第十六話 神話と出会いそして
それは、漆黒の乙女であった。
それは、翼を持った主に仕える聖なる獣だった。
漆黒の身体に頭から大きな翼を生やし、少女を思わせる体つきで何枚もの翼でできたドレスを身に纏う。
顔に目や口、鼻はなく、胸にリーベを抱くように取り込んでいた。
黒い巨人とまた異なり、輝く黒の翼で純白の透き通るような体を隠している。
動くときに見える純白の肌が艶めかしい乙女の肌のように、その柔らかさを見せつけていた。
聖なる4体の獣、その一体、ビナー。
神話の存在が目の前にいる。
「ーーッ! ーーーッ!!」
黒い巨人は、咆哮を上げた。憎い敵が殺したい相手が目の前にいると。
黒い翼を広げ、黒い剣を構えてその殺意を体現していく。
今、巨人に近づこうものなら問答無用で殺されるだろう。それだけの殺意と憎しみ。
幾千にも及ぶ神々の子らの戦いを今再開しようと、黒い巨人とビナーが力を開放した。
衝撃が周囲に広がり二柱以外の存在を排除するかの如くエネルギー波が撒き散らされる。
セトたちは床に這いつくばりながらその光景をただ見ているしかなかった。
今のセトたちはその場をやり過ごすしかできない。
ただの一撃で、全身に痛みが駆け巡り悲鳴を上げている。次は耐えられないと本能が抗うことに拒絶反応を示す。
それでも、止めなければならない。リーベを救うために二柱の戦いを人の身で止めなければいけない。
巨人の赤いラインが輝き出す。背中の赤いリング状の発光体がブゥゥッゥウゥンと音を出しながら回転し、赤い球体を複数胸部に出現させる。
一撃で地形を変える赤い球体を複数。
赤い球体は、巨人の手の動きに合わせて宙を漂い、ビナーに狙いを定めた。
アズラとセレネは激痛を堪え、本能が告げるまま土の術式を展開し身を守ろうとするが、そこでアズラが気付いた。
セトは術式を使えない。
「セトッ!! ッ!?」
叫んだ時には、巨人の手から放たれた赤い球体がビナーに直撃し爆発がアズラたちを飲み込んでいた。
音と視界が消え、暗闇が広がる。許容量を超えた音と光で、目と耳が一時的に機能しなくなっていた。
アズラは魔力を部屋に広げていき、セレネとセトの気配を探る。
セレネは無事だ。魔力を高めて爆発から逃れたようだ。
セトは、気配が見当たらない。
(どこ? セトどこにいるの? 無事でいて)
セトの気配が感じ取れない。部屋の隅にいるのか、あの二体の近くで察知できないのか。
焦りがアズラの心を埋め尽くしていく。
そんなアズラの思いは無視され二柱の攻防は激しさを増していく。
黒い巨人の赤い球体をビナーは漆黒の翼で受け流し弾いていく。複数の赤い球体はビナーの後方にそれ、ジグラットの壁を完全に破壊する。
上の階層が支えられなくなり、ジグラットが真ん中からボキリと折れて崩壊していった。
アズラとセレネは崩壊に巻き込まれないように身を縮めてやり過ごす。
セレネの目に倒壊していくジグラットの塔が映る。
神を信じる人の信仰の象徴が呆気なく瓦礫に変わっていった。
天井がなくなり、白い空から光が降り注ぎ。
輝く空に照らされた二柱が睨み合いながら、黒い剣と漆黒の翼を互いにぶつけ合う。
火花が散り、激しい金属音にも似た音が剣と翼から鳴り渡った。
剣がビナーの腹をかすめていくが、ビナーは半歩だけ横にそれてそれをかわした。
そして、巨人の腕が伸びきった一瞬の間に、漆黒の翼で斬りかかる。
巨人が反撃できないように腕の内側に、巨人の胸元に入り込んでいく。
距離を取ろうと巨人は後ろに下がるが、すぐに間合いを詰められ翼による斬撃が襲い掛かった。
剣で弾こうとするも、自身の攻撃開始点より内側から攻められているため、後方に下がりつつ防御しかできない。
反撃が先手が取れない。ビナーによる猛攻でダメージが重なっていく。
ビナーの方が攻撃が速い。手数が多い。
巨人は攻め手を作り出すため剣を構えたままビナーに突っ込んだ。
ビナーはこれを待っていた。突っ込んできた巨人をあしらい腕と足に翼の一閃を叩き込む。
巨人はバランスを崩し床に倒れ込んだ。
床に臥している巨人を見下ろすビナーをセトは見上げていた。
黒い巨人が放った爆発に巻き込まれたとき、たまたま巨人の黒い翼の影にいたことで爆発に直接晒されることはなかった。
運が良かったと思いたいが、セトを中心に斬り合いが始まったせいで動くに動けなかった。
だが、これはチャンスだ。
セトはビナーに呼びかける。まだ、リーベとしての意思が残っているのなら答えてくれるはずと信じて。
「リーちゃん! 僕だセトだよ! リーちゃん!」
「・・・」
「絶対に! 絶対に助けるから!」
セトの声が空しく響く。ビナーはセトの呼びかけに反応しない。セトのことなど見てもいなかった。
ビナーが見つめるのは、黒い巨人のみ。
アズラとセレネは戦闘の只中にいるセトを見て、助けようとするが黒い巨人が動いた。
黒い巨人は立ち上がる。まだ勝負は付いていない。
黒い剣に大量の黒いモヤを追加していく。剣の形状が変化していき、左半身を覆いつくす盾と巨大な槍へと姿を変えた。
武器を変え、戦闘スタイルも変更する。ビナーを仕留めるのに最適な武器を選択していく。
槍をビナーに向け突撃の構えを取る。
そこで、巨人は手を止めた。アズラとセレネは必死に叫んでいる。
セトがビナーの前に立ち手を広げていた。
黒い巨人の攻撃を止めようと立ちはだかった。
「セトッ! 何してるの! 早くそこから逃げて!」
「早くこっちへ! そこは危ないです!」
二人の叫びが鳴り響くも、セトは退かなかった。退くわけにはいかなかった。
セトは自身の誓いをリーベとの約束を再度確認するように、叫んだ。
「僕はリーちゃんと約束したんだ!! 絶対助けるって! 怖いことから守って見せるって、約束したんだ! どんなに敵が強くても、どんなに恐怖に呑まれても、例え絶望の中からだって助けなきゃいけないんだ。こんな所にリーちゃんはいちゃいけない!!」
セトの誓いが叫びが二人に助けなければいけない少女の姿をハッキリと浮き彫りにしていく。
目の前の神話の獣は、救わなければいけない少女をその胸に抱いているのだ。
退くわけにはいかない。
アズラとセレネの心から恐怖を消し去り、ほんのちょっぴりの勇気が沸いてくる。
リーベを助けるという勇気が。
それは心の支えとなり、二人の誓いへと昇華されていく。
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ジグラットの崩壊が進んでいる。塔が真ん中から折れ、内部で強大な何かが戦っている。一体は巨人だろう。もう一体は?
「黒い巨人と、おそらくこちらの世界に具現したセフィラが戦っているのだ」
そう答えたのは殲滅神官だ。仮面で表情は分からないが、口から血を零して苦しい声を出している。
「神官様、聞きてえことがあるんだが。セフィラてのは、あとジグラットの奴らがクリファになったともいったなそいつは何だ?」
バティルは殲滅神官に説明を求めた。あまりにも自分たちの知らないことが起こりすぎている。
「セフィラは、我らが主アイン・ソフの眷属たちのことだ。貴殿も祭壇で見たであろう。青白い光の奇跡を。あれがそうだ。セフィラとは、奇跡が形となった存在であり我ら信徒が目指すべき姿だ」
「あの繭みたいな光が? あれが巨人と同じような化物になるってことか」
「セフィラは、正式な契約を結ぶことが出来れば大いなる力となる。問題はクリファの方だ。人が自身の許容量を超えて奇跡の力を身に受けると奇跡は形にならず崩れてしまう。人の存在が崩れた成れの果てがクリファとなるのだ。そうなったらもはや魔獣と大差はない。ジグラットは今、常に奇跡を受ける状態になっているのだろう中に入ったら我らもクリファに変貌する可能性が高い」
「セトとリーベがそうなっていると?」
「あくまでも可能性だ。許容量の大きいセトはまだ無事だろう。ジグラットに入ったばかりの二人も大丈夫だ。だが、許容量の小さい神官たちは」
「クリファという魔獣になったと・・・。リーベは? 手遅れといっていたな。何故だ?」
「・・・リーベは、人ではなくセフィラそのものであった可能性が高い。人でないなら人として助けるのは不可能だ。そして、巨人と相対する存在の出現、・・・間違いないだろう」
リーベが人間ではないと彼は答えた。
リーベは、殲滅神官が使役したセフィラの一体サンダルフォンと同種の存在であると。
バティルは、顔をしかめる。救助対象が決して救助できないと宣言されたからか。違う、リーベとセトたちを元の関係に戻せないかもしれないからだ。
例え人でなくても救助対象なら必ず救ってみせる。だが、対象が神やその使いだった場合、助けた後どうなるか予想が出来なかった。
最悪は、神性の存在を殺す殲滅神官の手で葬られる可能性もある。
悪い未来しか考えが出てこないが、それでも、バティルは自警隊と共にジグラットに向かう。
「私も共に向かおう。適切な助言が必要だろう?」
「分かった。だがあまり無茶はするなよ。治癒術式を施したとはいえ、まだかなりの深手だ」
「承知している」
バティルたち急いでジグラットへ向かう。
ジグラットの入口前には、ほかの自警隊の部隊がすでに到着していた。ハンサとガルダの姿も見える。
「団長! 無事だったんですね。 あたしてっきりまたアイツに、・・・う・・うう・・」
ハンサが思わず泣き出してしまった。本隊が突破されたと思っていたのだろう。
各隊がバティルの下に集まる。
「団長、いえ隊長。どうします。ジグラットに突入されますか?」
ガルダが指示を仰ぐ。出す指示は決まっている。
そして、伝えなければいけないことも。
「お前ら! 聞いてくれ。これからジグラットに入り黒い巨人を討伐する。だが一つ問題が発生した。作戦の行く末に大きく影響する。よく聞いてほしい」
バティルが殲滅神官に説明を頼んだ。
「では、改めて私から状況を説明する。現在、ジグラット内は、クリファという魔獣が発生している。魔獣自体はさほど脅威ではないが、問題はジグラット内部に長く留まると我らがクリファに変貌する危険があるということだ」
ざわざわと不安と困惑の感情が溢れてくる。
入れば魔獣化するといわれれば、負の感情が増大してもおかしくはない。
黒い巨人への恐怖で下がっていた士気がさらに下がりかねない状態だ。
「だが、安心してほしい。この私、殲滅神官 ウォフ・マナフがそれに対抗する神術を心得ている。・・・我ら、ジグラットは傲慢であった」
「?」
「みなの力など借りずとも強大な敵を倒せると思い上がっていた。だが、それは間違いだった。巨人討伐に失敗した私だが、諸君らとなら必ず成し遂げられると信じている。どうか我らジグラットに力を貸してほしい」
殲滅神官が自警隊に助力を求めた。作戦当初は自警隊の協力を拒んだジグラットだが、自身の間違いを認め足りないものを分けてくれと頼んだ。
頼まれたらどうするか。
「よぉぉしぃ! 神官様がついているんだ。勝てるぞ!!」
ジズが自警隊のみんなを鼓舞するように声を上げた。それはやがて、不安と困惑を振り払う合唱となり殲滅神官の望みを受け入れた。
「神官様も意外といいとこあるじゃねぇか」
「自身の立場を利用しているだけだ。褒められたことではない」
「だー堅物だな。そんなもん気にすんなよ神官様。あんたのおかげで士気がうなぎ上りだぜ」
「役に立てたのなら幸いだ」
突入作戦が開始される。中に入るのは精鋭の隊員のみだ。バティルたち風の団と殲滅神官、名のある傭兵合わせて15名。
殲滅神官が バティルたちに加護の神術をかける。ジグラットが使用する術を神術と呼び、術式と区別している。
魔力を使用しないので原理が根本からことなる術だ。
風の団の副長カイムとガルダ、ヴィドフニルは付近の住人の避難誘導と護衛を務めるため、突入部隊から外れる。
「では、私たちは住人の避難を開始する。城門にヴィドフニルが陣を張っているので、そこまでの誘導を行ってくれ」
「了解しました。」
カイムとガルダが住人の避難を開始したのを確認したバティルたちが、ジグラット内に突入した。
一階を一気に駆け抜け、二階、三階へと進んでいく。
そして、四階に向かう通路でバティルたちは停止する。
肌色のグロテスクが通路を塞いでいた。
人間の肉体をバラバラにして徹底的に間違った組み立て方をしたような歪な姿をした存在。
魔獣 クリファ。
確かに、人間だったといわれればそうだと納得できる。
人間の体で出来ているのだから。
「あのタイプは手足を使った物理攻撃が主体だ。躊躇わずに斬り伏せていけ」
殲滅神官の助言通りにクリファは、長い腕と足を触手のように伸ばして攻撃してきた。
狭い通路を利用し盾でクリファの攻撃が後方に流れないようにし、5人が壁となって突撃する。
ドンッ! とクリファを吹き飛ばし心臓があると思しき部位を剣で突き刺すが、触手が一人をなぎ倒す。
すぐさま、触手を剣で斬りおとしクリファを無力化していく。
この程度なら問題ない。警戒すべきは今も上で激突している二体だ。
四階に上がり、バティルたちは陣形を展開する。
目の前には、8体のクリファ。
時間をかけていられない。速攻で方を付ける。
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セトがビナーと向き合い、アズラとセレネが黒い巨人と対峙していた。
黒い巨人は二人を無視できず攻めづらそうにしている。
攻撃してこないなら好都合だ。
セトは、ビナーに声をかける。
ビナーの中に眠るリーベを起こすために喉から声を振り絞る。
「リーちゃん! 僕たちと初めて会った時のこと覚えてる? リーちゃんが木の影から飛び出してきてそこからみんなで一緒に逃げたよね」
リーベとの思い出を語っていく。
あまり意味はないのかもしれないけど、無駄に時間が過ぎるだけかもしれないけど、セトにとって大切な思い出を聞かせていく。
「遺跡に逃げ込んで、みんなで出口を探して。リーちゃんはここでアズ姉からリーベっていう、名前をもらって、僕たちの妹になったんだ。僕は、僕は嬉しかったんだ。家族が増えて大切な人が増えてとっても。とっても嬉しかったんだ!」
ビナーは反応を示さない。
それでも、セトは諦めずにさらに語っていく。
「町に着いてからは、また違う君を見ることができたんだ。ベッドから起こしてくれて、一緒にご飯を食べて、アズ姉とセレネと4人で市場にも行ったよね。僕も初めてだったんだ。市場で買い物をするのもみんなでおいしいものを食べたのも。あの時のリーちゃんは、とても幸せそうだった。また、あそこにみんなで行きたいんだ」
ビナーがピクリと動いた。セトの呼びかけに答えたのか?
体を覆う翼を広げていく。
翼に隠れていたリーベの全身がその姿を露わにする。
セトはリーベが答えてくれると信じて続けていった。
「リーちゃん、僕はね。このみんなでまた一緒に冒険がしたいんだ。今度は、逃げるんじゃなくて、怖い思いをするためじゃなくて、みんなでリーちゃんの記憶を辿る冒険がしたいんだ。たくさんの人に会って、いろんな物を見て、それはきっと素敵なことだと思うんだ。だから・・・」
セトの問いかけに答えるようにビナーの翼が大きく開いた。
翼が展開されビナーの純白の肌が光り輝く。
それは、すべてを焼き尽くす粛清の光。
セトの頬に暑さを通り越して痛みが走り。
そう自覚すると同時に服が発火した。
セトは最初、空気が重くなったと感じた。
それを錯覚だと自覚する前に体が火から逃れようともがき出した。
「ああぁ!! あぁぁッぁぁッぁ!!」
セトを守るべき服が鎧が、肌を焼き皮を抉り取るように焦がしていく。
全身を激痛が駆け巡り、痛みに耐えようと呼吸をするたびに気道が焼かれる。
もはや何のためにここにいるのかも分からなくなって、ただ、痛みから逃れようとさらにもがいていく。
セトがもがき苦しんでいると、いきなりズドンッ!とセトとビナーの間に、黒い巨人の新たな盾が割り込んだ。
光を遮断すると同時に、もう一つの新たな槍をねじ込む。
不意を突かれたビナーは体を無理矢理反らし、間一髪で顔のすぐ横を通り過ぎる槍をかわしていく。
「スタンドアップ・コード・P.D.M.S・セットアップ・クレスト・マイム・エリアコード・A!」
すぐさま、アズラが水の術式を唱えセトの火を消す。
ブスブスと黒い煙が服の焼け残りから立ち上がっていた。
「ッ!」
一目で分かる。これは重度の火傷だ。すぐに治癒術式が必要な危険状態に陥っている。
喉が焼かれ呼吸すらまともにできない。
声を出すなどとても。
「! まさか、それを封じるためだけに・・・」
アズラは、気付いた。ビナーがセトの呼びかけに嫌悪してることを。
セトの呼びかけが届いていること。ビナーに届いているのならリーベにも届いているはず。
そして、もう一つの事実にも気付いた。
「セレネ、セトをお願い!」
「アズラ先輩! ダメです。今度は先輩が!」
「心配しないで。私なら大丈夫!」
セレネの静止を振り切り巨人と膠着状態になっているビナーのもとに走る。
もう一つの事実が真実ならアズラの次の行動ですべてが分かるはずだ。
「でっかい鳥さん、リーベは返してもらうわよ」
アズラは全身の魔力を高めていく。脚と拳に集中させていき最も得意とする構えを取る。
独学で身に着け、研磨を重ねてきた彼女の自信を体現している構えだ。
ダンッ!と、脚を踏み込み、一気にビナーの懐に飛び込む。
目の前にリーベの顔が見えた。
まるで眠るように、誰かに起こしてもらうのを待っているように目を閉じている。
今すぐに起こしてあげると、アズラがリーベの顔を掴んだ。
「リーちゃん! 迎えに来たよ。一緒に帰ろう」
その一つの動作でビナーが激昂した。目と口と鼻がない顔を歪ませながらアズラを捻り潰そうと手を上げる。
だが、アズラは避けなかった。見もしない。その顔には一つの確信があった。
必ずうまくいくという確信。
なぜなら、黒い巨人がビナーの腕を受け止めていたから。
「やっぱり、助けてくれるのね。どういうつもりか知らないけど頼らせてもらうわ。 セレネ! 今の内にセトを安全な所に!」
「は、はい!」
そう、黒い巨人は今まで、こちらを攻撃することはあっても、殺すことはなかった。
唯一、殺意ある攻撃をしたのは殲滅神官がセフィラを召喚した時だろう。
黒い巨人はセフィラを殺そうとしており、人はなるべく殺さないようにしている。
邪魔をするなら無力化して諦めさせようとしていた。
東の森でのバティルたちとの戦いでも頃合いを見て立ち去った。殲滅神官もセフィラがいなくなったら見逃していた。
ビナーとの闘いの最中もセトたちが巻き込まれて死なないように配慮をしていた。
黒い巨人の目的。確証はないがセフィラを殺すことが目的なのだろう。
ビナーほどのセフィラは出現する前に対処しようとしていたということか。
「起きて! リーちゃん、あなたのためにセトが必死にがんばっているんだよ。あんなに傷ついてもみんなと一緒に帰るために!」
ピクンッとリーベの目蓋が一瞬だけ動いた。アズラの声に、セトの呼びかけに答えようとしているのか。
だが、ビナーはそれを許さない。
黒い翼でアズラごとリーベを包み、純白の肌を輝かせ始めた。
熱でアズラを焼き黙らせようとする。
それを見た黒い巨人が翼のドレスをこじ開け、アズラを開放する彼らが決して死なないように。
アズラはその隙に全てを焦がす輝きから逃れる。何故、黒い巨人が自分たちを助けるのか分からないが、利用できるものは利用するだけだ。
リーベを助けるために黒い巨人も利用してやる。
気道を焼かれ呼吸ができず、いつ痙攣を起こして心肺が停止するか分からない。
命の危険にさらされているセトをセレネはどうすることも出来ずにいた。
なんでもいいから治療をする必要がある。せめて、呼吸の確保だけでも行わないといけない。
アズラが足止めをしている今、セトを助けれるのはセレネだけだった。
「どうしよう。どうしたらいいですか・・・。このままじゃ」
せめて三導系の術式である癒呪の術式を唱えることができれば、治療できる可能性はある。
しかし、セレネは、癒呪の術式の呪文も魔力の制御方法も分からなかった。
「遺跡でハンサさんが唱えていた呪文・・・。呪文を思い出せれば。思い出せ。思い出すんです!」
セレネは希望を捨てない可能性はゼロじゃない。
10%だろうが1%以下だろうが、一度見ている聞いている。必ず手繰り寄せてみせる。
「スタンドアップ・コード・P.D.M.S・セットアップ・・・」
セレネが呪文を口にした。
「クレスト・キドゥーシュ・・・!」
セレネの手に魔力が集まり、セトの体を包んでいく。
現象として成立しない魔力の塊がセレネの中で荒れ狂い、体を内側から蝕もうと暴れはじめた。
内側で暴れる魔力をセレネは強引に癒呪の術式に変換しようとする。
欠けている治癒として発動させるために必要な制御方法をセトを救うという意思の力で補っていく。
セレネの皮膚が破け、体中のあちこちから血と汗の混合液が流れる。
体が術式の暴走に破壊されていくがセレネは術式をやめない。さらに魔力を込める。するとセトの火傷が修復され始めた。
(このまま魔力を注いでいけば・・・)
自分の体に負荷が掛かるが、治療ができる。大丈夫だ助けられる。
「ゴフッ!!」
そう思ったセレネは血の塊を吐き出していた。見えない内側が想像以上に破壊されている。
このまま続ければ、セレネの命が危ない。
それでもセレネは術式を中止しようとしない。ここでやめたら誰がセトを助けるんだ。
「絶対助けるからね。リーちゃんも絶対助けるですよ」
セトが目を開いた。直後セレネが限界に達し倒れ込む。
血まみれのセレネを受け止め、崩れ落ちそうな体を支える。
「ありがとうセレネ。しばらく休んでて。絶対にみんな助けるから」
「・・・っ」
声を出せなかった。でもセレネは精一杯微笑んだ。ぼくは大丈夫だとセトに告げる。
セトは、セレネを残しビナーの前に進み出た。
「! ・・・セレネ、ありがとう」
セトを見たアズラは、すぐに理解した。傷の治った血が付いた彼を見て何があったかを。
さらに一歩前にセトは進み出る。
「僕は、君と約束したんだ。絶対に助けるって」
それは、セトの誓い。大切な人を守るための約束。
「絶対に助けるよ。・・・だから、そんな奴に負けるなぁぁあああああ!!」
セトの誓いを聞いて、リーベは涙を流していた。絶対に助けると、そしてビナーなんかに負けるなと。
セトの言葉が声がリーベの心に響いていく。
(・・・帰りたい)
その響きは、一つの意思を目覚めさせた。神話の存在に塗りつぶされていた少女の心を目覚めさせていく。
(みんなの所に帰りたい!)
ビキッ! とヒビの入る音が鳴る。崩壊に繋がる音がビキビキ! と響き渡る。
ビナーの体に亀裂が入り広がっていく。ビナーが声なき怒りの声を発した。
声でなく憤怒と殺意が声の変わりにビナーの意思を伝えてくる。
ジグラットが振動する。ビナーの怒りを再現するように。一気に空が暗くなった。
セトたちの知るラガシュの町が壊れた壁から見える。
知らない場所から神話の存在が町に出現する。
ビナーは身に纏う全ての翼を展開した。純白の体に、十対の翼。
一枚一枚の翼を剣のように振り回し、巻き起こる風ですべてを吹き飛ばそうと破壊をばら撒いていく。
すぐさま、黒い巨人が盾で安全地帯を作り出す。
ビナーの翼による剣撃の嵐を防ぎつつ反撃にでるが、さらに速く身軽に動き回るビナーを捕らえ切れない。
セトたちは盾に隠れつつ、何とかビナーに飛びつく隙を窺うが、ビナーの猛攻は止まらない。
ここまで来て、自分たちが巨人の邪魔になって攻め手を奪ってしまっている。巨人が動くとセトたちの命などあっという間に切り裂かれてしまうだろう。
黒い巨人もそれが分かるのかその場を動けないでいた。
だけど、ここまで来たのは無駄ではなかった。様々な人と出会い支えられここまで来たのだから。
マグヌス流奥義 魔装が白銀に輝く一閃がビナーの翼を斬り落とす。
土と風の混合術式がビナーを床に叩き落とした。
バティルたちがみんながたどり着いた。
「何がどうなっているか、全く分からねぇが。とっととリーベを助け出すんだセト!!」
バティルの叫びと共にセトは駆けだした。リーベのもとに、恐らくこれが最後のチャンス。
まだ遠い。リーベは見えているのに。
あと10歩、手は届く。必ず届く
あと1歩、手が届いたもう離さない。絶対に。
ビナーはそれを許さない。
純白の体を輝かせる。滅するために。
九対となった翼を一つに束ねる。全てを葬るために。
莫大なエネルギーがビナーを中心に集まっていく。禍々しい光が砲台となった翼の中心で膨張していった。
それは、ラガシュなど地図から確実に消し去るほどのエネルギー。
黒い巨人も動く。背中の赤いリング状の発光体を回転させ、大量の赤い球体を生み出していく。
放たれる前に息の根を止める。
その攻撃をアズラが止めた。
「お願い! リーちゃんをセトを助けたいの! 自分たちの都合だけ押し付けているのは分かってる。あなたを傷つけてそれを忘れてくれと言っているのも。でも! 私はリーちゃんをあそこから救い出したい!」
アズラが黒い巨人に協力を求めた。殺すのではなく、助けたい。
黒い巨人はアズラを見つめる。まるで人のようにどこか優しさが漂う気配が一瞬だけ巨人を包んだ。
そして、アズラの思いに応えるように槍と盾を黒いモヤに戻しビナーの体を拘束した。
禍々しい光のエネルギーが集まるのを防ごうと黒いモヤで打ち消していく。
通じた。人の言葉が思いが。バティルたちや、殲滅神官が驚愕の表情を浮かべるが。
すぐに、巨人に続いた。砲台となった翼を切り付け、殲滅神官がエネルギーを奪う。
セレネもハンサから癒呪の術式を受けながら、セトに祈りを送った。
みんなに助けられ、セトがリーベに思いをぶつける。
「リーちゃん。君のところまで届いたよ。みんなのおかげでここまで来たよ」
リーベの目が薄く開く。セトの声は届いている。涙に濡れた頬をやさしく拭ってあげる。
「助けに来たよ・・・」
セトは祈った。リーベを救いたいと。
セトは祈った。またみんなと一緒にいられるようにと。
セトは祈った。リーベの笑顔を守りたいと。
リーベは願った。 助けてほしいと。
リーベは願った。 みんなといたいと。
それは聞き届けた。
(優しい人、妹をお願いするね)
パキンッ! と何かが割れる音が鳴った。ビナーが体中の亀裂から眩いばかりの光を放ち、光に溶けていく。
漆黒の翼が純白の透き通るような体が崩壊していく。
そして、消え去った光の中に二人が倒れていた。
セトはもう離さないとリーベをしっかりと腕の中に抱いていた。
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崩壊したジグラットが急ピッチで補強されていく。これ以上被害が出ないように応急手当をしていた。
自警隊は町の治安維持と瓦礫の撤去に追われている。
あの騒動から、一日が過ぎた。
たった一日だが、事態は収束に向かっている。
領主ロレンツォ卿は、今回の騒動を報告するための書類と町の復興のための書類で猫の手も借りたい状態になっていた。
少しづつ元の日常に戻っていく。
「もう、行っちゃうんですか?」
出発しようとする殲滅神官たちに、そう、セトが聞いた。
「ああ、聖地アヴェスタに戻り、此度の件を報告しなくてはならない。ジグラットがあのありさまでは徒歩で向かうしかないのでな」
「また会えますよね」
「会えるとも。貴殿には感謝してもしきれない。聖女を救ってくれたのだから。このことも、うまく扱わなければな」
「殲滅神官様は、リーちゃんのことを聖女って呼びますけど、リーちゃんは聖女なんですか?」
「教義に照らし合わせた結果、聖女となるが、貴殿の義妹でもある。我らが保護すると聖女は宮殿という檻の中に囚われるだろう。そこで貴殿に頼みがある。我らに代わり聖女を守ってやってくれ」
リーベの自由と身の安全を頼むといわれた。なら答えは一つだ。
「任せてください。リーちゃんを守るって約束しましたから」
「オーウェン・デカダンス・デイヴィース。それが私の名だ。こやつはフランツ・デカダンス・バルドン、殲滅神官の儀を受けたときに声を失くしてな非礼を許してやってくれ」
「非礼だなんて思ってませんよ。あ、コホン! 僕は、セト・ルサンチマン・アプフェル。また、どこかでお会いしましょう。オーウェン様にフランツ様」
「もちろんだ。セト・ルサンチマン・アプフェル。貴殿に主の加護があらんことを」
殲滅神官たちは、そう言い残しラガシュを後にして旅立って行った。
殲滅神官が名を名乗るのは、教義に反するはずだが、彼らは教義より礼儀を感謝を取った。
セトも礼儀で答えた。彼らのおかげでセトたちはここにいる。
あの真っ白な世界から帰ってこれたのも、オーウェンがセトたちを元の世界に引き寄せてくれたからだ。
立ち去るオーウェンたちに町の外にいたバティルが声をかける。
「神官様が教義を破ったら不味いんじゃないか?」
「構わぬ。人を救えぬ教義などあってはならない」
「へっ、同感だ」
一つは名を名乗ったこと、もう一つは主の敵を見逃したことだ。
セトとリーベが助かった後、すぐに黒い巨人は空へと立ち去っていった。
結局の所、黒い巨人はこの世界にビナーが出現するのを阻止するのが目的だったということだ。
正体はいまだ謎のままだが、おおよその推測は出来ている。今もこの世に存在する神話の時代の生き残り。
黒い巨人は、これからも神話の続きをするのだろう。
バティルとオーウェンたちは離れていく。互いに認め合った者同士、多くの言葉はいらない。
宿屋の前で、ウォンウォンと泣く声が響いていた。声の主はハンサだ。
「今日でお別れだなんて・・・。あたし、まだ大人のお姉さんな所見せてないよー。ウエェエエッェエエン!」
なんかもう、情けないのか微笑ましいのか判断がつかないが、アズラとセレネはハンサを元気付けていた。
「また会えるですよ。ハンサさん」
「そうよ。まだ、術式全部教わっていないんだから」
「ううぅう、ありがとう。絶対にすごい術式を教えてあげるからね」
ハンサの顔が涙と鼻水で美人が台無しになっている。セレネはハンカチを差し出しつつ、アズラは術式で顔を洗うため水を用意した。
「ハンサもいい後輩ができたな」
「ええ、ハンサ姉さんもこれで少しは大人の女性としての自覚が持てるのでは」
そんなことを3人を眺めながらジズとガルダは思う。
下の存在は、人を大きく成長させるきっかけになる。
自分たちもそうだ。セトたちには強くてカッコイイ風の団のままでいたいものだ。
バティルたちが戻ってきた。領主ロレンツォ卿に自警隊の指揮権を譲渡してきたようだ。
風の団のこの町での役割もひと段落した。
「セトは戻っとらんのか?」
ヴィドフニルことヴィド爺がセトがいないことに気付く。
「なんだ? さっそくリーベとデートにでもいったか?」
「団長、セトは殲滅神官たちを見送りに行ったのですが」
「分かってる。茶化しただけだ」
バティルは、先ほどセトが見送っていたのを見ているのに誤解を生むことをいう。
実は、セトとリーベがお似合いだとバティルは思っているのだが、セトはどう思っているのだろうか。
本気で守りたい人なのか、本気で守りたい家族なのか、きっとその判断はまだまだ先だろう。
みんなが待っていると、セトが戻ってきた。自分が待たせていることに気付いて小走りで急ぐ。
「ごめん、待たせちゃった」
「セト、リーベは一緒じゃないの?」
「ううん。知らないよ」
遅刻している奴が増えた。小娘はどこにいったのか。
「そろそろ時間だな。城門まで移動する。道端で会うだろ」
「リーちゃん大丈夫かな・・・」
いつもの活気に戻った町を歩いていく。最初に訪れた時と違い懐かしく感じる。
城門が見えてきた。
城門の影に赤毛の小娘がいる。待ってたぞ! と小さい体を大きく跳ねさせてこちらを呼んでいた。
リーベは助けられて目が覚めた後、ビックリするくらいのお転婆少女になってしまった。
黒い巨人からビナーから解放されて本来の自分の姿を取り戻したのだろう。
残念ながら記憶は戻らなかったが、それは追々思い出していけばいい。
みんなに駆け寄り、セトの胸に飛び込んだ。
「わっ! リーちゃん危ないよ」
「危なくないもん。セトが守ってくれるんでしょ?」
「うん。もちろん。僕が守るよ!」
アプフェル姉弟に家族が増えた。
リーベ・アプフェル。
セトとアズラの妹だ。
第一章 完結しました。
長くなりました。10000文字を超えました。おかしいな5000文字の予定なのに。
次の話は少し間が空きます。