未熟、言われてみればその通りです」
意外と素直にアズラの意見を肯定した。
これにはアズラも目を丸くする。柔軟な思考と物事の捉え方。
貴族という権力者側から見た捉え方だけではない。その逆の捉え方ができる。
彼の評価を修正した方がいいかもしれないとアズラは驚きを持って受け入れた。
市民に見送られながら第一城壁前に到着する。
城門が開錠され、岩盤が多く広がる地形が顔を覗かせた。
魔獣が蔓延る外の世界。
「準備はいいかしら?」
「もちろんでございますアズラ様」
城門が開き切り、フローラを乗せた馬車の一団が進んでいく。
明るい陽射しがアズラたちを照らす中、急に空に影が差した。
太陽が雲に隠れて見えなくなっている。
陽射しが弱まれば移動が楽になると、アズラたちが思っていると。
「おい? あの雲だんだん下りてきてないか?」
「なんだ雨でも降るのか?」
一つの大きな雲が不自然な動きをして、市民たちがざわめき出す。
アズラもその声に釣られて空を見上げた。
確かに、太陽を隠している雲が変な動きをしている。
一つだけ他の雲と進行方向が逆なのだ。
風の向きを無視していた。
「あれは!? 騎士団戦闘態勢!!」
アズラが叫ぶ。
その異常に市民がざわめき出したとほぼ同時刻。
城下町の路地裏でディアたちはあるものを発見していた。
それは、祭壇のような石で出来た台座だ。
怪しげな台座はディアたちが近づくのに反応したかのように青白く光り出した。
「な、何だ?」
「これ、どっかで見たことあるニャ・・・。確か・・・」
空に影が差し、昼間だというのに暗くなっていく。
台座は青白い光を放ち続け、小さな光の玉を形成した。
それを眺めていたエリウは、何だったかと考えていると。
ランツェが。
「エウクレイデスの使っていた祭壇」
「それニャ! ・・・ニャんでそんニャのがここにあるのニャ?」
「その祭壇は何に使ってたんだ?」
ディアが祭壇を眺めつつも辺りを調べていく。
そんなディアの質問にエリウが得意げに答えた。
「ニャぁ、それはだニャ。転位するのに使ってたんだニャ。」
「ジグラットの奇跡だな。転位ってことは瞬間移動みたいなもんか。で、何を転位するんだ?」
「え、えっと」
「人やモノを転位していた。俺のいた村にも転位でいきなり現れた」
「それニャ!」
その答えを聞いたディアは顔を青ざめさせた。
「今すぐぶっ壊せ!!」
「ニャ!? ニャんで?」
「ばか! 退け!」
ディアが祭壇に向けて術式を放った瞬間、青白い光の玉は空に向けて光の柱を打ち上げた。
大きな光の柱が空に届き伸びていく。
一つだけではない。何本もの光が城下町より伸びていた。
術式が祭壇を破壊するもその異変を止めることは出来なかった。
ディアが舌打ちをしてアズラがいる城門近くへと走り出す。
空が暗く、そして、青白い光に包まれていく。
光は集まりそれはすぐに現れた。
空を覆う光の中心に穴が空き、ある地点と地点を結ぶ特異点が姿を見せる。
アズラたちの頭上に下りて来ていた雲がその特異点と重なった瞬間に、雲を引き裂いて弩級の姿を露わにした。
巨大な鉄の固まり。鉄の色以外を見せないその外装に、大量に取り付けられた大砲の数々。
その砲身は下へと向けられており、アズラたちを捉えて離さない。
200m以上はあるその全長からは、空に浮かぶ城を見た者全てに思わせた。
空中戦艦第二番艦。
ヌークレオ。
アーデリ王国軍が保有する移動拠点にして規格外の超兵器。
僅か1隻で町を滅ぼして回れる絶対脅威。
現在の技術レベルでは到底建造できない代物が、そこに存在しているという異常。
それが、アズラたちベスタの首都上空から襲い掛かる。