第十四話 セトの誓い
城門前で陣を張っていたバティルたちは、最悪の事態に対処しようと動いていた。
偵察隊からの殲滅神官敗北の報告。まだ生きているようだが手当てが遅れれば命が危ない。
すぐに救護を向かわせる。
バティルは、黒い巨人への対処をどうにかして導き出そうと頭を回転させていた。
報告では、心臓を貫き首を刎ねても決定打になりえないという。
本当にそんな化物がいるのかと一瞬疑いたくなるが、あの黒い巨人なら納得せざるを得ない。
「アズラ! いるか!」
「はい!」
「今すぐジグラットに向かい報告を。そのままセトとリーベの護衛も頼めるか」
「分かりました。任せてください。」
「俺たちはこのまま巨人を迎え撃つ。後の手筈は任せるぞ」
「はい。・・・バティルさん死なないで」
「ああ。当たり前だ」
アズラはセレネと共にジグラットに向かい馬で走り出す。事態は一刻を争う。この報告が間に合うかどうかでセトとリーベの運命が変わるかもしれないからだ。
アズラは込み上げてくる不安を与えられた使命を果たすという意思でねじ伏せる。まだ、まだ間に合う。黒い巨人がジグラットに到達するまで時間が掛かるはずだ。
討伐作戦の失敗を伝え、巨人が来るまでにセトとリーベの守りを固める。
後は巨人が町に入る前に決着を付けれればいいが、そこはバティルたち自警隊を信じるしかない。
「アズラ先輩、バティルさんたち大丈夫でしょうか?」
「大丈夫よ。それに私たちがすることは心配じゃなくて守ることだから」
「はい・・・」
(・・・本当に大丈夫なのかな? 何かイヤな予感がするです。巨人からじゃなくて町全体からイヤな感じが)
一度、殲滅神官たちの勝利の報告がバティルたちにもたらされた。
それにより自警隊の面々は沸きに沸いたが、それはすぐに敗北の報告に塗り替えられた。
そこから生まれたのは、そう絶望だ。
最初に困惑が生まれ恐怖に変わりみなを飲み込んで絶望になった。黒い巨人は倒せないという結果が事実がまだ戦っていない自警隊の士気を打ち砕いた。それがセレネの不安にも繋がっているのだろう。
バティルがみなを鼓舞し士気を維持しているが即席の組織であることがここに来て痛手となっていた。
忠誠を捧げる必要のない組織は個の欲を満たしてやることで維持される。今回は報酬、だが報酬が貰えるどころか自身の命が危ないとなれば組織はバラけてしまう。
セレネの不安は尽きない。物事が悪い方向に向かっている感じがしてならなかった。
もう日が沈み夜になるころだ。太陽はまだ地平の先に見えているがすぐに暗くなるだろう。
町の住民たちは家から出ないようにしている。
討伐作戦が終わるまでだが、住民の見えない町は静けさだけを急ぐアズラたちに見せてくる。
いつもと異なる雰囲気が不気味さを醸し出していた。
ジグラットの入り口が見えてきた。まだ無事な姿を見てアズラとセレネは少しほっとする。
アズラは馬から飛び降り、入り口へ走っていった。
セレネもアズラに続いて急ぐが、馬に慣れていないのかすぐに移動できない。
アズラはセレネを待たずに扉を開ける。討伐作戦の結果を伝えるために神官ハインリヒを探して、神官の部屋に向かい階段を駆け上がる。直線距離で20mはある距離を一気に登り、部屋の扉を開け放った。
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リーベの夢に深くかかわるツァラトゥストラ教神話といえば、この巫女と四聖獣の神話だ。
巫女に従いし聖なる4体の獣が悪神の黒き子らを葬った物語。
物語の内容はこうだ。
世界への救済を拒み、滅びをもたらす悪神の黒き子らを巫女とそれに従う聖なる獣たちが打ち倒す。
よくある聖人や神の使いが邪悪な者を倒す物語。
リーベがいっていた怖い動物さんとは、聖なる4体の獣のことだろう。
一柱 それはどこまでも白く、神々しく威厳を持った者、ケテル。
二柱 それは灰で染まり、荒々しく力で満ちたもの、コクマー。
三柱 それはどこまでも黒く、神秘的で愛に満ちたもの、ビナー。
四柱 それは世界のように鮮やかで、生命と知識を併せ持つ者、マルクト。
そう言い伝えられる存在。
赤毛の女の人はリーベの関係者と思われるが、神話に当てはめると巫女なのかもしれない。
黒い虫が魔獣メアだと仮定すると、魔獣メアは異界の神、異神の子ということになる。
メアたち遺跡固有種はツァラトゥストラ教にとって滅ぶべき存在なのだろうか。
黒い巨人も関係するのだろうか。
確かに魔獣メアと黒い巨人は似ているが、なんというか猿と人間ぐらいの差がある気がする。
そんなこんなをセトは思考していく。きっとこの神話にリーベの記憶に繋がるヒントがあるはずとなれない考察を繰り返していた。
「やっぱり、黒い巨人の存在が引っかかるな・・・」
「ねえ、セト」
「黒き子の中でも特別な存在なのかもしれない・・・」
「セト! ねえってば!」
「! あ、ごめん考え事してた」
「ぶー・・・」
リーベが拗ねてしまった。ほっぺを膨らまして不機嫌モードだ。
セトは何か話題を振ってご機嫌を取ろうとする。答えはなんとなく分かっている話題を振ってみた。。
「そうだ! リーちゃん、市場で食べた中でどれが一番おいしかったの? 僕は肉の串焼きだったけど」
「お菓子! お菓子がおいしかったよ。あと果物にフワフワが乗ったヤツ!」
やっぱり甘いものかとセトは自分の予想が当たっても驚きはしない。
女の子だものそりゃ甘いものが好きだ。
会話を始めた当初の目的をセトもリーベも忘れているが、彼らから恐怖と不安は取り除かれていた。
「セト、わたし、セトとアズ姉さんの話が聞きたい」
「僕とアズ姉の?」
「うん。どこに住んでたのとか。何して遊んだとか」
「そうだなぁ。じゃあ、まずはアクリ村のことからかな。僕とアズ姉の生まれ故郷なんだけど山と森に囲まれた小さな村で、毎日、森に入って山菜とか薬草を採って生活してたんだ。村じゃ村長にお世話になって、両親のいない僕たち姉弟の面倒をよく見てくれたんだ」
「セト、お母さんとお父さんいないの? アズ姉さんも?」
「うん。僕が3歳位のときに魔獣に襲われて死んでしまったんだ。小さかったから余り覚えていないけど、でも寂しくなかったよ。アズ姉がいたし村の人たちも優しかったから。アズ姉はね、まだ小さかった僕を連れてよく村を抜け出したんだ。二人でコッソリ森に入って木の実とか食べて、村長に見つかって頭ドつかれてたなぁ」
「ア、アズ姉さんも怒られちゃったの?」
「アズ姉も怒られたよ。お姉さんなのに何してる! って、だけど、どんなに怒られてもアズ姉は一回も泣かなかったんだ。昔からアズ姉は気が強くて、そんなアズ姉がいつもかっこいいって思ってた」
「アズ姉さん泣いたことないんだ」
「一回だけ泣いたことあるよ。あれは・・・」
そう、あれはアズラが洗礼の儀から戻ってきた時だ。
いつもかっこよくて優しいアズラがみんなの前でセトの前で泣いていた。連れ添いでついていった人に支えられて帰ってきて、大粒の涙を流し続け嗚咽を漏らして泣いていたのだ。
セトは最初何が起こっているのか分からなかった。
大人になって村を出ていくことになったと聞いて、一週間前に村総出で盛大に送り出したはずだ。
しばらく会えないからとアズラとセトは姉弟二人きりで将来の夢について語り合った。
セトも胸を躍らせる希望に満ちた将来の夢、どんな仕事に就くか分からないがアズラのやりたい夢。それを掴むためにその一歩を踏み出したはずだった。
だけど、現実はアズラの夢を毟り取り、夢を見ることすら許さない烙印をアズラに押した。
帝国臣民の証である洗礼名を授けなかったのだ。
理由は分からないが、セトには理由などどうでもよかった。
アズラが泣いている。あのかっこよくて優しく尊敬する姉が。
それがイヤだった。セトの好きなアズラがどこかに行ってしまうとセトには思えた。
だからセトは、アズラをギュッと抱きしめた。
人前も憚らずに大好きな姉を助けようとアズラを泣かすものから守ろうと抱きしめた。
あの時、まだ13歳だったセトにはこれが精一杯だったがアズラにはそれで十分だった。
その時からだ。セトがアズラを安心させようと守ろうと思い始めたのは。
それは、知らず知らずのうちに心の誓いとなって、目の前で泣いている子を決して見捨てはしないと思うようになったのかもしれない。
(だからここまで来たんだ。もうあんな涙は見たくないから)
「セト? また考え事?」
「あ、うん、また考え事。えっと・・・」
「アズ姉さんも一回だけ泣いたんだよね」
「そうアズ姉だって一回や二回泣くこともあったよ。でももうアズ姉は泣かない」
「?」
「僕がイヤなことから守ってあげるんだ。絶対に守ってあげるんだ」
「・・・セト」
「うん?」
「・・・えっとね。わたしも巨人から、ううん、怖いことから守ってほしい・・・」
そういったリーベの瞳は一人になりたくないという、絶望の中一人で恐怖したくないという思いが溢れていた。絶望に落ちたときに流す涙はきっとセトが最も見たくない涙だ。
「うん。守るよ、絶対に」
セトは誓った。絶対守ると知らない内に心の誓いとなったものと契約を結ぶ。
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神官たちのいる部屋にアズラたちが入り込む。だが、神官たちの姿が見えない。
ここにいるとの話だったが、セトたちのいる客室にいるのだろうか。
アズラはすぐさま移動を開始する。階段でヘトヘトになったセレネは慌ててアズラを追いかけた。
客室の扉を開く。
いない。
神官たちどころかセトとリーベもいない。
アズラの脳裏に連れ去らわれる二人がよぎる。慌てて周囲の部屋を確認するがやはり誰もいない。
まさか間に合わなかった。移動している間に自警隊は全滅して巨人に連れていかれたのか。
いや、おかしい。巨人が連れ去ったならジグラットに向かっていた自分たちが必ず巨人に気付く。
連れ去るためにジグラットを破壊する必要もあるはずだ。
ジグラットの入口は巨人には狭すぎる。
「アズラ先輩!」
下の階層よりセレネがアズラを呼ぶ。
すぐさま下に駆け降り、セレネの所につく。セレネは洗礼の儀を執り行った祭壇にいた。
祭壇は、青白い光を大きく放ち、ジグラット全体を脈動させていくように蠢いている。
セトの洗礼の儀の時に見た光景、あの時からさらに進んでジグラット全体を受肉させると錯覚するほどに、血管のような光の筋が床を、天井を覆っていた。
「これはいったい・・・」
「神官様たちはもう避難されたのでしょうか?」
「分からない。・・・!!」
アズラは腕に魔力を込めて振り返る。何か得体のしれない何かを感じた。
人に似た気配だったが人ではない。そう確信できるほどの禍々しい何かだった。
周囲を警戒する。何もいない。セレネも違和感を感じたようだ術式の準備を整え警戒に当たる。
ゴトッ! 誰もいなかったはずの上の階で物音が響いた。
アズラは警戒しながら階段を昇っていく。
一部屋づつ確認していくとセトとリーベがいた部屋の椅子だけ倒れていた。部屋を調べていくが先ほどと変わらない。部屋の隅にある大きな鏡が時折光っているくらいだ。
だが、アズラは人の気配を感じていた。今度は普通の人の気配。気配からしてまだ子供だろう。
ジグラットにいる子供となれば、セトとリーベしかあり得ない。
気配は感じるのに姿が見えない。不気味な雰囲気に部屋が包まれていくのを感じる。
まるで、幽霊を見つけようとしているような、違う世界にいる存在を無理やり探しているような。
「?」
先ほどから部屋の隅に置いてある大きな鏡がピカッピカッと光を放つ。
こちらに光源はないはずだが、何かに光を遮られた様に暗くなったり明るくなったりしていた。
アズラが鏡を覗き込むと。
「セト! リーベ!」
鏡に映る世界で、床に倒れ意識が朦朧としているリーベをセトが必死に介抱している様子が映し出されていた。セトは慌てた様子で部屋を飛び出していく。
リーベは苦しそうに胸を手で押さえており、汗が全身に滲み出ていた。
鏡に映った世界の中で、セトは人を呼びに部屋を飛び出した。
神官のいる部屋を目指して通路を曲がった瞬間、神官ハインリヒとぶつかった。
「ハインリヒ様! リーベが! リーベが倒れて!」
「落ち着きなさい。リーベは部屋だね」
「はい」
神官ハインリヒは、リーベのもとに駆け付け容体を確認する。病気やケガではない。それ以外の何かがリーベの身体を蝕んでいた。
リーベの手を取りジグラットが専有する治癒術を施していく。
ジグラットは教義上、術式系の技術は取り入れないようにしており、古来より受け継がれてきた技術が今も数多く残っている。その一つを使用しリーベを回復させようとしていた。
神官ハインリヒは、青白い光を手に浮かべリーベに注ぎ込んでいく。だがそこで、彼は違和感を覚えた。いくら注いでもまるで足りない。大人一人の大怪我を回復させる量の3倍はもう注ぎ込んだが、それでも足りない。無限に吸い込まれていくような。
リーベが人ではないような感覚を神官ハインリヒに覚えさせる。
「!? ・・・ッ!」
神官ハインリヒの術が止まった。小刻みに震えまるで何かに耐えているような状態だ。
「? ハインリヒ様、リーベは大丈夫ですか」
「に、逃げなさい」
「え、でも、巨人はまだ」
「ニ・ゲ・ナ・サ・・・」
突如、神官ハインリヒの体が雨細工のように捻じ曲がる。
いきなり部屋の真ん中で肌色のグロテスクが広がった。
人を人たらしめる形から程遠い姿に成り果てていく、口だった所から異様に長い腕が伸びてきて、ぐしゃぐしゃになった体のパーツを使い、無理やり顔を形作る。それは、人間のバラバラになった肉片で作った歪な人形のような姿をしていた。
うまく形にならなかった、生まれることができなかった、そんなことをいいたげに醜い肉塊を蠢かせる。
「な、あ・・・ッ」
セトは声を出せなかった。
目の前でいきなり起こった人体の解体と再構成がテーマの趣味の悪いアート作成のような光景。
もしくは、人間が自分の身体を使用して化物に作り替えられるマッドサイエンティストの所業。
そこらの悪夢よりたちの悪い現実がセトの目の前に立ちはだかった。
その光景をアズラとセレネは鏡から見ていた。
目の前で鏡の中でセトがリーベが窮地になっている。
セトたちに何が起こったのか、鏡の中にいる原因は何かとアズラとセレネは考えようとするが、もはや、事態はそれを無視して動き出していた。
ジグラット全体に響きわたる振動と轟音、アズラたちはとっさに身を寄せ合い振動が収まるのを待った。
アズラが鏡に目をやると鏡の中でも同じことが起きたようだ。
蠢くグロテスクな化物は振動で倒れ、セトはリーベを引っ張って逃げようとしていた。
さらに大きな振動と轟音が鳴り響き、天井が崩れ落ちてくる。
瓦礫がアズラたちの頭上に降り注ぎ鏡を砕いてしまう。
アズラとセレネは土の術式で難を逃れたようだ。
アズラは割れた鏡の破片を拾い天井を見ようと顔を上げた。
崩れた天井を見上げたアズラの表情が消える。セレネは絶望の表情が浮かんだ。
崩れ落ち夜空が見える天井に。
黒い巨人の顔がそこにあった。