第百五十七話 血まみれの外道
重なり合っていた平行存在が強制的に引き剥がされ、その強引な存在の乖離はファルシュという存在を破壊していく。
自身が存在するという可能性を。肉体があるという可能性を観測できない。
循環型癒呪術式が機能できずに空回りを始めている。何も観測できないのに魔力だけを無駄に浪費し始めた。
無限にあったはずの魔力も、存在が乖離したことにより可能性を観測した世界に無限に分散していく。
この世界のファルシュの魔力しか残らない。だが、そのファルシュの存在ですら崩壊を開始していた。
「がぁぁッ!! 何故だ!? 術式回路は完璧だったはず。エール族の血でワタシの魂は血に紐づけられた。肉体の損傷など問題にもッ!」
崩壊が進む。肉がゴッソリと零れ落ちていく。
土塊が崩れるように、肉が崩れている。
ファルシュが術式を再構築し壊れていく肉体を修復しようと試みる。
だが、術式が手の平で発動しようと光を灯した瞬間。力なく霧散した。
術式が機能しない。
ファルシュが目を見開く。顔に驚愕が張り付く。
術式のコードは合っている。観測対象の可能性も存在する。
だというのに霧散する。
可能性を観測できない。その事実にファルシュがあることに気付いた。
可能性に対し何かをできる者がいるとすればこの場にただ一人。
「アズラ・アプフェルッ!!」
血反吐を吐き散らしながらアズラを睨み付ける。
アズラの拳には、第弐魔装・絶対魔掌が握られ、腕輪のような赤い輪がより大きく輝きながら回転していた。
それはある可能性を握り締めている。
第弐魔装・絶対魔掌により、観測され可能性の大きくなった現象を強制的に無効化するために。
世界に出力されるために膨張した可能性を強制的に無効化し望む結果を出力させない。
それが、可能性の無効化。
あらゆる失敗するという可能性を第弐魔装・絶対魔掌で徹底的に掴み取り、ファルシュの観測しようとした可能性とすり替えることで、術式そのものを無効化したのだ。
これから、ファルシュが何度術式で可能性を観測しようとも、アズラが観測対象を失敗へとすり替える。
決して望む可能性を観測などさせはしない。
アズラの魔装・絶対魔掌は可能性への物理的干渉を提示する。
観測されている可能性を入れ替えるぐらい朝飯前だ。
アズラが第弐魔装・絶対魔掌をより強く握り締めた。
すると、ファルシュが発動しようとして霧散した術式が暴走し爆発を起こした。
ファルシュの腕を吹き飛ばすほどの威力で。
右腕が引き千切れ、血を噴き出しながら地べたを這いつくばる。
「ガァァァッッ!! がっ、ハ・・・、ワ、ワタシの術式で魔力は汚染されていた。キサマ何をした? 一度起きた現象は無かったことには出来ない。なのに何故キサマは術式を扱える!」
理解できないことを咆えるファルシュに対し、アズラは突き刺すように答えた。
「あんたが私にしたことと同じよ? あの魔力汚染、実は汚染でも何でもなかった。ただ単に魔装の能力で魔力を破壊していただけ。違うかしら?」
「・・・!」
「そして、一度起きたことは無かったことにはならない。その通りね。一度起きた可能性を観測し続ければ、魔力を破壊することは永続化する。あの術式は永続化するために用意したものだから」
それがファルシュが用いていた力の正体。
特殊な力でも、能力でもない。
魔装の効果を応用していたのだ。
魔装・銃剣は崩壊する可能性を提示する魔装。
それには魔力の崩壊も当然含まれている。
なら、提示された可能性を術式で観測し続ければ魔力を破壊し続けることなど容易い。
観測する可能性をすり替えられなければ、だが。
「だったら、同じことをすればいいだけだわ。あんたが観測する可能性を全部奪って、それを観測し続ければ術式は完全に無効化できる!」
魔力を破壊され、追い詰められたアズラは一か八か魔装で魔力が破壊される原因となっていると予想した可能性を掴んだのだ。
無数の可能性の中から、魔力に関するものに絞り、可能性が大きいものを選んで。
魔装・銃剣による攻撃の可能性を掴んだ。
そして、それは当たりだった。
掴んだ瞬間、魔力の崩壊スピードが劇的に変化したのだ。
原因を突き止めたアズラは魔装で可能性に干渉し、無効化することに成功する。
それは可能性のすり替え。
初めての試みだったが、魔装・絶対魔掌は問題なくこなして見せた。
ここまで出来たら後は応用だ。
可能性のすり替えを発生させて、ファルシュがしたように術式で観測し永続化したのだ。
その術式への妨害能力は、対術式用の属性として開発された三導系の一つ、闇のホシェフを軽く凌駕する。
発動した後への干渉ではなく、発動そのものを無効化する。
アズラが拳を握り、前へと進んでいく。
止めを刺すために。
「もうあんたには何もさせないわ!」
アズラが拳を振り上げた。
第弐魔装・絶対魔掌の赤い輪がより強く輝き、高速で回転していく。
その拳に相手を打ち砕くための可能性が握られて魔力が迸る。
ファルシュが最後の足掻きにと地面に転がる魔装を魔力に還元し、瞬時に手の上に再構成しようとした。
黒く変色した魔装・銃剣が魔力に分解されていく。
時間にして一瞬の出来事。だが、その一瞬で魔力がファルシュの手に集まるより、圧倒的に速くアズラが拳を放った。
肉が潰れ、血が飛び散る感触。
地面を赤く汚していくが、アズラが眉をひそめる。
その拳が。
ギッサーによって防がれていた。
「アンら~・・・酷いわネ。助けてあげると約束したのニ・・・」
アズラの拳が腹にめり込み皮膚を突き破っていた。その拳は内臓にまで達している。
腹から腕へと血が伝って流れ落ち、そのダメージを物語っている。
だが、腹に穴を空けられながらもギッサーはアズラの攻撃を全て受け止めていた。
「ギッサー・・・!」
ルフタが彼女のその行動に驚いたまま何も出来ずにいる。
彼女にとってファルシュは身を挺してまで守るべき人物なのか。
攻撃を止められたアズラはギッサーの思惑を探るように聞く。
せめて理由は聞いてあげようと尋ねる。
「やっぱりこいつの仲間なのね。静観しているなら見逃してあげてもよかったのに、どうして?」
「ンん~。どうしてと言われてもネ~。気持ちは嬉しいけどそうもいかないノ。ダって、この方はアーデリ王国の・・・」
ドス・・・。
鈍い音がした。丁度、胸の辺りで。
ギッサーが恐る恐る自分の胸を見て、信じられない物が自分の体を貫いていることに驚きながら後ろを振り返る。
「フ、ファルシュ様・・・? 何を・・・?」
振り返ったそこには。
ギッサーの背中に魔力で構築した剣を突き刺しているファルシュの姿があった。
いきなり胸から飛び出て来た剣に驚き、アズラが後ろに飛び退く。
仲間を。自分を庇ってくれたギッサーを突き刺したファルシュの行動が信じられない、理解できない。
アズラが声を失う。
静まり返る。
そんな中でファルシュだけが不気味に喋っていく。騎士とは程遠い姿をしながら邪悪な心を見せびらかす。
「必要なのだ。血が・・・、術式での修復が不可能なら、魂の消滅を撒逃れるだけの器がいる。戦い続けるための存在という器が・・・」
ギチュギチュ・・・と生々しい音を立てて、剣をさらに深く突き刺す。
より深く刺さるたびにギッサーの体が痛みで跳ね上がる。
「アッ、アア!」
ギッサーの表情が苦痛に支配されていく。
抵抗もできずにただファルシュの声を聞くことしかできなくなっていく。
「エール族のキサマなら、その血なら! ワタシの魂を繋ぎ止めるだけの器となり得る! よこせェェェ!!」
「アアアアアアアアッ!」
ザシュッザシュッ! 血がおびただしく流れ落ちる。
突き刺した剣を引き抜き栓が抜けたかの如く、血が溢れだした。
「あんたッ仲間をなんだと思っているのッ!!」
堪らずアズラが介入した。魔装を振り上げファルシュを今度こそ殴り飛ばす。
そして、すかさずギッサーに癒呪術式を施した。傷が塞がり血を塞き止める。
「大丈夫! しっかり!」
「ごほっ・・・ア、アンら~・・・やさしい子。でも、ごほっ・・・いい、の・・・かしラ? ファ、ルシュ様は私の血デ・・・」
「喋らないで!」
余りにも大量の血を流し過ぎている。術式で傷を塞いでも大量の血がギッサーの喉に留まり呼吸を妨げてしまっている。
アズラが、血の状態を元に戻そうと術式を展開していく。
だが、そうしている間にファルシュは動いた。
この状況を覆す最悪の一手を打つために。
アズラの代わりにセトたちが飛び出す。
ファルシュの暴挙を止めるために剣を振りかざした。
しかし、それは少し遅かった。
セトの目に赤の剣が映る。その剣はファルシュの周りから生えるように伸びている。
ギッサーの血を取り込んだファルシュが血を剣としてセトたちの攻撃を受け止めていた。
「これは・・・術式じゃない!?」
「セト避けるニャ!」
ゾンッ!
薄い円盤上に血が広がる。
セトたちを押し下がらせ、ファルシュが立ち上がっていく。
崩壊していた肉体を血で構成し直す。
新たな血の腕が肉体がファルシュを形作る。
血の手の感触を確かめるように握っては開いてみて、以前の体と差異なく動くことを確認していく。
そして、魔力で作り上げた剣に魔力をさらに追加した。
剣がみるみる膨れ上がり、その形を歪にする。
歪なそれはすぐにあるモノへと姿を変えた。
魔装・銃剣へと。
白銀の砲身に浸食するように黒が広がっている。それはさらに広がり、砲身部分を完全に覆いつくす。
第弐魔装・銃剣
破壊だけを。
滅びだけを求めた魔装。終焉の可能性をひたすらに求め提示する存在。
それを。
自分に向けて打ち放った。
「え!?」
「何を!」
セトたちの声が響く。
より黒が増した赤黒い光がファルシュの胸を撃ち抜いていく。
胸に大きな穴が空き、ギッサー以上の血を垂れ流す。
「クック・・・・」
血に濡れた体で微笑を漏らした。
血の肉体となったファルシュは心臓を失った程度ではもう死ぬことはない。
自分の肉体を破壊した。なのに死なない。
その矛盾は。
より歪んだ力をファルシュに与えた。
ビシッ・・・とアズラの中で何かが壊れた感覚が走る。
アズラの永続化術式がエラーを吐き、術式が正常に機能しなくなっている。
可能性をすり替える対象を見失ったとエラーを吐き続ける。
「術式が破られた!? くっ・・・!」
ギッサーの処置を終えたアズラがセトの横に跳ね飛んでいく。
何か嫌なことが起こっている。それだけは分かる。
空いた穴を血で埋めながらファルシュが魔装を構えた。身構えるセトたち。
「クハハッ! 判断を誤ったなアズラ・アプフェル。キサマは詰めが甘い。あのままソノ女ごと貫いていればワタシを殺せたものを」
ファルシュの魔力が増大していく。完全に術式による可能性の観測を取り戻している。
それは循環型癒呪術式により、存在の重ね合わせも復活したということ。
第弐魔装・銃剣で自分を撃ち抜いたのは、アズラの術式に観測対象として捕捉されている自分という存在を破壊するためだ。
物質的な存在はファルシュの肉体で定義されている。
それに第弐魔装・銃剣による破壊の可能性を提示し、ファルシュという存在は完全に破壊された。
今のファルシュは、人ではない何か。
ファルシュの意志を持つ、何かだ。
人という存在から外れたファルシュは、無造作に第弐魔装・銃剣を発射した。
紫電を撒き散らしながら赤黒い光を打ち放つ。
「グッ!!」
セトたちを飲み込もうと迫った赤黒い光をアズラが魔装で受け止めた。
現象への干渉で破壊の光を掴んで押し止める。
それを確認したファルシュは宙に浮き、この場を離脱した。
宙を飛び高速である場所へと飛んでいく。
破壊の光を押し止めるアズラが叫ぶ。
「なっ!」
「アズ姉、あいつ城門に向かっている!」
セトがファルシュの行先を指さした。城門だ。
城門の方角に飛んで行っている。
破壊の光を弾き飛ばしたアズラがすぐに走り出した、
「追うわよ!」
急いでセトたちが後を追う。
瓦礫の上をひた走り、城門へと続く大通りへと飛び出した。
避難してきた人々が集まっている場所。
そこから、おびただしい悲鳴と絶叫が鳴り渡った。
「あいつッ!?」
嫌な予感が頭の中で一気に膨れ上がる。
用意に想像がつく。イメージ出来てしまう。
人が避難していた城門前にセトたちがたどり着く。
「・・・ひどい」
そこには、死屍累々が転がっていた。
数十人という人々が一人残らず血の刃で刺殺されている。
城門にはギッサーが張ったであろう血の壁があったが、ファルシュが一滴残らず吸い取っていく。
より血に。力に満ちていき。
邪悪な気配を纏わせながら、ファルシュが追い付いたセトたちを見る。
「何故? といった顔をしているな。簡単だ。術式が使え死体がある。なら、やることは一つしかない」
その瞬間、アズラが叫んだ。
この世で最も邪悪なそれに向かって怒りを放つ。
「この外道ッ!! 許されるなんて思うなッッ!!」
その怒りをファルシュは嘲笑う。
城門の周りに術式が展開されていく。本来、人を救うために生み出されたその術式は命を侮辱する禁忌として発動していく。
アズラとルフタが術式の発動を妨害しようと試みる。
魔装による可能性のすり替えに、神術による可能性の固定。
だが、全ての妨害をファルシュは軽々と打ち破り、発動した。
循環型癒呪術式を。
「ああああ・・・・・・」
むくりを起き上がり、呻き声を上げる死体。
かつて王都の臣民だった彼らは、ファルシュの手により癒呪暴走体へと。
死なない兵へと作り変えられる。