第百五十九話 黒の異形
王都城門で発生した大爆発。
広大な面積を有する王都の一画を地図から消し去る威力。
それは全長620mにもなる世界最大の城。巨大王城グレーステ・シュテルケの城壁に巨大な風穴を空けるほどだった。
激動の赤と静寂の青。
二つ光がぶつかり合い、互いを飲み込み合ってさらに膨れ上がっていく。
王都の上層区画の基盤に届くまで膨れ上がる光。触れるもの全てを無に帰しながら王都を貪りに貪って、消滅した。
それは各所から目撃された。
王宮べヘアシャーにいる教皇とタウラスたちもその光を目撃し。
セフィラ界にいるハーザクも異常な力場の発生に戸惑っていた。
そして、消滅していく光の様子を騎士の詰所から見ているのはフローラたち。
一体何が起きているのか。
詰め所へ合流した森羅たちの話ではアズラたちが戦っているとのことだが、あれはもう人の戦いではない。
あんな所にアズラたちを自分は置いてきてしまったのかとフローラは悔いていく。
自分自身の無力さを。
だけど悔いるばかりで本当に何も出来ないのが辛かった。
「アズラ・・・皆無事でいてくださいの」
祈るように呟くフローラ。その姿は、泥と埃。そして血の跡でひどく汚れていた。
元々赤いドレスだったがそれでも血の跡は隠せない。
全身に被るように浴びている血の跡。それだけで、彼女がどんな地獄から生き延びてきたか周りにいる騎士たちは覚っていた。
フローラを気遣おうと声を掛けてくれる騎士もいる。
それはフローラにとって本当にありがたい事だった。
ここは、必死に逃げて来たあの場所とは違うと思えるから。
フローラのいる所は、騎士の詰所である塔の入口前に用意された仮設避難所だ。
騎士の詰所は、城壁が伸びるように城下町に出て、その先端が塔になっている場所を詰所として利用している。
昔は城下町を監視する監視塔だった場所だ。
時代の移り変わりで国が豊かになり臣民の地位が向上したことで監視塔は時代から姿を消し、騎士たちはそれを再利用しているのだ。
塔が城壁と一体化しているのに加えて地理的にも、詰所の機能を持たせるには最適な場所。
現在も臣民の避難所としてその機能を果たしていた。
仮設避難所に溢れかえる臣民たち。
その中から怪我人の手当を手伝っていたシアリーズが戻って来た。
「水を貰えるかしら」
「お疲れ様ですわ。でも、無理はしないで・・・」
疲労で足元がおぼつかないシアリーズをフローラが支え、長椅子に座らせる。
スッと差し出した水をシアリーズが受け取り丁寧にゆっくりと飲んでいく。
一息ついてから避難所を見る。
新しい怪我人で溢れていた。
いくら手当しても怪我人の数は増すばかり。箱入り娘だったシアリーズには過酷すぎる環境だ。
みんなを助けようと役に立とうと頑張るのに、体が付いていかない。
体の小さいライブラはまだ頑張って手当てを続けていると言うのに。
自分たちはこんなにも弱いのか。
だが、そんな無力感に浸っている時間などここにはない。
先ほどの謎の光の爆発により臣民たちに動揺が広がり始めていた。騎士が冷静にとなだめているが完全に取り除くのは難しいだろう。
そう思っていると一部の臣民たちが騒ぎ始める。
恐怖に駆られて暴動でも起こしたのかとフローラが警戒するが。
騒ぐ臣民たちが誰かを囲むように移動しフローラたちの前までやって来た。
「な、なんですの?」
いきなりやって来た臣民たちにビックリするフローラ。
彼らは別に暴れている訳ではない。頼りになる人物が来たと喜んでいたのだ。
「驚かせてすまないな」
臣民たちに囲まれていたのはバティルたちだった。
バティルたちを取り囲んでまるで勇者でも称えるように救いを求める臣民たち。
そんな彼らには見向きもせずにバティルと森羅が真剣な表情でフローラたちの前に来た。
「公女様、俺たちはこれからアズラの援護に向かう。・・・って、まぁそれだけなら勝手に行くんだが、もう魔力も体力も心許なくてな。独断だがハンサと騎士数名の同行を許してほしい」
許可して欲しいではなく、許してほしい。
独断と前置きして。
それだけで、事態の重さをフローラたちは理解する。
シアリーズが頷き、それを見たフローラも即座に了承した。
「これで終わるのですの?」
終わるのかとフローラは聞く。
聞かれた森羅は静かに答える。いつもの笑みを浮かべて。
「終わらせます」
答えた彼はフローラがいつも見ている彼だ。
この状況下でもいつもと変わらない彼。
いつもと同じ自分を見せてくれるなら、フローラもいつもと同じ。森羅を信じてただ待つだけだ。
そして、待ってくれる人たちを残して、バティルたちはハンサと剣の騎士団隊長格10名引きつれて出発した。
時間が惜しいと武器だけを手にハンサの乗る術導機クリ天に乗って先行していくバティルたちとそれに続く剣の騎士団。
彼らを見送っているとキュッと後ろからリーベがフローラのドレスを掴んでいた。
「せっかく会えたのに・・・あいさつできなかった」
「すぐにまた会えますわ。だから、待ちますの」
そう、自分にも言い聞かせるようにリーベに優しく答える。
亜人の暴動は鎮圧され、魔獣クリファは撃退された。
騎士の詰所には最新の情報がすぐに入って来る。だから、これが最後だとフローラは願っていた。
----------
激動の赤と静寂の青。
第弐魔装・銃剣と第弐魔装・絶対魔掌がぶつかり合った爆心地は静寂に包まれていた。
何もかもが吹き飛ばされた場所でセトたちは。
今、現実に起きている状況を飲み込めないでいた。
セトが目の前のそれを見たまま動けず、エリウとランツェは周囲の景色が一変したことに驚いている。
「ルフタさん・・・これは」
セトが恐る恐る尋ねる。
自分たちを命がけで守ってくれたルフタがセトの目の前にいる。
だが、そこにいるのはルフタだけではなかった。
光り輝く無機質な翼。石柱のような形の羽を持つ人に近い姿をしたセフィラ。
下半身は無く。上半身のみの体だが神々しいその姿は神の使いと呼ぶに相応しかった。
メタトロン。
それがこのセフィラの名だ。
メタトロンはセトたちを完全に覆いつくす障壁を生み出し、爆心地にいた彼らを守ってくれていた。
その腕にアズラを抱きながら、ルフタの前に降りてくる。
ルフタの祈りに呼応して現れたメタトロン。召喚したルフタもなぜ召喚できたのか理解できていない。
できていないが、祈りが届いたのは分かった。
「吾輩の声に応えてくれたのか。皆を助けてくれて感謝である」
メタトロンがアズラを引き渡す。
すぐにアズラの状態を確かめる。意識を失っているが命に別状はないようだ。
しかし、全身にダメージを負っている。決して無視できないダメージだ。
魔力も枯渇しているだろう。
(警戒。必須)
「警戒? ・・・そうであるな! 奴がまだいるかもしれない」
メタトロンが警告をし、ルフタはまだ決着が付いていない相手に意識を向けた。
自分たちのいる場所から一直線先。
ルフタが目を細める。
城門が在ったその場所に。
蠢いている血がいた。
赤い液状の状態でのたうち、散らばった血を必死に掻き集めている。
間違いない。ファルシュはまだ生きている。
「あれだけの攻撃を受けても死なないのであるか!」
アズラを地面に寝かせ、ルフタが武器であるメイスを持ち立ち上がった。
止めを刺さないといけない。
ルフタに続く様にセトたちも立ち上がる。
「みんな、これで勝負をつけるよ」
「了解ニャ」
「勝つ」
セトたちが立ち上がった瞬間。彼らを守っていた障壁と共にメタトロンが青白い光へと返り始めた。
契約無しでの召喚。
セフィラをここまで維持できただけでも十分だ。
「感謝である。後は吾輩らの勝利を見ていてくだされ」
ルフタたちを祝福するように青白い光が降り注ぐ。
下位次元であるこの世界からセフィラ界へと転位していくメタトロンが、消滅する前に最後の警告を発した。
(最大。警戒。悪ム・・・)
最後まで言い終える前に転位が終わってしまう。だが、メタトロンが伝えたかったことをルフタは汲み取る。
分かっている。あの状態のファルシュでも最大限の警戒を持って対処すべきだ。
4人が血の塊となって蠢くファルシュを取り囲んでいく。
一瞬の油断も許されない。
セトは喉が干上がっていくのを感じた。それだけの緊張感がこの場にあるのだ。
地面でのたうち回っているファルシュはまだこちらに気付いていない。
液状の生命体のように飛び散った血がファルシュへと集まり、大きな塊となって血の肉体を再生していく。
たちまち人の胴体部分が見えて来た。
完全に再生する前に決着を付けるとルフタが神術を発動する。
「お前さんたち行くのである!」
衝撃の神術を地面に叩き込んだ。セフィラの力が衝撃となり地面を伝って、散らばる全ての血に均等に流れ込む。
動き回っていた血が次々と硬直して動きを止めた。
「ギッサーの血でいくら強くなろうとも、元は人! 神術の効果からは逃れられんのである!」
ルフタの右手に青白い光が集まり、治癒の神術が発動していく。
これで、全てが決まる。
魂の在りかが肉体から血へと紐づけられたファルシュ。だが、たとえ魂が他の場所にあろうが、人の形で無くなろうが神術は元の姿を浮かび上がらせる。
それはこの世界で起きた可能性、現象だけ残し他の世界の因果を排除すること。
世界が観測できない壊れた状態をも修復できる力だ。
それを。治癒の神術が発動した右手を血の塊となったファルシュにぶつける。
ビキビキビキビキビキッ! と何かが崩れ無理矢理帳尻を合わせようとする音が響いた。
「これで!」
セトが剣を構える。
血から肉の体に戻った時が最後。ファルシュに止めを刺すときだ。
脚を前に出し走り始め。
「これで? まだだ」
その隙を地面に潜んでいたファルシュが見逃さなかった。一斉に地面から飛び出るファルシュたち。
爆発の盾となり吹き飛んだ一人を除き、4人がセトたちに超至近距離で第弐魔装・銃剣を突き付ける。
引き金が即刻引かれた。
「!?」
だが、第弐魔装・銃剣より打ち放たれた赤黒い光がセトたちを貫通するも、霧状にその姿が霧散した。
ルフタにより攻撃は囮。
虚像の神術による幻だ。
ファルシュがそれに気づくよりも速く、セトがダガーを振り下ろす。
「ヤァァッ!」
ダガーがファルシュ首に勢いよく飛び込んだ。ドスッ! と突き刺さる感触がセトの左手に伝わる。
その感触を感じるかどうかすら無視して全体重を乗せた。
ファルシュの足がセトに押され滑る。セトの全力の一突き。それをファルシュは押し止める。
「屈辱。以前と全く同じ屈辱だ。なにより許せないのはそれがまぐれでないことだよ」
血の仮面を被っていないこのファルシュはオリジナル。
左手を首とダガーの間に押し込みセトの一撃を受け止め、右手に魔装を構え反撃の一手に移っている。
首を落とせなかった。血の肉体となりその程度では死ななくなったとしても首のない体は無力化された状態。脳がなければ思考は出来ない。
だが、それにできなかった。
セトとファルシュがダガーで縫い止められた状態で互いに武器を振るう。
超至近距離の第弐魔装・銃剣を片手剣で弾き、僅かに銃口をズラした。
セトの真横を赤黒い光が掠めていく。
これだけ近い位置にいるがセトは絶対にファルシュの魔装には捉えられない。
ファルシュに突き刺したダガーを起点に背中方向に回り込めば、魔装の照準は決して捉えることは出来ない。
ビキビキビキビキビキッ! と音が響いた。
セトとファルシュが同時に音のした方向を見る。そこには癒呪暴走体を依り代にしたファルシュを撃破したルフタの姿があった。
「・・・」
4人の内一人がただの人に引き戻され、癒呪暴走体の呪縛から解放されていく。
循環型癒呪術式の効力が無くなればそれはもうただの死体だ。
ルフタだけではない。
エリウの爪が癒呪暴走体の腕を裂き。
ランツェの槍が胸を貫いている。
押されている。
自身と観測された存在の一人を撃破されたファルシュは即座にセトたちから距離を取った。
アズラの魔装との激突があったとはいえ、格下の相手に押されている。
それはファルシュの予想を覆す出来事だ。
不意打ちを仕掛けたはずが反撃され、さらに撃破まで。
どれだけ消耗しようともこの体ならファルシュはセトたちに余力を残して圧勝すると踏んでいたが、それは間違いだったようだ。
いや。
もう実力で判断するのはやめにしよう。
ファルシュは戦力予測の思考を頭から排除する。
ここにいるのは敵だ。
自身の存在を脅かす敵。
全力を持って排除しなければならない敵だ!
ファルシュの表情が変わる。復讐のために最適化された騎士から、一人のファルシュとして。
アーデリ王国の最高戦力。五血衆の一人として。
セトたちに告げる。
「・・・キサマたちへの非礼を詫びよう。雑兵ではない。キサマたちはアーデリ王国に仇名す存在だ」
ファルシュの目が白く光を放ち出す。膨大な魔力を注ぎ込めるだけ自分の体に押し込んでいく。
癒呪暴走体たちの肉体が崩れ、血、肉、骨のパーツに分解される。分解された肉体は宙へと浮かび、巨大な腕と脚を構成する位置へと配置された。
濃密な魔力が周囲を焦がし、エール族の血が煮えたぎる。
空間を燃やし尽くすような魔力はその濃度により、物体へと魔装へと変異していった。
ファルシュを覆いつくす黒い外殻。
鉄の卵。
「故に、聖女ハーザクに仕えし五血衆が一人。術導師ファルシュが得た術式の境地、全てを持って」
ファルシュの体すらも分解され黒い外殻に取り込まれていく。頭部と心臓が核となり、骨と肉は魔装同士を連結する関節となって。
そして、血がそれらを動かす潤滑油として、その漆黒の体に流れ込んでいく。
漆黒の外殻に赤いラインが走る。
「排除するッ!」
漆黒の体。全身を駆け巡る赤い血の線。
骨に外装を貼りつけたようなシルエット。人の上半身に昆虫に似た四脚の下半身。
赤い一つ目が灯り、異形の姿となったファルシュがその姿を現す。
その姿を見たセトは、アレを連想せざるを得なかった。
身長は5mほどで、骨に甲冑を貼り付けたような外観。
黒い体に赤いラインが奔っている。女性の体格をイメージさせ背中には長い突起が左右対称に生えている巨人。
黒の異端者アニマを。