第百四十二話 聖女を狙う者
町のあちこちで火の手が上がっている。
暴走した亜人たちが火のついた松明などを次々と家に投げ込んでいるのだ。
家から身なりのいい人々が飛び出しては待ち構えていた亜人に捕らえられていく。
男も、女も、子供も老人も。
見境なく爪と牙が喉元に食らいつき、抉り、殺していた。
殺される人々の断末魔を。殺す亜人たちの怨嗟を。
リーベは必死に耳を塞ぎ目を瞑って周りで起きているその光景を見ないように支えてもらいながら歩いていた。
彼女を守るように支えているのはイェホバ・エロヒムだ。
今、リーベを守ってくれる存在はイェホバ・エロヒムだけ。イェホバ・エロヒムの翼に隠れるように体に張り付きながら目的地を目指していく。
リーベが周囲の変化に気付く。
人々の断末魔が消えた。代わりに亜人たちの叫びが大きくなっていく。
町から上がる火の量が爆発的に増え、追い立てるように徐々に町の中央にある広場へと火が集まっていた。
広場に逃げ込んだのは亜人たちだ。迫る劫火に成すすべなく逃げ惑っている。
自分たちの放った火で逃げ道を失ったのか?
そんな愚かな疑問を打ち消すように亜人たちを追い詰めた無機質な王国の力が姿を現した。
町を包囲するように展開しているのは数十に及ぶ術導機。
その無機質な機体を駆動させ、両腕の砲身を町の中央へと狙いを定めた。
そして、両腕の砲身から火を噴く。
容赦なく亜人を。生身の彼らを砲撃する。
広場が吹き飛び、爆炎が巻き起こる。砲撃された亜人たちは痛みを感じることも、正気に戻ることもなく即死しただろう。
ドンッ! ドンッ! と徹底的に撃ち込まれ続ける砲撃にリーベは恐怖で動けない。
広場からかなり離れた位置にいるというのに、爆発の衝撃波がリーベたちに襲い掛かっていた。
イェホバ・エロヒムが翼で衝撃を防ぐ。
このままでは砲撃に巻き込まれてしまう。
翼を羽ばたかせリーベを抱き上げる。低空飛行を取りながら包囲網の外へとイェホバ・エロヒムが急いでいく。
亜人にも術導機にも見つからないように細心の注意を払って進み。
立ち並ぶ家の角に体を隠しながら様子を窺う。
(リーベ。大丈夫・・・?)
「うん。大丈夫」
リーベを気遣いながら何とか安全な場所へ向かおうとする。
彼女を安心させようと言葉遣いも人間らしく振る舞ってみせる。
イェホバ・エロヒムは彼女のために全てを尽くす。
家の角から二人が飛び出た。
術導機の包囲網の目を盗んで突き進もうとした時。
ゴッ!!
イェホバ・エロヒムが砲撃された。
爆炎に包まれ撃ち込まれた砲撃により地面へと落ちる。
「きゃッ!」
リーベが投げ出され地面を転がっていく。
全身をすりむきながらも痛みを堪えて、イェホバ・エロヒムの方を見た。
イェホバ・エロヒムは翼を全て焼かれていた。炎に焼かれもがき苦しんでいる。
「イェホバ! やだ死なないで!」
地面を転げまわりなんとか火を消し止めるが、純白の体も翼も黒く焼け付いていた。
(損傷・・・。甚大・・・)
「どうしよう! 助けなきゃ助けなきゃ!」
リーベが火傷の部分に手を触れるが先ほどのように回復しない。
まるで何かに阻害されるようにイェホバ・エロヒムの体が崩壊と再生を繰り返す。
純白の肌が腐り落ちるように崩れ、すぐに新しい肌が崩れた中から現れる。
「なんで!? さっき治ったのに!」
(回答。異神由来の力。セフィラに害悪)
「異神? あの人形たちは異神なの。神様がこんな酷いことをするの?」
イェホバ・エロヒムの回答に頭が混乱するリーベ。なぜ、いきなり異神の名が出てくる。
異神由来の力とは何なのか。
(異神。セフィラを改変。死を定義)
「??? 分かんない。分かんないよ」
涙を流しながら必死に治そうとするリーベが何かに気付き顔を上げる。
町の上空、この一帯を見渡せる位置に空中に浮かぶ術導機がいることに。
リーベが急いでイェホバ・エロヒム手の引っ張り家の影に飛び込んだ。
その様子を空中に浮かぶ術導機の肩に乗る騎士が怪訝な顔で見ている。
砲撃の標準から消えた対象を見て騎士が疑問を抱く。
「なぜこちらに気付いた? いや、それよりも団長に報告だ」
騎士が術式を展開し術導機を介して通信を送る。
「こちら盾の騎士団15部隊、対象を発見」
返事はすぐに返って来た。
機械音声のようにノイズの混じった声。
(よくやった。聖女で間違いないな?)
「ハッ。聖女ハーザク、エハヴァのどちらかと思われます」
(では、こちらへ迎えるとしよう。捕縛しろ。抵抗するなら封印術式の使用も許可する)
「ハッ」
騎士が団長の命を受け、リーベを捕縛しようと迫る。
上空に浮かんでいた術導機がリーベがいた辺りへと降りて来た。
その様子を家の花壇に隠れながらリーベが確認する。
なぜか分かる。
あの騎士が自分を狙っていることを。空からこちらを見ていたことも。
隠れながら、イェホバ・エロヒムの回復状態を確認する。だいぶマシになってきたようだ。
治癒能力が肉体の崩壊を上回り傷が治りつつある。
イェホバ・エロヒムの強さなら騎士には負けないだろう。
だが、異神由来の力を警戒しなければならない。騎士に従うあの術導機がそうなのか。
見た目は他の術導機と変わらないが何か秘密でもあるのかもしれない。
だけど、そこまで分析できて攻撃に移ることはできなかった。
リーベは、まだ10歳ほどの少女なのだ。
脅威に抗うより、恐怖に怯えてしまうのが普通だ。
「こわいよ・・・。セト、アズ姉さん・・・」
恐怖で震え、それから逃れようとイェホバ・エロヒムの胸に顔を埋める。
下手に動けば見つかる。飛ぼうものなら撃ち落とされる。
逃げたくても逃げれない。
転位が使えればいいのだが、転位で通るセフィラ界にはハーザクがいる。セフィラ界に入った瞬間に閉じ込められるだろう。
もう手はないのか。
花壇の影に隠れているリーベたちに足音が近づいてきた。
そして、騎士の足音がすぐ側で止まる。リーベが息を殺す。
「この周辺にいるな隠れていても無駄だぞ。抵抗しなければ危害は加えない。それにジグラットが君の保護を求めている大人しくしていれば悪いようにはならないと思うが」
騎士がリーベに大人しく投降するように促す。
言葉巧みに誘導するでもなく、ただ単純に大人しく捕まるか抵抗して捕まるかを聞いてくる。
リーベは見つからないようにと祈りながら、騎士が通り過ぎるのを待った。
ガシッ! とリーベの腕が捕まれる。
リーベが悲鳴を上げるがそのまま花壇から引きずり出された。
「捕まえたぞ。むッ!?」
花壇中から翼が飛び出た。リーベを掴んでいる騎士の腕を弾き、向かいの家にまで騎士を吹き飛ばす。
壁をぶち破り中に騎士が放り込まれた。
騎士が攻撃されると同時に術導機が攻撃態勢に入り、その石のような体の隙間から赤い光を明滅させイェホバ・エロヒムを敵と判断した。
両腕の砲身が標準を定めていく。イェホバ・エロヒムが騎士を吹き飛ばした勢いのままリーベを抱きかかえ一気にその場を離脱する。
後ろから迫る砲撃をかわしながら、ジグラットの近くにたどり着く。
だが、術導機はまだ追跡を諦めていない。
家の中に放り込まれていた騎士も中から姿を現す。
騎士が術導機に命令を送る。その手から浮かび上がるのは赤いコード。
封印術式がリーベたちに迫る。
----------
王宮の一画に一際大きい術導機が姿を現す。
空を飛んで来たであろうその術導機は、亜人たちを焼き払っている術導機とは根本から異なる造形をしていた。
完全な人型。10m近くはある全長。
騎士の鎧を象徴化して巨大にした姿。
それに付け加えるように背中には大きな装備が備え付けられている。
剣のような二本の羽が巨大な兜のような装備から下に向かって飛び出ている。
巨大な兜の中には魔晶石を加工したパーツが取り付けられ、白い幾何学模様を浮かべていた。
その人型術導機の手の平から一人の男が王宮に降りる。
タウラス第一王子だ。
そして、もう片方の手の平からは神官服を着た集団が降りてくる。
ディオニュシオス教皇と神官ヴェヒター。彼らを守る殲滅神官たち。
王宮で待機していた二人の騎士がタウラスたちを出迎える。
カラグヴァナ騎士の鎧の基本色である赤黒い鎧の上に黒緑のパーツが追加され禍々しい印象を与える騎士たち。
槍の騎士団を率いる。
団長、キドゥン・エクウェルナ・アリオク。
盾の騎士団を率いる。
団長、マーゲン・エクウェルナ・アリオク。
同じ騎士の家系。アリオク家出身の騎士。そして、タウラスに忠誠を誓う彼の最強の手駒たち。
「状況はどうなっている」
「王宮の最上位権限は掌握できず、術導機の方は予定通り。殿下もうそろそろ賊を始末してもいいと思いますが」
「まだ泳がせろ。奴らの狙いは父上なのだ。当初の予定通り暴徒の鎮圧を優先せよ」
タウラスの命令に盾の騎士団の団長マーゲンは頷き術式による命令を飛ばす。
暴走した亜人たちはもうじき鎮圧が完了する。問題は術導機を用いても止めることができない上位亜人たちだ。
マーゲンはそのことを危惧している。
だが、彼の心配など必要ないと告げるように教皇が話を進める。
「タウラス、聖女はいつ頃、余の下に連れてこれる? あまり死が近い所に聖女を居させるのは良くないのでな」
「騎士には封印術式の使用を許可しています。それほど掛からずに猊下の下に来られるはず」
「ならばいい。だが、手間取っていると王都が無くなるぞ?」
「その危険性は分かっております」
教皇の警告をタウラスは十分に理解しながら受け止める。あの教皇が気に掛けるということは聖女の存在はそれだけ重要ということだ。
タウラスは王宮の指揮系統を掌握するため一旦、キドゥンとマーゲンを引き連れて中へと入っていく。
それを見ながら教皇は呟く。
「因子を持つ者を意図的に誘導することには成功したが、精度には欠けるの」
教皇の不満に神官ヴェヒターが頷く。その通りだと。
「はい。神託を一個人単位で調整しても日時までは調整できませんでした。人の意志に委ねるのはこの辺りが限界かと思われます」
「かと言って余が手を出す訳にも行かぬのは、何とも歯がゆいの・・・」
そこにいると分かっているのに手が出せない。聖女は大切な人物を。四聖獣へと変貌するカギとなる人物を日々の安らぎの中で決定する。
無理矢理連れてきてしまっては、聖女の力は発動しないのだ。
「それと、ヴェヒター。転位が出来ない理由は判明したか?」
「確証は得られていませんが、何者かにセフィラ界への干渉を防がれているかと」
「ふむ・・・奴の仕業か。それも王都にいる聖女がどの四聖獣か分かれば判明する。あるいは二人共いるのか・・・」
教皇はタウラスたちを利用しながら策略を巡らす。
王宮の中に入ろうと歩いていくと、後ろから醜い声が聞こえた。
教皇が汚物を見る目で振り返り、すぐに踵を返す。
ヴェヒターが哀れな者を見ながらその場を離れていく。
彼らの後ろにいたのは。
宮廷の地獄から逃げ延びたガスパリス公爵だ。
護衛のカクトゥスに支えられているが恐怖で足が震え、歯をかち鳴らしている。
「小生は・・・、小生は・・・なぜ生き残った。何のために。こんなことのためにタウラスの側に付いたのではない!」
「ガスパリス様、落ち着いてください。我々は生き残れたのです。それは我々にとって最も意味のあることではないですか」
「何を言う・・・。皆を見捨てて生き残ったのです・・・。小生は・・・、下種にも劣る・・・うう・・・」
目の前で八つ裂きにされていく者たちを見て、敵に背を向けて逃げ出した自分。
太ったこの体では一人で逃げられず、カクトゥスに助けてもらってようやく逃げ延びた醜い自分。
恥だ。
末代までの恥。
ウィリアムは他の者たちを逃がすために護衛の騎士共々、盾になったというのに。
自分は全てを見捨てて逃げた。
助けを乞う者たちを振り払い、むしろ、化物への囮にして生にしがみついた。
その醜悪な自分を恥じながらガスパリスは指示を出す。
彼の中にも公爵としての意地がある。それがこの状況ですべきことを選択させていく。
「うう・・・、・・・、・・・・・・他、の、者との、連絡は?」
「騎士シュトゥンプフ及びアストたちの位置は確認しております。・・・ですが、ツィーレンからの応答はなく、死亡しているかと」
「・・・そうですか」
もうガスパリスはダメだろう。
心を砕く程の恐怖は、その者に永遠に絶望の表面を見せ続ける。
その表面を見るたびに恐怖に震えるトラウマ。
だが、主君がそうなったとしてもカクトゥスは彼の側に居続ける。
もう、後戻りは出来ない。
対立派閥の勢力を敵国の怪物に殺させることでタウラス第一王子の王位継承は確実となった。
さらに、王都が強襲されているこの事態を利用して王宮の権限を毟り取っている。
シュピーゲル王を上回る権力をすでに手中に収めている。
激変するカラグヴァナの中で四大公爵家がどうなるか、それはカクトゥスにも分からない。