第百六十七話 違ういつもの日々
手渡された資料に目を通し、大まかな敵の位置や地形を把握していく。
確認作業が終わればすぐにでも首都を出立だ。
アーデリ王国の先兵にどう対処するかは、今後の戦況に大きくかかわる大事な所。
大事だからこそスピードが求められるのだ。
ヒギエア公国に援軍を出すための準備期間が、そのまま国境沿いの敵排除に充てられる期間となる。
かなり無茶な要求だが、言い出したのはアズラ自身だ。
援軍を出すという情報を敵に察知されることなく実行するにはこれしかない。
ようは、国境沿いの敵にベスタが出て来たと思わせればいい。先兵がアズラに食いつきベスタ公国首都ウェスタでの動きを察知されなければいいのだ。
さらに、アズラが短期間での勝利を挙げることで、アーデリ王国はヒギエアに送られたベスタの援軍という情報を得る機会を喪失する。
それが、こちらが思い描く最高の展開。
だが、その中上手くいかないのが当たり前だ。
アズラが用意された鎧を着こんでいく。
白いコートのような服に鎧を付け足した見た目。鎧はあくまで騎士だと主張するための飾りだ。
動きやすさに重きを置いた作りで、鎧の付いたコートを纏い胸の上辺りにある金具を固定している。
胸の部分には鎧がないのでその小さい丘がちょっと押せつけられているのが強調されている感じだ。
アズラの着ていた装備の癖や感じを可能な限り再現した鎧なので、その見た目も若干近いものとなっている。
青い布地のズボンを穿き靴に足を入れて。
最後に手甲を装備すれば準備完了だ。
手を握っては開いてみて手甲の感覚を入念に確かめる。
1年前まで使っていた手甲はもうない。あの日の戦いで失ってしまった。
だから、ここにある手甲は新しいものだ。
ベスタ指折りの職人たちが手掛けた近衛騎士隊長専用の手甲。
右手の手甲に赤く輝く結晶体。左には青く輝く結晶体が埋め込まれている。
特別指定個体ザントゾルのコアを埋め込んだ特別製。
アズラたちが討伐したザントゾルのコアを武器に転用したのだ。
ザントゾルのコアは魔力と非常に馴染みやすく、術式と使用者の魔力応答感覚をより精密に繋ぐことができる代物。
あの魔獣がそんなコアで動いていたということは、砂の体も水の体も魔力で操作していたということだろう。
手甲に魔力を通してみると、ビックリするほど自然になじみ滑らかに光り輝く。
金属部分に彫り込んだ溝が、術式のコードを補助する効果を伴い繊細なコアの制御を確実にしている。
見事な技術だとアズラは内心秘かに頷きながら、準備を終えた。
白いコートの端をはためかせて。
「じゃあ、後のことは頼むわね」
「ハッ、お気をつけて」
アズラを見送るのは女騎士だ。
着替えを手伝うのが男では問題だと、フローラたちが気を使ってくれたのだろう。
着替えぐらい一人で出来るのにと思いながらも口にはせずに、女騎士に背を向け部屋から出ていく。
城の中を急ぎ足で歩いていくと。
すれ違う騎士や貴族に役人たちが必ず一礼をしていた。
中には膝間付く者までいる。
アズラは別に迷惑とは思わないがどうにも慣れない。
これが地位と権力を持ったという事なのだろう。今はそう思うだけだ。
城の外に出ると用意されていた馬車に案内され、目的地まで一気に移動していく。
首都の外まで行けば、そこからは単独行動だ。
この1年、アズラはこのような遊撃戦を繰り返してきた。
ケレス公国を倒したアーデリ王国は、その隣国のヒギエア公国に戦勝の勢いのまま侵攻してきたのだが、一部の部隊がヒギエア公国を素通りしてベスタの国境沿いにまで迫って来たのだ。
結果としてベスタはアーデリ王国の先兵を相手取ることとなり、ヒギエアとの連携を阻害された。
敵の単発的な侵攻はそれが目的だろう。
だが、今回でその思惑も打ち砕く。
そのために仕掛けるのだ。
やることは敵軍の無力化。全てを倒す必要はない。
アズラが馬車の外を眺める。第三城壁区画を通り、アプフェル商会本店が流れるように通り過ぎていった。
(戻る頃には目覚めるといいな・・・)
アズラが眠り続けているセトのことを想う。
騎士として戦地に向かう時はいつもだ。そして、いつも目覚めないセトが迎える。
今回もなのだろうか。
そんなことをボンヤリと考えていると馬車が城門を通り首都の外に出た。
気持ちを切り替える。
ここからは戦場だ。戦うため以外の感情は必要ない。
馬車から降りたアズラが。
「ここからは一人でいいわ」
「騎士団と合流されなくてもよろしいのですか?」
「現地で合流するつもりだから心配いらない」
「分かりました。御武運を!」
アズラを送り届けた騎士が振り返ることなく去っていく。
騎士たちはアズラのことを信頼している。
向かった戦場で必ず勝利する最強の騎士として。だから、アズラがそうだと言えば何も聞かずに納得するのだ。
それは有難くもあるが、自分に頼り過ぎだと感じることもある。
そんな今の自分と気持ちがズレた感覚を持つのが、1年経ったアズラだった。
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アズラを乗せた馬車が通り過ぎたアプフェル商会本店では、リーリエが店の切り盛りをしていた。
代表が不在でも彼女は元気いっぱいに店を開き、商会のみんなが安心して働けるように頑張っている。
「みんな、今日の仕事も後少しですよ!」
みんなが暗い顔をしないように。
こんな戦時の時でも明るくいられるように。
悲しい記憶なんて吹き飛ばせるくらいに。
リーリエはみんなの分も明るく振る舞っていた。
四公国騎士団統一戦への参加で王都に向かったセトたちが戻って来た時、商会のみんなは言葉を失った。
もちろんリーリエも。
言葉を失うどころか、血塗れの服しか帰ってこれなかったルフタに、目覚めないセトの姿に昏倒してしまった。
それだけではない。どれほどこわい思いをしたのか、リーベも所々記憶を失って帰って来た。
リーリエやセトのことは覚えているのだが、なぜかアズラのことを全く覚えていないのだ。
自分の姉の存在だけを抜き取ったようにポッカリと。
ショックだった。
ずっと一緒だと思っていた。最悪の場所で出会った自分たちだが、その分、絆は強いと思っていた。
何があっても大丈夫だと。
それが、あっさりと切れてしまった。
商会の中心となる人が忽然といなくなり、大切な仲間がボロボロになって帰って来た。
アズラたちと一緒に逃げるように首都ウェスタにやって来た王都支部の面々を見て何があったか、商会のみんなはすぐに理解できた。
そして、公国中を駆け回る王都襲撃の報によってそれは確信となる。
リーリエは王都襲撃という事件が身近なことだとは信じたくなかった。
だって、それはもうすぐ戦争が始まるということ。
みんなと離れ離れになりたくなかった。
しかし、無情にもアズラは新しく公爵に即位したフローラの近衛騎士となり、戦場に向かう身となった。
あの日から、アズラが心の底から笑った顔をリーリエは見ていない。
今はまだ、国境付近の小競り合いに参加しているだけなので、1週間もしない内に帰って来てくれる。
でも、いずれ泥沼の戦場に駆り出されるのだろう。
それが嫌だった。
今日の仕事が終わる。
仕事終わりはいつも店の中をピカピカに掃除してから店仕舞いをするのが習慣だ。
嫌な気持ちをピカピカに掃除して消してやろうと床を磨くモップに力が入る。
「ふぅ・・・これで良しっと」
埃一つない綺麗な床。
自分の気持ちもこれくらいキレイならいいのにと、つい思ってしまう。
「気分が晴れないかリーリエさんよ?」
「あ、ディアさん」
声を掛けたのはディアだ。
少し面倒くさそうにしている雰囲気をいつも出している男だ。
面倒くさそうにしているが情報の扱いに関する腕は一流。商会の重要な戦力だ。
普段は店番などせずに市場などをふらついているのだが、今日は早めに戻ってきたようだ。
「今日はお早いですね。あ、お茶入れます。ちょっと待っててください」
「いやいい。ちょっと話があるんだが聞いてくれるか?」
「はい。何ですか?」
面倒くさそうな顔をしているディアがさらに面倒くさいと頭をかきながら。
「・・・あ~、実はな」
ピンときた。ディアの言いにくそうな表情でリーリエは勘づいてしまった。
聞きたくない。でも、聞かざるを得ない。リーリエが確認する。
「行っちゃうんですね・・・」
「まだ何も言ってねぇよ。まぁ・・・そうなんだけどよ」
「やっぱり。アズラさんの所ですか?」
「ああ・・・」
リーリエの勘は的中だ。
アズラが騎士として戦場に行くようになってからこうなる気がしていた。
この商会はアズラの人脈そのものだ。彼女が使わないはずがない。
ディアの情報分析に関する能力を頼って騎士団に推薦したのだろう。
リーリエは聞いた話を思い出し。
「確か、アズラさんのために新設される騎士団が近々発足するんですよね。ディアさんの他にも行かれるのですか?」
「ああ・・・護衛担当の奴らもだ」
「そう・・・ですか」
リーリエの表情が曇る。自分の大切な仲間が戦場に連れて行かれる気分だ。
もちろん、それは強制ではない。アズラが頼んでみんな彼女のためにと承諾している。
でも、見送るリーリエは嫌だった。
見送って。
それで、血塗れの服しか帰ってこなかったルフタのようになって欲しくない。
最後の別れすらできないなんて、絶対に。
絶対にそう思いながら、リーリエは笑顔を浮かべる。
ディアを明るく見送ってみせる。
「ディアさん! 騎士団に入られるんですからそんな面倒くさそうにしてたらダメですよ。アプフェル商会のためにも頑張ってもらわないと!」
「いや、騎士団と商会は関係ないだろ」
「何を言ってますか。お得意さんにするに決まっているじゃないですか!」
「お前、商売魂逞しいな・・・」
いつも通りの明るい笑顔で見送ってあげる。
それが自分に出来る事。
だから、ディアたちが戦場に向かう時も笑顔で見送ろう。リーリエはそう決めている。アズラが戦場に行った時から。
しばらく商会に戻れなくなるディアたちのためにと、今日は美味しい晩ご飯を作ってあげようとディアを部屋に押し込んでリーリエは厨房に向かうのだった。
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岩肌の地面を駆け、身を隠しながらジリジリと進んでいく。
高い山々に囲まれた地形が視界を悪くしている中、高い岩肌でできた絶壁の崖にアズラはいた。
ここが情報にあったアーデリ王国軍駐留しているポイント。
この絶壁に囲まれたどこかに敵がいる。
崖下の森に潜んでいるのか、崖に張り付いて機会を窺っているのか。
森には魔獣も生息していて部隊を動かすには不向きだ。駐留しやすいのは崖沿いの道。
だが、そんなバレバレの所に部隊を置くだろうか?
アズラは考える。
敵の目的は何で、それを実行するのに適した所はどこか?
味方が一人もいない、自分だけの状態。だからこそ動きやすい。
敵を探しやすい。
膝を付いて手を地面に当て魔力を込めていく。
アズラが魔力を広範囲に展開して、崖の裏側から森の奥までくまなく探っていくと。
(いた)
アズラの魔力がアーデリ王国軍を捉えた。
一つはこの先の道の途中に部隊を置いていて、さらに森の中にも部隊を展開していた。
つまりは、罠だ。
崖上の部隊はもぬけの殻で敵は森の中で獲物を待っている。
もうバレているとも知らずに。
「さて、と。行こうかしら?」
アズラが、ごく自然な動作で立ち上がり、いきなり全身の魔力を爆発させるように解放した。
自分の存在を隠すつもりなど微塵もない。
突然現れた強大な魔力反応にアーデリ王国軍が厳戒態勢の警報を鳴り響かせる。
その騒ぐ様子がアズラに部隊の位置、人数、規模を教えていく。
敵の規模は大隊クラス。700人程。
騎士と術式使いをメインに構成された部隊だ。
スタンダードな組み合わせだろう。
注意すべきは主力としてエウノミア製術導機が4機配置されていることか。
元々、カラグヴァナの術導機に関する技術はエウノミア公国由来のものが多い。
なら、エウノミア公国から名を変えたアーデリ王国がその技術による兵器を多数所持しているのは容易に想像が付く。
アズラが堂々と道を進んでいくと、先に行かせまいとしてアーデリ王国軍の騎士たちが待ち受けていた。
魔力反応で実力差は確認しているはずだが、勇敢なのか知らされていないのか。
どちらにしろアズラは叩き潰すだけだ。
「一度だけ警告するわ。降伏しなさい」
戦時条約に則り警告を発する。どう見ても警告されるのは一人しかいないアズラの方なのに、彼女の底知れない力がそれをひっくり返す。
ドゴォッ! とアズラの真横で土がめくれ上がった。
アーデリ王国軍の騎士が術式を組み込んだ弓の形をした武器で、エネルギー弾を撃ち込んできたのだ。
ワザと外したのだろう。
相手も警告のつもりのようだ。
だが、それは自分たちが降伏するチャンスを失ったことに、彼らは後から気付くこととなる。
アズラの表情から優しさが消える。
「そう・・・」
相手の判断を確認したアズラの心から感情が排除される。
目の前の敵を消し去る最強の騎士へ変わった。
手の平に土の術式を展開する。
ただ無造作に展開し、相手に何をしたのか全く覚らせない。
無演唱。さらには術式コードが見たこともないような複雑さを見せていたが、騎士たちが術式のコードをその目で見ることは叶わない。
もっとも、騎士の誰かが術式に精通しコードを可視化できるほどの腕前を持っていたとしても、どうすることもできないが。
騎士たちに分かったのは術式の色から土関連の属性という事だけ。
そして、アズラが何をしたのか騎士たちは自分たちの敗北と死を知覚してから思い知る。
自分たちのいた崖が崩れ落ちた。
轟音と地鳴りを叩きつけながら、崖の道に展開していた騎士たちを谷底に叩き落としていく。
谷底にいるのは敵の本陣だ。
彼らの目には頭上に迫る岩の壁が見えていることだろう。
自ら逃げ道のない谷底の森に入ってしまったのだ。どうすることも出来ずにアーデリ王国の先兵たちは土砂に押しつぶされていく。
「後は・・・」
崖が崩れ落ちるのを眺めていたアズラが後方に飛びその場から回避した。
直後、先ほどまでいた場所に火球が叩き込まれる。
火球が撃ち込まれてきた方向に振り返る。
そこにいたのは、隣の崖沿いに展開している敵の部隊だった。
「別動隊? 魔力探知対策をしていたってことね。気付かなかった訳だわ」
アズラが魔力を四肢に込める。
立ちはだかるのは、敵部隊主力のエウノミア製術導機・汎用型アルコ2型。
カラグヴァナ製の術導機クリンゲやボーゲンの石のような見た目と異なり、加工された金属がベースの青い機体。
腕の関節部などかなり精密に組み上げられている。
手先は砲身となっており、機体のタイプとしては遠距離用。ボーゲンと同じ設計思想だろう。
それが3機。
ゴゴゴゴゴッ! と地面が揺れ、崩れ落ちた崖下の中から汎用型アルコ2型がさらに4機飛翔してきた。
最初の一撃では仕留めきれなかったようだ。
多少の損傷が見えるが戦闘継続には支障はない。
崖の上にいた部隊も崖の下にいた本隊も罠。
いや、本隊を囮にするつもりはなかったのだろう。ただ、万が一のために別動隊を用意していたということ。
敵はアズラの実力を知っている。
「いいわ。相手になってあげる!」
術導機7機。かつて相手にした時よりも多い数。
だが、アズラにとって全く問題ない。
それよりも強くなったのだから。