第百三十九話 赤の狂気
ライブラが生き残っていたのはたまたまだろう。
小柄な彼の姿がラバンの目に映っていなかっただけだ。
そして、フローラとシアリーズが生き残ったのは、多くの命を身代わりにしたからだ。
真っ先に立ち向かったウィリアム。自分たちを守ろうとした近衛騎士たち。
全員がまるで布を引き裂くような感覚で肉塊に変えられていった。
五体満足で事切れたフライスは、そのパワーを獲得するために体も丈夫だった。それが殴り殺される結果になるという皮肉になってしまう。
だが、その苦痛を屈辱をフライスが受けたからこそ二人は生き残っている。
恐怖に脚が震え、隣にいるシアリーズの手を握っていないと心が持たない。
シアリーズもそうだ。もう彼女は立ち上がる意志すら恐怖に食い潰されている。
だけど、ならばこそ、まだ立っている自分が何とかしなければ。
フローラがこの地獄から逃げるための策を。
方法を懸命に考えていく。
(父上・・・、わたくしに勇気を!)
変わり果てた父の姿が目に入る。最後のその時まで勇敢に立ち向かった父ウィリアム。
真っ先に逃げたガスパリスと違い、ウィリアムは貴族たちを王族たちを守ろうと近衛騎士たちと共にラバンと対峙した。
結果は敗北だった。
無慈悲な虐殺だった。
でも、全てが潰えた訳ではない。
自分が生き残っている。
フローラが生き残るために行動を開始する。
「シアリーズ、動けますかしら? 隙を見てここから逃げるですの」
「うう・・・、ピルツ・・・」
「しっかりして! まだ、わたくしたちは生きていますわ。諦めるには早すぎますの」
フローラが逃げようと提案するが、シアリーズが騎士の亡骸を抱えたまま動かない。フローラが知る由もないがこの騎士はシアリーズの数少ない理解者だった。
屋敷の外に出ようとしなかった幼少時代から自分を見守ってくれていた大切な人。
シアリーズの親衛隊に真っ先に志願してくれた人。
そして、シアリーズが両親を失った時、爵位を継いだ時に近衛騎士となってついてきてくれた人。
その彼が、もういない。
肉親だけでなく理解者まで奪われた。
その現実がシアリーズから絶望に抗う意思を奪っているのだ。
泣き続ける彼女見下ろしていたフローラがいきなりシアリーズの襟元を掴み、顔を強引に上げさせた。
パシッ!
顔を叩いた。思いっきり渾身を込めて。目を覚まさせるために。
シアリーズの口から血が足れる。
頬が赤く腫れあがり、顔の形が崩れてしまっているが、シアリーズがキッ! と鋭い視線をフローラに向けた。
涙を浮かべてばかりだったその目には生気が戻っている。
「行きますわ」
「ええ」
二人の瞳に生き残る闘志が灯る。
まずはあの化物をどうするか。
その様子を窺おうと死体の山を見る。
トンっとフライスの亡骸の上に座るように乗ったラバンがフローラたちの目の前にいた。
つまらないことを聞いたとジロリと視線が動きフローラに向く。
「どこに逃げるって?」
「ッ!」
フローラがシアリーズを庇う様に彼女を背中に隠す。
どうする?
このままでは殺される。
何も出来ずに、あっさりと。
フローラたちをジロリと見つめていたラバンが、ニタァと笑みを広げた。
面白い事を始めるかのように邪悪な笑みを浮かべる。
「決めた。お前たちから殺すゾ」
軽く告げられる死刑宣告。
シアリーズが震える手足を隠すように必死にフローラの背中に張り付く。
フローラがせめてもの抵抗にと騎士の振るっていた剣を拾い上げる。
重い。
片手では持ち上がらなかった。慌てて両手で持ち上げラバンに剣先を向ける。
その抵抗を見ながらラバンの笑みが深まっていく。
「イシシシッ! 剣を持ったこともないのか? そんな弱い奴は強者のために鳴くのがいいゾ」
フローラの首筋に汗が伝う。
絶対強者であるラバンの言葉に呑まれないようにフローラが自身を奮い立たせる。
勇気を振り絞る。
「あら、その強者様はわたくしたちの囀りを正しく聞くことが出来るのですの?」
「あん?」
フローラからの問にラバンの笑みが僅か、僅かだが崩れた。
そして、重要なことが一つ。
まだ殺されていない。それは、ラバンがフローラの話を聞いているということ。
それは会話が可能だということだ。
フローラは自分に残された唯一の武器をラバンに向けて行使する。
会話という名の武器を。
「先ほどから貴方は、単調な囀り、歌をお聞きになっているのですの。それは、一緒に歌を奏でるお相手がいないのではないかしら」
フローラはこの地獄を歌に例える。
血の赤をステージに断末魔と悲鳴をメロディにして、主役をラバンに例えていく。
ラバンの気を引くために、話の内容を価値観を彼女に合わせていく。
話術とは言えないレベルの話し方。
それでも、ラバンを欺くために必死に喋る。
「なんだ? あっちには歌が分からないとでも言う気か? 弱い奴があっちの聴く歌を理解できるとは思えないゾ。あっちが聴くのは愛だゾ。殺して、殺されて。泣いて、叫んで、奏でる愛の歌。この世で一番、心が滾る歌だゾ」
その武器は、いきなり分厚く頑丈な盾に阻まれた。
ラバンは語る。これは愛の歌だと。
それはロマンチックに語っていく。
殺して、殺されて。
泣いて、叫んで。
奏でる愛の歌。
価値観が違うとか、そういうレベルではないことをフローラは今更ながら理解した。
ラバンは、カラグヴァナの権力者を抹殺するためにここに来たのだろう。
だが、殺している時に彼女が感じている感情はフローラたちと全く異なる。
ラバンは、殺し合うことにときめきを。愛を。感じている。
殺人を犯すという行為には何も感じていないのだ。殺すことは普通のこと、その普通から飛び出てくるときめきをラバンは欲している。
強者と殺し合うのを望んでいる。
その異常性を考慮してフローラは話を続けた。
「愛・・・? いままでのが愛の歌だと言うですの?」
「ほら、やっぱり分かってないゾ」
「それは・・・、かわいそうですの」
「あん?」
お前の欲しているもの以上のものを知っていると静かに匂わせる。
相手がこちらの話を聞いてしまうように仕向けていく。
「強者が、貴方が聞いているのは一方的な愛の歌ですわ。愛とは相手と共に奏でるもの。心が躍る愛の歌は滅多にお聞きになれないのではないかしら?」
「そりゃ当たり前だゾ。あっちと殺し合える奴は滅多にいないゾ」
「それは殺し合うからだと思うのですの。愛のカタチは殺し合うだけではない。殺し合う以外でも貴方を酔わせて、魅了する愛がありますわ」
言葉巧みにラバンの興味を引き出していく。
フローラの話にラバンも殺すという目的を忘れている。
このままうまく丸め込んで、ここからの脱出を。
「・・・お前、何んか企んでいるな?」
「ッ!」
息が止まる。疑われた。
それは懐柔の失敗を意味する。
ラバンの顔からは笑みが消え、目がこちらに疑心を持って見ている。
だが、フローラは諦めない。まだ、相手は話を聞いている。
口を動かす。
無理矢理にでも声を捻り出す。
「そんなことはありませんわ。別の愛を知るのが怖いのですの?」
「ハァー・・・、これだから人間は弱い奴が多いんだゾ。強さ以外で愛を語ったら弱くなって当然だゾ」
フローラの中で焦りが出てくる。相手がこちらの話に関心を示さなくなってきた。
これ以上の会話は無駄なのだろうか。
そう思えてくる焦りを抑えながらフローラは、まだ口を開く。
「本当にそう思うのですの?」
「お前の弱っちい愛なんか知りたくもないゾ。気は済んだか? じゃあ殺すゾ」
完全に失敗した。
こちらの提示したものではラバンの心を揺らすことは出来なかった。
だけど。
その代わりに、あるものを得た。
時間という貴重な武器を獲得し、かなりの時間を稼ぐことが出来た。
フローラが剣をラバンに向け、意識をこちらに向けさせ続ける。
ラバンが手を広げた。血に濡れた爪。ウィリアムを。フライスを。みんなを殺した爪だ。
その爪を見せびらかしながらラバンは笑みを浮かべる。
「イシシシッ! 公爵は逃げた奴以外これで全部だゾ」
「・・・」
もう何も喋らなくなったフローラを見て、ラバンの笑みが深くなる。
獲物が役割を理解したのだと、狩られる立場なのだと。相手を支配していくこの感覚。
強者との殺し合いもいいが、ラバンは弱者に対するこの感覚も好む。
甘美な命の味。
その味に酔いしれたいと、ラバンがはしたなく舌なめずりし、腰を落とした。
目が獲物を狩るそれに変わる。
「わたくしの側から離れないで」
フローラがシアリーズを守るように側に寄せた。
そして、来る。
「イヒャッ!」
ラバンが飛び掛かった。
爪がフローラの首筋に迫る。
爪の先がフローラの白い肌に触れ、プスッと柔らかい肉に食い込んで。血が一滴流れ落ちた。
そして。
そして、その次に。
ブスリと爪が深々と。
肉と骨の間に。
刺さらなかった。
「な? あ? う、動かないゾ」
いきなり金縛りにあったかのように動かない。
目を白黒させながらもがくがビクともしない。
ジャララ・・・と金属音のようなものがラバンのすぐ側で鳴った。
鳴ると同時にラバンが手足を拘束しているものに気付く。
それはラバンの半径2m以内を術式のコードで埋め尽くし。
コードそのものが鎖となってラバンの腕と足を縛り上げていることに。
「こ、これは! いつの間に!?」
その鎖は、一本一本が術式で構成されラバンのあらゆる力を封じる枷となる。
もはや腕力では引きちぎることは不可能。
カラグヴァナ王国最大の封印術式。
それを発動できるのは。この場にただ一人。
「上位権限発動完了です!」
ライブラただ一人だけだ。
フローラは何の策もなく問答を挑んだのではない。狙われていないライブラが行動を起こせる時間も稼いでいたのだ。
ライブラに王宮防衛術式の上位権限が付与されたことは、皆が知ることだ。
彼がキャンサー王子の意志を継ぎそれを示すための手段として、上位権限を錦の御旗としたのである。
だから、フローラはそれを知っていた。知っていたから、彼を信じてラバンの注意を引くことができた。
託されたライブラは自身のすべきことを言われなくても、考えなくても実行できた。
これを。今、しなければいけないと。
彼の心が分かっていた。
「二人とも今の内です!」
ライブラが活路を切り開く。二人に向かって叫び出口となる扉を開け放つ。
「行きますわよ」
「はい」
「あ! コラッ逃げるな!」
剣を投げ捨てフローラとシアリーズが走る。
知人だった死体を踏み越えて、父だった肉塊を横切り、ライブラの横にたどり着く。
「よし! このまま外へ」
ライブラが背を向けた時。
ドゴンッ!
空間を揺らす音が響いた。どこからと聞くまでもない。
術式のコードで出来た鎖を引き千切ろうと腕を全力で振り上げる。
逃げた獲物を追うために脚を無理矢理前へと進める。
封印術式に捕縛されたはずのラバンが、そのデタラメな力で無理矢理前に進もうとしていた。
全身から血管が浮き出ている。
指の先から腕、肩に胴体、体の隅々まで。
「ク・・・! クカッ!!」
ラバンの目が赤く、血の色のように赤く変色しだした。
それに反応するように床に広がる血の池が蠢き出す。
まるで生きているかのように波打ち、ラバンの周囲を囲みだす。
「早く外に!」
振り返っている余裕は無い。
フローラたちは後ろに目もくれずに扉の外に飛び出ていった。全力で宮廷の外に目掛けて走る。
「ガァァァァァッッ!!!」
ラバンの咆哮がフローラたちの背中を殴りつけた。
ゴキッ! バキッ! と何かがへし折れる音が広間で鳴り続けている。
宮廷そのものを揺らすほど強大な力がのたうっている。
突如ライブラの手に異常を示す術式のコードが赤い文字で浮かび上がった。
「そんな! 封印術式を力尽くで」
異常を伝える赤い文字のコードが明滅する。それはだんだん早くなり。
そして、激しく赤の光で点灯し続ける。
堪らずライブラが後ろを振り返った。
術式のコードで構成された鎖が、決して千切れない鎖の可能性を観測されたはずのそれが、ラバンの腕から落ちる。
脚を縛っていた鎖も力なく引きずられていき、もはやラバンを拘束する能力を失っていた。
ラバンが顔を上げる。
血の赤に変色した目を見開き、両手の爪に血を纏わりつかせ、それがさらなる刃として形作られる。
「・・・」
「ッ!?」
その目を見てしまったライブラの脚が止まる。
あの赤い目は狂気の目だ。
この世に血の赤を付け足し続ける。そのための目だ。
ラバンの頬が吊り上がる。
邪悪に、狂気を可視化できるほどの笑みを浮かべ、動いた。
「イヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャッッ!!!」
もう追い付かれ首元に血の爪が迫る。
ラバンの異常な身体能力を前にライブラは逃げることすらできない。
フローラとシアリーズが足を止め助けようと振り返る。
その時、二人の間を風が駆け抜けた。
その風は狂気を押し返し、怯ませるほどの勢いでラバンを吹き飛ばす。
「ギャァッ!?」
フローラの表情に見る見る笑顔が戻る。シアリーズの目に感謝の涙が浮かんだ。
フローラの前に並び立つ3人の者。
緑の布を体に巻き、赤く長い布を紐代わりにしてくくっている民族衣装のような服。
髪は黒色だが、前髪だけ白髪となっている男。
胸には鳥のシンボルが描かれた白銀と黒の軽装の鎧を身に着け、巨大な大剣を片手で構えている黒髪で無精ひげを生やす男。
そして、空を駆けるための3対の翼の形をした外装。なぜか魔装で構築した鎧が小さくちょっと際どい格好の鮮やかな緑の鎧に身を包んだ女。
「フローラ様たちに手出しはさせません!!」
森羅たちが間に合った。