第百五十八話 崩壊する存在定義
次々と起き上がる死体たち。
それは癒呪暴走体となって血肉を求めて見境なく襲い掛かる不死の軍勢。
ただの王都の住民だった者たちは、殺し合いの場に相応しくない衣服を身に着けたまま生気のない顔を上げていく。
そして、無秩序の軍勢はセトたちに、そして、彼らを生み出したファルシュにまで襲い掛かる。
人で在った頃を完全に失い、獣と違わない動きで牙を剥く。
「陣形を組むのだ! アズラとランツェを筆頭にセトとエリウは側面で迎え撃つのである」
ルフタの指示が飛んだ。指示が聞こえたセトたちがすぐに陣形を完成させる。
一糸乱れぬ連携された動き。
騎士団統一戦での経験がここで力を発揮していく。
陣を組んだセトたちへ本能のままに癒呪暴走体が迫り腕を振り落とす。
ザンッ! 振り落とした腕が一刀両断になった。セトが片手剣で斬りつけ、癒呪暴走体たちを近づけさせない。
ボトッと鈍い音を立てて落ちる斬り落とされた腕。
それを癒呪暴走体たちは、群がり飛び掛かっては食らい始める。
「な・・・!」
「食ってる・・・」
我先にと腕の肉に食らいつき、噛み千切って咀嚼音を鳴らす。
もう完全に人ではない。
生命としてはまだ人の定義に収まるはずなのに、魂が抜け落ちた空っぽの存在になるだけでこうも醜くなるのか。
腕を斬られた癒呪暴走体もメキメキと音を立てながら新しい腕を生やしている。
セトが思わず目を背けそうになった。
人の姿をした存在が人を食うなど、見るに堪えないと。
目を瞑り意識を遮断したいと顔を背ける。
「セト! 何をしているのだッ!」
ルフタの激昂にハッと意識を癒呪暴走体に戻した。
そこには、懐に入り込んだ子供の癒呪暴走体がセトの胸元まで来ていた。
「しまっ!」
慌ててダガーで対処しようとする。癒呪暴走体にその凶器を向きた時。
手が止まった。
ダガーを突き立てれない。
癒呪暴走体が人の子供に見えてしまった。
セトの目には人だと見えてしまった。
「ぅああ・・・」
呻き声を上げるその顔はただ笑っているように見える。何も知らずにただ無邪気に笑っているように。
幼い手がセトの服を掴む。
それだけを見るならただ子供がじゃれついているようにしか見えない。
だが、それはもう癒呪暴走体だ。
「馬鹿者!」
そこへルフタが割り込んだ。
セトを押しのけ、子供の癒呪暴走体に手の平を押し付ける。
そして、治癒の神術を注ぎ込んだ。
青白い光がその幼い体を包み込む。すると、ふっと力を失って眠るように倒れ込んだ。
魂を失った肉体が術式により強制的に生かされている状態を神術で無効化する。
失われた魂のない肉体は即座に活動を停止して、ただの死体へと戻った。
倒れ込んだ子供の死体。それに気付いた癒呪暴走体が一斉に振り向いた。
倒れた子供の死体に他の癒呪暴走体が群がりはじめる。
その隙を突いてルフタは陣を後退させ距離を取った。
ぐちゃぐちゃっ! と酷い不快音が聞こえてくる。肉を見るなりただ食うことしかしない。
肉を肉体と、人だと認識しない。
セトも今なら分かる。循環型癒呪術式が禁忌の術となった理由が。
癒呪暴走体たちが、ルフタが倒した癒呪暴走体だった死体に群がっていることでセトたちへの攻撃が一時的に止む。
だが、それは状況を打開したことにはならない。
ルフタは状況を打開するための手段を探す。一つは自分だ。
治癒の神術が癒呪暴走体を維持している循環型癒呪術式の存在観測を無効化できる。
できるのだが、とても足りない。数十といる癒呪暴走体たちを無力化しきれない。
打開策が浮かばないまま、死体を平らげた癒呪暴走体たちが再びセトたちへと目を向けた。
しかし、なぜかいきなり襲い掛かってこない。
「ニャ・・・ニャんだ?」
癒呪暴走体たちの様子が変わったことにエリウが何かを感じ取り尻尾の毛を逆立てる。
同じくランツェも何かイヤな予感を感じていた。
その感覚に従う様に、視線を癒呪暴走体ではなく。その奥、ファルシュへと向ける。
そこには血で構成された巨大な術式のコード。
赤い文字と記号が地面とファルシュの後ろに大きく広がっていた。
それだけではない。
血の管が何体かの癒呪暴走体へと伸びその体に突き刺さっている。顔には覆う様に赤い仮面が張り付いていた。
癒呪暴走体に何かを付け足している。
何か仕掛けてくる。そう思ったランツェはすぐにアズラに伝えた。
「アズラ、奴が」
「ええ、見てるわ。・・・正直、何の術式か全く見当が付かないわね。三導系ですらない。・・・まさかあれが師範の言っていた独自の属性?」
術式の属性にあんなものは無い。
そもそも術式のコードが細長い管となって癒呪暴走体へと突き刺さっているのがおかしい。
可能性を観測するための命令コードを物理的に扱う意味はなんだ?
文字を物理的に扱うという意味がアズラに理解できない。
分からない。だが、分からなくても事態は動く。
ファルシュが術式の中心から歩き出し離れていった。
魔力供給と制御がなくなった未知の術式。本来はすぐに霧散するが、未知の術式は消滅しない。
循環型の術式だ。
血を媒体に癒呪暴走体と連結された術式。
その術式に取り込まれた癒呪暴走体たちが、ファルシュの片手を上げる動作に反応し隊列を組みだした。
「なんだと!?」
ルフタが危機感を振り切らせる。
無秩序に暴れているだけの不死者だから対処できた。
それが、秩序を持ち兵法に数の暴力で来られたら一溜まりもない。
何かこの状況を突破できる方法はないのか。
ルフタが次の指示を出せなくなる。
「これがあんたの言っていた不死の兵ってことかしら?」
立ち止まってしまった陣形からアズラが一歩前に出た。
後少し進めば癒呪暴走体と接触する位置。
陣形から外れることは一人で戦うことを意味する。それは、自殺行為と変わらない。
ルフタがすぐに陣形を前に進めた。
そのルフタの判断を待っていたかのようにアズラが後ろを振り返り微笑んだ。
ルフタは気付く。アズラは敵の勢いに飲み込まれないようにワザと前に踏み出し攻勢に出たのだと。
止まってしまった自分の代わりに行動で指示を示したのだと。
そして、アズラは前に進み続けるように癒呪暴走体の軍勢に拳を向け、突き付けるように言い放った。
「即席にしても酷い出来ね。戦闘能力も元になった人と変わらないのでしょう?」
ファルシュを挑発する。
敵の軍勢は意志のないただの駒だ。それならば、指示する者がミスをすれば全体の能力も大幅に下がる。
少しでも隙を作るためにアズラは挑発の姿勢を崩さないが、その挑発にファルシュは冷静に答えた。
「その通りだ。癒呪暴走体となっても戦闘能力は向上しない。循環型癒呪術式は元の肉体を観測し出力し続けるだけの術式」
答えながらファルシュが腕を振った。
その一動作に癒呪暴走体たちが一斉に動き出す。
横一列に隊列を何重にも組み、壁となって迫って来た。
たった数メートルの距離は一瞬にして縮まり両者が激突する。
アズラとランツェが先制の一撃を叩き込んだ。
第弐魔装・絶対魔掌が拳一発で軍勢を粉々に吹き飛ばす。
ランツェの槍が横に並んだ癒呪暴走体たちをなぎ倒していく。
たとえ死なないとしても、隊列を組んでいようと動きが素人ならば後れを取ることはない。
第一陣を蹴散らして、すぐに第二陣を迎え撃った。
第一陣と同じように蹴散らそうと。
ガギンッ!!
唐突に魔装と槍が受け止められた。
二人は突然受け止められた一撃を見て咄嗟に距離を取る。
先頭が後退することで陣形そのものが押し込まれてしまい包囲されてしまう。
「受け止め・・・た?」
魔装の一撃を受け止めた癒呪暴走体。その姿は騎士だ。
生前から戦闘経験を有する者。
だが、それだけで魔装を受け止められるとは考え辛い。
現に騎士の腕はグシャグシャにへしゃげている。
ファルシュの回答が続く。
「だが、出力し続けるということは決して肉体が損壊したままにならないという事。いくら攻撃されようが元に戻るのならそれは・・・」
ベキリッ・・・ビキッ・・・騎士の腕が元に戻っていく。
潰れた肉が、砕けた骨が元の状態へと再生する。
「物理現象を無力化しているのと同義だ」
アズラの与えたダメージが完全に消え去った。
騎士や傭兵だったと思われる癒呪暴走体が前へと集まり始める。
「素の戦闘能力が高い個体なら生前と同じく、命令一つで剣も術式も扱える。それが、ワタシの癒呪暴走体だよ」
見せびらかすように、自慢のコレクションでも並べるように癒呪暴走体たちを従えていく。
人の命を侮辱する行為。
侮辱だけではない。生前の想いを踏みにじり、ファルシュのためだけにその者が積み上げてきた、力を。知識を。利用する。
極めつけは。
「そして、さらに! ワタシの癒呪暴走体は他を圧倒的に凌駕する」
ファルシュの声に狂気が滲み出してきた。
術導師としての探求心と狂気が折り重なった気配。
それを証明するように、ファルシュの後ろに4体の癒呪暴走体が血の管に繋がれたまま蠢いている。
その顔には血の仮面を着けてまま何かが作り変えられていく。
「以前にも話したな。癒呪暴走体は調整一つで攻撃にも回復にも特化すると。なら、見てみたいと思わないか? ワタシの血で調整された癒呪暴走体はワタシになり得るのかをッ!」
これが極め付けだ。
血の管が飛び跳ねるように外れていく。
4体の癒呪暴走体が動き出す。
血の仮面に術式のコードを浮かべながら、癒呪暴走体たちが魔力を解放しだした。
おびただしい量の魔力。アズラに匹敵するほどの総量。
「この、魔力は!?」
「そうだワタシの魔力だ! 完全に崩壊したワタシという存在は、同時に世界で複数観測されることが可能となった。意味が分かるか? ワタシは一から全の存在になったのだよ! あの時の躯体とは次元が違う。コピーではない。須らく!」
4体の癒呪暴走体が同時に動く。
動作が誤差なく指一つの動きさえ揃って答える。
「「「「「ワタシなのだ!」」」」」
魔力が一点に凝縮され形を成していく。
それは、4つ全てが第弐魔装・銃剣となる。
「くっ!」
アズラが上空に向けて火の術式を打ち上げた。
火の術式が夜空で光り輝く。それは、救援信号だ。
ハンサたちと合流しに行った森羅とバティルに向けての信号。
今はただ届いてくれと願う。
それを見たファルシュは笑みを浮かべた。
感じ取れる。この場を支配していく感覚が。
存在を重ね合わせた時よりも遥かに濃密な高揚感。
オリジナルと合わせて5つとなった第弐魔装・銃剣の銃口をセトたちに突き付ける。
「クハハッ! 今のは助けを呼んだのか? もう何をしても無駄だ。そもそも、今のワタシをどう倒す? 倒せはしない。世界の理から外れた存在に死という定義は当てはまらないのだから!」
エネルギーが収束していく。紫電が飛び散り、破壊の可能性を定義し刻み込む赤黒い破壊がため込まれる。
このままでは確実にやられる。
アズラが第弐魔装・絶対魔掌に魔力を込めだした。
今、あの一撃を相殺できるとしたら、亜人ゼヴに喰らわせたアレしかない。
自爆に近い技だ。だが、やるしかない。
「ルフタ今出せる最大の力で障壁を張って!」
「!? 反対である! 何をするつもりだ。相打ち覚悟など許さんぞ!」
「相打ちじゃない」
アズラが振り向いて答える。その顔はルフタを信頼している顔だ。
一ミリたりとも疑っていない表情。それを見たルフタは何も言い返せなくなる。
アズラはニッと笑って見せ、宣言した。
「勝つわ」
その拳に青白い光を纏わせる。
魔力より作られた魔装から全く違う力をルフタは感じ取る。
そう、これはセフィラの力だ。
(魔装からセフィラの力が!? 何を、アズラは何をしようとしているのだ!)
ルフタはただアズラに言われた通りに障壁の神術を全力で展開する。
アズラが構えて姿勢を低くした。突っ込む気だ。
もう何もできない。
セトたちもただ見ていることしかできない。
そして、破壊の時は来た。
第弐魔装・銃剣のエネルギーが臨界を迎えた。
「今度こそッ! 今度こそォッ塵芥となれェェェェッッ!! 」
5つの銃口から最大出力のエネルギーが解き放たれる。
城門から王都中央に向けて赤黒い閃光が両断していく。遥か上空から見ても分かるほど赤黒い線が王都を引き裂いている。
もはや、セトたちだけに向けられた攻撃ではない。
カラグヴァナそのものを滅ぼすための一撃だ。
地面が崩れ、城下町が消滅していく。
セトたちを包囲していた癒呪暴走体の軍勢も一瞬にして消滅した。セトたちを完全に飲み込んで。
破壊が全てを包み込んだ。
だが、そこに一筋の光が走る。
全てを飲み込む破滅という終焉に真っ向から、全く別の終焉を叩き込む。
それは世界がまだ空も大地もなく漂うそれだった時の可能性。
虚無の可能性。
破壊される存在がある前提の終焉とは、意味が根底から異なる終焉。
それがファルシュの一撃を押し返す。
「ハァァァァァァァァッ!!!」
赤黒い終焉の放流の中からアズラが姿を現した。
その後ろには障壁の中にいるセトたちが見える。
まだ抗う。
抗って、生にしがみつき。目の前の敵を乗り越えて見せる。
アズラの目は決意と勝利を見つめた輝きを灯している。
拳から放たれる一撃に威力が増す。
赤黒い終焉の放流が逆に飲み込まれ始めた。
「「「「「オォォォォォォォォォォッ!!」」」」」
ファルシュたちが咆える。
ここで仕留めると、その一撃に味わった屈辱の全てを込めた殺意を乗せる。
自身の血の肉体を破壊するほどの魔力を無理矢理吐き出した。
極大の一撃をこの全てに込める。
二つの力がぶつかり合う。
真逆の力は互いに飲み込み合いながら激突し、絡まり、そして全てを消し飛ばす光となってセトたちもファルシュも飲み込んだ。