第百六十四話 望まなかった結末
漆黒の翼を頭から大きく生やし。
その体に何枚もの翼を折りたたんだドレスを身に纏う。
純白の透き通るような体を隠すように翼のドレスで包みながら、世界に穿たれた穴より顕現する。
四聖獣・ビナー。
リーベが漆黒の翼に包まれたような。
少女を思わせる体つきと大きさ。だが、決定的に違うのはその存在はセフィラだということだ。
顔に目や口、鼻はなく、のっぺりとした顔。
平らな顔だが、その顔の筋肉が少し動くことで表情を感じ取ることはできる。
顔の筋肉が引きつっている。それはある表情をしている顔だ。
ビナーは泣いていた。
悲しんでいた。
大切な人の死を嘆いていた。
でも、なぜ死んだのか。死ぬとは何なのか。
ビナーは理解できない。
理解できない悲しみに苦しむように、咆哮していく。
「ーーッ! ーーーッ!!」
声はしなかった。口が無いから声は出ない。
だが、その嘆きの感情は空気を伝って周囲にいる全ての人の耳に入り込む。
失う悲しさ。怖さ。
その喪失感。
それが、まるで自分の感情のように心をかき乱した。
心の乱れにラバンとシャホルが顔をしかめる。
ラバンにとってはシャホルを。
シャホルにとってはラバンを失ったような感覚。
それが急に込み上げてくる。
「うっ・・・何か。イヤだゾ」
「・・・悲しーい」
二人が寄り添い体を預け合っていく。
大丈夫。まだ、自分たちは何も失っていない。
それを確認するように互いの温もりを確かめる。
ビナーの心に触れただけで心身のバランスを崩した二人を見て、ヌアダが下がるように命じた。
「下がれエールの姫たち。お前たちにあれの相手は酷だ。私と導師様で対処する。お前たちは手筈通りに事を進めろ」
「うん、分かったゾ」
「じゃーあ、先に帰るねー兄者」
ヌアダの指示に素直に頷き。
ラバたちがその場を離れていく。
彼女たちが向かうのはツェントルム・トゥルム跡がある方向。闘技場の在った場所だ。
ラバンたちが向かったのを確認することもなく、ヌアダは未だに嘆き苦しむビナーを見上げた。
逃れようのない苦しみに、溺れるように手を動かしてもがいている。
それは徐々にだが確実に制御の利かない力へと変わるだろう。
悲しみから逃れたい少女の叫びは。
暴力となり、自分たちが認識する頃には災厄となる。
そうなる前に止める。
ヌアダが青白い光を両手に束ねた。
そして、ノネに覚悟はいいかと聞く様に彼女の方へと振り向く。
尋ねられたノネは、ヌアダに目を合わせゆっくりと頷き足を前へと進めた。
夜が明け、陽の光が王都に降り注ぎ始めている中。
一歩、一歩進みながらノネも青白い光をその手に束ねていく。
準備を終えながら、ノネはアズラの真横を通り過ぎながら尋ねた。
「あなたがアズラね。ルフタ君から聞いているよ」
このままリーベまで失う結末でいいのかと。
絶望の淵にいるアズラへと。本当にいいのかと声を出す。
「・・・これから、四聖獣・ビナーの討伐に入る。もう無駄かもしれないけど、ビナーが死ぬということは聖女も死ぬという事。それはあなたの知る彼女がいなくなることかな」
足を止めアズラの方にへと振り返る。
そこには、リーベの登場により僅かながらに理性を取り戻したアズラが、必死に黒い天使を押さえつけていた。
ビナーに襲い掛かろうとする黒い天使。
そこにアズラの意志も絶望も無い。
黒の異端者という存在にインプットされた命に従い、黒い天使はビナーを殺そうとしている。
大事な。今、自分に残っている唯一の希望を自分で殺してなるものかと、アズラは黒い天使の魔力を自分の魔力として制御しようとしている。
だが、黒い天使は確実に制御下を離れつつあり、こちらが暴走するのも時間の問題だろう。
それでも、問い掛ける。
アズラに運命に抗う意思があるのかを聞くために。
この絶望を覆すか否かを。
ノネは問い掛ける。
「それでもいいというなら、そこで見ているといいかな。ビナーの死から誕生する新たな聖女を今度は私たちが守るから」
諦めるのなら、それでもいい。その判断をノネは責めたりしない。
彼女ができないなら、自分たちが新たな聖女を今度こそ守り切るだけ。
アズラの返答を待つ。
本当にこの絶望に抗うつもりなら黒い天使の一体や二体、御せるはず
「・・・」
ノネは黙ってアズラの回答を待った。
待って、そして。
「うう・・・リーちゃん・・・私・・・」
嗚咽を漏らすように出た言葉と共に、黒い天使はアズラの制御下から解き放たれた。
黒い塊から全身が抜け出て、5mもの巨体が立ち上がる。
黒い天使が解き放たれた衝撃で、アズラは意識を失いセトの上にへと倒れ込んだ。
最後まで、セトを守ろうと弟のために生きようと想いながら、その想いは骸の上に倒れ伏す。
それがアズラの結末だった。
アズラの答えを見守ったノネはただ静かに決断した。
目を瞑り、白い世界にいるもう一人の聖女に呼びかける。
「・・・聖女ハーザク、私に力を貸して」
(うん)
ノネもこの結末を望んではいなかった。
出来る事なら、もっと穏便に。誰も死なない平和的な方法があったかもしれない。
だが、もう賽は投げられた。
亜人を解放するための戦い。
支配者である人に対しての反逆。
その中心にいるのは、人である自分というこの歪み。
この結末は、その歪みから起こったこと。
叶わむ夢を見た者への罰。
ならば、だからこそ。
その罰は自分だけが受けるものだ。目の前で絶望に堕ちる少女に、それ以上に堕ちろというのか。
させない。
彼女がルフタの。彼の夢であったのならここで潰えさせて堪るか。
ノネが言葉を紡ぎ出す。
古より語り継がれし聖女の真実を。
「それは灰で染まり、荒々しく力で満ちた者。その聖女の名は、ハーザク。神のいない世界でも勇気を持てと名付ける」
謳うように、癒すように。
「聖女の抱える運命は、理解と認識。人の半身が持つ負の意味をその身を持って理解せよ。破壊を。蹂躙を。支配を」
謳う言葉と光景がリンクしていく。
今まさに広がる光景がそうだと告げていく。
ノネの頭上に青白い光が集まり出した。それはすぐに世界に青白い穴を空ける。
世界に穿たれた穴はノネの頭上に展開していき。
「その意味は祝福である。この我もその一つ。その願いもその一つ。我が願いを理解するならばここに顕現せよ!」
そして。
「至高の父コクマーッ!!」
ビナーと並び立つ最上位セフィラが一柱。
四聖獣・コクマーが降臨した。
灰色に染まった人の体。
それは強靭な筋肉に包まれた男の体。
頭には鹿のような大きな角をつけて。
のっぺらな顔に、口だけが得物に食らいつくように牙を見せていた。
全身の筋肉が鎧のように発達していて、異様に長い手足が人からは遠い存在だと分からせてくる。
コクマーの出現に。
王都が、世界が揺れる。
一か所の地に神話の存在が3体も並び立つ。
その存在がいるだけで世界が裂けてしまうと悲鳴を上げている。
なのに、神話の存在たちは世界のことなど気にも留めずに動き出した。
嘆き悲しむビナーに対して黒い天使が仕掛ける。
今までのどの黒よりも黒く、そして、殺意に満ちた剣の魔装がその手に具現された。
続く様に、地上に降り立ったコクマーが異様に長い手足を動かし、大きく振りかぶる。
「ーーーーーッ!!」
甲高い髪切り声のような咆哮を上げながら、黒い天使が魔装の剣を振り上げた。
大きく、一撃でビナーを斬り裂けるように。
もうアズラの意志は完璧に無い。
黒い天使を妨げる者は存在しない。
剣が振り下ろされ、世界が噛み砕かれていく。因果が切り離される。
それは事実すら捻じ曲げる禁忌の力。
ビナーにその力が。セトを助けたいと願ったアズラの求めた力が襲い掛かった。
だが、その剣はビナーには届かない。
コクマーが黒い天使を殴り倒し、地面へと押さえつけた。
どんな存在に変わり果てようとも、この二人は姉妹の契りを交わした。
それは尊い想いから。
そんな二人が殺し合うなど。
ルフタが夢を。そして、希望を重ねた二人が殺し合うなど、ノネには耐えられない。
全身全霊を持って黒い天使を抑え込む。
「ヌアダ! 黒の異端者は私がッ!」
「ああ、任せる」
ノネが黒い天使を抑えている間に、ヌアダはビナーの正面へと移動していた。
大きな漆黒の翼をはためかせ、正面へと立つ。
ヌアダは思う。
自分は誰から生まれたのかと。
この黒い体。黒い翼。
自分より以前に亜人が存在せず人もいなかったのなら、自分は何から生まれたのか。
ヌアダがその龍の目を細め、ビナーを見る。
小さな子供のように人の温かさを求めて悲しむ四聖獣を。
もしかしたらと思う。
そんな、知性体として生まれ落ちたら考えて当然の思いを頭から振り払い。
ヌアダは拳に光を掲げた。
青白い光が波動となって波打つようにヌアダの体を伝う。
拳に凝縮されていく。
それを打ち放とうとした時。
まだ、抗う者たちがヌアダたちの答えに異を唱えた。
「ダメェッ!! リーちゃんを殺さないでッ!!」
女の声が空を切る音と一緒に飛んで来た。
魔装で強化した術導機に乗り込んだ一人の女が、猛スピードでヌアダとビナーの間に割り込もうとする。
それはハンサだ。バティルたちが間に合った。
割り込んだハンサを見て確か上層で見た女だとヌアダは思い出しながら。
(ハーザクが止めた理由はこれか・・・・・・愛されていたのだな聖女エハヴァ。今までの自分という誰よりも、多くの者に愛されたのだな)
それでも攻撃を止めることなく、実行に移していく。
ヌアダの行動を見て、ハンサが腕を広げた。
緑の魔装を纏ったその身を晒すように、大きく腕を広げリーベを守ろうとする。
させない。
殺させない。
ハンサの意志が伝わってくる。
だが、その想いを聞いてやれるほどヌアダは強くないのだ。
謝罪でもするかのように一度視線を落とし、決意した目でビナーを睨んだ。
鋭い目に一瞬怯むハンサ。
それでも、睨み返すように意志を固めリーベを守ろうと術式を展開した。
宙に展開されていく無数の術式。
ハンサが持ちうる最大の組み合わせ。
それが。
あっけなく砕かれる。
爪が切り裂き、牙が砕き。
青い亜人がハンサを地面へと叩き落とす。
「兄者が退けと言っッているゥッッッ!!!」
一撃。
決意を固め、一人の少女を救おうとしたのに。
その決意がただの一撃で砕かれた。
術導機が火を噴き、魔装は粉々に粉砕されハンサは意識を失いながら地面へと落ちていく。
「くっ! 間に合いました」
叩き付けられる寸前の所で森羅が受け止めた。
同時に、バティルと連れて来た剣の騎士団が剣を構える。
ズズンッ! と彼らの目の前に降り立った青い亜人。
3、4mはある大きな肉体に青い毛の狼の顔を持つ。
亜人の始祖が一人。ゼヴ。
バティルたちから受けた傷など全くない肉体を見せつけてくる。
「てめぇ生きていやがったか!」
バティルが叫ぶ。
対するゼヴは嬉しそうに応えた。
「このゼヴがあの程度で死ぬはずがないだろう? だが、手足をもがれたのも事実。回復に時間を要した。見事だぞッ!! 人間ッ!! このゼヴが血沸き肉踊ったッッ!!!」
「てめぇの相手をしている暇は」
バティルが焦る。今の消耗しきった状態では剣の騎士団の援護があってもゼヴを倒し切れない。
唯一、余力の残っていたハンサも一撃でやられてしまった。
このままでは、ただ結末を見ることしか出来ない。
「リーベッ!! セトッ!! アズラッ!!」
バティルが三人の名を叫ぶ。
その声は三人の誰にも届かずに。
ヌアダの拳はビナーへと振り下ろされた。
バティルたちの目に映るのは。
抉れていく漆黒の翼と、血に染まっていく純白の少女の姿。
四聖獣・ビナーが地面へと墜ちる姿だった。