第十五話 瓦礫の中の真実
ラガシュで崩壊の音が鳴り響く。
町の象徴であるジグラットが黒い巨人の剣に引き裂かれていき、塔の壁が破壊されその内部を露出させてしまう。
黒い巨人は、さらに奥深くに入り込もうと壁に剣を突き立てていく。
その様子は、まさに黒い悪魔に神を祀る神殿がなすすべなく破壊されていく姿だ。
セトとリーベを守る最後の防壁が無残な姿に変わり果てていく。
町の住民は、ただ祈るしかなかった。領主ロレンツォ卿もただただ見ているしかない。
自身が雇った者たちの安否が気掛かりだがもうそれどころではない段階に事態は移行していく。
破壊の嵐の中、ジグラットにいたアズラとセレネは黒い巨人から逃れるためジグラットの下層に逃げ込んでいた。
さらに下にいく階段は既に瓦礫で塞がれてしまっている。
「こっち!」
二人は崩れ落ちてくる瓦礫から身をかわし部屋に飛び込んだ。アズラたちが逃げ込んだのは、洗礼の儀を執り行った祭壇のある部屋。
先ほど確認した時よりも青白い光がより強く脈打っている。
まるで何かの蛹を形作るように大きく膨らみ、壁に天井、床を青白い光で浸食していた。
「セレネ、大丈夫!」
「はい、なんとか」
二人は、埃まみれになりながらもなんとか無傷で立ち上がる。
「黒い巨人・・・」
アズラは、黒い巨人の手により破壊されていくジグラットの内壁を眺めながら、現状をこう判断せざるを得なかった。
自警隊の包囲が突破された。黒い巨人に空を飛べる能力があるとしてもあまりにも早すぎる。
「どうしよう! バティルさんたちが! アズラ先輩どうしたらいいですか!」
セレネが恐慌状態に陥り欠けていた。最終防衛ラインを突破され、今まさに自分自身が危機に陥っている現実に心が精神が持たない。
「セレネ、しっかりして! 私たちは何のためにここにいるの? バティルさんにリーちゃんとセトを守れっていわれたでしょ」
「でも! バティルさんが! みんなも!」
バチン! とセレネの頬を引っ叩いた。
「まだ、私たちがいる。リーちゃんとセトを助け出してバティルさんたち自警隊のみんなも助けられる!」
「・・・!」
セレネはコクリと頷いた。そうだ、まだ自分たちが動けると助けに行けると、この現実に抗う術を見つけていく。
アズラが鏡の破片に部屋を移すと、セトがリーベを背負ってこの部屋に逃げ込んでいるのが映っていた。
時間はない。セトとリーベを助け出す方法を見つけなければ。
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突然ジグラットが崩壊を始めた。まるで何かに破壊されていくように崩壊の音が続いている。
いつもの日常を壊すように、セトの目の前で神官ハインリヒが魔獣に変わり果ててしまった。
セトは混乱の中、リーベを背負い青白い光が浸食する祭壇の部屋へと逃げ込む。
リーベはぐったりとしており、意識はほとんどない状態だ。セトは目まぐるしく変わる状況を把握しようと必死に頭を動かす。
「落ち着け・・・、落ち着くんだ。まずはここから逃げないと」
どうやって? と考える。下に行く階段は瓦礫で塞がれていて、ジグラットの崩壊は今も続いている。
「なんとか、外に知らせることが出来れば」
セトは装飾が施された窓を瓦礫で叩き割った。ガシャン! と音が響く。助けを呼ぼうと窓に身を乗り出す。
「・・・ここはいったい」
目の前に広がるのは、太陽もないのにあまりにも白く逆に目が眩みそうになるほどの空。そして、白以外のすべての色が抜け落ちた町だった。
人も鳥も生き物たちがいない町が広がる。
「いったいどうなっているんだ?」
知っている町が変貌してしまったのか、よく似ているだけで知らない場所なのかそれすらも分からない。
大きな振動がジグラット全体を揺らす。急がなければとセトが振り返るとあの魔獣が肌色のグロテスクが部屋に入ろうとしていた。
「ッ!!」
セトは瓦礫を引きずり扉の前に置いていくが、セトを掴もうと腕を伸ばしてくる。
小石ほどの大きさの瓦礫を手に取り、掴もうと伸ばしたところを打ち付けた。赤い血が飛び散り、グシャッ! と肉の潰れる感触が手に伝わる。
魔獣というには、あまりにも人間の肉を意識させる感触だ。
瓦礫が邪魔で開けられない扉を無理矢理こじ開けようと、魔獣は手ではない人体で構成された手で扉をくの字に曲げだす。
親指となった右足で、人差し指となった左足で、中指となっている腕が、圧倒的怪力でこじ開ける。
「ぐっ! くそぉ!!」
扉を押さえるが相手の方が完全に上だ。象と綱引きをしているぐらいパワーの差がある。
扉はこじ開けられ、セトは吹っ飛ばされてしまう。床に叩き付けられ肺に溜まった空気を吐き出す。
セトは、気道に空気を押し込み、呼吸を整える。
間違いない神官ハインリヒが変貌した魔獣だ。ハインリヒの顔が苦痛に歪み口から生えた腕に掴まれていた。
セトの後ろにはリーベがいる。ジグラット内だからといってダガーを預けたのは不味かった。
瓦礫を手にグロテクスな魔獣と対峙する。
(どうする? 剣は一階に預けてしまっている。何か武器になるのは)
焦るセトを嘲笑うように、魔獣は腕を何本も繋げて作り上げた長い触手を振り回した。
横に飛びそれをギリギリ回避していくが、そのうちの数発がリーベの近くに当たる。
セトの額に汗が伝う。下手に回避できない。避けた攻撃がそのままリーベに当たってしまう。
魔獣の注意を引き付けるため瓦礫を投げながら横に回り込み隙を窺うが、魔獣はセトを気にも留めずリーベに向かって歩き出す。
足止めをしようとセトは、体当たりを仕掛けた。だが、圧倒的パワー差で吹き飛ばされる。かるく壁まで飛ばされ全身を打ち付け口の中に血の味が広がった。
「がっ! ぐっ、リーちゃん・・・、逃げろ・・・」
声を振り絞り血と一緒に吐き出していくが、魔獣は止まらない。そのグロテクスな腕がリーベの手足を掴み持ち上げていく。
リーベが持っていた、短剣のお守りが床に転がった。
何か方法はないか、あいつを止める方法。あいつを倒す力。足りない今のセトでは手段も力も足りない。
魔獣は大きな口を開いた。上半身と呼べる部位すべてを使い大きな口を構成していく。腕、足、顔、胴体そのすべてが口へと、血肉を食らう器官へと作り替わる。
「や、めろ」
魔獣がリーベを食らおうとさらに大きく口を開く。
「リーちゃんに触るなぁぁぁぁぁああああああッッ!!」
ドクンッ、ドクンッと、
セトの咆哮に肉塊のように蠢く青白い光が呼応する。二つの存在を無から有へ変換していく。
直後、魔獣に魔力で固められた拳が炸裂した。
「な!?」
リーベを捕らえていた触手が千切れ、拳の連打により魔獣が吹っ飛ぶ。
こんな体術を使えるのはセトは一人しか知らない。そう大切で憧れな自慢の姉。
「セト大丈夫ですか!」
「セレネ? それにアズ姉もいったいどこから?」
「それは後です。アズラ先輩を援護します。それから、これが必要ですよね?」
セレネは拾ってきた短剣のお守りをセトに渡す。
武器屋で貰った短剣のお守りを構え、アズラの攻撃で怯んでいる魔獣に向かっていく。
「アズ姉!」
セトの声を聴いたアズラはニヤリと笑う。もう不安要素はないといいたげに魔力を開放していく。
「セトは触手の攻撃を、セレネは術式で敵を釘づけに」
「「はい!」」
アズラの指示が飛んだと同時に、水と土の術式による波状攻撃が魔獣をその場に釘づけにした。
触手を伸ばし攻撃しようとするもセトの短剣にことごとく触手が切断されていく。
かなりの連携を見せるが、それでもまだ殺し合いの素人、術式の途切れる一瞬の隙を突き魔獣が反撃に出る。
その互いの行動すら予想して、アズラは凝縮した魔力を拳に乗せ必殺の一撃をお見舞いした。
「ハァッ!!」
肉が弾け、上半身を形作る手足が飛び魔獣は瓦礫を吹き飛ばしながら吹き飛んでいった。
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朦朧とする意識の中で、殲滅神官たちは救護隊の治療を受けていた。
黒い巨人からの外傷はないがサンダルフォンを喪失したことによる負荷が彼らの身体を蝕んでいる。
彼らは思う。何故見逃されたのだろうかと。サンダルフォンを失ったことで敵ではないと判断されたのだろうか?
それはあり得ないと即座に判断する。黒い巨人は非常に知能が高かった。こちらの戦術も理解しているふしが見られた。
ならば、敵を見逃すのは愚策であると理解出来るはずだ。
別の理由がヤツにはあるのか。
黒い巨人が確認された東の森では、すでに先発隊が全滅していた。その中から風の団は赤毛の少女リーベを救い出し町まで連れてきた。
黒い巨人と戦ったバティルたちは無力化された後、放置されたため死なずに済んだとのことだった。
(主の眷属のみを殺し、人は無視する理由・・・。だとしたら、なぜ赤毛の少女を狙う?)
リーベを黒い巨人から守っている最中、黒い巨人の狙いは執拗にリーベだったと聞いている。
(彼女は、我らと同じようにセフィラを召喚できるほどの祝福を受けていた。だが、それだけが理由ではないはずだ)
セフィラが召喚出来る。主の眷属であるサンダルフォンたちを召喚できることが条件なら自分たちも対象となるはず。
リーベと殲滅神官の違いは何だ?
ジグラットの洗礼の儀を受けた記録がなく、少女は身元が分からず、さらに少女には記憶がない。
殲滅神官のように個人情報を捕まれぬよう消したのと違い、初めから個人としての情報がない。
(いきなり黒い巨人の狙いである赤毛の少女が現れるだろうか? そもそも我らに保護されるまでとても逃げ切れたとは思えない)
だとすると、リーベは一人でどうやって逃げ切っていたのだろうか。
リーベは保護されるまでずっと一人だったといっているが、だとすると全滅した先発隊はどうなる?
何のために全滅した。誰に全滅させられた?
今まで、リーベを保護するために確認しなかった部分。
彼女は。
「まさか! 初めから祝福を受けていた。いや祝福を授ける側だったとしたら」
一つの仮説を導き出す。この仮説が正しいなら黒い巨人どころの話ではなくなる。
「いきなり動いてはダメです。傷に触ります」
「私のことはいい。今すぐ、バティル隊長を呼んでほしい」
「隊長は部隊の指示のため動けません。今は安静に」
「ならば私を連れて行ってくれ。急を要するのだ」
「しかし・・・」
救護隊の隊員が迷っていると、巨体の殲滅神官が自身の残った力を使い治癒術を施した。
スッと立ち上がり、彼は移動を開始する。
「無茶をしないでください! 命に係わります」
「構わぬ。それよりもそいつを頼んだぞ」
隊員の返事を待たずに平原を飛ぶように駆けていく。もう彼には追い付けない。
30分もしない内に城門前に到着する。喋れるだけの体力があれば問題ないと全力で駆けた。
無理をしたせいか口から血が漏れ出てくる。だが彼はそれを無視してバティルのもとにたどり着く。
「バティル殿。貴殿に早急確認せねばならないことがある」
「いや! 神官様よその前に治療だ。なんて無茶しやがる。死にてえのか!」
バティルから怒号が飛ぶが、殲滅神官はそれすらも無視する。自分のことなど後でもいい、今はこのことを確認しなければならない。
「治療は後だ。私の質問に答えてくれ。東の森で全滅した先発隊だが、どのような死に方をしていた?」
「何わけのわからんことを!」
「頼む! 答えてくれ。どのような死に方をしていた?」
殲滅神官である彼が、会った時の冷静な印象からは程遠い言葉を用いてバティルに頼みこんだ。
さすがのバティルも事の重大さを感じ取り質問に答える。
「・・・先発隊の奴らは、人の身体だとわかる程度に形を留めてみなバラバラにされていたよ。どれが誰の腕か足かも分からんぐらいにな」
「その死体は、腕の先に頭がついていたり、足が手のような配置になっていなかったか?」
「なんだそりゃ? いや・・・、確かに足が五本で固まっていたり、口の中に腕を突っ込まれていたりしてたな」
「やはりか・・・。バティル殿、今すぐにジグラットに自警隊を連れて向かってくれ。我々は守る対象を誤ったようだ」
「どういうことだ? セトとリーベに何があったって言うんだ」
「ジグラットはすでに陥落しているだろう。祝福の高いセトはまだ無事かもしれんが、媒体となるリーベはもう手遅れだ」
手遅れ、その言葉を聞いたバティルはすぐに自警隊に指示を出す。
ジグラットに向かう。まだ間に合うはずだと、動こうとしたとき町から轟音が炸裂した。
自警隊の防衛網を飛び越えジグラットが黒い巨人に破壊されていた。
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アズラはリーベを抱え容体を確認している。リーベの容体は悪化しているようだ。
セトとセレネは魔獣の死亡を確認するため、部屋の外にいた。
「この魔獣はやっぱりハインリヒ様だったんですか?」
「分からない。でも人の身体から生まれたのは本当みたいだ」
セトはこの目でハッキリと見た。神官ハインリヒが人でなくなっていく光景。
あの肌色のグロテスクを。
自分たちがこうならないとも限らない。早いところジグラットから出なければ。
だが、セトだけでなくアズラたちもここすべてが白い世界に迷い込んでいた。
セトとセレネは部屋に戻り、アズラと現状を確認する。
「それで、アズ姉たちはどうやってここにきたの?」
「これよ」
そういってアズラが見せたのは割れた鏡だった。
「元の場所からでも、鏡越しならこちらの状況が映って見ることができたの。そして」
アズラは、部屋の中央、蠢く青白い光に目線を向ける。
「あれが、強く輝いたと思ったら鏡に映っている側に引きずりこまれたってわけね」
「じゃあ、あの光の塊をどうにかしたら元も場所に帰れる」
「帰れるんですね! よかったです・・・。リーちゃんを早くお医者さんに見せないと」
「セレネ、まだ安心するのは早いわよ。セト、多分なんだけどあの光の塊はセトに反応していると思うの」
「僕に?」
「セトの思いに反応しているのか、ただ単純に魔力に反応するのかはやってみないと分からないけど」
「分かったやってみるよ」
「・・・ア、ズ姉、さん?」
リーベが目を覚ました。3人はリーベを囲むように座る。
「よ、かった。みん、な、来て、くれ、たんだ」
リーベは弱弱しく途切れ途切れに口を開いていく。
「アズ、姉、さん。セト、が、ね、わた、しを守って、くれるって。どん、な怖い、ものから、も守っ、てくれるって、いって・・・」
「そうよ、セトが私たちがあなたを必ず守ってあげるから。・・・何も心配しないで」
「・・・う、ん」
リーベが喋り終えると同時に、ジグラットが今までにないほど揺れる。
建物に入った亀裂より、黒い煙が部屋に入ってきた。
「急がないと、セトお願いできる?」
「任せてアズ姉!」
セトが蠢く青白い光の塊に集中していく。一度、無意識で成功しているなら出来るはずだ。
黒い煙がさらに増える。アズラが風の術式でかき消そうとするも、魔力が消滅し失敗してしまう。
「・・・!」
空間全体が揺れる。世界に異物が無理矢理に乱入してくる弊害が世界の悲鳴となって出力される。
セトたちが気付いた時には、すでに手遅れとなりそれが具現していく。
漆黒の黒い体。
赤い光が血管のように全身を巡ってその輪郭を際立たせる。
細く女性的な雰囲気をかもし出しながら、冷徹な女性を思わせる動作。
視界を完全に塞ぐほどの大きな黒い翼をはためかせ。背中には赤いリング状の発光体がすぐ後ろに浮かび上がっている。
黒い巨人がセトたちの目の前に姿を現した。だが、セトたちは逃げない。隠れもしない。
リーベを守ろうと3人は黒い巨人の前に立ちふさがる。
黒い巨人はその大きな腕を広げた。もう手加減はしないとその仕草でセトたちは悟った。
「絶対守ってみせる」
セトは誓いの言葉を紡ぐ。
その言葉を合図に、死闘が開始された。
いきなり黒い巨人は、黒いモヤで構成した剣を迷いなくリーベに突き立てた。
それをセレネが土の術式で止め、アズラの拳で軌道を逸らす。
すぐさま、次の斬撃が来た。リーベをセトが背負って回避していく。捕まえるのではなく確実に殺しに来ている。
セトのすぐ後ろを斬撃の死の雨が降り注ぐ。アズラとセレネの妨害で辛うじて避けているがどこまで持つか。
「がっ!」
「きゃぁ!」
ただの一太刀でアズラとセレネを一蹴する。巨人と思えぬ身軽な剣さばきで二人を無力化してしまう。
ズンッ! ズンッ! と一歩ずつセトに迫ってくる。一度剣先でリーベを見捨てろと促してきた。
「見捨てるもんか!絶対に」
「セ、ト・・・」
「リーちゃん。大丈夫。絶対に何とかなる。絶対に!」
「違、うの、セト。わたし、本当は・・・」
「僕を信じて。みんなで生きて帰るんだ!」
「セト、わたし、あ、なたを殺し、たくない・・・!」
セトは思わず振り返った。殺したくないといったリーベに振り返った。
そこには、黒い翼を頭に生やし、背中より何本もの腕を伸ばして翼のドレスを身にまとった少女の姿があった。
「ッ!」
変わり果てたリーベの姿を見たセトは、その隙を突かれ吹き飛ばされた。
思考の途切れたセトを翼で吹き飛ばした黒い巨人は、同じく黒い剣をリーベに今度こそ突き立てていく。
確かに突き刺したが、違和感がすぐにその場を支配した。
主の眷属セフィラが一体サンダルフォンを遥かに上回る力の脈動、青白い光の中より黒い翼に覆われた腕が巨人の腕を掴み、突き立てた剣を強引に引き抜いていく。
そして、それは姿を現した。
それはどこまでも黒く、神秘的で愛に満ちたもの。
聖なる4体の獣、その一体、ビナー。
次が今の物語のラスト予定です。
上手くまとめたいと思います。