第百六十六話 現状確認
アプフェル商会本店から踏み出し迎えの馬車に乗り込む。
ここから先は、商人のアズラではない。
みんなの知っているアズラではない。
騎士アズラだ。
人を殺す判断を下し、主君の障害を取り除く存在。
そして、ベスタ公国の剣となる者。
ここベスタ公国では公国騎士たちの集団である各騎士団。それを率いる騎士団長と戦局を読み騎士団に指示を出す将軍がいる。
騎士とは本来、将軍からの指揮系統で動く集団だ。
だが、騎士たちの中でも特殊な命令系統で動ける者がいる。
それが、近衛騎士だ。
彼女の持つ近衛騎士隊長という役職はそれだけの意味を持つ。
ベスタ公国の主。フローラ公爵の指示のみに従う最高戦力。
アズラの判断一つが国の派閥にすら大きな影響を与えるのだ。もちろん戦局にも。
そんな立場の自分を呼んだという事は、将軍たちを説得して欲しいのだろうと馬車に揺られながらアズラは考える。
フローラは公爵となった。
なったにはなったが、それはウィリアム公爵が死んだからだ。
繰り上がり。
世襲した、女。
そう、フローラは跡を継いだ女なのだ。それがどれだけ足枷となるか、公爵になってから自分たちは思い知ることになった。
アズラが馬車の外から町を眺める。
外はまだ明るい。
シェレグ城が陽の光で白く輝いているのがよく見える。
あの中の会議室で、フローラが言う事を聞いてもらえずに困り果てて涙目になっているのが目に見えるようだ。
フッと息を吐き、視線を中に戻す。
「どうかされましたか?」
心中を察したのか、それともただ変化を感じ取ったのか。
どちらにしろ勘のいい騎士がアズラに声を掛ける。
「何でもないわ。城に急いで」
「ハッ」
心配されることではない。任務に集中しろと騎士の視線を払いのける。
今は人と話す気分ではない。
他者と楽しく話せるのは当分先だ。
アズラの頭にノネの顔が、そしてベスタ公国の敵が浮かび上がる。
(アーデリ王国・・・)
あれから1年。
アーデリ王国が戦火を切ってからだと3年か。
ベスタ公国の属するカラグヴァナ圏の勢力は戦火の只中にいる。
どちらが勝利するか分からぬ泥沼の戦争の只中に。
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アーデリ王国。
その国のことをアズラが詳しく知ったのは近衛騎士隊長になってからだ。
地位の向上と相まって得られる情報の質も格段に向上する。
至極当然だが、それでも情報の正確さにはアズラも驚いたものだ。
商会ではディアに頼りきりの情報収集なのに、近衛騎士隊長の立場だと好きな情報が好きなだけ手に入る。
情報とは武器だ。
ベスタ公国はそれを理解している。
では、アーデリ王国とはどういう国なのか?
アズラの得た情報にはこうある。
カラグヴァナ建国史の中で、カラグヴァナ王国と対立していた強国であり、カラグヴァナはアーデリ王国に勝利することで現在の宗主国の地位を手に入れた。
戦争に勝利したカラグヴァナは、アーデリ王家を抹殺し公爵を立てること属国である四公国の一つ、エウノミア公国が誕生する。
これにより、カラグヴァナ王国に従う四公国という今の支配構造が完成した訳だ。
では、今現在戦火を交えているアーデリ王国は何か?
仮に、滅びたアーデリ王国を旧アーデリ王国とするなら、今のアーデリ王国は新アーデリ王国。
絶えたはずのアーデリ王家を担ぎ上げカラグヴァナ王国に対して解放戦争を仕掛けたのが新アーデリ王国だ。
つまりは別物。
かつてその国が在った地で、その歴史を利用して生まれた謎の国。
誰が何の目的で建国しようとしているのか。
分かっていたのは、エウノミア公国の公爵であるジュゼッペ・パレルナ・ピアッツィが、あろうことか亜人と手を組み戦争を仕掛けたという事。
当初は不可解な点が多かったが、1年前の王都襲撃で事態は一気に動き、その目的も明らかとなる。
新アーデリ王国の目的は、亜人の解放だった。
カラグヴァナ圏の人間は亜人を奴隷としている文化がある。それが彼らの目を曇らせ目的を見誤る原因となってしまった。
恐らく、王都襲撃は同盟関係にある上位亜人たちの要望を叶えるために行ったのだろう。
奴隷解放と解放された亜人たちを受け入れるために用意された国への大規模移動。
ティル・ナ・ノーグの僅か一日での建国。
カラグヴァナ王国より南東の海に面した地域に、誰にも悟られること無く新アーデリ王国は軍を展開し国を用意していた。
四公国の一国ケレス公国を陥落させ、カラグヴァナの目を上に向けさせるという大規模な陽動作戦を仕掛けてだ。
地理的にカラグヴァナ王国を中央と見ると、四公国はカラグヴァナを包むように北に建国されている。
そう、北にはディユング帝国がいるからだ。
帝国の影響力を緩和するための四公国。
それが、一国が裏切り、一国が滅んで、いきなり後ろに敵国が誕生してしまう。
カラグヴァナは必然と戦力を分けざるを得ない状態に追い込まれたということだ。
完全に敵の策にハマっていた。
そう考えるのが普通だろう。
新アーデリ王国はカラグヴァナを滅ぼすために、数年単位、国単位で次の手を打っている。
一つの勝ち負けなど意味を成さないほどの手を。
だが、不思議に思わないだろうか?
新アーデリ王国はカラグヴァナ王国に支配されていた四公国の一国エウノミアだった。
国力も兵力も、カラグヴァナとは雲泥の差がある。
上位亜人を加えても同じ四公国であるケレスとの戦争で優位になる程度で、カラグヴァナをどうこうできるはずがないのだ。
国を建国できるほどの資材も人も、持ち合わせていないはずだったのだ。
少しでも余力があるなら、ケレスとの戦に投入するのが普通。
それが、ティル・ナ・ノーグを建国してしまった。
故に、ベスタの将軍たち。彼らだけではない、カラグヴァナの全ての権力者たちはこう判断するしかない。
支援国が存在すると。
それがどこなのかは、まだ不明だ。
ただ分かることは新アーデリ王国を倒して終わりという事ではないという事。
支援国の正体によってはカデシュ大陸全土を巻き込んだ大戦へと発展しかねない。そんな火薬庫だとカラグヴァナの現状を認識するしかないだろう。
これが今の世界の現状だ。
この現実をどうするか、国の生末をどう決めるのかそれが絶賛話し合われている会議室の扉が開け放たれた。
部屋にいた人物が話を止め一斉に扉を開けた人物に注目する。
自分に注目が集まったことを確認したアズラは、堂々と部屋に入っていく。
話の流れが途切れ、将軍たちに押され気味だったフローラがホッとした顔をアズラに向ける。
頼ってはダメなのだがどうしても頼ってしまう。
(思った通りね。将軍たちの判断は今まで通り後方支援に徹するかしら? フローラは・・・)
アズラも顔を向けると、涙目になっているフローラの顔が見えた。自分が来たことで緊張が解けてしまったのだろう。
涙目になっていることに気付いていない。
アズラが指で自分の目の下をつつき涙が出ていると教えると。フローラは一瞬キョトンとしてから、アズラのマネをするように指で自分の目の周りを触り。
涙に気付くと周りに感づかれないようにサッとふき取った。
さすが公爵、冷静だ。
隣に座る将軍にはバレているが。
フローラの隣に座る将軍の名は。
ゲネラール・カピルナ・ディレクトア。
フローラが公爵になってからお目付け役として彼女を支えてくれている人物だ。
彼女に不足している政治的技量、戦時の知識。それらを完璧に補佐しフローラの政策を滞りなく進めてくれる。
50代手前に差し掛かる年齢に、蓄えた黒いヒゲと厳つい顔が特徴の男。
騎士からの成り上がりで今の地位に付いた経緯のためか、将軍になった今でも青い騎士の鎧を身に纏っていた。
「さて、騎士アズラも揃った所で現状の共有をしようか」
ゲネラール将軍が話を切り出す。話しの内容を共有することで無駄な駆け引きなどする必要がない状態を一手で生み出すためだ。
フローラたちが話しやすい環境を作るのも彼の役割となる。
「アーデリ王国軍の侵攻状態であるが、ケレス公国首都ゲフィオンは完全に敵の手に堕ちたことが確認された。すでに都市機能を回復しヒギエア及び我が公国に軍隊を差し向けている。早急な対策が求められるだろう」
敵の侵攻は止まる所を知らず。
この1年でベスタも完全に戦火に呑まれてしまった。
まだ、国境沿いで小競り合いが発生している程度だがアーデリ王国が準備を整えれば進軍してくるだろう。
それに対する対策。この会議ではそれが話し合われているのだが、揉めに揉めていた。
「先ほどから提言している! 国境沿いに騎士団を展開し侵攻を食い止めるのが最善だと。ケレスに援軍を出すなど以ての外だ!」
「ッ! それはケレスを見捨てるということですわ。彼らは今この瞬間も戦っているのです。自分たちのために! わたくしたちのためにも!」
「負け戦に参戦して騎士たちを犬死させることが正しいと!? まさか奴らを蹴散らし、さらにはケレスを救う手段があるのですかな公爵閣下?」
「・・・ッ!」
「二人とも落ち着きたまえ。熱くなるのもいいが、今は冷静に考える事が我らに求められることだ」
ゲネラール将軍が仲裁に入る。
他の将軍からの意見に食って掛かってしまった。それどころか、感情に任せて綺麗ごとを吐くだけの自分が嫌になる。
フローラの視線が下に落ちる。
未熟者を見た将軍たちはそんなフローラを無視して話を継続していく。
将軍たちの意見はほぼ出そろっていた。
国境沿いに騎士団を派遣して備える。こちらからは攻め込まない作戦だ。
将軍たちの話に耳を傾けるアズラは冷静に作戦内容を分析する。
(将軍たちは間違ってもいないし臆病でもない。こちらが打てる必勝の手で迎え撃とうとしているのね。自国領内での地の利を生かした待ち伏せ。先兵には確実に勝てる・・・けど)
それでは敵を追い払うだけで戦争の終結には繋がらない。
敵を打ちのめす一手には成りえない。
アズラは思考を巡らしていく。将軍たちを納得させつつ、フローラの意見も汲んだ作戦。
「・・・」
どう考えても動くしかない。待っていては事態は打開しない。
攻勢に出るための策。アズラは一つ提案してみる。
「一ついいかしら?」
アズラの一声に一斉に黙る将軍たち。その目は何をするつもりだと警戒の色も含んでいる。
まだ信用されていないと感じながらもアズラは思いついたことを口にする。
「今攻め込むのは得策ではない。その意見には私も賛成よ」
フローラが口を紡ぎ落ち込んでいく。だが、構わずアズラは続ける。
「でも、いつか攻めてくるであろう敵を待つのは愚策だわ」
将軍たちの視線が一気に鋭くなった。
自分たちの策を煽られたのだ。当然、アズラへの辺りは強くなる。
ゲネラール将軍も渋い顔で見ているが、口を挟むつもりはないようだ。
「ではどうするのかね騎士アズラ。其方一人の力が一騎当千に値するのは認めるが、戦争を止めることが敵わないのは言うまでもないだろう?」
「ええその通りよ。だから、私ならヒギエアに援軍を出すわ」
「?」
「ヒギエアに・・・?」
将軍たちがざわめく。迎え撃つでもなく。攻めるでもなく。
援軍をヒギエアに送る意味は何だと考えていく。
「騎士アズラ説明を」
「はい」
ゲネラール将軍が説明を促したことで、言い争いからアズラの意見を聞く場へと部屋の空気が変わった。
彼の場の支配力というのには感服する。
押さえつけるのではなく。自然とそうなるように促してしまえる言葉の力。
アズラは用意してくれた場を存分に使わせてもらい説明をする。
「なぜケレスではなくヒギエアか? それは確実にヒギエアがベスタより先に戦地となるからよ。ベスタに敵本隊が来るのはヒギエアの領土をどうしても通る必要がある。なら、国境沿いにいる先兵は無視して敵本隊を止める一手を打つべきだわ」
「しかしそれでは敵の侵攻を許すことになる。本隊でないといっても脅威に違いはないのだぞ!」
「だから私がいるのよ」
「何?」
将軍たちはアズラの言葉の意味をうまく理解できなかった。
だが、ゲネラール将軍はすぐに理解しアズラの無茶な策にため息をつく。
「はぁ・・・騎士アズラ、一騎当千を認めてもらったからといって本当にしなくてもいいのだが」
ゲネラール将軍の言葉で全員がアズラのしようとしていることを理解する。
驚きの表情と共に可能なのかと悩もうとして、アズラに視線が集まった。
そう、彼女なら可能。
「今得られる国境沿いの情報を私に。脅威が無くなれば騎士団の派遣も問題なくなるわ」
「一人で向かうつもりかね? いくら其方でも危険だ。せめて新設の騎士団発足を待ってからでも・・・」
「お気持ちはありがたいけど、少数で行くわ。ヒギエアへの援軍は国境沿いの脅威を排除してから即開始で構わないかしら?」
アズラの確認に将軍たちは一斉に頷いていく。
脅威を排除できるのなら反対する理由はない。なにより、騎士団を動かさずに済むので戦力にゆとりが生まれる。
打てる手が格段に増える。
「万が一に備え、後方に騎士団を一つ待機させておこう。補給等はそこで行うといい」
「ありがとう感謝するわ」
話がまとまった。フローラがアズラを呼んだのは正解だったようだ。
ゲネラール将軍が立ち上がり。
「では、会議を終了する。騎士アズラは情報確認が済み次第出立の準備を。以上ッ解散!」
将軍たちが一斉に立ち上がり部屋を後にしていく。
これから忙しくなることを予感しているのか一人一人が今できることを懸命に模索し実行している。
そんな将軍たちが去った後にフローラはポツンと座ったままだ。
「行きましょうフローラ」
アズラが優しく手を差し伸べる。
その手を掴みながらフローラは立ち上がり。
「ありがとうアズラ。ヒギエアへの援軍が決定したことでケレスの人々も助けることができるですの」
「まだ決まった訳じゃないわ」
「あら、貴方が行くのなら決まったようなものですの」
フローラの顔には笑顔が戻っていた。
国を背負うという責務。
それは辛いけれど、フローラは苦ではない。
だって、共にいてくれる者たちがいるのだから。