第百六十一話 感染スル死
どれだけ気を失っていただろう?
目を覚ますと、飛び込んできたのは漆黒の異形者と変わり果てたファルシュと。
立ち向かうセトたちだった。
弟たちの勇敢な姿。
自分がいなくても諦めることなく戦う姿に、アズラは措いていかれるような、そんな気がした。
イヤだ・・・。
助けなきゃ。自分がセトを守らなきゃ。
そんな気持ちがアズラを動かそうとしていく。でも、傷ついた体は言う事を聞いてくれない。
ファルシュの大剣がセトたちに襲い掛かる。
裂ける大地。その余波にアズラは転がされていく。
涙が出そうになる。自分が役立たずだ。
あの時も。
ファルシュと初めて戦ったあの時も自分は役立たずだった。
魔装・銃剣の餌食となり魔力を破壊因子に変換され、死の淵を彷徨う有様。
今回もなのかとアズラは砂を握り締める。
勝つと言ったはずだ。
みんなを今度こそ守り切ると。
危険な目に遭わせないと、そう願ったはずだ。
セトのダガーが砕ける。
もう猶予はない。ファルシュが止めを刺そうとしているのが見える。しかも、その身に纏っているのは黒い魔力だ。
アズラが歯を食いしばり、腕に力を籠めた。
拳に装備された第弐魔装・絶対魔掌を力いっぱい地面に叩き付ける。
ビシッ! と亀裂が走り魔装から漏れ出るように魔力が溢れ出し、それを一つも残さず体内へと取り込んでいく。
魔力が戻る感覚。
即座に癒呪術式を施してダメージを回復し、足に魔力を送って人には不可能な、倒れていた体が浮き上がるような飛び跳ねる挙動に。
目にも止まらぬ速さでファルシュとセトの間に突っ込んだ。
「セト、エリウ大丈夫!」
「アズ姉!」
間一髪。
アズラが黒い魔力を受け止め、セトたちを飲み込もうとしていた死の顎を防ぐ。
もう大丈夫だ。
自分がいればこの状況を立て直せる。
自分だけではない。ルフタもランツェもエリウもいる。必ず勝てる!
アズラが受けてめている黒い魔力を無効化しようと、魔装に魔力を込め出し可能性を探ろうとした。
黒い魔力。
アズラには覚えがある。これは、黒の異端者アニマが用いていた魔力だ。
ということは、ファルシュは術式でアニマを観測し再現したということか。
あの黒い巨人が世界の理そのもの?
頭の中に疑問が浮かぶ。だが、それを考えるのは後だ。今は目の前の脅威を排除するのが先決。
アズラが可能性の海に意識を静めていく。
この空間、場所を形作っている可能性を魔装で掴み取って、この窮地を打開する。
そのために、アズラが手を伸ばした。
黒い魔力が蝕もうとしているセトたちを守るための可能性を掴もうとして。
その時だ。
アズラがそれを感じた。
真後ろから、冷たく。そして、深い虚無を感じさせる闇を感じた。
自分が掴み再現した虚無とは、違う。
あの虚無は無ではあるが、世界という静寂だった。
だけど、今感じているこれは違う。
死だ。
終焉ではない。
生きていること、世界は継続してくいくこと。
その全ての概念と基準を。殺す死だ。
この死は必要なら世界という静寂すら殺すだろう。
アズラが振り返る。
絶対的な死という捕食者に睨まれたみたいに顔が強張っていく。
それは、たとえ拒絶したくても無理矢理に認識させられる黒い穴。
可能性の死に絶えた穴。
それをセトから観測した。
「・・・え?」
間抜けな声をアズラが上げる。
アズラの意識が可能性の海から現実世界へと戻って。
なんで僕を見ているのと困惑するセトの目と。
今まさに、黒い魔力に押されている自分自身に気が付いた。
「アズラァッ!! 今助ける。踏ん張るのだ!!」
ルフタの決死の形相からの叫び。その声がアズラの耳に届く頃には魔装が砕け散ってしまう直前だった。
(なッなんで!? こんなはずじゃ!)
砕ける直前の魔装を必死に抑え込み、黒い魔力の放出に耐えようとする。
何とかしようとするが、もうどうにもならない程に魔装の損壊が広がっていた。
「ぐッ!」
黒い魔力の放出に耐えきれずアズラが片膝を付いた。
魔装で押さえきれない。黒い魔力がアズラの体を傷つけて無残な姿へと変えていく。
もう耐えられない。魔装がほとんど機能していない。
なんでこんなミスをした?
それだけがアズラの頭に浮かんでくる。
「ア、アズ姉」
ポンとセトが震える声を押し殺して名を呼びながらアズラの背を支えた。
怯えている。
アズラには分かる。
でも、セトはその恐怖に抗い、絶対に離れないと示すようにギュッと抱き着く形でアズラが倒れないように強く、強く抱きしめる。
「姉御まだ諦めちゃダメニャ!」
エリウの温かい手の平もアズラの背を支えていく。
頼りない手かも知れない。でも、アズラの心を支えてくれる強い手だ。
アズラが戦意を取り戻す。
半壊している魔装を握り締め、ファルシュに真正面から立ち向かう。
でも。
だけど。
それでも、魔装獣となったファルシュに届かない。
黒い大剣を掴み上げ、セトたちを助けようと向かってくるルフタたちへと斬り掛かった。
5mはある魔装獣となったファルシュ。それと同じほどの大きさである大剣が、槍を突き出して飛び掛かり表層の黒い魔力を切り裂くランツェ目掛けて横に一薙ぎ振るわれた。
斬るのではなく、面で殴りつけるように。羽虫を潰す感じで弾き落とす。
グシャ! と潰れる音が鳴り、大剣に殴りつけられてたランツェが打ち飛ばされた。
「ランツェェッッ!!」
打ち飛ばされ槍が折れ曲がり、地面を四、五回以上も跳ね転がりながら砂煙を上げていく。
生死が危ぶまれる一撃だ。冷静さを保っていたルフタの顔に焦りと怒りが表れる。
それでも、意識を戦いに集中させ冷静さを取り戻し、セトたちを助けるために無駄と分かりつつも天武の神術を打ち放った。
ファルシュの漆黒の巨体に光球が直撃して爆発を起こす。
光球を嫌がったファルシュが大剣を盾にして防ぎだし、狙いがセトたちからルフタへと切り替わっていく。
「キサマらの支えとなっているのは、ルフタ・ツァーヴ、キサマという存在か。敵の頭を潰すのは兵法の基本だが、それが導師の知り合いでは、殺すことも出来ないのは厄介だよ」
忌々しそうにルフタをその赤い一つ目で睨み付けてくる。
だが、殺せないだけでルフタを黙らせる方法ならいくらでもあることをファルシュは知っている。
黒い大剣が魔力へと変換され、霧状に霧散しすぐさま、別の武器へと変化した。
黒い刀。断ち切ることに特化した剣だ。
先ほどの大剣より速度が数倍にも跳ね上げれる選択。
ルフタはすぐに、飛翔の神術を施し対処できるようにしていく。
一人になろうとも、まだ諦めないルフタにファルシュは最終勧告を突き付ける。
黒い刀をルフタに突きつけ、黒い魔力を今まで以上にアズラに叩き付けた。
「くッ!? ァァアアアッ!!」
悲鳴が、ルフタの耳に入り込む。反撃の意志を思い留まらせる。
「貴様・・・!」
ルフタの口から怨念のような声が出て来た。
動けない。動けばファルシュは容赦なく自分かセトたちどちらかを殺す。
だが、ルフタが導師の知り合いで殺せないのならファルシュの選択肢は一つだ。
一つなのに、ファルシュはあえてルフタに選択を迫った。
「選べルフタ・ツァーヴ。無駄と知りながらも抵抗して手足を斬り落とされるか。黙って仲間が死ぬのを見届けるか。・・・選べ!」
この選択にセトたちの命は関係無い。
どちらを選んでもセトたちは殺される。この問いの意味は服従するか、しないか。
ルフタの心を挫くための問だ。
ファルシュは告げている。
もう、諦めろと。
大剣に薙ぎ払われたランツェはもうピクリとも動かない。
セトたちは黒い魔力に徐々に飲み込まれ、もうすぐ確実に死を迎える。
絶望的だ。
だが、それが全ての行為を諦める理由にはならない。
諦める理由にならないからルフタは諦めなかった。
「吾輩が言った言葉を忘れているのではないか? 吾輩たちを。舐めるなと言ったのであるッ!」
その身に宿る残った全てのセフィラの力を束ね上げ。
残った力の全部を奴にぶつけるために右手一つに青白い光を滾らせる。
一瞬でも、僅かでも何でもいい。
セトたちが反撃するチャンスを作り出す。
それが、今ルフタにできる全てだ。
ルフタの選択を見たファルシュは苛立ちを覚えながらも、導師の客に傷を付けないよう最大限の配慮を行う。
「・・・なぜキサマだけ無事か少し考えれば分かるだろう。導師の関係者だからだよ。そうでなければ真っ先に殺している。その意味を考えたらどうだ?」
漆黒の巨体を滑らかに動かし、実に紳士に振る舞ってみせる。
このファルシュの行動から導師の、確実に彼女の存在が垣間見える。
否定したい情報だ。
ルフタにとって受け入れがたいことだ。
あの時。王都で再開したあの時に彼女の変化に気付いていれば、また結果は違ったものになったかもしれないのに。
この気持ちは後悔かもしれない。
そんな思いを激昂で塗りつぶしながら。渾身の一撃を右手に乗せて、逃げも隠れもせずにルフタが正面から突っ込んだ。
「どれだけ強大になろうが! 元が人ならばァァァッ!!」
「・・・残念だ。その選択を後悔するといい!」
ファルシュは、黒い刀を振り上げルフタの右手目掛けて振り下ろす。
そして、宣告通り。セトたちに止めを刺すべく黒い魔力を放出する左手の先から魔装・銃剣の銃口を生やして赤黒い光を容赦なく発射した。
セトたちに赤黒い光が迫る。
赤黒い光がアズラの魔装に触れた瞬間、辛うじて形を保っていた魔装が完全に砕け散った。
白い光の滴を撒き散らしながら消滅していく魔装・絶対魔掌。
自身の最強の武器を失ったアズラは。
その瞬間、心が敗北に染まった。
「セト・・・ごめんね。守れなかった」
アズラの半身が完全に赤黒い光に呑まれ、その光景に絶望を浮かべるエリウ。
腕から先がもう見えない。アズラの感触が消えた。それを認識したセトは死を覚悟する。
赤黒い光がセトを覆いつくす。何もかも壊されていく中で、青白い光がセトの頬を掠めた。
「させて堪るかァァッ!!」
それは、腕を斬り落とされたルフタが赤黒い光に飛び込んだ時の光だ。。
障壁と衝撃の神術を重ね合わせ、黒い魔力と赤黒い光に押し切られるギリギリの線で耐え抜きながら押し開ける。
自分の傷など気にも留めないで、セトたちを守り抜こうと死力を振り絞る。
障壁の内側には戦意を喪失して座り込んだアズラが見えた。
無事だ。
死を覚悟していたセトに戦意が僅かながらに戻る。まだ戦える。守るべき人が無事ならいくらでも立ち上がれる。
ルフタが諦めていないなら、自分も戦える!
このままではルフタを殺してしまいかねないと判断したファルシュが、黒い魔力と魔装・銃剣の放出を停止し代わりに黒い刀を振りかざした。
その軌道が狙うのはセトの首。
一直線に振り下ろされる。
「ッ!!?」
間に合わあない。戦意を取り戻すのが遅かった。
回避出来ない。
ルフタが盾になろうとセトと刀の間に割り込もうとしている。エリウが何とかしようと腕を伸ばしている。
状況の変化に気付いたアズラは間に合わないと悲痛な思いで腕を出して。
世界が白と黒に切り替わる。セト以外の時が止まる。
全てをスローモーションのように見せながら、全てを静止させていく。
その静止した世界でセトが叫ぶ。
「助けなきゃいけないんだ! アズ姉をみんなをッ!!」
静止した世界で運命を変えようともがく。手足を動かそうとする。
だが、セトの声だけが世界に響いていく。それ以外は動かない。
誰も聞いていないと錯覚させる感覚。だが、それはすぐに否定される。
声というよりは意志とも言うべき波動が、底なしの闇を纏いながら聞き返してきた。
(何・ノ・タ・メ・ニ?)
意識がバラバラにされそうになる。この意志、いや波動を受けるだけでセトという存在が砕かれそうだ。
セトはそれに耐える。
助ける。ただそれだけを考えて耐え抜く。
歯を食いしばって心の底から想いを吐き出す。
「みんなでベスタに帰るんだ。商会のみんなが待っている。リーリエさんもディアも。マルクにピントさんだって待ってくれている。それだけじゃない」
セトが抱え込める想いを。大切な人たち、帰りを待ってくれている家族に仲間たち。
そして。
「リーちゃんを迎えに行くんだ! もう大丈夫だって、安心していいよってリーちゃんが笑顔でいられるように。聖女なんかの運命に脅えなくていいように僕が守るんだ!!」
今もセトたちをこの地獄で待ってくれているリーベを助ける。
だから、こんな所で負けていられない。
セトの叫びを。
波動は静かに聞いて。
(聖・女・?)
と聞き返した。
その単語をなぜ口にしたと聞き返す。
(聖女・ヲ・守・ル? 怯・エ・サ・セ・ナ・イ?)
波動は聞き返す。疑問を膨らませる。
それは弾ける。
(アノ凌辱サレタ存在ヲ守ルダト? ソレハ間違イダナ)
「!?」
明確な否定の意志が言葉となってセトの耳に滑り込んできた。
今までの波動ではない。波動の先に人のような意志を感じる。
「君は誰?」
セトが聞く。
(オ前)
波動は答える。
答えてさらに。
(聖女ガ近クニイルノカ。ナラ、モウ死ヌ肉体ハイラナイ)
波動が胎動していき。急速に世界の時間が戻り始める。
世界に色が戻っていく。
「待って!」
そして、世界は改変された。
グシュリ・・・。
肉を砕く音。感触。
改変は結果を伴って、世界に現れた。
ファルシュが黒い刀で。ルフタの頭部を完全に潰していた。
「ッッッ!!?」
声にならない悲鳴。叫び。咆哮。
セトの目の前で、首から上が潰れたルフタが倒れていく。
赤い血をベットリと塗りつけるように崩れ落ちる。
そこから先は、音が聞こえなかった。
叫びながら走り寄るエリウ。彼女が何かを言っている。でも、セトには聞こえない。
ファルシュがその漆黒の巨体を殴り飛ばされた。アズラが魔装も無しに魔力を激情に任せて叩き付けている。
アズラの怒りと絶望の入り混じった感情が、心を覆う敗北を消し去り。
より大きな負の感情が置き換わって。
アズラは、癒呪術式をルフタに施した。
術式の効果でルフタの頭部が嘘のように再生していく。
まるで生きているかのように、生き生きとした顔色。
ルフタが蘇ったかのような光景。
だが、癒呪術式を施したアズラがその手を震わせ、目を見開いた。
自分は何をした?
いったい何を仕出かした!?
死んだルフタの目が開く。
先ほどまで、セトたちが見ていた頼もしい姿そのままに。
立ち上がり、息を吐き。
そして。
「アアアア・・・」
癒呪暴走体へと堕ちる。
それを波動は楽しそうに見ていた。
ファルシュという存在だった肉体から、聖女に捧げる贄たちを。