第百三十五話 全てを飲み込む怒り
闘技場跡に地鳴りが響き渡る。
地面を割り、揺らすのは一人の亜人。
ゼヴ。
彼の踏み抜いた足が地面を割り咆哮が全てを揺らす。
ただそれだけでセトたちは翻弄されていた。
「く、くそ!」
「セト逃げろ」
「ランツェさんを置いてなんて出来ないよ!」
必死にゼヴに挑もうとするセトが咆哮一つに吹き飛ばされ立つことすらままならない。
それは他の者も同じ。辛うじてランツェとルフタが踏ん張れる程度だ。
その状況を見てランツェは叫ぶ。
「いいから逃げろッ!!」
ゼヴを見て。
その規格外の存在を認識して、ランツェはある判断を下した。
自分たちでは勝てないという判断を。
あれは魔獣で例えるなら特別指定個体を凌駕している強さだ。
特別指定個体をセトたちが倒すには最低でも、ランツェとアズラ、そしてセトが必須となる。
それを凌駕する相手に対して、アズラが欠け、怪我人も抱えているこの状況。
とても対処できるとは思えない。
それに、ここに集まりつつある気配。もうすぐここは戦場になる。
だからランツェは叫ぶ。そして、ルフタを見た。
「!」
その一度だけのアイコンタクトをルフタは理解する。
ランツェが何を考えているのかを理解してしまう。
「ダメである! 許さんぞランツェッ!」
ルフタがランツェを止めようとした時、状況はさらに悪化の一途を辿っていた。
ゼヴが動かした町の壁の隙間から大量の亜人たちが集まってきている。
まるで、ここに吸い寄せられるように、手に武器を持ち理性を失った顔で集結していく。
「亜人たちが。そうか奴の咆哮で理性が・・・!」
ルフタとエリウを蝕んだ怒り、憎しみといった負の感情を強制的に植え付けるゼヴの咆哮。
それが彼らから理性を奪い去った。
怒りと憎しみに支配された者が何をするかなど明白だ。
「~ッッ!! セト・・・、リーベを抱えて走れ。今すぐここから離れるのである」
「ルフタさん!?」
「言いたいことは分かる! だが、今はランツェが正しいのだ」
感情を押し殺し、苦渋の決断をするルフタ。
その決断を下せたのは、幻惑の神術で怒りを感じないようにしたせいか。
だとしたら、好都合だ。
ルフタは自分たちの全面に障壁の神術を展開した。
ゼヴとランツェの二人から、自分たちを切り離すように。
「ルフタさんッ!! なんで!!」
「エリウ! リーベを抱えて走れ!」
ルフタの命令に一瞬戸惑うエリウ。彼女もランツェと一緒に戦いたいのだろう。
背中を引かれる思いを振り払い、リーベを抱えた。
「ッッ!!」
エリウの判断を見たセトが、初めてだろう。彼女を怒りで睨み付けた。
ルフタも怪我人を背負って走り始めている。
状況に呑まれる形でセトも走り出す。
だんだん遠ざかっていく。
振り返ったセトの目に映るのは、ゼヴに槍を突き付けるランツェの姿。
槍を突き付けながら、多数の亜人に包囲されていくランツェの姿だった。
一瞬、ランツェがセトの方へと振り返る。
その顔は笑っていた。
ちゃんと逃げてくれたセトたちを見送るように、亜人たちに囲まれ見えなくなるまで彼は仲間たちの姿をその目に焼き付ける。
完全に包囲され理性を失った亜人たちとその元凶だけしか見えなくなると。
視線をゼヴに向けて。
「来い!」
「ヌハハハハ! いいぞ。遊んでやる」
始まった。彼の仲間たちを逃がすための戦いが。
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闘技場跡。
その中央リングのあった場所でボンッ! ボンッ! と何かを狙う音が断続的に鳴る。
そこに地鳴りと咆哮加わりながら、アズラたちは戦っていた。
瓦礫から僅かでも顔を出せば狙撃され頭が吹き飛ぶ。
術式で守りながらでも貫通してくるその攻撃力にアズラたちは完全に抑え込まれていた。
瓦礫の影に隠れながらアズラと森羅の二人がどう打開するかを話し合う。
「まさかこの状況を狙っていたなんて、やっぱり私たちを引き離すために?」
「それで間違いないでしょうね。現にヒギエアの彼、ツィーレンは時間稼ぎに徹しています」
「ここを崩壊させたのも奴らですか」
アズラが怒りを込めて聞く。
その怒りをやんわりと受け止めながら森羅は答える。
「王都への攻撃は別勢力でしょう。タウラス第一王子たちはそれを待っていたと言う事です」
「何のために・・・、セトたちを巻き込んでッ」
「アズラ冷静に。私たちが今すべきことは、ツィーレンを突破しセトたちと合流、そして、速やかにウィリアム様たちを救出することです」
森羅は冷静に今やるべきことを決めていく。
まずは、ツィーレンの撃破。
始めはケレスの騎士、バティルと合わせて3対1だったので苦も無く突破出来ると思っていたが。
蓋を開けてみればこの有様だ。
ツィーレンの装着型術導機は狙撃に特化したタイプ。
つまり、アズラたちの陥っているこの状況、場所こそがその性能の真価を発揮できるのだ。
何もない開けたリングにいる標的と崩壊した瓦礫に潜むツィーレン。
彼はこの条件を守るだけで圧倒的優位を獲得する。
どう突破するか。森羅が思考を巡らす中、ツィーレンがいると思われる瓦礫の山より爆発が起こった。
瓦礫を吹き飛ばすのはケレスの騎士バティルが振るった大剣。
アズラたち二人が瓦礫に隠れる中、バティルはその身体能力で狙撃の弾をかわしツィーレンに斬り掛かっていた。
瓦礫の山より姿を現すツィーレンとそれに迫るバティル。
その光景を水の術式で作り出した氷の鏡で見ながら森羅が。
「私たちだけなら突破できるかもしれません」
突破できると判断した。バティルを囮にしてだが。
アズラもコクリと頷き、二人が動く。
バティルの大剣がツィーレンの砲身とぶつかり合った瞬間、瓦礫の外に飛び出した。一直線に闘技場跡の外を目指す。
ダンッ!
アズラの足元に穴が空く。アズラが慌てて足を止めツィーレンを見た。
大剣を受け止めながら、小型の砲身。銃と言った方が早いだろう。
その銃でアズラたちを狙っていたのだ。
「下がりなさいッ!」
森羅がアズラの前に出る。それを狙ったかのように銃声が連続で鳴り渡った。
ガッガッガッ! と手刀で弾を殴りつけ弾き飛ばす。狙撃に用いていた弾ほどの威力はない。
この程度なら受け止められると森羅がツィーレンに向かって走り出した。アズラもそれに続く。
ツィーレンを無視しての突破は不可能。
なら、黙らせるだけだ。
「土属性の効果微弱を確認。火での補強を開始する」
「俺を無視して平気って言われちゃ気分が悪くなるなッ!」
アズラたちを迎撃しようとしたツィーレンにバティルが大剣で突きを放った。
突き刺すではなく、押しつぶすほどの攻撃にツィーレンが吹き飛ばされる。
「ぐぅ! その質量を人間が持てるとは理解しがたい・・・」
「筋肉が足りねぇなぁ。ちゃんと肉食ってんのか!」
振り上げられた大剣が豪快に迫る。ツィーレンが銃で応戦しながら全力で回避し後方に下がった。
再び爆発が起こる。回避したはずのツィーレンが衝撃に吹き飛ばされ瓦礫に叩き付けられる。バティルも銃弾を顔面に受け仮面が砕けた。
アズラたちがそこに駆け付ける。
「アズラか、お前は先に行け!」
「いえ、加勢しますバティルさん」
「微力ながら私も手を貸しますよ。風の団の団長バティル殿」
「フッ! 好きにしろ」
アズラたちの加勢をありがたく受け取るバティル。一対一なら互角かもしれないが、接近された状況でさらに3対1。
ツィーレンを追い詰めた。
ゆっくりと起き上がりアズラたちを見据えている。
その長い砲身を切り離し、接近戦へとツィーレンも移行していく。
「まだ諦めねぇか。国を危機にさらすのがお前の主のやり方か?」
「王都を危機に陥らせたのは敵だ。我らではない」
「どの口が言うかッ!」
追い込まれてもツィーレンは武器を下ろさない。
装着型術導機を構えて、3人の行く手を阻む。
「この危機が自分たちの意図したものでないと言うなら、あなたの主君、ガスパリス公爵も危機に陥っているのではないですか?」
森羅がツィーレンに問う。こんなことをしていていいのかと。
王都の基幹を支えるツェントルム・トゥルムを破壊し大惨事を引き起こした程の敵が、今この瞬間にいるのなら自分たちも危険なのではないのか。
そして、カラグヴァナの敵がその権力者を狙うのは至極当然。
だから、自分たちは。
「私たちは、今無駄な派閥争いをしている時ではないはずです。騎士ツィーレンあなたの主君は無事だと言えるのですか?」
「ガスパリス様は宮廷にいらっしゃる。宮廷の防衛網はこの程度では破られない」
「そうでしょうか・・・」
森羅が通信用魔晶石を手に持ちながら深刻な顔を浮かべる。通信を繋いでいるのはウィリアムの近衛騎士隊長ベシャイデンだ。
仕事に真面目な彼が通信に出れないというのは、まずあり得ない。
それが今起こっている。
「一つ確認しますが、ガスパリス公爵はウィリアム様と一緒に居られるということでいいですね」
「・・・ああ。四大公爵家は全員宮廷に居られる」
「考えたくないですが、宮廷は今戦闘状態に陥っているのではないでしょうか?」
「「!?」」
森羅のその一言にアズラとバティルが反応した。今、宮廷には大事な人がいる。
もちろんそれはツィーレンも。
「騎士ツィーレン、自身で確認された方がいいと思います」
「・・・」
ゆっくりと押し黙ったまま、ゆっくりと手を懐に入れ通信用魔晶石を取り出す。
砲身はアズラたちに向けたままツィーレンがガスパリスと一緒にいるはずの団長カクトゥスに連絡を取る。
「・・・・・・・・・!!」
驚愕の反応を示したツィーレンに対し、3人が一斉に動いた。
一瞬にしてツィーレンを組み伏せ魔装を手刀を大剣を突き付ける。
団長カクトゥスに繋いだ通信用魔晶石は何の反応も示さなかった。
それはカクトゥスが持つ魔晶石が何らかの理由で停止しているということ。
そして、カクトゥスがその事態に追い込まれたということ。
ツィーレンはその事実に戦意を失う。
「選びなさい騎士ツィーレン! 私たちと共に主君の救出に行くか。ここで何も分からないまま全てが終わるのを待つか!」
「・・・ッ!」
迷う暇もなかった。ツィーレンが装着型術導機を手放し、彼の真横に転がっていく。
それを確認した3人が武器を下げる。
「今すぐに上層に向かいます。騎士ツィーレンここから一番近いルートは分かりますか?」
聞かれたツィーレンは起き上がりながらすぐに答えた。
「城壁を上るルートが一番早い。他のトゥルムは防衛部隊が閉鎖している。飛ぶ手段があるならここの直上を行くのもいいが・・・」
そういいながらツィーレンが上を見上げる。上層区画が崩落し王都の最上層まで見える穴。
最上層にある宮廷に一気に行くなら、確かにここから飛んだ方が早い。
「それなら手がある。ちと人を探すのを手伝ってもらうことになるが」
「どの程度の時間を要する?」
「10分もいらねぇ。この闘技場にいるはずだ」
「崩落に巻き込まれて死んだ可能性は・・・」
「無いな。俺の相棒だぞ」
バティルの相棒と言えば一人しかいない。そして、アズラは納得する。確かに飛べると。
ハンサなら彼女の持つ魔装で飛ぶことが出来る。4人全員飛べるかは分からないが、城壁に回り込むより格段に速く着くことができる。
4人がハンサを探そうと動き出すが、闘技場の外より異様な声が響いてきた。
「グォォォォォォォォッッオオン!!!」
声ではない。咆哮だ。
これで二回目。先ほどよりも大きい。近づいているのか。
「これは・・・」
「敵だ」
咆哮を警戒する3人にツィーレンが敵だと告げる。
「アーデリ王国が従える亜人の上位種族ゼヴ族。先兵に最高戦力か。非常識だな」
ケレス防衛戦でも目撃情報があった存在。
その特徴も報告が上がっている。この咆哮もその一つだ。
敵の存在を確認した森羅がアズラに。
「今すぐセトたちと合流しなさい。宮廷には私たちが行きます」
「分かりました。後で必ず向かいます」
そう言い残しアズラが振り返ることもなくセトたちのもとに走っていく。
敵がここに迫っている。
今セトたちがどうなっているかも分からないと言うのに。アズラに焦りが生まれている。
森羅はこのアズラの焦りを見抜いて、あえてメンバーから外す発言をしたのだろう。冷静さを保てない自分を恥じつつも森羅に感謝しセトたちが居たはずの観客席跡に到達する。
いない。
魔力を広げ周囲をくまなく調べてみるも瓦礫の下にいるのは知らない死体だけだ。
アズラが移動する。
闘技場跡の瓦礫を上り周囲を見渡した。
「!!?」
見えたのは地面に突き刺さった縦に翻っている町の絶壁。
そこから歩きながら近づいて来ているでかい狼のような怪物。
そして、怪物から必死に逃げるセトたちの姿。
「私の家族にッ!! 何をするつもりだッッ!!!」
アズラが怒りで冷静さを失うのに時間は要らなかった。
怒りのままに拳を握り、魔力を爆発させ最短距離を飛んだ。
その勢いのまま魔装・絶対魔掌を叩き込む。
「痛ダッ!?」
ゼヴの顔面を拳が殴り飛ばす。
大きなその体が揺らぎ、足が止まる。
「セト! みんな無事!」
「アズ姉!! ランツェさんが!」
セトの悲痛な叫びにアズラが表情を変えて殴り飛ばしたゼヴを見る。
頬を抑えているゼヴと。
地面に倒れ伏し亜人たちにただの肉塊になるまで殴られ続けているランツェの姿が見えた。
「ーッ!? ッ!!?!!!?」
あの状態はもう・・・。
「キ・サ・マ・ラ・・・ッ」
躊躇する必要はない。そんな生暖かい心は怒りと共に置いてきた。
今から殺すゴミが怒りに呑まれている?
知ったことではない。怒りなら自分の方が上だ。
アズラの思考が怒りに支配される。
グシャ・・・。
肉の砕ける音。
それを拳の先から感じながら、アズラが亜人たちを殴り殺す。
ランツェに群がっていたゴミ共を一人残らず殴り殺していく。
「グォォォッ!! 貴様! このゼヴの子らを!! 許さんぞ人間ッ!!」
許さない?
ああ、許さない。
私の家族に手を出したゴミ共を許すはずがない!
「アアアアアアアッ!!」
怒りのままに魔装・絶対魔掌が亜人を砕き、血を撒き散らしながらゼヴの腹に拳をブチかます。
「ガァァッ! この威力、強さ・・・。このゼヴの敵に相応しい!!」
アズラとゼヴが対峙する。
怒りに支配された者と怒りを支配する者。
その両者の激突に合わせるように、直上に穿たれた穴より、無数の砲撃がアズラをセトたちを飲み込んだ。
闘技場跡のより外の区画を根こそぎ破壊で埋め尽くしていく。
直上より打たれた砲撃に森羅が驚愕の表情を浮かべる。
「術導機による砲撃!? 臣民ごと焼き払う気ですか!!」
上層に通じる穴に展開されているのは、王都の最高戦力、術導機部隊。それによる一斉砲撃。
本来、王宮を守っている術導機が敵を殲滅するために最上層より下へと降りてきていた。
人を記号化したような外観。石のような不格好な見た目に、両腕が砲台となっていて完全に浮遊している。
至る所に魔晶石を取りつけ、自立型術式兵器としての性能を見せしめるように佇んでいる。
その術導機部隊に指示を出す一人の騎士が片手を上げた。
術導機がエネルギーを収束し第二撃を発射しようとして。騎士は、自身の目を疑った。
穿たれた穴に一人の人。いや翼を持った黒いローブに身を包んだ亜人が一人佇んでいた。
手を前にかざして、術導機による砲撃を受け止めながら。
「兄者ァァアアアアアアアアアッ!!!」
炎の中よりゼヴが怒りのまま姿を現した。
焼き払われた亜人たちの亡骸に怒りの声を上げるゼヴに、兄者と呼ばれた男が頷く。
「今より王都を落とす。目標はただ一つシュピーゲル王の命」
男がその黒いローブを脱ぎ捨てる。
露わになったその姿。
それは、漆黒の鱗に覆われた肉体。大きな漆黒の翼。
龍を思わせる顔。
亜人の始祖が一人。
名を。
ヌアダ・ドゥラコン
現存する世界最古の種族の一人。