第百四十四話 区別に拒絶その隣
それは受肉する。
主アイン・ソフは生きているのか、生きていないのか分からなかった。
生命なのか、ただの概念なのかも分からなかった。
だから、肉体を与えてみる。
肉体があれば何か分からなくてもそれらしく振る舞うだろう。
与えられた肉体を存分に動かし、ジグラットという殻を。それは突き破る。
それは生まれながらに悪意に満ちている。
理解できなかったものにフタをするように仮初の肉体に悪意を詰め込む。
それは望む。
他者の死を望む。
滅亡を望む。
悪意を肯定しようと否定を世界に具現しようとする。
それが産み落とされた意味だと。
この世に生まれた存在意義だと。
名を与えられたそれは吼える。
「オアアァアアァアアアアァァァアアァアァァ・・・!!」
それは魔獣に分類されるクリファ種ではない。
それが存在するから魔獣の中にクリファ種を追加しなければならないのだ。
主アイン・ソフの祝福を受けるための塔。神へ祈りを捧げる聖なる場所が悪意の血肉に包まれ、無残にも崩れ落ちる。
塔の内部より、それの手が飛び出た。
白い、色が抜け落ち干からびたような白。
羽化するように塔の亀裂から細長い腕が無数に飛び出していく。
腕が手が、骨で組み上げられている。無数の骨を張り合わせるためセフィラと人間の血肉が接着剤の役目を果たし、その白い腕を動かす。
無数の白い骨の腕。さらに、巨躯を支える巨大な肉の塊の腕が塔を完全に破壊し姿を現した。
人の頭蓋骨を寄せ集めて出来た顔。
それに張り付く様に、憎しみに囚われた表情を浮かべる人の顔の皮たち。
骨という鎧を身に纏い、その胸にはツァラトゥストラ教のシンボルである4つの樹の実が描かれている。
絶対隔離個体ネームド・クリファ
世界に災厄として認識されるそれは。
かつて世界に二つしか国がなかった時代。その一つである連合王国を滅ぼした6体の災厄が一体。
拒絶のシェリダー
他者を認めず、貶め、否定する悪意が。
否定される亜人たちの憎しみと怒りを糧に、否定する人間たちの悪意で受肉した。
その歪な体を動かす心は、悪意しかない。どす黒い否定の悪意だけがシェリダーを動かす。
シェリダーの出現と共に、周囲に転がっていた死体が次々と魔獣クリファへと変わり出す。
リーベの死への拒絶と同じ、いやそれ以上。
死体どころかまだ生きている人々も悪意に飲み込み、クリファへと堕としていく。
「これは、ラガシュの時と同じ・・・! ううん、もっと酷い!」
悪意に呑まれる上層区画を見ながらハンサはリーベたちを抱きかかえて飛んでいた。
まだ、シェリダーの悪意に呑まれていない下層に向かうための塔の入口が見えてきた。あそこにフローラたちを待たせている。
下層に向かうための塔は人で溢れていた。暴走する亜人たちを剣の騎士団が抑え込もうとしていて、騎士団の後ろで人々が逃げ惑っている。
「亜人たちがこんな所にまで! リーちゃんちょっと揺れるけど我慢してね」
「うん」
ハンサが魔装に魔力を籠め、人ぐらい吹き飛ばす攻撃を望んだ。
それは風として達成し暴走する亜人たちに強烈な風を叩き付ける。
騎士たちに襲い掛かっていた亜人が数十mも先へと吹き飛ばされた。
空から駆け付けた援軍に騎士たちが驚きながらもハンサたちを迎え入れる。
「状況を教えて!」
「貴方は・・・、統一戦の空のヴェーダ殿ですか?」
「うん、そうよ。上層にもう安全な場所はない。下層に避難したいのだけど、・・・これは?」
リーベたちを降ろし、ハンサが塔に入れず逃げ惑っている人々を見回す。
塔の前には騎士たちと術導機がいるのだが、なぜか人を中に入れようとしない。
「見ての通り、盾の騎士団が下層への道を閉ざしているのです。剣の騎士団と盾の騎士団は命令系統が異なるので私たちではどうしようも・・・」
「分かったわ」
「な、何を・・・!」
下層への道を閉ざす盾の騎士団の前にハンサが躍り出た。
大きな槍の腕を持つ術導機が攻撃態勢に移り警告音を発してくる。
盾の騎士団はここを通す気は無いようだ。
彼らが誰の命令で道を塞いでいるのかは知らないし、知る気もない。
ハンサが顔を覆う仮面を脱ぎ捨てた。
綺麗なセミロングの黒髪。黒い瞳が盾の騎士団を睨み。
その顔を見た騎士が驚愕する。
「お前は・・・風の団のハンサ!? い、いえ、ハンサ様ですか! ではシアリーズ様も」
騎士がハンサの素顔を見て狼狽える。
命令系統を無視した何かがそこにある。
「いるわ。公爵の一人を通さないなんてことはないわよね?」
「もちろんでございます。おい! 早く開けろ!」
盾の騎士団の騎士が大慌てで塔の入口を開けた。
そこに雪崩れ込むように人が入ろうとするが、術導機がそれを押さえつける。
それを見たハンサが睨み付けながら騎士に命令する。
「臣民もよ。そもそもなぜ通さないの?」
「そ、それは・・・。お答えできません」
「では、わたくしの問でもでしょうか?」
人々の間より、フローラとシアリーズが姿を現した。リーベとイェホバ・エロヒムを中心に人々が集まり出している。
ツァラトゥストラ教の神の眷属セフィラとそれに守られる少女。そして、公爵家の姫たち。
逃げ惑う人々が心を寄せて結束していくには十分な要素がここにある。
それを見た騎士たちが気圧され後退りをしていく。
「カラグヴァナにとって重要な人物以外通すなとの王室よりの命令なのです。ご理解を」
「臣民も通すように、このわたくしが命令しますわ。王族への反逆の罪は、わたくしフローラ・ウィリアルナ・ベスタが負いますの」
「し、しかし・・・!」
「ベスタの命でも足りなければ、ケレスも命じましょう」
シアリーズが力強く騎士に告げフローラを援護する。
並び立つ公女たち。
清く気高いカラグヴァナの姫たち。だがいつもと違う。
その違いに、騎士が二人の姿のあることに気付き戦慄した。
血まみれだ。
護衛に守られているはずの公女たちが、血まみれで顔には傷もある。
そもそも護衛はどうした? ハンサだけなのかと騎士が公女たちの状況を推測し、そして、そう考えざるを得ない結論に達する。
「・・・王室は、宮廷は無事なのか? 殿下は!?」
騎士の忠義を捧げるべき者は無事なのか、カラグヴァナの血はまだ生き残れているのか。
国が亡びるという恐怖が騎士を襲う。
騎士が上層区画の先、最上層に繋がる方向を見た。
王族の住まう場所。宮廷と王宮のある場所を。
「何だ!? あれは!」
騎士の目に映るのは、屹立する具現した悪意。拒絶のシェリダーの姿だ。
視界を塞ぐ街並みより飛び出る異形の姿。
ジグラットがそびえ立っていたはずの場所にあるべき塔が無く、変わりに巨大な魔獣がいる。
神の祝福を受ける聖なる地がおぞましい怪物に破壊し尽くされていたのだ。
人々が拒絶のシェリダーの存在に気付き騒ぎ始めパニックが起こり始める。
恐怖が人を支配していく。
「落ち着きなさい! ベスタ家の公女であるわたくしがあなた方を守りますの!」
恐怖に包まれた人々に響く一筋の力強い声。
それは恐怖を砕き、平常心を取り戻させる。
その声の主はフローラだ。
「盾の騎士団に告げますわ。宮廷は敵の襲撃を受けすでに陥落していますの。今は全ての指揮系統が王宮に集約されている。ならば、貴方たち騎士の役割は臣民を守ることであるはず!」
「宮廷が・・・っ・・・・・・通せ」
「ですが、マーゲン団長の指示が・・・」
「団長も分かってくださる!」
盾の騎士団が道を開けていく。
フローラの思いを受けて、指示を無視し人々を通していく。
「さぁ、行きましょう。リーベ、お友達の怪我は大丈夫ですの? 歩けないならわたくしが手伝いますわ」
「ありがとう。でもイェホバは大丈夫」
傷ついているセフィラを支えようとしたフローラ。
神の眷属に対してそのような行動を普通は取れないだろう。
住む世界が違い過ぎて。神聖すぎて。セフィラを目にするだけで普通の人々は精一杯だ。
だけど、フローラは手を差し伸べた。区別することなく助けようとしている。
(わたくしは彼女のように・・・なれるのでしょうか・・・)
その姿をシアリーズは、まるで遠い存在を見るかのように眺めていた。
シアリーズは宮廷で己の意志を示すことはできた。それは人間が相手だったからだ。
聞く相手がいるから、伝えることが出来た。
でも、フローラのこの姿は違う。己の意志などではない。彼女の人柄だ。
フローラは全てに優しさを与えることができる人なのだ。逃げ惑う人々も傷ついた神の眷属も等しく救おうとしている。
キュッと両手を握る。
置いていかれるような不安を感じる。
「お姫様、あたしたちも行きましょう」
その不安を感じた瞬間、ハンサが声を掛けた。
ハンサはシアリーズを励ますように、いつも明るく優しく語り掛けてくれる。
今は仮面を外しているので、その優しい顔も見えて安心感を与えてくれていた。
「ええ。行きましょう」
シアリーズの心から不安の影が払われる。自分は公女。
目の前にいる人々を導き救うのが使命だ。
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城門を目指していたセトたちはようやくその前までたどり着いていた。
道中は亜人たちの暴走により混乱の極みに達していて、王都が今どうなっているのかも正確に把握できない。
しかし、ここまではあっさりと来ることができた。
なぜか。
道が、一直線の道がツェントルム・トゥルムまで続いていたのだ。家をなぎ倒し、配備されていた防衛部隊を叩き潰し一直線に進んだ奴がいる。
間違いなくあの規格外の亜人ゼヴだ。
一直線、そうとしか言いようがない破壊の痕。
堂々と城門から王都に入り、全てを破壊して突き進んだ後だ。
あまりにも速すぎる侵略は、王都が破壊されていることに当事者たちが気付くことを遅らせた。
今の状況はそれが原因かもしれない。
「城門が見えてきたであるな。お前さんたちもう少しだ」
「待ってルフタさん。誰かいるよ!」
逃げ惑う人たちが城門に近づくのを拒むように、城門に一人の人物が立っていた。
人々がその姿に脚を止め、逃げ場を失くしその場で立ち尽くしている。
人混みをかき分け城門に近づくと、その姿がハッキリと見えてきた。
「あれは・・・エール族か!」
城門前に一人立つ長い二本角の女。
肌は白く、髪は黒い長身の女だ。ラバンたちと同じく一枚のブカブカな服を纏い、羽衣のような布を手首につけている。
服は薄い黒色。白い肌を隠す黒い服装。どこにいても目立つ姿をしている。
その女は妖艶に笑いながら、城門を通ろうとする者を塞き止めていた。
無理に通ろうとした者は無慈悲に殺されたのか、血まみれの死体が女の周りに転がっている。
女がセトたちに気付いた。
正気を保っているルフタを見て笑みが驚きに変わる。
「アンら~? ツァーヴ族がどうしてここにいるのかしラ? あの咆哮を聞いた亜人は怒りで頭がいっぱいになるはずだけド~」
女の意識が完全にルフタに向いてしまった。ルフタがセトたちを隠すように人混みの中に下がらせる。
エール族。あのゼヴと関係ないはずがない。
それ以前に、なぜエール族が城門に一人でいるのか。ルフタはそれが気になった。
「吾輩はルフタ・ツァーヴ。お前さんは何者だ。何をしている」
「ンん~。人を待っているだけヨ~」
人を待っている。
ルフタはノネが合わせたい人がいると言っていたことを思い出し、それを一か八か聞いてみることにした。
少なくとも、敵か味方かはハッキリするはずだ。
「その待ち人とはノネ・デカダンス・メーディウムのことであるか?」
「アら~! ノネ様のお知り合い。そうなら早く言ってヨ~。殺しちゃうところだったワ~」
「師匠を知っているのであるな。吾輩らを安全な所に匿って欲しいのであるが構わないか?」
ルフタの申し出を聞いた女は。
「イいわよ~。あなた以外に5人連れがいるわネ。全員でいいかしラ~?」
あっさりと承諾した。ルフタだけでなくセトたち全員を助けてくれるようだ。
「ぜ、全員助けてくれるのであるな感謝する。師匠がどこにいるか知っているであるか?」
「ノネ様のことかしら~? ごめんなさい知らないワ。私はここにいるように指示されただけだかラ」
「そうであるか。教えてくれて感謝する。お前さんたちもう大丈夫だ!」
ルフタが声を上げた。もう大丈夫だと。
その呼びかけにセトたちだけでなくその場にいた全員が反応し城門に近づいた。
近づいてしまった。
ザンッ!
血が飛び散り人の首が飛ぶ。
「な!?」
「アンら~? いつあなたたちが近づいていいって言ったかしラ? いいのはノネ様のお知り合いだケ」
「まっ、待つのである! 彼らも吾輩の知り合い、師匠の知り合いだ殺さないでくれ」
「ソれはさすがに聞けないわ~。私が許可したのはあなたを含めて6人だけヨ。私たちが認める者しか助けないワ」
女はルフタたち以外を救う気がない。むしろ近づくなら殺そうとしている。
これではダメだ。
自分たちは助かるかもしれないが、大勢が取り残される。市場にいる商会のみんなもだ。
「そこをなんとか! 頼む!」
「ノネ様のお知り合いだから許すけど、弱い男が私に頼み事するのは・・・チョっと、キモイわネ」
「・・・ッ!」
ズブりと突き刺してくるような殺意。これ以上は口を出すのも危険だ。
どうする?
ノネを信じてこのまま城門で待つか?
いや、そもそもノネが来る保証はない。彼女の知り合いがいただけで本当に助かる保証など。
その知り合いも王都に攻め込んできた連中と通じている可能性が。
(・・・! いや! そんなはずは。師匠がそんなことをするはずがない)
悩むルフタを無視するように前に出る者が一人。
「ルフタ、悪いけどこいつぶん殴らせてもらうわ!」
「ア、アズラ何を言い出すのである!」
「人を平気で殺す奴の言う事、私は信じられない」
アズラが魔装を構える。
それを見て女は妖艶に笑うのだった。