第百二十八話 救国を託されて
剣を向けながらセトは思う。
彼に、バティルにはお世話になった。命も救われた。
強く、神話を退けるほど強靭で。セトの憧れだった。
風のスィームグルという通称も、ちゃんと聞けば全然偽名でも何でもない。
風の団の風とバティルの家名の名を使っているからだ。
むしろ、なぜ気付かなかったと己を恥じたい。
だから、ちゃんと彼に示さなくてはいけない。自分は強くなれたと。
大切な人たちを守れるほど強くなったと。
もう、自分は一人で世界に立って行けるのだと、この剣で示す。
「ヤァァッ!!」
雄叫びと共にセトが前に出る。いつもの的を絞らせない挙動は取らずに、ただ真っすぐに走り出した。
バティルの戦い方は正攻法だ。今の大剣を装備した状態でも情報ではその戦い方変わっていない。
ならばとセトが二刀流による変則的な一撃を繰り出す。
片手剣による剣撃、さらにそれに合わせたダガーによる突きを同時に叩き付ける。
全く異なる攻撃と間合いが同時来る。一つだけに対処すればもう一つは対処できないはずだ。
セトがそう予想し仕掛けると、バティルは防御の構えを取った。大剣を正面に立てまるで盾のように扱い迎え撃つ。
セトは臆せずにそのまま大剣に斬り掛かった。
金属同士を殴りつけた甲高い音が鳴り響き、火花が散る。
片手剣が下がりきる前にダガーによる突きが攻撃のモーションに割り込んでほぼ同時と言える攻撃がバティルに迫った。
ニッと笑った。
仮面で見えないが顔が見えているならそういう表情をしたのだろう。
そんな余裕を見せバティルが大剣を立てたまま90度回転させた。
セトの目の前から大剣が消える。
いきなり開け放たれたドアに突っ込むようにセトの攻撃が盛大に空振りをしてしまった。
すぐさま構えを解き反転する。
バティルから目を離してはダメだと、自分自身に言う様に再度捕捉しようとするが。
「相手に手の内を見せながら戦ってちゃまだまだ、だな。よく見とけセト。最初の一撃は相手に力の差を見せつけるヤツが正解だってな!」
再度捉えたセトの目には、大剣を上段に構えたバティルの姿が映っていた。
ゆうに何百キロはありそうな鉄塊の塊を最大の攻撃ポジションに着けて全身のパワーを集中させている。
脳が命令するよりも速くセトは最大防御の姿勢を取った。二本の剣を両方とも下段に構え攻撃をやり過ごそうとしている。
あれに張り合おうなどとは思いもしない。そんな選択肢は自分の意志とは関係なく肉体が拒否していく。
今、セトは無自覚な硬直状態に陥っているのだ。
体が動かない。目を離せられない。
肉食動物に睨まれた小動物になった気分だ。
セトの唇が震える。
味方だとあれほど頼りになったバティルが敵に回るとこれだけの気迫。
セトの闘志を押しつぶすほどの圧迫感がリングを満たしていく。
「いくぞッッ!!」
大剣が真横に振るわれながら捉えていたはずのバティルが視界から消える。
違う。
消えたのではない。セトが捉えきれていないだけで視界にはずっと映っている。
もう、バティルはセトの目の前、大剣の範囲内だ。
セトが状況の変化に気付くが遅すぎる。
大剣が薙ぎ払われた。
右腕がへしゃげ、体はくの字に折れ曲がり。セトの視界はグシャグシャにかき混ぜられて意識が飛んでいく。
体から力が抜ける。意識が暗闇に沈もうとしたとき。
「セトー! 負けるなー!」
声が。
大切な家族の声が。聞こえた。
セトの意識がその声に必死にしがみついた。まだ、終われないとリングにぶっ倒れている自分を叩き起こす。
「ぐぅッ・・・」
全身に激痛が走る。
自分がどこを見ているか分からず、起きようとしているのに体は全く反応しない。
首だけが辛うじて動いた。顔を上げて見上げていく。
「・・・ッ」
見上げた先には大剣の剣先があった。セトの顔に突きつけられている。
大剣を突き付けているのはもちろんバティルだ。
仮面で表情は見えない。だけど、見えているならきっととても厳しい顔をしているのだろう。
「強くなったなセト・・・。だが、まだだ。姉ちゃんを助けたいんだろ? ならここで満足するな」
バティルの声は励ましにも聞こえた。でも、同時に自分はまだ弱いと言われたと感じる。
セトはそう思う。この結果をそう思う。
セトの意識が落ち完全に動かなくなる。笛の音が響き渡り赤いコードが二人を埋め尽くしていく。
バティルは倒れているセトに背を向け赤いコードが覆う中リングを後にした。
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リングでは、倒れたセトをアズラが背負って運んでいる様子が繰り返し映されている。
同じ姓であることから親族であると早い段階で知られていたのだが、互いを思い合う行動が家族愛として、美談の一つとして王都中に伝えられていた。
このような大会では、参加している騎士の中で人気のある者の武勇伝や美談を紹介するのは珍しくない。
セトとアズラは、ベスタ騎士団代表であるためその対象となったのだ。騎士団統一戦を彩る姉弟の絆として語られていく。
その映像を見ていた仮面を被った女傭兵、空のヴェーダが、溢れる涙を堪えられずに鼻声になりながらバティルに文句を放つ。
「セトちゃんをあんなに痛めつけて・・・。団長には血も涙もないの? セトちゃんがあたしのこと嫌いになったらどうしよう、ウェエェェン」
「そう泣くな。セトは立派な騎士になってたんだ。なら手加減なしで相手するのが礼儀だろう」
「でも、セトちゃんの体。折れ曲がってたよ?」
「あれは・・・、すまん。やり過ぎた」
「ウェエェェン」
バティルが非を認めた瞬間、ウォンウォンと泣き出す空のヴェーダ。
相手のために泣ける心優しい奴なのか。
感情の制御ができない奴なのか。まぁ、前者なのだが。相方が号泣していることに頭を悩ますバティル。
今の彼女には言葉では伝わらないだろう。セトに合わせてやるのが手っ取り早いが今は騎士団統一戦の最中。それはできない。
相方をなだめていると部屋の扉が開いた。ケレスのために用意された部屋にやって来たのは、バティルたちの雇い主、シアリーズだ。
「公女様か。見苦しい所を見せてしまったな」
「お気になさらないで。それより報告です。わたくしたちで勝ち上がったのはもうあなた方だけ。ケレスのことを他人任せにしてしまうのは心苦しくあるのですが、わたくしには選択の余地はありません」
そう告げたシアリーズが深々と頭を下げる。
もう彼女に残っているのはこれだけなのだろう。
「どうかケレスを、わたくしの祖国をお願いします」
そう言い終えると同時にクイッと顔が上げさせられた。バティルが彼女の顔を優しく添えるように目線を自分に向けさせる。
突然のことにシアリーズは戸惑ってしまい顔が赤らんでしまう。
「なっ、わた、わたくし・・・!」
顔に手を添えたままバティルは跪いた。丁度、バティルがシアリーズを見上げ、シアリーズは腰を曲げてバティルを覗き込んだ感じになる。
バティルが仮面を外していく。かき上げた黒髪に無精ひげが良く似合っている顔がシアリーズの目に入って来る。
その目は真剣な目だった。シアリーズはキュッと口を紡ぐ。
バティルが口を開く。鋭い眼つきでシアリーズを真っすぐ見つめながら。
「公女様が頭を下げないでくれ。あなたには常に前を見てもらわくちゃならない。俺たちにとってもケレスは故郷だ。その姫様に頭を下げさせたとなっちゃ格好がつかない」
バティルの言葉にシアリーズから戸惑いが消えた。
自分は何を勘違いしていたんだ。祖国の窮地にこんな感情はいらない。
でも。
でも、顔に添えられているこの大きな手にすがりたくなってしまう。
助けて欲しい。
この弱い感情、思いの気持ちだけは許してほしい。
「はい・・・」
顔に添えられた大きな手をシアリーズが握り締めていき。
目を閉じる。
そして、目が開かれる。その瞳にはもう迷いはない。
「騎士バティル。ケレスの救国をそなたに託します」
「ああ、任せてくれ」
バティルが力強く返事をしてくれる。それだけでシアリーズの心から不安は取り除かれていた。
隣で見ていた空のヴェーダもすっかり泣き止んで真面目な雰囲気になっている。
ちょうど、小型の術導機からの映像には次の試合の情報が映し出されていた。
「あたしの番ね。お姫様、ケレスを救いたいのはみんな一緒。あたしもそうだし。団長もそう。だから、心配しなくても大丈夫!」
さっきまで号泣していた奴に励まされても、なんだかおかしいとシアリーズは思ってしまうが表情には出さない。
だってこれは、彼女の優しさ。ケレスのことを思ってくれてのことだから。
空のヴェーダが部屋から出ていくと扉の前に二人の騎士が待機していた。
ケレスの騎士。シアリーズの親衛隊。二人とも個人戦で勝利できずに敗退してしまった。そんな自分たちを恥じるように声を出し彼女に託す。
「姫様を、ケレスを頼みます」
「御武運を」
騎士たちを後にして空のヴェーダは進む。第三試合の相手は彼女、アズラだ。
出会った時は術式の基本も知らなかった彼女。
それを教えてあげたのは自分。
自分の蒔いた種がここで立ち塞がるとは思いもしなかったが、この再会にもきっと何か意味があるのだろう。
闘技場内部を一周する長い廊下を歩いていく。
王都もそうだが、この真っ白しかないセンスはどうにかならないのだろうか。
なんか味気ないと空のヴェーダは思うのだ。
構造物を構成する術式とその媒体となる魔晶石の都合上、色が白になるため仕方ないのかも知れないが。
長い廊下を進み、リングがある中央に出る通路へと曲がる。
そういえば今日は人通りが少ない。
この通路に入ってからはパッタリと。
「人が消えた?」
人がいない。声もしない。遠くの方から騒めきが響いてくるだけだ。
いや、居た。小さい子供の足音が聞こえて来た。
タタタタと走り回っている。
その子が通路に飛び出してきた。
勢い余って空のヴェーダに突っ込んでしまう。
「おっと、大丈夫?」
「イテテ・・・、ごめんなさい。おっきなお姉さん」
赤い腰まである長い髪に、整った顔立ち。そして、青い瞳をした少女。
ジグラットの神官服を着こんでいるが、階級を表す装飾の色がおかしかった。
白の神官服に金と銀の装飾。
こんな階級の神官は空のヴェーダも見たことがない。
それよりも、この神官の少女の顔を空のヴェーダは知っていた。
そう、対戦相手のアズラと、セトたちと一緒に救った少女だ。
「リーちゃん!? リーちゃんだよね? 久しぶり! あたしのこと覚えてる?」
「・・・?」
空のヴェーダが嬉しそうに話しかけるが、少女はキョトンとしている。
まるで、記憶にないようだ。
「もしかして忘れちゃった・・・」
「ぼく・・・、リーちゃんじゃないよ。ぼくは、ハーザク」
「ハーザク???」
空のヴェーダの頭が真っ白になった。知っている顔の少女が全く知らない名前を名乗ったのだ。
(あれ? 他人の空似? でも、そっくりすぎじゃないかな)
もし、人違いならとっても失礼なのだが、なんだか引っかかる。
空のヴェーダは少し自己紹介をしようと思い少女の目線に合わせて屈みこんだ。大きな丘が窮屈そうに太ももと体にサンドイッチされている。
それをハーザクと名乗った少女が、おおーと目を輝かせて見ていた。幼い子には目に毒のようだ。
「えっと、人違いだったのかな。困らせてごめんね」
「ううん。気にしないで」
「ハーザクちゃんが名前を教えてくれたから、あたしも教えてあげるね。あたしの名前は」
「失礼だが、その方は先を急いでいる」
心臓が止まるかと思った。いつからそこにいたんだと思えるほど、大男が空のヴェーダの真横に立っていた。
深々とローブを身に纏い、顔は完全に隠れている。
漆黒のローブには、術式のコードだろうか。何らかの文字が刻まれており、何か大きなものでも背負っているのか背中が大きく膨らんでいる。
彼から感じ取れるのは異端。
そう感じ取れる違和感。
例えるなら、セフィラや黒い巨人たちと同じ香りがするのだ。
触れてはいけない人に話しかけていたのではと、空のヴェーダが立ち上がり一歩下がる。
「ごめんなさい。邪魔をするつもりは」
「責めてはいない。ハーザク様が粗相をしたのが原因だからな。謝罪しよう」
大男が頭を下げ謝罪する。
なんだか、どこかの全然知らない異文化の王様に謝罪されたみたいで戸惑ってしまう。
空のヴェーダが困っていると。
「ヌー。お姉さん困ってるよ。ぼく、ちゃんと謝ったから」
「では、我らはこれで失礼する」
少女の話を聞き流しながら、大男は少女を連れて去っていった。
空のヴェーダが呆然と見送っていると、気付けば通路は人で溢れ返っていた。
もう、二人の姿はどこにも見えない。
首を傾げていると笛の音が鳴った。もう試合が始まる。