第百四十一話 それは君のために
白い世界にボンヤリと移っている光景には泣きながら逃げていくラバンの姿が映し出されている。
その映し出されている元の世界の光景を足元に隠しながらハーザクは思い出話を続けていた。
楽しそうに、悲しみなんか見えなくなるように。
楽しそうな雰囲気を作っていく。
「それでねイサクたちと聖地アヴェスタの深層に向かったんだよ。あの時はデーニャが珍しく興奮していたかな」
「デーニャ喜んでたの?」
「うん、とっても。彼、神話に関することに目が無いから。普段からあれだけ明るい性格だともっと楽しいと思うんだけど」
かつて共に旅をした記憶を語る。
そのメンバーの中にはリーベもいた。リーベとなる前の以前の自分が。
世界の真の姿を知るための旅。どこを目指せばいいのかも分からない手探りな旅路。
今から数十年以上も前の出来事だ。
当時のメンバーは5人。
ハーザクたちは最初3人で旅をしていた。
その旅の途中でどこから聞きつけたのか分からないが、イサクがコンタクトを取って来たのだ。
デーニャには反対されたが聖女のことを知っていたイサクに引かれハーザクは会ってみることにした。
これが彼女との初めての出会い。
初めて会った彼女の印象は、知的な人物と評価するのがいいだろう。
荷物に大量の専門書を抱えて、顔には変わったアクセサリーを着けていた。メガネという視力矯正器具。
ディユング帝国の貴族階層では一般的に使用しているものだ。
茶色いショートヘアで耳と目の間の髪は灰色になっている。耳が隠れるほど髪型をほったらかしにしているようでオシャレには興味がないらしい。
だけど、そんなことは気にならないほど美人で、スタイルもいい。
本人曰く、小国で学者をしていたとのこと。そのせいか、服装も学者らしい格好だった。
そして、初めて会った彼女はハーザクを見て確信したかのように言った。
(私の子を運命から救い出したい。だから・・・力を貸してちょうだい!)
自分の子を救う方法が知りたいと。礼儀も何もなっていない、ただ真っすぐな思いで彼女は協力を求めてきた。
力強い想い。彼女の側にいるリーベ。当時はエハヴァ。二人を見ながらその想いをハーザクは感じ取った。
けれど、ハーザクの旅の仲間は大反対だった。
一か所に聖女が二人もいる。それはダートとの遭遇確立が跳ね上がることを意味しているからだ。
結局、イサクとは一緒に行かないまま別れることになったのだが、彼女は勝手についてきた。
(たまたま同じ方向を歩いているだけよ。今日も、明日も、明後日も・・・ね!)
彼女のその自分勝手というか意志が強い性格にハーザクたちが根負けして、旅のメンバーは5人になった。
それがイサクとハーザクたちの出会いだった。
裏表のない彼女はすぐにハーザクたちと打ち解けた。とくに用心深いデーニャが彼女の博識ぶりに感心していたのが意外だったと言える。
デーニャはそれはもう用心深かった。彼の性格もあるが、聖女であるハーザクのために人を寄せ付けまいとする過保護的一面もあったのだ。
そのデーニャがイサクを受け入れた。それは変化の兆し。
ハーザクたち旅の一行に笑顔が増えていった。
ハーザクが当時の聖地アヴェスタを調査した時の話を続ける。
ハーザクにとってもこの記憶が最も印象の強いイサクとの思い出だった。
「聖地アヴェスタじゃデーニャとイサクに頼り切りだったんだよ。二人とも遺跡調査には慣れていたからね。でも、みんな調査ばかりしてたから、つまらなくて二人で勝手に探検に行ったんだよ」
まだまだイタズラっ子だった二人がみんなの手を焼かせていた話。
聖女と言っても、見た目も精神年齢も10歳前後と歳相応の無邪気さだった。
「エハヴァとぼくが揃って迷子になっちゃって、あの時初めてイサクが怒ったんだ。二人揃って何してるの! って」
「ハーちゃん悪い子だったんだ」
リーベが楽しそうにハーザクの話を聞いている。
失った自分の記憶の話なのに、そこに自分がいたとは信じられない。
「エハヴァもだよ。ぼくだけじゃないからね」
「うんうん。ハーちゃんの気持ち分かるよ」
自分のことだとは思えないから、第三者目線で話を見てしまう。
それは仕方のないことなのかもしれない。
「も~、ぼくの話ちゃんと聞いてるの?」
ハーザクはなんだか自分の恥ずかしい過去を喋っているような感じがして恥ずかしくなってきた。
リーベと同じ共有している思い出なのだが、共有者であるリーベが忘れているのだ。
これも仕方ないことだろう。
ハーザクが自分の失敗談から話題を変える。
「イサクの作ってくれた料理のことは覚えてる? 何作ってもすごーく甘いんだよ」
「甘い食べ物!」
リーベの好きな話だ。甘いものが好きなのも、もしかするとイサクの手料理から来ているのかも知れない。
話に夢中になっていると、イェホバ・エロヒムがちょんちょんとリーベの肩を突っついた。
何か言いたそうに口を動かそうとしている。
「ん、なぁに?」
昔話に気を取られて忘れてしまっているリーベに、現実を思い出させるためにイェホバ・エロヒムが囁いていく。
(提案。セトたち。合流)
「あっ!? そうだ。みんなは!」
一気に現実へと意識が戻ったリーベが大急ぎで元の世界に帰ろうとする。
セフィラたちにお願いして、元の世界に通じる穴を空けてもらおうと頼む。
「お願い。みんなの所に連れて行って」
なんでみんなのことを忘れていた。
ハーザクの話に夢中になっていたからか。
あれだけ怖い思いをしたのに? あれだけ恐ろしい光景を見たのに?
リーベがセフィラにお願いする。
だが、反応がない。
セフィラたちがリーベの声に応えない。
「どうしたの? みんなの所にお願い!」
リーベとハーザクを見守るように集まっていたセフィラたちにお願いするが、ユラユラと漂うだけ。
腕の形をした下位のセフィラたちではダメなのか、リーベが上位セフィラに意識を向けた。
角の生えた動物のようなセフィラ。角が目から生えていて胴体も大きな人の顔で構成されている。
このセフィラの名はハミエル。
人の言葉を聞くだけでなく意志を持って対話できるほどの知性を持つセフィラだ。
だが、その上位セフィラでさえ。
「ねぇ、お願いわたしをみんなの所に・・・」
(・・・)
リーベの声に応えない。
ハミエルが顔を逸らし気まずそうにソワソワしている。
まるで、誰かにリーベの話を聞かないように言われた感じだ。
リーベ以外にセフィラにそんなことを言えるのは。
「エハヴァ大丈夫だよ。ここで待っているだけでいいから。エハヴァの家族はぼくたちが助けるから。ここにいて」
ハーザクだけだ。
リーベがハーザクの方に向き直る。
「ハーちゃん。ハーちゃんがみんなにわたしの話を聞かないように言ったの?」
「・・・」
リーベの問に視線を落とすハーザク。
リーベの嫌がることをしている。それを自覚している。でもしなければないらないのだ。
彼女のためにも。
「ハーちゃんなんでなの?」
「・・・それは」
ハーザクが口を濁す。
ひどい事をしているのは分かっている。リーベを閉じ込めようとしているのだから。
でも、これはリーベのためなのだとハーザクの目に固い意志が宿っていく。
「それは、エハヴァのためだからだよ」
「じゃぁ、外に出して」
「ダメなんだ。分かって」
ハーザクがリーベの願いを拒否する。
外には出さないとセフィラたちを束ね上げていく。
ヒュンッ! とイェホバ・エロヒムが腕をいきなり振った。何かをリーベからひっぺ剥す。
すると、リーベから小さなセフィラが剥がれ落ちて消滅した。
セフィラが剥がれた瞬間にリーベの意識がハッキリとクリアになる。
何かに誘導されていた意識が正常になっていく。
つまり、今のセフィラがリーベの意識を誘導していたということだ。
「ハーちゃん!」
「ダメ・・・なんだよ。お願い分かって。ぼくたち聖女が今の王都に行っちゃダメなんだ」
「むーッ!!」
騙されていた。
せっかく会えた家族に騙された!
リーベが心の底から嫌な感じを。怒りを感じていき。そして、叫ぶ。
「みんな大ッ嫌い!! もういいもん! イェホバ行こ」
リーベがイェホバ・エロヒムにセトたちへの居場所へと転位を頼む。
一体よりも複数で転位を発動した方が精度が上がるのだが、協力してくれないなら自分たちだけで行くだけだ。
イェホバ・エロヒムが何もない空間に穴を生じさせていき、穴を安定化させようとした時。
真横から拳がイェホバ・エロヒムの顔を殴り飛ばした。
(ッ!)
「イェホバ!」
下位セフィラたちの集まる所にイェホバ・エロヒムが吹き飛ばされる。セフィラたちが逃げ惑いその場から離れていった。
リーベが殴り飛ばしてきた相手を見て、驚いていく。
そこにいたのは、上位セフィラのツァドキエル。
人の顔が横に並ぶように胴体を構成し、そこから足が4本伸びてさらに頭のある部分から人の上半身が付いているセフィラ。
ツァドキエルがおそらく自分の意志でイェホバ・エロヒムを攻撃した。
人の意志が介入しなければ、セフィラ同士で争うなどあり得ない。
攻撃を実行する何かがあるということなのか。
「なんで! どうして!」
(聖女。守護。使命)
ツァドキエルから声が聞こえてくる。聖女を守るためだという強い意志の声が。
王都に満ちているあるものを聖女に見せないために、同じセフィラにも暴力を振るう。
殴り飛ばされたイェホバ・エロヒムが翼を広げながら立ち上がりリーベの前に飛び出る。
(リーベ。守る。邪魔・・・だ)
イェホバ・エロヒムが目の前のツァドキエルを敵として見定める。
六対の翼で威嚇するように大きく大きく広げていく。
対するツァドキエルは手の平から青白い光を出し、それを棒状に伸ばす。
現れたのは槍だ。セフィラたちの血肉を凝縮し固めた槍。
それを突き付ける。
「ダメ! そんなの使ったらダメ!」
リーベが叫んでツァドキエルを説得しようと前に出ようとするが、イェホバ・エロヒムがそれを片手で制する。
その行動にリーベの顔に不安が広がった。
セフィラ同士が傷つけあうのを恐れている顔。それをチラリと見たイェホバ・エロヒムがリーベの手を掴む。
(逃走。最速で!)
イェホバ・エロヒムが一気に高速移動形態へと移行し不安定な穴へと目掛けて飛翔した。
その行動を許さないとツァドキエルが槍をイェホバ・エロヒムの翼目掛けて投擲し攻撃する。
槍が翼の一対を貫く。
(ッッ!!)
「キャーッ!!」
制御を失ったイェホバ・エロヒムが不安定な姿勢でさらに不安定な穴へと突っ込んでいく。
リーベを止めることはできなかった。
ハーザクが悲しみの表情を浮かべながらもういないリーベに言う。
「ぼくたちは人の死を見てはいけないんだ。それが知り合いだったり、大事な・・・家族だったりしたら、取り返しがつかなくなるんだよ。だから・・・行かないでエハヴァ」
ハーザクの声を遮るように穴が消滅していく。
リーベが転位したのはどこなのか。不安定な穴からでは予測もつかない。
せめて、安全な所に転位して欲しいとハーザクは願っていった。
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・・・。
・・・・・・。
気が付けばリーベは白の世界。セフィラ界の外に出ていた。
元の世界に戻ってこれたようだ。
リーベが自分を守るように抱きしめていてくれたイェホバ・エロヒムを見る。
目や鼻はないが、優しい顔をしてくれている。だけど、少し辛そうだ。
イェホバ・エロヒムの背中を見た。翼の一対にもがれるように穴が空いていた。
リーベがその怪我を心配そうに撫でてやる。
メコメコと肉が盛り上がり怪我口が一気に塞がった。リーベが触れてやることでセフィラの治癒能力が向上するようだ。
二人が立ち上がり、周囲を見渡した。
確実に王都に転位はできた。
だが、リーベの知らない場所だ。多数の豪華な屋敷が立ち並ぶ一画。
そして、安全でない場所であることもすぐに分かった。
「ゥゥウウウッ!!」
亜人たちの呻き声がする。
人々の悲鳴が町の一画全体から聞こえてくる。
血の匂いが。死がそこにある。
「みんなを探さなきゃ・・・」
町の先に大きな建造物が見えた。
まずはあれを目印に進もう。
リーベが足を進めていく。その建物とは人が主アイン・ソフより祝福を受ける場所。
カラグヴァナのジグラット。
その外観は遠くからでも分かる程、祝福で満たされ青白く輝いていた。
人が祝福を受けすぎるとどうなる?
それはすぐに分かる。