第百六十話 可能性の獣・魔装獣
この世界には二柱の神がいた。
魂神と異神。
人間にこの世界の神であると称えられる魂神。
この世界の敵として歴史から抹消された異神。
どちらも神話の中の存在だ。
誰も見たこともない。
本当にいるのかすら分からない。
だけど、彼らがいるのなら二柱の神も存在すると思えてしまう。そんな存在がいた。
それが。
セフィラと黒の異端者。
セフィラはこの世界より上位次元に住む高位の存在であり、魂神に仕えていると考えられている。
人の理解を超えた存在だ。
人がセフィラと接触できる空間、セフィラ界は上位次元ではなくあくまで上位次元とこの世界を繋ぐ橋。
世界と世界の間に緩衝材となる世界を挟まないと人では接触すら出来ない。
その緩衝材となる世界ですらセフィラが人のために用意してくれたものだ。そうしないと人は自身という存在を維持できない。
上位次元の法則に存在を毟られて、まるで拒絶されるように消滅してしまう。もしくは、毟られたまま元の世界に戻されてしまう。
それだけ上位の存在。人が神の存在を確信できる要素。
では、黒の異端者は何のだろうか?
セフィラの例を見るに異神の使者なのだろうか?
いくら歴史から抹消したと言っても人の手には限界があり、僅かに残された文献と遺跡からの資料では使者であると推測できる。
黒の異端者とは何なのだろうか?
何を目的に行動しているのだろうか。
どこに住んでいるのだろうか。
セフィラ界に介入できるほどの力を持ち。セフィラたちを寄せ付けない存在。
そして。
聖女を。リーベたちを殺しに来る存在。
その特徴を持った異形へと変貌した者が、セトたちの目の前でその巨体をさらけ出していた。
全長は5mほど。
人の上半身を持っているが、昆虫をイメージさせる姿だ。だが、なによりセトに衝撃を与えたのは黒の異端者アニマと同じにしか見えない外装だ。
全身に張り付く漆黒の外装にその上を駆け巡る赤い血の線
生命体の殻や皮膚などではなく、装着する外装。鎧などを見ている感覚。
黒の異端者の何かをファルシュは生み出した。そう見える姿なのだ。
ファルシュの姿に気圧されるセト。
必死に二本の剣を構えて戦意を鼓舞するが、ダメだ。腕が上がらない。手足が委縮して全く動かない。
セトは心の中で叫ぶ。
さっきまでの威勢はどうした! ここで逃げてどうする! 逃げても助けてくれる人はいない。
逆に助けなければいけない人がいる。
セトの後ろにはアズラが気を失って倒れている。
「・・・ッ!」
覚悟を決める。違う。覚悟を再確認する。この程度の脅威で折れる覚悟なのかと、自分を自分で煽るように決意をもう一度問う。
(勝つ。勝つんだ! 僕たちにはそれしか道は無いんだ!)
逃走という選択肢を放棄する。
この敵に。
自分たちの未来を覆いつくそうとする相手に対し。
心の中で勝利という名の決意と覚悟が固く、固く結ばれた。
「みんな!」
ルフタたちに声を掛ける。
声を発したセトにもう怯えはない。
その目にあるのは心の中で結んだ決意と覚悟だ。
「仕掛けるよ。僕に合わせて!」
セトが先頭を切ってファルシュに向かって走り出した。
それは今までアズラに合わせていた行動から一歩先に進み出た姿。
走っていくセトの背を見てルフタたちが目を見合わせ、互いに頷く。
今この場で何をすべきか。誰がそのことを判断できているのか。
「任せるのである!」
ルフタたちが続く。
真っ先に飛び出したセトをサポートするように陣形を取って、セトの真後ろにルフタ。左右にエリウとランツェ。
セトの判断に全てを委ねた陣形。
ルフタの役割は全体を維持すること。誰一人として欠けさせない。
セフィラの力手の平に集めていく。いつでも援護できるように最善の状態を作る。
突っ込んできたセトたちに対し、ファルシュはまだ眺めているだけだ。
ゆっくり手足を動かし、セトの方へと向き直る。
「動きが鈍い。右側面から仕掛けるよ!」
セトの指示が発せられた途端、陣形全体の動きが一気に変わった。
エリウが内側に寄り、細長い形になりファルシュに突っ込む。
攻撃態勢に入ったセトたち。
だが、それでもファルシュは動かない。
それどころか、自身の魔力が安定せず白い魔力が黒い魔力へと変わり、まだら模様を描いている。
「これが、魔力? これが魔力なのか。・・・だとすると。今、ワタシはどの世界を見ている?」
何を言っているのかセトには見当も付かない。
だが、その無防備な姿は先手のチャンスだ。
セトが飛び掛かる。片手剣を振り下ろしファルシュの左腕に剣を叩き付けた。
ゾンッ!
斬りつけて感じたのは異常な違和感。
剣から感じられたのは無。何もない所を斬りつけた感覚だ。
「!?」
セトがすぐさま後退の指示を出し距離を取った。
エリウとランツェがセトの前に出て反撃に備える。
セトは違和感を感じた片手剣を見た。
「剣が・・・! 何か攻撃を受けた? くっ」
何も感じなかったはず、確かに感じなかッた。なぜなら片手剣の剣の部分がゴッソリと無くなっていたからだ。
まるで、何かに食い荒らされたかのように毟り取られたような跡がある。
二本の内、一本を奪われた。食われた片手剣を放り投げダガーを構え直す。
そうしている間に、ファルシュが動き出した。
完全にその異形に馴染んだのか、滑らかな動きでセトたちに迫る。
「セトどうするニャ!」
「今、考えてる!」
エリウが次の指示を仰ぐ。剣が効かない。つまりは物理攻撃が効かない。
何か策がないと攻撃できない状態だ。
セトは今できる事をはじき出す。この状況で自分たちができる最善。それを実行する。
「ルフタさんは神術で牽制を。ランツェさんは風の術式で砂をあいつにぶつけてみて!」
「了解である」
「フン!」
すぐにルフタが天武の神術で光球を連続で打ち放つ。
放たれた光球は高速でファルシュへと命中していく。
青白い光球が漆黒の外装を叩き光を飛び散らせるが、全くダメージは無い。だが、無効化はされていない。
ルフタの牽制に続き、ランツェが風の術式で舞い上げた砂を砂塵の如く竜巻で超高速に回転させてファルシュへと叩き込んだ。
ズドォ! と5mの巨体を砂が覆いつくす。
その時、ゾンッ! とあの消えていく違和感が砂の動きからセトたちにその異常を伝えた。
「砂が効いていない。ランツェさん魔力は」
「奴にぶつけないと分からない」
ファルシュが無傷のまま砂の嵐から姿を現した。
砂を食らっていくように全身を纏う黒い魔力で蝕みながら新しい力を見せつけてくる。
黒いドロドロとしたモヤのような魔力。
あの異質な魔力をセトは見たことがある。
そして、対抗手段も見ていたはずだ。
「・・・試すしかない」
セトは危険を承知で接近戦を仕掛ける判断を下す。陣形を整え懐に飛び込む構えを取る。
それをファルシュは眺めながら、ただ無造作に手を振った。
ゴォッ! 黒の魔力が地面を裂きながらセトたちの真横を走った。
黒い魔力が通った後はどこまで続くかも分からない暗い裂け目が口を開いている。
今までの攻撃と明らかに質が違う。
セトの頬を汗が流れる。
攻撃を放ったファルシュは腕の動きを確認するように手を眺めていた。
そして、動きを確認するとセトに顔を向ける。
「まだ、誤差があるが、まぁいい。さて、待たせたかセト・ルサンチマン・アプフェル。人ではないワタシという可能性の獣。名付けるなら・・・魔装獣と呼ぶのが相応しいか」
魔装獣。
ファルシュはそう自身の今の姿を名付ける。
人ではない可能性。
魔力の獣である可能性。
それを壊れたファルシュから観測しこの世界に再現した存在。
そう魔力を用いて術式による世界への現象の発露は全て再現。
ファルシュは再現したのだ。どこかにいるかもしれない魔装獣を。
「術導師であるワタシが到達し得る魔力の根源の姿。それが魔装獣。光栄に思え、雑兵相手では決して到達しない境地だ。それに屠られることをッ!」
赤い一つ目が激しく光る。
右腕を振り合上げて黒い魔力を束ね上げ。一つの塊にし、巨大な大剣へとその姿を変えた。
黒い魔力が黒い魔装を生み出したのだ。
その威力など想像を絶するほど。
グラリと大剣がセトたちの頭上に迫る。
「くっ!!」
咄嗟にルフタが障壁の神術を斜めに展開した。さらに飛翔の神術でエリウとランツェを掴んで飛び、セトに突っ込んだ。
セトたちの真後ろを大剣が通り過ぎる。直後、真後ろから爆発するような衝撃波が障壁の神術を叩きながらルフタたちに直撃した。
爆発の衝撃を受けて障壁の神術がセトたちを跳ね飛ばし、大剣の一撃の余波を軽減して見せる。
それでも、セトたちを宙に吹き飛ばすには十分な威力。
縦へと一撃の威力が伸びている大剣の攻撃。地面に穴を空けるそれは世界に穴を空けた様に錯覚する一撃だ。
セトたちが地面に叩き付けられていく。
避けるので精いっぱいだ。近づくことができない。
背中に激痛が走る。強く打ってしまったようだ。
「っー!」
痛みで動きが鈍くなる。しかし、ファルシュは待ってはくれない。
黒い大剣を抱え飛べ跳ねて一気に距離を詰めて来た。
大剣を突き下ろす。
「させんッ!」
痛みで動けないセトをルフタが突き飛ばした。そこに突き下ろされる大剣。
ズズゥン・・・と沈み込む音と振動。
地面に突き刺さった大剣の横に、障壁の神術で一撃を逸らしたルフタがいた。
突き飛ばされたセトが叫ぶ。
「ルフタさん!!」
「今の内に攻撃するのだ。吾輩はこんな奴には負けん!」
衝撃の神術を叩き込み、大剣を振動させてファルシュの手を弾いた。
この一瞬。
たとえ一秒に満たない時間だとしても、セトたちが反撃の一手を打ち込める。
その一瞬にランツェが魔力を槍に纏わせて振りかざす。
槍を纏う魔力。
イメージはそうアズラの魔装だ。魔力の物質化をイメージしながら槍で黒い魔力を振り払う。
黒い魔力がランツェの魔力と反応し消滅していく。
僅か。
僅かに本体への隙間が生まれた。そこへ、セトとエリウが攻撃を叩き込んだ。
ガギンッ!
「な!?」
「ニャ!?」
ダガーと爪が砕ける。
防御すら必要ない。この魔装獣は格が違う。
剣に術式。爪に牙。
そんな法則に縛られた攻撃はもうファルシュには届かない。
左手をかざす。黒い魔力を。全てを蝕む魔力をセトとエリウに向けて吐き出した。
横に飛ぼうが決して逃れられない範囲に黒い魔力を吐き出し、黒い壁が一瞬でセトの目の前に迫る。
ルフタとランツェが叫んでいる。
セトは無駄と分かりながらもエリウを庇った。
そして、目前に死が迫りながら世界が白と黒に堕ちていき。
全てをスローモーションのように見せて、時間から切り離された感覚の自分以外が静の世界で。
それが問い掛ける。
(マ・タ・殺・サ・レ・ル・ノ・カ・?)
声というよりは意志とも言うべき波動がセトを駆け巡る。
(神・ガ・夢・ミ・タ・血肉・ニ)
暗く、深く。
(マ・タ・殺・サ・レ・ル・ノ・カ・?)
底なしの闇がセトを包み。
そして。
世界が色を取り戻しセトの意識が戻る。
「セト、エリウ大丈夫!」
「アズ姉!」
目の前に黒い魔力を受け止めているアズラが立っていた。
魔装を片方だけ魔力に戻し回復に用いて自力で復活したのだ。
アズラはファルシュに叩き付ける。法則を無視できる魔装の力を。