第百七十話 薄暗い部屋で見るモノ
ベスタ公国首都ウェスタの第三城壁区域。
整備された街並み、主用道路の端には水を流す溝があり、都市インフラが発達しているのが分かる。
屋根の色は青や赤と色取り取り、国が大きくなるにつれ城下町を拡張した結果、異なる色、形の家が混ざり合ったのだろう。
ここは、上級市民と呼ばれる納税義務を果たしている国民が住まう区画だ。
義務を果たしているという事は、貴族や公爵家に物言いをしてくる立場を得ているという事。
ベスタでは納税を果たしていれば支配階層に意見をいう事ができ、それが最もな意見なら実行するかどうかも考慮してもらえる。
物言えるのは国に貢献できているかどうか。
納税義務を果たせていない市民は国の中枢である城から最も遠い場所である第一城壁区画に追いやられて暮らしているのだ。
そんな特色があるベスタの第三城壁区域を一人の黒い神官が歩いていた。
すれ違う人は例外なく道を譲り、少し避けるように去っていく。
かつてベスタ公国ではジグラット支部の一つ、ベスタ公国支部が暴走して、神の名の下に非道を重ねた事件があった。
その影響は今も色濃く残っており、神官は尊敬の対象ではなく敬遠の対象となっていた。
たとえ黒い神官が殲滅神官という、高位の神官であってもベスタの国民たちには関係ない。
自分を避ける人々を見ながら、殲滅神官は、静かに思う。
ベスタは、ツァラトゥストラ教への信仰心が足りないと。
頭に脳みそが入っているのなら、少し考えればベスタ公国支部の連中が神の教えを説く者でないと分かるはず。
頭の狂った異常者であると一目で気付くと思うのだがと。
殲滅神官は、ただ真っすぐにある場所へと向かっていた。
その異常者たちがかつて巣くっていた場所。
ベスタ公国支部に。
着いた建物の館の扉を開け放つ。
なんの装飾もされていない質素な雰囲気の場所、異常者たち神官エウクレイデスたちが居た時とは随分と変わっている。
変わったというよりは戻したが正しい。
ツァラトゥストラ教は最小限の象徴となるシンボルを用意すれば、そこは信者にとっての聖域として十分機能すると教えている。
いくら着飾ろうとも無意味。必要なのは信仰心ということだ。
石の床に無造作に絨毯が敷かれており、その上を歩いていく。
扉から正面に見える壁にはツァラトゥストラ教のシンボルである樹を象った装飾が取り付けられている。
ジグラット支部なら在って当然の物。
殲滅神官はさらに奥へと進む。
館の奥へ。
ただの城下町にある館とは思えない暗い闇が掛かっている中を進んでいき、一つの扉を開け放った。
「・・・」
黙って入る殲滅神官。
部屋の中では、さらに高位な神官が一人黙々と椅子に座って作業をしていた。
白の神官服に赤が追加されている神官が、報告書を作成している最中だった。
殲滅神官はただ自分よりも高位の神官が作業を終えるまで待つ。
無言の時間が過ぎていく。
「・・・結果はどうでしたか?」
報告書をまとめていた神官が口を開いた。
その姿は、腰まで伸びる長い白髪、女性と見違えるほどの白い肌と美貌。
その突き刺すような目はすべてを見抜いていると思わせるほど鋭い。
全てを見透かされたような感覚をこのヴェヒター・デカダンス・ホーエンツォレルンからは覚える。
自分よりもセフィラに愛されている。
殲滅神官は、ヴェヒターが神官長に推薦された理由を初めて会った時に理解できた。
この雰囲気だ。
彼が纏う、神々しい気配。
あたかも祝福されたと錯覚する。
セフィラと、神話の存在と邂逅したと思わされるほどの存在感。
神話への敵対者を排除する殲滅神官も、他の神官よりも神話に近いはずなのにそれを凌駕している。
そんなヴェヒターに殲滅神官は、ただ事実だけを伝えた。
「マルク・ジョージルナ・スガンが、異の魔力の生成に成功しました」
「ほぅ・・・、帝国の技術を基にしたとはいえ、一年足らずで生成までこぎ着けましたか」
ヴェヒターが面白いことを聞いたと報告内容に興味を示す。
マルクたちはアーデリ王国に対抗するため、セフィラ因子を阻害するための装置を開発したと思っている。
だが、彼らが成し遂げたことはセフィラ因子を阻害するだけには止まらない結果を生み出していた。
それが異の魔力。
黒の異端者たちが生み出す魔力をジグラットはそう命名している。
魔力とは因果律の根本を司る力。
可能性を生み出すエネルギーだ。
魔力はこの世界に満ちている。あらゆる可能性を生み出し世界の形を定めている。
魔力は二つに二分される。
一つは白い魔力である基の魔力。
世界に満ちていて、術式や術式機械など人の文明に大きくかかわっている一般的な魔力。
もう一つが黒い魔力である異の魔力。
異神に係わる存在が行使するとされる因果律を書き換えてしまう異端の魔力。
基の魔力が因果律から可能性を生み出すなら、生み出された可能性を否定し因果律を変えてしまうのが異の魔力だ。
世界にある魔力とは真逆の性質を持つ力。
それをマルクたちは生み出したのだ。
ジグラットですら解明が進んでいない魔力。
当然、ツァラトゥストラ教の総本山である帝国も知りえない領域。
ベスタはその一歩を踏み出した。
踏み出してしまった。
殲滅神官が尋ねる。
排除するのかと。
「どうされますか?」
だが、ヴェヒターは排除の指示を下さなかった。
報告書に一筆付け加えて。
「・・・そのまま監視を続けてください。そんな玩具よりも私は彼女が気になります」
「アズラ・アプフェル」
殲滅神官はすぐに思い浮かんだ人物の名を口にした。
そして、それは正解だ。
ヴェヒターは、アズラに今最も興味を抱いている。
人の身でありながら異の魔力を操り、黒の異端者を召喚してみせた彼女を。
その鋭い目はアズラ捉えて離さない。
「黒の異端者アレーテイアの監視を継続。そして、アズラ・アプフェルに動きがあれば私に報告を」
「御意」
指示を受けた殲滅神官がただ部屋を出るだけなのに融けるようにいなくなった。
一人となったヴェヒターは報告書に手をかざし神術を展開する。
青白い光が報告書を撫でながら一つの球体にへと寄り集まると、小さな眼球を形成した。
宙に忽然と現れた目玉がギョロギョロと目を動かし、報告書へと視線を向ける。
速読でもするかのような速さで内容を読んでいき、最後まで読み終えた青白い目玉は青白い光へと霧散した。
極小のセフィラを召喚し報告書の内容をセフィラの記憶領域を用いて転送したのだ。
今頃は、カラグヴァナの王宮べヘアシャーで対となる目のセフィラが報告書の内容を執筆しているだろう。
作業を終えたヴェヒターは、本を取り出し読み始める。
本の題名はツァラトゥストラ原典。
ツァラトゥストラ教の成り立ち、教え、そして神話の全てが記された本だ。
ページをめくっていき、ヴェヒターがあるページで手を止める。
「黒の異端者・・・、新たに出現したのは主アイン・ソフの変化を拒んだのか、それとも人の変化を祝福するためか」
そのページに書かれているのは、異神と魂神が争う姿。
巨大な異形の姿をした黒い神と、巨大な人の姿をした魂神。
そして、その足元にいる黒い人々と白い人々。
それらは互いに武器を持ち、神々と共に争っている。
「どちらにしても、神々の均衡は揺れ動いた。それは私たちジグラットの大願も近いということ。そう思いませんか猊下?」
ヴェヒター以外に誰もいない部屋で誰かに返事を求める。
声は静かに響き。
薄暗い暗闇から年老いた声が返って来る。
「無論、そのために器となる国を用意した。我らの大願が果たされる時はもう間もなくじゃろうて」
狡猾な老人の声。その主は教皇ディオニュシオス。
場所という世界の制約を無視できる教皇の力。それはセフィラの祝福の一つ。
教皇を特別たらしめる能力。
声だけをヴェヒターの下に届けながら教皇は失望を込めながら言う。
「だが、聖女の確保が未だ成されていないのは問題じゃな。あの青二才目に任せたのが間違いか・・・」
「聖女エハヴァはしばらく贄に預けてもいいでしょう。彼らは、聖女の転生を生き延びた贄たちです。いずれ役に立つ時が来ます。問題は」
「問題は、聖女ハーザクか。セフィラ界への転位を阻めるとは、余も想像しておらんかったわ」
忌々しそうに吐き捨てる教皇。
それだけ聖女ハーザクの力が強大という事だ。
それを分かっているのに、ヴェヒターは軽くこう告げた。
「アーデリ王国への進軍と合わせて聖女の捕獲を実行致しましょう。敵が何を企もうとも要となるのは聖女ハーザク。彼女を抑えればこの戦争も終結します」
「誰が指揮を執る?」
「私が執りましょう。タウラス陛下にはアーデリ王国軍のお相手をお願いすると致しましょうか」
その言葉に狡猾な老人は明らかに笑みを浮かべた。
その場に居なくても分かるほどの狡猾な笑み。
「お前が出るのだな? フッフッフいいじゃろう。殲滅神官を連れて行くがよい」
「痛み入ります猊下」
「よい。では、余は軍を動かすとしよう。青二才に働いてもらわなければな」
その言葉を最後に教皇の気配が完全に消えて無くなった。
再び静かになった部屋の中で、ヴェヒターは本の続きを読み始める。
ペラ・・・と紙をめくる音が響く。
静かな時間が流れようとした瞬間。
一瞬にして召喚された上位セフィラのラツェルが部屋の扉を叩き切った。
バゴォッ!! と扉が斬り倒される破壊音と壁のレンガが砕ける音。
舞い上がる埃を青白い剣で斬り払い、部屋の外に飛び出る。
ラツェルに続いてヴェヒターも外に出て誰もいない廊下を見渡しながら。
「逃げられましたか。下がりなさいラツェル」
ラツェルが声と共に青白い光に消え、ヴェヒターは逃げた侵入者に言葉を送る。
「痕跡も残していない・・・まぁいいでしょう。私が取り逃がす人物はそれほど多くはいないのだからな!」
その言葉は次は逃さないと告げていた。
部屋へと戻っていきながら腕を振り神術を発動させる。壊した壁と扉が元に戻っていき再び元通りの姿となる。
そんなヴェヒターの様子を外から窺う一人の影。
「・・・」
陽が落ち逆光で顔は見えないが、髪は黒色で前髪だけ白く白髪となっている男。
用心深く、そして冷静に男はその場を離れていった。
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今日の仕事が終わり、一旦商会に戻って来たアズラ。
一日働きず目で疲労が溜まっているだろうが、少し休憩を取ったらまた城へと出かける。
わざわざ戻って来たのはもちろん、弟のセトと妹のリーベが心配だからだ。
本店の玄関を開け。
「ただいまー戻ったよー」
中に声を送るとタタタと小走りでリーリエが走って来た。
「お帰りなさいアズラさん」
「リーちゃんは?」
「今お風呂から上がったとこです。急がせますか?」
「ううんいいわ。先にセトに会って来る」
「はい」
そう言うと、真っすぐセトの下に向かうアズラ。
きっと今日も彼の眠るベッドの横で彼の快復を祈るのだろう。
それをいつも見ているリーリエはとても辛く思う。
生きているのに、まるで死んでいるみたい。
一向に目覚めないセトを見ているとそう感じて辛くなる。アズラも同じだろう。
リーリエは着替えを手伝っていたリーベの所に戻り。
「リーちゃん。アズ姉さん返って来たよ」
「うん。アズラ・・・さん」
「・・・。ささ! 早く着替えて会いに行こ!きっとアズ姉さん待ちくたびれているって思うよ」
「・・・うん」
アズラが帰って来たと伝えても、嬉しそうな反応が返ってこない
記憶が欠落した後遺症。
自分の姉を覚えていないのだ。
何故こんなことになったのかリーリエには分からない。分からないがリーリエは笑顔を浮かべながらいつもの白いワンピースを着せてあげる。
「行くよリーちゃん」
「うん」
自分のことは覚えてくれているリーベ。
セトのことも覚えている。
だから、きっと姉弟一緒にいれば失った記憶も戻るだろうとアズラの下に連れて行く。
でも、連れて行った後リーリエはさらに悲しく辛くなるのだ。
目覚めないセトの手を握り、ただ祈るように心配するリーベの姿を見ることになるから。
「はい、今日もいっぱい甘えておいで」
だから、最近は部屋に姉弟水入らずの時間を用意してあげている。
姉弟だけの時間。そうすれば、辛い所を見なくて済むから。
セトの部屋に着いたリーリエがリーベを部屋に入れて、自分は廊下に残った。
扉の前で腰掛けながら。
「私ってイヤな奴・・・・・・」
辛さから逃げる自分が嫌いになりそうになる。
なりそうになりながら、今日もお茶を用意する。
希望を込めて3人分。
お茶を用意する。